5 二つの受験と人々
私立大学の試験まで約一か月、願書を出してある京都女子短大の薬学大の2校の過去問をひたすら解いた。もう暗記したくらい解いた。同じ問題なんて出るわけはないけれど、とにかく解いた。 2月1日、京都女子短大の試験の日に大学が斡旋してくれた宿に一泊するため家を出発した。
試験の前日は縁担ぎのため京都大学を見学。日本第二位の大学の門をくぐれたのなら私が受ける短大は楽勝のはず。 その後、宿に行き次の日は試験を受けその後、京都を去るにあたって、三十三間など見学しようと計画した。京都駅から 少し歩いて七条駅に行き京阪本線にのり駅で降りた。案内板に従って歩くとよく写真やテレビでよくみるレゴブロックで 作られたかのような校舎があった。勝手に入っていいのかなと思いつつ、勝手に入り校舎を一周した。いい大学だなぁ。 ここを受験できるくらい私は思いっきり勉強したかったなぁと思った。そして校門を出た。帰りは電車に乗ろうと思い京都の街を歩きながら路面電車の駅にたった。電車は空いていて私を含めて五人ほどだった。宿近くの駅に 着いた。降りようと席を立ち出口へ向って早歩きしていたら、乗客の一人の感じの良い青年が近づいてきて。 「これとしたんちゃう?」と私のハンカチを手渡してくれた。
「有難うございます」と言い受け取った。しまった!おおきにって言えば良かったと思った。 そこから少し歩いて宿、京都女子短大の受験生ばかりの部屋で大学からの案内では四人部屋というはずだったけれど、ど う数えても八人いる。でも誰も特に気にもせず行動を共にした。同い年の女の子ばかりですぐ打ち解けて問題の出し合いや互いの高校の様子を話したりして仲良くなった。私は初対面の人とでもすぐ仲良くなれるタイプ。それに特にあの時は私のことを知らない人達といるほうが落ち着けた。親しくなりすぎると身構えて警戒してしまう。試験を受けた、国、英、化学、簡単に解けている。この大学に合格し入学する予感がした。 試験が終わり、門を出ようとすると女の人に声を掛けられた。彼女はこの大学の2年生だという。
そして「どこから来たの?」と聞いた。
「三重です」と答えた。 「2月14日の発表は見に来るの?」と聞いた。
「きません」
「じゃ代わりに見て電話で直ぐ知らせてあげようか? 千円で」と言う。試験もよくできて気分がいい私は、
「ありがとう」と言い千円と彼女の差し出した手帳に名前と電話番号と受験番号を書いていた。こんな私は年 とったら詐欺に遭遇するだろう。と今は思うがその時はなんて親切な人なのだろうと感激していた。やさしくしてくれることが嬉しかったのだと思う。
そして大学を出て歩きながら考えた。
4月から、やさしい人達が住むこの街に住むことになりそうだ。今日、京都見物する必要がないようだ。4月から2年間は京都に住めるのだから。本当は京都の名所周りをするつもりだったけれど予定を変更して、すぐ帰ることにした。そして薬学大学の試験まで2日、猛勉強した。 試験の前日2月4日夕方に電話がなった 、家には私一人だったので電話に出た。大学からだった。入学することになった折りに提示してあるお金の他に就職活動の時に使われる必要経費として50万円必要なことを理解して受験してください。という内容の電話だった。今思うと胡散臭い話だが18歳の私は、
「はい」と答えていた。「できません。では試験を受けさせてもらえなくなりそうな勢いのある声だったからだ、そ れに合格するつもりも入学するつもりもなかった。親には取り合えずそんな電話があったよと伝えた。 2月5日、薬学大学の試験。家から最寄りの駅に行き近鉄で名古屋へ行き地下鉄に乗り換え大学へいく。 名古屋地下鉄のプラットフォームには、うじゃうじゃ人がいた。満員で乗れず二本見逃してやっと押し込まれて乗った。大学の最寄りの駅に着いた。
駅から歩いて11分と案内の葉書に書いてある。近いだろうけれど方向音痴の私にはよく分からない。道行く人に尋ねて やっと着いた。時間の余をもって出発したのにギリギリになってしまった。
試験会場の大きな教室に入ると席が殆ど埋まっていた。自分の受験番号が書いてある席を、探した。会場の教室は広くて 余りに沢山の人で動揺してしまい、前の黒板に場所の案内が書かれていたのに気付かずに教室を一周してやっと自分の 受験番号811の番号を見つけた。廊下側の後から二番目。私の好きな席、廊下近くの後の方なら、直ぐ部屋から出られる。 逃げられる。高校でいつも好んでいた席。座ると私を待っていたかのようにすぐ始まった。私が最後だったようだ。私はこの薬学大学には入学しないと思うと緊張せず楽な気持ちで試験に挑めた。得意教科の数学は試験の出来不出来がすぐ分かる。多分、満点だ。英語、化学も終わり自分の席で弁当を静かに食べた。午後からは面接試験、教室の前方に四人面接官が座っていてその各面接官の前にずらりと受験者が並んで一人ずつ順番に面接官からの2、3の質問に答えるだけの簡単な試験だった。
私は名前を聞かれた。 「大学に入ったら何をしたいですか?」と聞かれた。
「新薬の開発をしたいです」と答えた。 「では大学院まで出ようと考えているのですか?」 と聞かれた。
「わかりません」と答えたら面接官は苦笑いいして下を向き紙に書かれた Bを○で囲った。きっとABCの日で私のは普通と言うことなのだろう。
すべて終わり帰ろうとすると、同じ高校の渋紙さんがいた。彼女も受けていたのだと初めて知った。渋紙さんは高校2 年の時、同じクラスでかなり頭が良かった子だと記憶する。彼女が声をかけてきた。2月14日の合格発表は大 学まで見にきて二人とも合格していたら、再会してランチしようと約束した。 それから合格発表まで私は私立2枚ともかなり自信があったので公立の二次試験よ勉強に身が 入らず、ダラダラして過ごした。頭の中はもう京都での生活のことを考えていた。 2月14日、大学の合格発表の日。薬学大学へいくのは二回目で最後になるのだろうと思いハレンタイン
デーの何も予定のない私には丁度よい行事に思えた。合格の自信もあったし合格番号が張り出されるボードに自分 の番号を見るという受験生らしいこともしたくて見に行った。合格者の番号がり出され、その前で自分の番号を探しつけてパステルカラーの花と蝶々に囲まれ一瞬ボーとするのだろうと思うと楽しくなる。
今度は朝の地下鉄ラッシュの時間を避けたのでスムーズに行けた。そして時間より少し早く着いた。
大学の広場には私みたいな受験生が数人いた。少し待つと広場の掲示板に合格番号が書かれたボードが置かれた。
自分の番号を探す。見つける。確かめる、たぶん喜んだ顔になっていたのだろう。花も蝶々も見えなかったけれど、美女と女 っぼいの二人組に声を掛けられた。
「おめでとう。嬉しそうな顔していたから合格だよね」
と彼らは同時に言った。
彼らは、その大学の四年生で、時間があれば大学のサークルの案内をしたいと言った。
渋紙さんとの待ち合わせ時間の11時まで30分ある。
「何分くらいかかりますか?」と訊いた。
「10分くらい」と男の方が言った。 「いいですよ。お願いします」と言った。
「じゃ会場まで行こうか。すぐ近くだから、と女の方が言い歩き出した。私は大学内で話を聴くとばかり思っていたけれ ど何も言えず二人の話を聞きながらついて歩いた。
大学の校門をぬけて広い道の上の歩道橋を渡り直ぐ左に曲がり20mほど歩き三階建てのそれ程大きくないアパートの 前で二人は止まった。そして二人は階段を上がって行く。私は怖くなってしまった。でも引き返すこともできず仕方がなく後を追って階段を上がった。
二階の階段近くのドアを男が開けた。入口から中が見えた。そこは食堂のようにテーブルが5つあり私のような高校生 と彼らのような男女二人組みの三人で一つのテーブルを囲み椅子に腰掛け話をしていた。私は安心して中に入り空いて いたテーブルに彼らに案内されて座った。 「合格おめでとう」とまた言ってくれた。それから出身と名前を聞かれた。
「三重の出身で名前は一斤染です」と答えた。一斤染これが私の苗字。名前を教えるのはやめた。一斤染は全国的には珍しい名
だが、山吹市では、よくあり小学生の時はクラスに5人も同じ苗字の子がいた時もあった。
彼らはサークルの話を始めた。 「この大学には色々な人に会いその人の話を聞いたりするピカゾサークルがあるよ」と言った。
ピカソのゲルニカの絵がに浮かんだ。
そうする事によって願いが不思議に何でも叶う自分になれるよ」と言った。
そして入学前にサークルに入るよう勧められた。 私は慌てて「この大学へは入学しないと思う」と伝えた。
彼らは驚いた顔になった。
「どこへ行くの」と女が訊いた。
「公立の山口女子大か京都女子短大」と伝えた。
「薬学大学の方がいいよ」と言った。私が受ける山口女子大学には薬学部がなかった。そして、 「もしこの大学に入学することになったら、ピカゾをみにきて」
と彼らは言った。
「はい」と答えて大学まで一人で戻った。
大学にくと時間は11時を少しすぎてしまっていた。渋紙さんは掲示板の前に立っていた。 勿論、彼女は合格。二人で喜びあいそれから名古屋駅地下でランチした。さっきのサークルの話を始めたけれど彼女は全く興味がな いようだったので話題を変えた。
彼女も国立が第一希望なのでこの大学には入学しないと言った。でも彼女も合格は嬉しいようだった。 家に帰ると京都女子短大も合格していた。私が千円を渡した彼女は約束通り教えた自宅の電話番号に電話を掛けて母に合格を知 らせてくれていた。これで私は公立大学がダメでもアメリカに行けることになった。




