18 兄 父 母 私
1週間ほどして、私はまた山吹市の実家に行った。今度は夕方兄が仕事から帰って来る時間に合せて訪ねた。父と母は夕飯を済ませ、兄はこれから一人で母の作った食事を食べようとしていた。相変わらず彼らには会話がない。食事時間も別。
父は人当たりがいい方なので、周りは兄が悪いと思っているようだが、父はこれまた人当たりの良かった故祖父とも会話はなかった。父には表と裏の顔があるのか、それともただ兄と祖父とは話がしたくないのかは私にはわからない。話さなくても通じ合えているのとは違う。自分の思いの通りにならない人が嫌なのだろう。
「こんばんは」と居間に入った。
「なんや。こんな遅い時間にうろついて」と父が言った。確かに私が夕方訪れることは初めてかも知れない。夫は夜勤で帰ってこないので時間がある。それにもう私は50歳過ぎ。自分の時間は自分で決められる。
「この時間ならお兄ちゃんもいるし、話があってきた」と言った。
「お前の話は聞きたくない。菰野屋に俺達のことを言いふらしたやろ」と父が言った。菰野屋の伯父さんが先日、私が帰った後すぐ一斤染家に電話したようだ。
「話したよ。伯父さんは兄の逮捕のこと、知らなかったよ。なんで話してあるなんて嘘つくの?」父も母も無言。
「そんな昔のことを今更言うな」と兄が言った。
「夫に私が病気の時、その原因を病院の先生に話してくれなかったし、アメリカ旅行も紫根伯父さんがらみで胡散臭いって話したよ。紫根伯父さんと県会議員の土器昇さんとお父さんで一体何をしたの? 裏口入学も斡旋してるし」
「紫根伯父さん祐仙寺保育園の理事だったでしょ?」と言うと母は、「昔のこと」と言った。当たり前。もう紫根伯父さんは亡くなっている。違う。昔のことが問題。母は知っていて、仙人家との関わりを否定した。そして紫根伯父さんがいつから理事だったのは、ググッテも出てこないが、少なくとも私が高
校生の時から亡くなる寸前までだった。
そして昔、過去、pastっていつのこと? 目の瞬き後から始まるの? そうならば自分の昔のことは自分で責任を持つべきではないか。時間は繋がっている。
「もう今年度で夫は警察の仕事辞めることにしたから。こんな状態では警察は続けられない」と私は話した。
「辞めてどうするの?」母が言った。
「まだ決まっていないけれど違う仕事する」と答えた。「退職まで仕事を全うしないなんて情けない。説教する。呼んでこい」と父が怒鳴った。「何も言わなくていい」と私は言った。「私が病院に通っていた時の薬の記録とか見せて」と母に言った。私はその時まで自分から病院の話を故意に避けていた。何となく父も母も娘が精神科に通っていたことは、世間体が悪いことで隠したいのではと思っていたからだ。私も人に気軽にできる話題ではないと認識している。
「そんなもの全部処分した」と母が答えた。
「えっ。お母さん私に精神の病気は年が経って再発する恐れがあるって病院の先生が言ったと話したでしょ。それなのに全部処分したってどういうことなの?」証拠隠滅だ。
「病名はなんだったの?」
「わすれた」と母は言う。
「お前は中学の頃からおかしかった。俺達はずっと迷惑していた。今もおかしなやいか?」と父は怒鳴った。
父は他人にとって、どんな辛辣な言葉であれ、その言葉を口にする権利が自分には備わっていると思っているように感じた。
「信実、顔つきがおかしいよ。大丈夫?」と母はうんざりした顔で付け加えるように言った。「もう帰れ」と父がさらに怒鳴った。
私はリビングから廊下に出た。母が後から近づいてきた。私は振り返って、
「どうして、病院の先生に兄のことを話してくれなかったの?」と訴えた。兄の事件は新聞にも載ってしまっている事実。知る意思があれば誰でも知り得る事実。どうして娘のために言ってくれなかったのか理解できない。
「言いたければ自分で話せば良かったやないの」と母が言った。
「何を言っているかわかっているの? お母さんに兄のことを祐仙寺の人に旅行中話したと言ったら、なんで話したのって怒って責めたでしょ」
そう言った瞬間、八方から暗い光が私に集まってきて、真実がみえた気がした。底知れぬ恐怖と無力感を感じ身体がバラバラになっていく。言葉は失われた。人には知らないでいた方がいいこともあるかもしれない。でも永遠にそれを知らないでおくことはできないこともある。時がくれば、たとえしっかり左右の耳を塞いでいたところで何かを感じ知ることになる。目、耳、鼻、口、肌、空気から人は何かを感じる。本当のことを知りたいと望むのが自然。そうだ。父と母が隠したいと切望した事がわかった。
私のアメリカ旅行が決まったとき、父はニック先生と共通の知り合いの土器昇県会議員に連絡を取った。そして彼が自宅近所の祐仙寺の子供達を誘った。そのことを父も母も初めから知っていた。そして仙人信さんも私の家の情報を多少は聞いて知っていた。それで私が旅行中、精神不安になったことと兄が何か関係すると推測し私に訊いた。でも犯罪とは想定外で訊いてはいけなかった時の困った顔をした。父と母は私が兄のことを信さんに話したと知り、それに加えニック先生が旅行後すぐに私の様子がおかしかったのは家庭に問題があるのではと電話してきたので私を監禁する目的で病院に通わせ、友達にも会えなくし私の発する言葉は頭のおかしな人間の戯言に聞こえるようにした。私の行動が正常化してくると、医師に兄の事件、就職の時の縁故採用を私が話すことを恐れ診療を中断した。私のケースとは違うかもしれないがレイ
プや幼児虐待を訴えた女性は精神異常者扱いをされることが多々あるそうだ。そして訴えた者は結果はどうであれプレッシャーに強くなるとも聞く。しかし私の場合、最初に訴える相手を間違えた。信さんではなかった。一見、僧侶、教育者の信さんは適任にみえるがとにかく間違えた。
そして学校の事務職員の一次試験に合格したとき、父は土器昇さんに娘が元気になった連絡を兼ねて面接試験に合格できるよう頼んだ。それを聞かされ私は怒り父を責めた。すると父は亜美ちゃんの裏口入学の話を私に証してしまう。私は無気力になり再び病んでしまう。こんな風に家族に最初から裏切られていた。悲しいでは表現できない。
挙げ句の果てに土器昇さんが失踪事件を起こし、彼は議員を自主退職する。その行為も証拠隠滅。世間に裏口入学等が、ばれる前に全く違う事件を起こし辞めざる得ない状況を造った。大人達が仕掛けたしがらみと言う蜘蛛の巣に絡まってしまい私は何が起きているのか理解できず弱ってしまった。彼らは守られ、私は守られなかった。どうするの正解だったのだろう。
「定型発達症候群」つまり「ふつう」という脳生理学上の障害があるという。医学の進歩に伴い細かく分類された結果、造った名。ついに所謂「ふつう」と思われる人も分類された。SEKAI NO OWARIのHabitの歌詞のように人はなぜか分類したがる習性があるのかも知れない。「定型発達症候群」は社会問題への没入、優越性の妄想、同調へ
の強迫観念によって特徴づけられる。定型発達者はしばしば、彼らの世界体験が唯一のものか唯一正解のものと考える。
定型発達者はひとりぼっちでいることが困難だ。定型発達者はしばしば、他者の些細な違いと見えるものに対して寛容ではない。定型発達者は直接的なコミュニケーションを苦手とし、自閉スペクトラム症者に比べはるかに嘘をつく傾向がある。(高橋源次郎 これは、アレだな より)
定型発達者は人類の大半を占める。やはり人間って、こわいなぁと思う。父も母も娘が心も体も弱って行くのを間近で毎日見ていて何も感じなかったのだろうか? 自分達の取るに足らない事情を隠すだけのために何年も嘘をついていたのだろうか? いくつものスノードームが落ちて壊れていくようだ。しかし結局、スノードームも造り物の世界。私も造り物の中の住人だった。
彼らの今の生活はどうだろう。身近な人は去ってしまい、彼らは80歳を過ぎている。私が高校3年のバブルが弾ける前、家を訪れていた不動産会社に売ろうか迷って結局売らなかった200坪の土地も、私の知らないうちに売り払いファミリーレストランの駐車場になっている。残された土地は住んでいる宅地のみになっている。次の日、母に電話をした。話し始めると母から、
「もう話したくない。ラインもしないで」と突然電話を切られた。
私がいつ、どんなに嫌な思いをしても一方的に拒んだことがあるだろうか? それは我慢とは違う。私には思いも付かないこと。私にも譲れない常識の領域があり、その範囲を超していると感じた。
そして次の日は母からラインがあった。
「お母さんの配慮が足りなくて辛い思いをさせてごめんなさい」と書いてあった。配慮が足りないのではない。余計な配慮をしたのだ。自分を守るため、母は私にそれを隠し通してきた。ラインに返事をする気にはなれない。謝るつもりなら顔みて、せめて電話の声で謝って欲しいと思った。謝る気持ちなどない。私が兄の事件を口外するのを恐れ謝ったのだ。私は以前、母がつぶやいた言葉を思い出した。それは2000年1月28日当時小学4年生の少女が37歳男性の自室に9年2ヶ月監禁された後、助け出されたという事件のとき。その少女が外にでて発した言葉が「雪が降ったのですね」だったと思う。
私は冬のある朝、起きて窓の外を見ると夜の間に雪が積り、そこは銀世界になっていて清んだ気持ちになったことを思い出した。
彼女は雪を見てどう感じたのだろう。
事件に私は驚くと共に当時二人の親として親元に帰れて良かったと単純に喜んだ。
でも母は「これから親との関係が上手くいけば良いけど、いつか親を恨むことになるのではないか」と言った。
その時は他人事と感じていた。でも、今思えば母は私がいつか精神科の病院に通ったのは兄の事件、土器昇さんと父との行動を世間に知らせないように監禁の意味だったことに気付いた時のことを話したのではないかと思った。私は未成年だった。虐待されていた。私の精神は実質的にその時点で停止した。気付くのが遅すぎる。もう父も母にはその意識がない。そして高齢。覚えていないと言い放つ。記憶も老いていく。
母の生い立ちの話がある。一斤染家の私の祖父母には子供がいなかった。農家だが、この辺りでは由緒正しい一族の部類だった。祖母が妊娠中、祖父が過ちを犯し梅毒に罹り祖母にうつしてしまいその結果、赤ん坊は死産だったそうだ。赤ん坊は男の子だった。一斤染家には跡取りがいる。祖母はもう子供が産めなくなった。男の子を希望し、初めに一斤染家は祖母の兄の2歳の息子を迎えた。しかし、彼はどうしても馴染めず、すぐ本当の親元に帰された。そして次にきたのが母。同じく2歳。祖母の別の兄の家、菰野屋の三女。家も近く何度か遊びにきていたせいか、すぐ馴染み周りからは一斤染家の一人娘として大切にされていると思われていた。でも彼女なりに養女であることで遠慮があったそうだ。そして適齢期にお見合いをして父と結婚した。父も一斤染家の養子になった後、結婚の形をとった。私は小学生の頃、母から聞い
たこの話を学校の担任に話した。担任は母に子供が話す事ではないと注意した。それ以来、私は話してはいけないことと認識した。しかし母は相変わらず人の噂、大人の事情を私に話し続けた。幼いときは理解できなくても、母の言葉をそのまま暗記し頭の奥にしまい込む。そして時が経ち関連した話を聞いた時、しまい込んだ情報が出てきて結びつく。そして私は無口になる。誰にも言えない秘密のようなものが増える。話すと消される又は自分から消えてしまう。
こんな生い立ちの母は私が自由に生きるの事が許せなかったのだろうか? 強くなくては生きていけない。優しくなければ生きるに値しないと言う科白が頭に浮かんだ。彼らは強くも優しくもない。でも健康で経済的に裕福に生きている。私はどうだろう。強くない。優しいと言う言葉の意味は知らない。
これから私はどう行動すべきなのだろう。私は19歳の夏に考えを奪われ心を亡くした。心は一つではなく牛の胃袋のように複数ある。私はその一つを亡くしたのだ。心が足りない私は考えを取り戻すために情報を集めなくてはならない。チャットGPTが情報を集めどんどん賢くなるように。そして正しい判断をしたいと願う。
ある種の精神の傷は一定のポイントを越えてしまえば、人間にとって治癒不可能なものとなる。それはもはや傷として完結するしかないのだと言う村上春樹の文章がある。人間だれでも生まれて死ぬまで同じではない。完治しないことは多々ある。骨は折れて繋がると強くなると聞いたことがある。そうではなく私は心の一部を失ってしまった。そして心はトカゲのしっぽやプラナリアのように再生はしない。もうその時点で完結。ただ悲哀はいつまでも私の中に残るだろうけれど、幾重にも哀しみが重なったところで、哀しみを包むものに出会えたと思いたい。人生はつづく。




