「夢」を実現するために
友人の勧めで会うことになった、ルドとは違った分野の探究者でありエキスパートだというご老人は。
「竜素材とか貴重なモンぶら下げてきおってぇぇぇ!!!その首よこせぇぇぇぇぇぇ!!!!」
ただの変態ジジイだった。
ルドは辺りを見回した。やはり目論見通り、竜の領域から離れたこの森の月光草は、まだ潤沢にあった。
元々花がきれいなだけで毒性のあるこの花は、人間たちからは嫌われている。竜の領域の森でやらかしたような、うっかり取りつくしてしまった、という状況にはなりそうもなかった。
とりあえず実験に必要な数だけにしよう、とルドが素手でその花を摘もうとしたときだった。
「余計なことかもしれねぇが」
ルドは声のした方を振り返る。そこには特徴的な槍を持った赤髪の「勇者」ハーヴィンが、手近な木に体を預けながら、呆れたような目つきでルドを見ていた。
「毒あるぞ、その花。素手で摘むバカは、人間にゃおそらくいないぜ」
「大丈夫だ、私の体は人間判定はされるものの、その実態は竜と呼んで差し支えない。
竜にはこの花の毒は、ちょっとした刺激物程度にしか感じられないんだ。人間が酒を飲む感覚で口にする竜もいるくらいでな。
微量だが「属性力」も回復する。私もラシュディ戦で体の回路に異常を感じた後、これを口にしてみていた。だから素手でも大丈夫なんだ」
「なるほどお前、それで魔力復活してたのかよ。そりゃまあ、どうでもいいんだけどよ」
ハーヴィンが舌打ちしながらルドに近づいてきた。何か怒らせるようなことをしてしまっただろうかと、ルドが小首をかしげる。
その様子にハーヴィンはため息をつく。更なる呆れ顔でルドに詰め寄った。
「町の復興が終わった途端消えやがって…。
あの騒動から何年経ってっと思ってんだバカ野郎。人間が潜れねぇ竜の領域に何年も何年も引きこもりやがって。
俺が生きてるうちに、またお前に会えなかったらどうしようかと思ったぜ。ったくよぉ」
「そんな大げさな…まだあれから………えーと………」
「ほら見ろ、何年経ったかまるで自覚してねぇじゃねぇか」
「すまない…、どうも竜の感覚だと、あれから1日くらいしか経ってないような気分なのだが…」
「へーへー、長命種様はみんなボケボケでらっしゃいますねぇ」
「すまない………ところで、何か用だったのか?」
「用がなきゃ会いに来ちゃいけねぇのかよ。まあ用はあんだけどよ」
ハーヴィンはおもむろに背負った槍を手に持った。しげしげと槍を眺めながら問う。
「この槍のことで来たんだ。
ぶっちゃけどうなんだ?こいつは将来、暴走する可能性はあんのか?
俺もいずれあの「勇者」みたくなっちまうのかな…って、ちょっとな…」
ルドは月光草を摘むのをやめ、立ち上がる。顎に手を当ててハーヴィンと槍をじっと見つめた。
「…な、何だよ…、あんまビビらせんなよ…」
「…すまない、私にも確たることは言えないのだが、私的見解でよければ答えられそうだ…。
その槍は他の「魔器」とは違うように思える。まず普通の「魔器」は、特定の血筋にこだわったりはしない。
おそらくだが、その槍が血筋にこだわり始めたのは、ギルバートの後からなのではないかと思う」
「あんたと仲良かったっていう、俺のご先祖様か?」
「そうだ、ギルバートが扱っていた頃には、そんなに特殊な「魔器」に見えたことはなかった。
…前回、「勇者」ラシュディの暴走する魔力を吸い取ったとき、「魔器」の「記憶」のようなものを見ることができた。「感情」のようなものも…。
これは想像の域を出ないが、もし「魔器」に「意識」のようなものがあるとするならば…。
これまで「竜を滅ぼせ」とばかり望まれてきたのに、その槍の所有者の1人が突然「竜を殺したくない」と願ったとしよう。
槍にとっては、衝撃だったはずだ。…だから槍はこだわったのではないだろうか。
竜を殺すためだけに生まれた「魔器」に対して、初めて「竜を殺したくない」という意思を流し込んできた所有者の血族に」
「…この槍が、そこまで考えてるってのか…?」
「想像の域は出ない。でも、槍が特定の血族にこだわっているのは本当だ。あながち外れた推論ではないと思う。
そしておそらくその槍は、君を支配権を争い合う存在として見ていない。
ギルバートの血族である君に興味があるのではないだろうか。
何代にも渡ってその興味は失われなかったところを見ると、暴走する確率は非常に低いと言えると思う」
「…お前、意識あんのかよ。なんか気持ちわりぃな…」
ハーヴィンは腕を目いっぱい伸ばして、持っている槍と体をできるだけ離しながら、げっそりした口調でぼやく。
だがため息を1つ吐くと、槍を引き寄せあきらめたような口調で呟いた。
「まあ今更か。もともと気持ちの良い槍なんかじゃなかったもんな、お前」
ハーヴィンはくるりと槍を回転させると、慣れた手つきで背にあるホルダーに通した。
両手を腰に当て、ルドを真っ直ぐ見据えて明るく語りだす。
「まあでも槍には悪いけどよ、これからこいつを振るうことはなくなりそうだ。
竜との戦いが激減したのも理由だけど、俺「勇者」やめようと思っててさ。
「勇者体質」はなくなるもんじゃねぇし、これを活かして他のことがしてみてぇなって思ってるんだ」
そこで一旦話を区切り、ハーヴィンは神妙な顔つきになった。
「…こう思ったのも、あの「勇者」の末路を見ちまったからなのかもしれないけどな。
俺のこだわってきた、竜殺しで名を馳せる、人々に認められる存在になる、って、そんなに大事なことなのかなって…。
何代にも渡って槍に呪われてるって思い込んで、竜殺しの運命は決められたものだと思い込んで生きてきたけど、なんか今になって、ちょっと違うんじゃねえかなって気がしてきたんだ…」
そこまで話すと、ハーヴィンは突然吹き出し、1人笑いを堪えながらルドを見る。
「その…笑うなよ?
俺、実は何かを「育てて」みたいと思ってるんだ。
殺すばかりじゃない、植物とか、牛とか…何でもいい、もっと命を大切にできる何かをしたいと思うんだ」
「…いいと思う。何かを育てることもまた、人生の醍醐味の1つだと私も思うよ」
ルドは笑顔でそう返したが、ハーヴィンは下を向き、つま先で足元の土をぐりぐりといじっている。
何かまずいことを言っただろうか、ルドがハーヴィンの顔を伺おうとすると、目線の合ったハーヴィンはあからさまに狼狽えて、視線を外しながら話し始める。
「…絶対、笑うなよ?
実は…こう思えたのもさ、最近俺、親しい女友達ができてさ…。ちょっとどっかズレてるけど、明るい美人なんだ。
俺に近寄るなんて珍しいやつだし、訳ありなのかもしれないけど、なんか…そいつといるとさ、あ、あ、あったかい…気持ちになる…っていうか…。
…とにかく、今までみたいな生き方じゃない、地に足つけた生き方がしたいって思えるようになったんだ…。
へ、変…かな…」
「とてもいいことだと思う。その話が聞けて私もうれしいよ。
きっと、ギルバートも喜んでいるだろう」
満面の笑みでルドが言葉を返すと、ハーヴィンは顔を真っ赤にして、あちこちに視線をぐるぐるさまよわせていた。
初々しいその反応にさらにルドが笑みをこぼすと、居たたまれなくなったのかハーヴィンは大きく咳払いをして話題を逸らした。
「そうだ、俺、ご先祖様が果たせなかった夢も、こうなったら叶えちまおうと思ってるんだ。
…俺はお前の友達になる。「竜殺し」から「竜の友人」だ。
もし俺に子供とか…うまくこう、血を絶やさずにだな!いけたりしたら…オイそこ笑うな!!
…ずっとずっと語り継いでやるからな!お前たちは「竜の友人」の血筋なんだって…覚えとけよ!!」
捨て台詞のような言い回しに、さらにルドが吹き出すと、ハーヴィンは盛大に舌打ちして、怒ったように真っ赤な顔を逸らした。
「…ハーヴィン、うれしい申し出だが…、いいのか?子々孫々にそんな縛りを与えてしまって…」
「ああ、いや、別に縛りとか呪いとかにするつもりはねぇよ。物語みたいにできればいいかな、って程度だから、気にすんな。
…まあ、散々竜を殺してきた俺がこんなこと言う資格があるとは思わねぇから、お前との間の秘密ってやつだ、これは」
「ありがとう…。うれしいよ、ハーヴィン」
「改まって礼なんか言うなよ!…へへっ。
…あ、そういやお前、何でこんなとこ来てたんだよ?用事大丈夫だったか?」
話が大きく変わった。ルドは当初の目的を思い出し、神妙な顔つきになる。
その顔を見たハーヴィンが訝しむ。何か良くないことでもあったのだろうか。
ルドは大変真面目な顔つきで、ハーヴィンに向き合った。
「陸を飛ばしたい」
「………なんて?」
「今日はそのための実験の材料を取りに来たんだ。錬金術も組み込んだ、風の魔法の研究を始めていてね…。
竜と人の争いの種を無くしたい。だから、住む世界を分けてしまえないかと考えているんだ」
「へぇ………なるほどわからん」
「端的に言うと、空に浮く島を作れないかと思ってるんだ。
竜は空を飛べるから、空に住むことはできないだろうかと思って。
大陸を丸ごと高空に持ち上げる方法がないか、今探っているんだ」
「へぇ………なんかさっぱりわかんねぇことに首突っ込んでんだなぁ…」
「しかしこれが全くと言っていいほどうまくいかなくてな…。
長い年月がかかってしまいそうで、途方に暮れていたところなんだ」
「…まあ、そりゃそーだろうな。いくら世紀の大魔導士様でもよ…やろうとしてることが突拍子も…。
…いや、でも最近どっかでこんな、突拍子もない話を聞かされた覚えがあるようなないような…?」
首を傾げたハーヴィンに、ルドも首を傾げる。
自分以外にこんな、訳のわからない空想を口にしているものなどいるのだろうか。
不思議そうなルドを前に、ハーヴィンはようやくその既視感の正体を思い出す。
「そうだ、空を飛ぶ、だ。「ひこうき」だよ。
…ルド、お前行き詰ってんならさ、お前と同じように頭のイカれた発想の持ち主に、会いに行ってみないか?
研究分野も被ってるっちゃあ被ってるかもしれねぇ。何かのヒントくらいは得られるかもしれねぇぞ?」
「それは…人間、なのか?」
「ああ、機械いじりの好きな白髪白髭のじいさんさ。言うことは奇妙だが、発想と頭の回転と行動力には、町の人間も一目置いてる。
なあルド、一人で抱え込んだって出る結論は1人分だ。
ダメで元々、話をしてみたらどうだ?どんなにお前がすごいやつでも、時には誰かを頼ることも大事なもんだぞ」
ルドは目を見開いた。その言葉には聞き覚えがあった。
どんなにお前がすごいやつでも----ギルバート…ルドの親友が、よく口にしていた言葉だった。
目の前のハーヴィンと、親友の面影がぴったり重なった。彼は何百年後だろうと、ルドのそばにいてくれているのだ。思わず涙が滲む。
「…どした?」
「…いや、何でもない。
君の言うとおりだ。1人で悩んでいても解決しないなら、誰かの手を借りるのはいい方法だ。
そのご老人…紹介してくれるか?ハーヴィン」
「モチのロンよぉ!!なら早速行ってみようぜ!!善は急げだ!」
かくして2人は森を抜け、とある町にて謎のご老体に出会い、冒頭の台詞に至るのであった。
「竜素材!!竜素材!!!」
「ジジイ落ち着けって、見た目ほぼ人間してるだろ?首寄こせってのはないと思わねぇか?な?」
「なら尻尾でも翼でも角でも!!なんでもいいぞ!竜の素材は頑丈だからな!!なんにでも使える!!」
ヒートアップする機械油臭いじいさんを、ハーヴィンが全力で押しとどめる。ルドは顎に手を当て、変態ジジイをじっくり観察した。
「初対面でここまで言う人間も珍しいな。間違いなく変態の部類だ」
「オイそこの変態竜もどき。何勝手に納得してんだ、いいからジジイの興奮を抑える魔法とかちゃっちゃと唱えろ」
「しゃべれなくする魔法なら確かにあるが、それには及ばない」
「あ?お前そんなこと言ってっと尻尾とか切断され…」
ゴトン。
ハーヴィンは目を疑った。ルドの竜の尻尾がごろりと地に落ちたのだ。じいさんは自分が押さえているから切断はしてない。となると…
「あってもなくてもまあ変わらないし、これでよければ差し上げよう」
「………おまっ、何?!自分で切り落としたのかよっ?!痛くねぇのか?!」
「痛い」
「当たり前だろ何やってんだよ!!どーすんだよ傷口消毒しねぇと!!」
「いや、もう自前で回復を行っているから問題はないよ。
こうやって少しずつ回復魔法をかけていけば、何年後になるかはわからないが、きっと尻尾も生えてくるだろう」
「………お前、よくそんな自分を切り売りする賭けができるな…。お前もやっぱり変態だぜ」
「自覚している。誉め言葉として受け取っておこう」
「1ミリも褒めてねーよ!!」
ハーヴィンは押さえていたじいさんがおとなしくなっているのに気づき、手を放して床に転がる竜の尻尾を複雑な表情で拾い上げる。
そして無造作にじいさんにそれを押し付ける。じいさんも無言でそれを受け取った。
「ほらよ、欲しかったんだろ?竜素材」
「自ら尻尾を切り落とすとは、何とも豪胆な奴じゃ。気に入ったわい。
わしはケンドリック・モーゲンという。文明で人類の到達点を高めることを至福の喜びとする、変わったおじいちゃんじゃ。
今は人間を乗せて空を飛ぶ、巨大な「飛行機」について研究中じゃ。
竜素材、おぬし、名前を何という?」
「…ルドだ。見た目は人間で中身は竜の「竜人」を名乗っている。
今は竜と人の住む区域を分けるため、大陸を空に飛ばす方法を探っている」
「ほうほうなるほど~!!こりゃ頭がイカれちょるわ!
大陸を空に飛ばすとな~!!!わっはっはっはっは!!!大きく出たわい!!!」
「変人同士気が合って何よりだぜ…ったくよぉ」
「ん?おぬしは誰じゃ?」
「…名乗ったことあるよね俺?ハーヴィンだけど」
「知らん」
「…覚えてねーの間違いだろ、痴呆ジジイ」
「わしゃ余計なことは覚えんタチでのぉ、すまんな」
思いっきり苛立った顔のハーヴィンを差し置いて、ケンドリックは手の中の大事な素材を丁重に机に置いた。
手近な椅子を引き、ルドにだけ着席を促す様に、こめかみの血管がはじけ飛ぶんじゃないだろうかという形相になっているハーヴィンを華麗に無視し、ケンドリックは話を切り出した。
「言わずともわかる…。ここに来たのは、研究が行き詰ったからじゃな。
なにがしかのヒントになるかはわからんが、まずは概要を教えてくれんかの」
「わかった。…だがその前に、友人にも席をすすめて良いだろうか?」
「ん?ああ、そうじゃったの」
「ハーヴィン…そんなにむくれるな。さあ座って…」
「ええから詳細を早よ早よ~~」
「ハーヴィン…槍は駄目だ。さすがに体は普通のおじいさんだろうからな、怪我をしてしまう」
「なんじゃい赤いの。何ならお主は出てってもええぞ?」
「……詳細を話すから少し静かにしてほしい。わかってくれ、ケンドリック」
「わかった」
ルドの一言でようやくおとなしくなった、自称変わったおじいちゃん。彼を視線だけで殺せそうなほど睨んでいるハーヴィンを、ルドはなんとかなだめすかした。
だがそこからが、ハーヴィン蚊帳の外本番開始だった。
ルドは基本的な風の魔法の説明から、浮力の増大に錬金術を組み合わせてみていること、大きな「浮力石」を作れないかと画策していることなどを話した。
魔法のことはわからないはずのケンドリックとハーヴィンだったが、ケンドリックの方はその説明だけで大方理解できてしまったらしい。
今度はケンドリックの「飛行機」についての解説が始まった。すでにハーヴィンはリタイア気味である。
互いの研究には驚くことに共通点があることに気付いた2人は、さらに議論をヒートアップさせる。ハーヴィンはあきらめて水を飲みに行った。
機械と魔法、そして錬金術の組み合わせにより、更なる高みが目指せそうだと2人が目を輝かせる頃には、ハーヴィンは椅子の上で体育座りになっていた。
そんなハーヴィンが孤独感に耐え兼ね、ルドにジト目を送り始めたとき、ケンドリックがある発想の転換を語り始めた。
「浮かせよう、と思うから難しいのではないか?」
「…というと?」
「できるかどうかはわからんが、「誤認」させるのはどうじゃろう?
つまり「そこにあるのが当然の物質」と世界に認識させれば、浮く、というより、そこに「留まる」のではないか?」
「…!つまり、「空気」や「雲」などといった、空に浮いていて当然の物質と大陸をすり替える、ということか…!
考えもしなかった…だがそんなこと、魔法や錬金術、科学でできるだろうか…いや、浮力説よりは断然可能性が…」
「重力に逆らい、勝ち続けなければならない方法より、そっちの方が研究しがいがあるんじゃなかろか?
ほほほーっ!魔法の分野も面白いもんじゃのお!!「飛行機」にも応用できるものがありそうじゃ!!」
「ありがとうケンドリック!新しい模索の方向性が見えたかもしれない…!」
「問題はそれだけに留まらんぞ?
「高空」ということは、お主「空気」…つまり「酸素」の問題は大丈夫なのか?水はどうするつもりじゃ?」
「それについてはアテがあるんだ。竜の集まるところには「属性」が集まる。つまり「属性の奔流」が自然発生する。あれを研究、活用してみようと思う。
おそらくだが、「属性力」を集めれば、木々を活かすこと、水を作ること、「酸素」の問題も何とかなると思う。
もともと竜は食事を必要としないし、竜の集まりだけで自活できるはずだ。
…実は問題があるのは人間側だと思っているんだが、どうだろう」
「ほう、というと?」
「竜なきあと、森や自然の維持が人間にできるだろうか…?生態系にも影響が出そうだ」
「「属性力」がなくなるわけじゃからの…。今までと同じとはいかんじゃろう…。人間も森を育て、水をきれいに保ち、生態系を壊さぬよう配慮して生きねばならぬ日が来るか…。
だがまあ、それは竜が心配することではないんじゃないかの?わしら人間が何とかしていくべき課題じゃ」
「…そう言ってもらえると助かる。実は森や大陸は、ごっそりもらっていくのではなく、「コピー」できないかと今考えているところなんだ。
そうすれば、今まで竜が使っていた部分の大地や森は、そのまま人間に残していける。領土も広がり、人間も一時の平和を長く保てるのではないだろうか」
「それは助かるのー。…まあでも、人間のことじゃ、今度は人間同士で争い始めるんじゃろうが…」
「竜側、人側の懸念は上げればきりがない。例えば----」
「…そういうのは、大陸が浮く目途が立ってからでもいいんじゃねぇのかな?おふたりさん」
冷静な、極めて冷めた突っ込みに、机上の空論を広げまくる2人はハッとする。もう日は沈んでいた。
「…ありがとう、ハーヴィン。語り明かしてしまうところだった」
「…まあそれでもいいんだろうけどよ、俺が腹減ってきたから突っ込ませてもらった」
「なにーーー?!貴様、世紀の大研究になるやもしれぬ熱き議論を、腹の虫程度で頓挫させたというんか…!」
「まあまあケンドリック、確かに有意義な議論だったが、議論だけでは埒が明かないのも確か。ここで少し、研究に切り替えてみよう」
「うむ、ルドが言うならそれも良い。わしが生きてるうちに研究が実を結ぶかはわからんが、熱き心のままに打ち込むだけじゃな…!」
「研究はルドちゃんと、誰か後任に引き継がせればいいんじゃない?」
高い女性の声が、ふいに響いた。そしてその声は、実に呼び慣れた感じで、ルドのことを「ちゃん」と呼んだのだ。
3人が一斉に出入り口の方を振り向く。そこには、桃色の長い髪の女性が1人、立っていた。
その女性の顔を見たとき、ルドの脳裏に鮮やかによみがえるものがあった。
思い出そうとすることすら忘れていた、懐かしい顔。いつももやがかかったように思い描くことができなかった、「妹」の顔だ。
転生を繰り返す前の、ただの人間だった頃のルドの、愛しい妹。その面影をはっきりと思い出すことができた。
あの頃と全く同じ笑顔で部屋に入ってくるその女性を見上げて、ふと違和感に気付く。
ルドの記憶の中では、妹の髪色は確か、滑らかな美しい銀髪だった気がする。それが桃色とはどういうことなのか…。
そこまで考えて、またふと思い至る。妹の夫だった人は、確か髪が赤色だった気がする。
ということは、まさか----
「エメ!!!!」
ハーヴィンの一際大きな声で、ルドは現実に引き戻された。
まさかどんなに似ていても、ここにいるはずがないのだ。妹にそっくりな「姪」の転生体なんかが、そう都合よく現れるわけが----
「ハーヴィンやっほ~!帰りが遅いから探しちゃったよぉ~」
「いや…それは、わりぃ。てか、…え?ルド「ちゃん」?…知り合いなのか…?」
「?何言ってんの?その子あたしの弟だよ?」
「え?………なぁんだ~弟かぁ~~~………って、そんなわけあるかいっ!!!」
「そんなわけあるんだいっ!!」
「……………………て、こと………は……さ……」
「エメって名乗ったじゃん?」
「それは…!こう、「エメラルド」とか、名前の略称かと…」
「桃色鱗竜のエメちゃんだよ~~ん☆」
「~~~~~~~んあっはぁ~~~~!!!!!そんなオチかぁぁぁぁぁぁぁ!!!!!!!」
断末魔を上げて崩れ落ちるハーヴィンに、何と言って声をかけたものかわからないルドだったが、かろうじて姉に話しかけることはできた。
「………姉、さん?」
「そうだよー、ルドちゃん!あたし思い願ったら「人間」になっちゃった!!!」
「………人間に、なっちゃったんだ…」
「うん!びっくりだよね!!」
豪快に笑うエメの足元で、丸まったまま悲嘆に暮れているハーヴィンが痛々しい。
あんなに将来のことを語った矢先に、気になる娘の正体が元アホ竜だとわかったのだ、無理もない。
声のかけようが未だにないので、仕方なく姉と話を進めてみるルドだった。
「…エメ、いったい君は何を思い願ったんだ?」
「ハーヴィンのお嫁さんになりたい!!」
「ぐをっほぉ……!!!!」
丸まったままのハーヴィンに追撃が入る。顔はまだ上げられないようだ。わかる。
「…このこと、父さんと母さんには…」
「もう挨拶してきたよー!!!人間になりました!人里でしあわせに暮らします!って!
そうだあたし!!癒しの力残したままこの姿になったみたいなんだよね!
だからもうキュウメイのおシゴト見つけて、働いてるんだーーーー!!!!」
「…すごい行動力だね…、さすが姉さん…」
「でしょでしょーーー!!おねえちゃんすんごいっしょーーー!!!…あ、叩きつける尻尾がない」
「はは…もう人だからね…。
ところでエメ、その姿形については、何か願ったりしたのかい…?」
「?え、別になんもー??
「人間になりたい、お嫁さんになりたい」って、それだけーー。なんで?」
「いや…、それなら、いいんだ…そうか……」
ルドが顎に手を当て、思案にふけってしまうと、エメは矛先をいまだ丸まるハーヴィンに向けた。しゃがみこんでその背に問う。
「ねー、そんなにあたしが「エメ」じゃ嫌?」
「………いや、嫌っていうか……なんていうか……ついていけねーんだよお前らのやることなすこと…」
「ついていけなかったら嫌い?」
「………嫌い…ではない…けど……」
「あたしっ!ハーヴィンのこと好きだよっ!!」
「ぐっ……」
「ハーヴィンと子作りしたいっ!!!」
「ぐげぶっ……!!!」
「そしてその子供の子供の子供たちにも!ルドちゃんのお話して!ずーーーーっとルドちゃんの味方でいてもらう!!!
人間になっても、おねえちゃんとしてルドちゃんを離さないんだからっ!」
「……それが、俺に近づいた目的なのか…?」
「ううんっ!ハーヴィンが好きだから!!ハーヴィンが嫌なら…」
「…嫌なら?」
「やめないっ!!!!!!」
「ですよね知ってたーーーー!!!!!!」
がばっと上体を起こしたハーヴィンの顔は、赤を通り越して赤黒く、凛々しい美貌の青年が台無しになっていた。
目の端に涙を滲ませながら目の前のエメを見る。爛々と輝く瞳がハーヴィンを興味深げに見つめていた。
「………もっかい…」
「?」
「………もっかい、好きって言ってくれたら…」
「ハーヴィン好き~~!!!!」
ぶちゅっと音が出るようなキスを、エメがハーヴィンにおみまいする。
赤黒かったハーヴィンが一気に血流を取り戻し、赤くなったかと思うと、一気に空気が抜けてしぼんでいく。
その姿はあたかも、エメに口を通して何もかも吸い取られているかのように見えた。
思案どころではない目の前の光景に、ルドは心の中で思わず、ハーヴィンに謝罪した。
一部始終をおとなしく見ていたケンドリックが笑う。
「なんじゃ?なんかよくわからんが、大団円か?」
「そんな幸せなもんじゃねーよ!!!!!」
「おん?赤髪小僧、生きとったか」
「生死の境をさまよったよ!!!!!」
「ところで嬢ちゃん、さっき言っとった「わしの後任」ってのは…」
「あ、うん。ハーヴィンがやればいいんじゃないかなって」
「ふざっけんなお前何言ってくれやがりますの?!?!」
「なんか作りたいって言ってたじゃん」
「「育てたい」だよ!!!!!!」
「うん、じゃあ育てながら作ってもいいじゃん?そのうち子育ても来るよ~~」
「ぐっほ…!やめて!!俺の人生計画勝手に組み立てないで!!!!」
「小僧が後任か…。こりゃぁ骨が折れるのぉ、ビシバシ頭鍛えさせんと」
「やめて!!ルド!!ルドなんか言って!?!?」
「……いつもすまない…」
「~~~~俺のっ!俺の人生がぁぁ!!!ことごとく竜に狂わされていくぅぅぅ~~~!!!!」
騒々しくも賑やかな夜の中、これから長らくルドの支えとなる血脈誕生の瞬間だった。
悠久の時を生きる竜人は誓う。必ず己の研究を成し遂げて見せると。
竜と人間に、永遠にも等しい平和を約束する、と。
ルドと、ルドの仲間たちの長い長い旅は、まだはじまったばかりだ。