1.三日前 1
「お疲れ様です、メイウェザー嬢」
ある日の夕方。その日の最後の職務である経理部へのお使いを終え、さぁ今日は珍しく時間があるから何をしようかしらと?上機嫌に回廊を歩いていると呼び止められた。
振り返ると立っていたのは良く見知った顔。国王陛下の侍従のだった。名前はダレン・ストークス。ストークス侯爵家の第三子だったと記憶している。
「お疲れ様でございます、ストークス様。何か御用でございますか?」
ハリエットは向き直り軽く会釈をした。中肉中背。ブルネットの髪によくある緑の瞳。国王陛下の側に侍る者たちの中でもとりわけ目立つ方でもない。
物静かで気配は薄いが国王陛下と王妃殿下のお茶会などでもよく後ろに控えている、そんな人だった。
「あー、その…少しお願いがあるのです…」
元々よくしゃべる方ではなく静かに控えている印象ではあるが話をすればきちんとした受け答えが返ってくる人なので、その歯切れの悪さにハリエットは首を傾げた。
「お願い、で、ございますか?それは王妃殿下にでしょうか、わたくし個人にでしょうか?」
困ったように眉尻を下げてもごもごと「いや、その…」などの繰り返す陛下の侍従に違和感を感じつつも、ハリエットは微笑みながら軽くいらついた。今日はせっかく早く帰れると思ったのだ。用があるのなら早くしていただきたい。
「その、あなた個人に折り入ってお願いがあります、ハリエット・メイウェザー伯爵令嬢。私にお時間をいただけませんか?」
ダレルは何かを覚悟したように悲痛な表情でハリエットを見つめている。そうして、軽々しく話せることではないのでどこか別の場所へ…という恐ろしいお誘いの言葉を聞き、ハリエットはものすごく面倒ごとの予感を感じた。
結局、王宮内でも外でも人に聞かれるとまずいということでハリエットはストークス侯爵家のタウンハウスへ招かれた。突然の来客にも関わらずタウンハウスの使用人たちは大変良い笑顔でハリエットを迎えてくれ、なぜか上にも下にも置かぬほどの歓迎ぶりだった。
ストークス侯爵家は大変愛情深い家であり使用人たちにもとても評判の良い家だと聞いていたが、ここまでとは思っておらずハリエットは同じ貴族として密かに感動した。
応接室に入り使用人がお茶とお菓子を用意したのを見届け、ダレルはふたりで話がしたいからと全ての使用人を下がらせてしまった。密室に未婚の男女がふたりきりなどあってはならないことではあるが、それだけ人に聞かせられない内容なのだろう。生涯独身宣言をしているハリエットには大した痛手にはならないので甘んじて受け入れた。
まずはお茶をどうぞと促され、口を付けないのも失礼なのでひと口だけいただく。仄かな苦みの奥、すーっと抜けるミントのような爽やかさが広がった。ハリエットが思わず目を瞠るとダレルが口角を上げ首を傾げた。
「気に入っていただけましたか?」
「はい、とても…とても爽やかで、とても美味しいと思います」
ハリエットには感想を言葉にする才能はないらしく、残念ながらうまい言葉が出てこない。それでもダレルは嬉しそうに緑の瞳を細めて笑った。
「良かったです。当家で新しく開発した茶葉なのです。まだ試作なのですがとても良くできていたので……あなたにお出しできてよかった」
「…はい?」
ハリエットはつい淑女らしからぬ反応で聞き返してしまった。まるでハリエットに試して欲しかったように聞こえたのだ。驚きで被っていた大量の猫のうち、数匹が手を滑らせたようだ。
「メイウェザー嬢は紅茶に精通し王妃殿下のお飲み物はメイウェザー嬢がご用意することが多いと聞いております。陛下との茶会の時もメイウェザー嬢がご用意されることが多いですよね。そんなあなたの意見を伺ってみたかったんです」
そんなハリエットの反応を気にすることも無くにこにこと笑うダレルに、ハリエットはなるほどと思った。確かにハリエットは紅茶が好きだ。好きなものはこだわりたい。そして敬愛する王妃殿下には常に美味しいものを召し上がっていただきたい。
そのこだわりを持って紅茶と向き合っていたところ、ありがたいことに今では王妃殿下からご指名をいただけることも多いのだ。
「こちらの紅茶でしたら十分にセシリア様にお出しできると思います。午後のお茶としてお菓子と合わせるよりも執務の合間の息抜きや気分転換に飲んでいただくのが良いかもしれません。きっと気に入られると思いますよ」
ハリエットが素直な感想を言うと、ダレルが破顔した。
「それは頑張って商品化しなくてはいけませんね!完成したら、ぜひメイウェザー嬢に真っ先に贈らせてください」
そう言って笑うダレルの表情は明るい。ダレルは普段、穏やかな笑みを浮かべて静かに国王陛下の隣に控えていることが多いため、こんな顔もできるのだなとハリエットは思った。
「ありがとうございます。楽しみにしておりますね」
たとえ社交辞令でも美味しい紅茶は嬉しいので、ハリエットは素直に微笑んで返した。紅茶に添えられていた小さなレーズン入りのクッキーも実に美味しく、思わず一気に三つもいただいてしまった。「よろしければ後でお土産をご用意せてください」と微笑まれ、ハリエットは赤面した。
話が途切れたところでダレルが居住まいを正した。例の聞かれてはまずい話しが始まるのだなと、ハリエットも紅茶のカップを置いて背を伸ばしソファに座り直した。
「メイウェザー嬢…その…」
先ほどまでの爽やかさから一転して、ダレルがもごもごと話し始める。そんなにも話しづらい内容なのかとハリエットが身構えるも、次の一言で顔から表情が抜け落ちた。
「恋文を、いただきたいのです」
「…は?」
ずっと湛えていた淑女の微笑みがべりりと剥がれて落ち、すんっと無表情になった。猫が総出で走り去った。慌ててかき集めるとハリエットは再度顔に笑みを張り付け直した。
「気でも触れましたか?」
笑顔で言うハリエットにダレルが慌てだす。口の方には猫は戻ってくれなかったようだ。
「いえ、違うのです!私に恋文が欲しいのではなくて!」
首を激しく横に振り目を泳がせるダレルに、ハリエットの眉根にどんどんとしわが寄っていく。
「ですからその、事情が、ありまして…」
ああ、だから僕には無理だと言ったんですよ陛下…!と明後日の方向を向き泣きそうに顔を歪めながら呟くダレルを見て、ハリエットはピンときた。これはまた国王陛下が無理難題を言い出したのだな、と。




