44.王弟秘書官の暴走
公爵令嬢であるグローリアには直接王族に謁見の許可を取る権利があるがそこは未成年ということもあり今はまだ父を通している。それが正しい手順だ。
「そうだな。お前は公女だからそれで俺に会える。じゃぁ質問だが、ポール卿が俺に会うにはどういう手続きが必要になると思う?」
「ポール卿ですか?」
突然の質問にグローリアはぱちくりと目を瞬かせた。ポーリーンは騎士ではあるが子爵令嬢だ。騎士としてもまだ分隊長格の騎士であるポール卿は職務以外で王弟殿下に声を掛けることはまだ許されない。同じく、子爵令嬢であるポーリーンも子爵位では許されない限り直接王族に声を掛けることは叶わない。
「伯爵家以上の家の者に殿下への取次ぎを頼み、殿下からのお呼びがあって初めてお会いできますわね」
「そうだな、その通りだ」
満足そうに頷くと、王弟殿下は座りなおし、無駄に長い脚をゆっくりと組んだ。
「ポーリーン・ファーバーは、誰の取次ぎも無く俺に直接、約束もせずに婚約解消の交渉に来た。この意味が分かるか?」
「約束もせずに、でございますか?」
「そうだよ」と頷く王弟殿下に、グローリアはほんの少し目を丸くした。公女であるグローリアすら謁見のお伺いを立てることはする。直接乗り込んでも少々怒られるくらいだろうが、緊急時以外そんなことをしようとも思わない。ポーリーンの場合は緊急ではあっただろうがさて、子爵令嬢の身分でそれをしても良いかというと、グローリアと違い不敬罪案件となる。
「殿下がお許しになったから、としか……」
唯一、それをしても咎められないのは王弟殿下本人がその許可を与えた場合だ。いつ来ても良い、直接来ても良い、と。
「そう、正解だ。俺はポーリーン・ファーバーにアニーと婚約してもらうに際していくつかの約束をした。その内のひとつが、何かあれば取次ぎ無しで直接俺のところへ来ても良い。重要な案件が無い限りはポーリーン・ファーバーを優先する、ってやつだ」
破格の待遇だ。ともすればその権利を乱用して王弟殿下の執務室に入り浸ることすら可能ということ。万が一王弟殿下に懸想する令嬢などにその権利を渡したら間違いなく事件になる。あまりにも無茶だ。
「それはまた……」
口ごもるグローリアに王弟殿下は笑った。
「あの馬鹿が付くほど真面目なポール卿だからな。さっさと使えば良いものをギリギリ、耐えられなくなるまで一度も権利を使わなかった。何のために権利をやったんだか正直わからん」
肩を竦める王弟殿下に、グローリアも困った顔で頷いた。
「俺はな、グローリア。ポール卿に言ったんだよ。アニーが何をするか分からないから婚約だけは頼みたい。だが結婚するかどうかはポール卿が決めて良いし、婚約期間も好きなだけ伸ばして良い。やっぱり嫌なら俺が責任をもってアニーを黙らせる。だから、何かあれば迷わず俺のところに来い。誰よりも何よりも優先してやる、ってな」
突っ込みどころの多さにグローリアは眩暈を覚えた。何だろう、一歩間違えれば婚約を申し込んでいるのは秘書官ではなく王弟殿下のようだ。グローリアが呆気にとられ黙って王弟殿下を見ていると、王弟殿下はどう思ったのか、困ったように笑って言った。
「俺が約束を反故にできないように、証人として総騎士団長と宰相、フレッドにも同席してもらった。第一騎士団長にも頼んだんだがその日は王太后殿下に呼ばれていたらしく無理だった」
総騎士団長に宰相閣下に第一王子殿下に王弟殿下。ポーリーンにとってはさぞかし胃の痛い空間であったことだろう。そんなもの、公女であるグローリアですら少々遠慮したい。
「証人としてよりも…圧力の方が……」
思わず目を逸らして呟くと王弟殿下がまた笑った。
「正直、そっちも期待しての人選だな。とりあえず婚約だけはしてもらわないとアニーが暴走寸前だったからな」
「秘書官様が暴走したところでどうにかなるようなものでは無いと思うのですが……」
グローリアは王弟秘書官を思い出してみた。小柄な体に可愛らしい顔立ち。深い海のような瞳はきらきらと輝き、栗色の巻き毛も愛らしい、少女と言われても信じてしまいそうな可憐な青年だ。
「いや、アニーの暴走はまずいんだよ。言っとくが、婚姻届けに御璽を押させたのはアニーだぞ」
「は…………?」
「アニーはひねくれてはいるが馬鹿じゃないし普段はそれなりに理知的なんだが、敵認定した奴とポール卿にだけはねじが飛ぶ。そうなれば俺でも抑えるのにかなり苦労する。今のところ完全に抑えられるのはベンジャミンだけだ。それも、やらかす前に気がつけるかどうかが勝負だな。頭が良くて思い切りも良い分、間に合わないと大ごとになる」
あまりの新事実の多さにグローリアは一度目を閉じた。頭を整理しなくては追いつかない。いつもきらきらと可愛らしい秘書官はどうもひねくれているらしい。ポーリーンを好いているのは知っていたがねじが……頭のねじが飛ぶほどにこじらせているらしい。敵認定とは……いったい何をどうすればそうなるのか。
目を開きちらりとベンジャミンを見ると、困ったように微笑み首をかしげている。王弟殿下に同意、ということだろう。
「今回は間に合わなかった、と」
「そういうことだな。俺もアニー以外の側近も今回は完全にポール卿側についたし、何かあれば協力してもらえるように総騎士団長や宰相にも話していた。フレッドはまぁ、俺に何かあった時にフレッドが知っていれば話を進めやすいだろうからな、巻き込んだ。結果的にアニーが動かせる駒では太刀打ちできなくて、直接王を動かしたんだな。チェスなら悪手だが……現実世界では間違いのない、文字通りの王手だ」
王の御璽に敵うものはない。一度押されてしまえば覆すことは難しい。できないわけでは無いが、王が自らの決定を安易に覆すことは権威の弱化に繋がる。それゆえ覆す側もそれなりの覚悟を持ってかからなければならない。間違っても、一般の書類に簡単に押して良いような代物ではないはずのだ。グローリアの認識では。




