16 コロナ禍
2019年2月末、テレビを見ていると突然、総理大臣が会見で学校を一ヶ月、全て休校にすると発表した。私は給食を作る必要がなくなった。調理場の掃除を徹底してした。校内の清掃も先生達と一緒にした。
新年度から、普通通りに小学校は始まると4月3日までは思っていた。でも、そうではなかった。4月は休校でパートの私は仕事に行く必要がなくなった。オリンピックが1年延期になったり、志村けんさんが亡くなったり、小顔の私にも小さなガーゼマスクが各家庭二枚配られたり信じられない出来事が続いていた。
ゴールデンウィーク後に学校が始まったが、半日授業で給食は牛乳のみ、1月程で1日授業になり初めは2品、そして3品、4品と給食の品は増え正常になった。このままコロナ禍は治まっていくと、ほとんどの人が思っていた。しかし世界中で暗いニュースが鳴り止まなかった。
秋頃、夫と相談して私は仕事を辞める決心をして、年度末に辞めた。私は7年間勤めた職場をあっさり辞めた。正しい決断だったかはわからない。その決断の原因の一つは人と関わる事に疲れてしまった。コロナ渦で、少しずつ気持ちが塞いできていたのかもしれない。
そしてハローワークへ通い始めた。そこでパソコン教室の誘いを受けた。3ヶ月間失業保険を貰いながら無料でパソコンを専門学校で教えてもらえる。機械に弱い私は前々からパソコンが使えるようになりたくて選択した。久しぶりに学生生活。毎日お弁当を持って、朝8時から夕方4時までパソコン漬けの生活になった。
そんな中、実家のある山吹市に行った。コロナ禍に加え、兄嫁が出て行ってから両親に会うのが億劫になっていたため半年ぶりに訪れた。80歳の父は頼りない歩き方だが、新車を買い毎朝、畑仕事をしている。80歳手前の母は、よく動き元気すぎるくらいだった。私は父母に会うと兄への彼らの対応に一言余計なことを言ってしまう。「由さんは最近くるの?」と訊いた。
由さんは家を出て以来一度も兄とは会わないが、時々兄の不在の時に実家にきていた。
「最近は来ないねぇ」と母が言う
う。
「兄と話し合いはないの?」と訊く。「ない。どうにかなる」と父が言う。「まだ兄の世話をしているの? 二階の兄らの部屋の掃除もお母さんがしているの?」とピンポイントで訊く。
「由さんが帰ってきたとき汚いと嫌だろうから掃除している」と母が言う。
「そんなことしていたら、余計に帰って来ないよ。やめなよ」と私は言う。
「信実はうるさい」と言われる。少し頭にくる。
「太郎と花子は兄が車部品窃盗で逮捕されたこと知っているの?」と訊く。
「知っているか知らないか知らん」と母が答える。
兄の事件は結婚前のことだけれど由さんは知っていた。兄からでも父と母からでもなく、兄の友人から聞かされたと由さんは以前、私に悲しそうに話した。
「じゃ紫根や菰野屋の伯父さんには兄の事件を話してあるの?」
と訊いた。二人は父と母のそれぞれの兄。「話した。知っている」と父がはっきりと言った。
「そう」と答えた。
意外だった。父と母はすでに亡くなっている雅さん夫婦の他には誰にも知らせていないとばかり思っていた。私が仙人信さんに話したと母に言った時の母の恐ろしい顔を思い出したからだ。
それ以来、私は雅さんの夫と同じく警察官の夫のみに兄のことを打ち明けただけ。
「もう信実はうるさいから帰れ」と言われ、私は頭の中が整理できないままボーとして実家からでた。 そして菰野屋へ向った。「こんにちは」と伯父さんが80歳を期に店を閉めた店の広い玄関から入る。実家から近いので、私は小さな頃から遊びにきていたけれどコロナ禍では初めて。
「ひさしぶり」と居間に上がり座った。伯父さんが昔と変わらず、
「よう。珈琲飲むか?」と訊いた。伯父さんは、いつも珈琲豆を挽いて、ゆっくり丁寧に淹れてくれる。伯父さんと伯母さんが揃った所で、父母兄への愚痴を言い始めた。
「伯父さん、お母さんの兄でしょ。何か言ってよ。いつまでも、お兄ちゃんの世話をしていたら、由さんは帰ってこないし、あの家の人達は会話がないのよ。話し合うように言ってよ」
伯父さんはただ黙って聞いていた。私は続けた。
「父も母も何も反省していないのよ。お兄ちゃんが逮捕された時も・・・」と言うと、
伯母さんが「逮捕って何?」と驚いた面持ちで訊く。
「えっ知らないの? 伯父さんは?」 「知らんよ」と言う。
「私が高校3年でお兄ちゃんが19歳の時逮捕されて新聞にも載ったよ。未成年だったから名前は出ていないけれど。お父さんは菰野屋と紫根伯父さんには既に話したと今、聞いたばかりよ」
と早口で言った。
「そんな前に・・・何かあったなぁとは思っていたけれど・・・」
と伯母さんは言った。
「その頃だとまだ雅さんの旦那が警察にいる時か」と伯父さんは言った。「そう。だから、お母さんは逮捕後すぐに連絡したよ。そのおかげか、お兄ちゃんは少年院に入らず一ヶ月で戻ってきた」と言った。伯父さんも母と同じことをすぐ考えた。偉い人に頼めばいいという考え。自分達は守られる権利が当然あると思っているのか? どうしてその考えが出てくるのか全く理解出来ない。もう嫌になり、「長い目で見たら悪いことをしたのなら、ちゃんと責任取らせて反省した方がいいでしょ」と同意を求めた。「それだけではないのよ。その頃、兄がヤクザの女に手を出して彼らが夜遅く家に怒鳴ってきたこともあって、その時、
お父さんは布団に潜って対応しなくて、じいちゃんが対応してその人達に馬鹿にされていたから私が顔をだしてヤクザに何か言おうとしたら、やっとお父さんが出てきて、でもお父さんもお母さんも謝らずに帰してしまったのよ。私が親で息子がそんなことしたら土下座して謝るのに。そんなんだから今もお兄ちゃん同じようなことをしている。だれもあの家の人達は反省していなくて人を見下しているのよ」
と伯母さんに向って言ってしまった。そしてさらに、「私が心療内科に通っている時もお母さんは医者に兄の事件のことを言ってくれてなかったのよ。言ってくれていたら私はもっと早くやり直せたでしょ。それに紫根伯父さんは亡くなる直前の最近まで祐仙寺保育園の理事をしていたのよ。ロサンゼルスからハワイに向う飛行機の中で仙人信さんが兄のことを私に尋ねたのは紫根伯父さんから何か私の家庭のことを聞いていたのよ。こんな繋がりがあることを、あの時の私にわかるわけがないでしょ。彼に兄のことを尋ねられたとき“どろぼう”って言ってしまったのよ。そう言ったのは多分彼に助けて欲しかったからよ。でも彼は問いてはいけないことを訊いてしまった時の顔をして何も言及しなかった。それで段々どうして兄のことを彼が知りたかったのか考えていると次第にヤクザとかと関係するのだろうか? などといろんな彼の素性の選択肢の可能性を考えて恐くなってパニックになっ
てしまったのよ。それをお母さんに話したら、彼に兄のことを話した私に激怒して事実を彼らに確かめずに私を病院に連れて行ったのよ。口封したのよ」自分でも何を話しているのか曖昧。彼らには、なおさらだっただろう。
「信実は大学で5月病に罹り大学を休学してると聞いていたよ」
と伯母さんは言う。
「違う。大学でではない。アメリカ旅行で精神がおかしくなったのよ。伯母さんにも本当の事を話していなかったの?」
二人は困った顔をして聞いていた。私は勢いに任せて、
「私が二十歳の時、学校の事務職員の職に合格したでしょ。あれは県会議員、土器昇さんに頼んだからよ。伯父さんも土器さんに渡すネクタイピン選んでいるでしょう? 紫根の亜美ちゃんの大学も裏口入学で就職も彼の根回しよ。それを知らされて、またパニックになって今度は精神科の病院に連れて行かれたのよ。そのこともお母さんは病院の先生に言って
くれなかったのよ」伯母さんは、
「それは誰にも言えないこと・・・」と言った。みんなどうかしている。
新美南吉の手袋を買いにの最後で母キツネは人間って本当はいいものかもしれないと思うけれど、人間の私は、そう思えないキツネになってしまった気がした。
帰り際には伯母さんは、
「信実、そんなに興奮しないで落ち着いて。こんどはゆっくり御飯でも食べにおいで」と言った。
やはり兄の逮捕のことは菰野屋に話していなかった。紫根伯父さんは、父の実兄で兄の仲人も務めているから話していたかも知れない。でも、もう知る術はない。コロナが原因で亡くなってしまっている。私の直感では紫根伯父さんにも話していないのではと思う。
段々、事実が明らかになっていく。嘘ばかり。嘘は騙されているうちは傷つかない。騙されたと気付いたとき傷つく。
騙された私は脆く愚かだった。
亡くなった紫根伯父さんについて二つの記憶が私の中の抽斗から突然出てきた。一つはうっすらとした危うく遠い記憶。
まだ私が保育園の時。紫根家で毎年行われていた新年会での一コマ。広い畳の部屋の空間で1日中、親戚や知り合いが立ち替わりきて食事とお酒が大量に振り舞われる宴会だった。私は父と母と兄と朝からきていた。紫根伯父さんは上座に座り顔を真っ赤にしていて酔っ払っていた。親戚の中の誰かが、「信実、伯父さんにお酒注いでこい」と言い、徳利を私に渡した。私は紫根伯父さんの所へ行き杯にお酒を注いだ。すると伯父さんは、私にそのお酒を飲ませた後、私を抱きしめ色々な所に口を付けてきた。何が起こったのか理解できなかった。周りの大人達は、私と伯父さんに注目していて大笑いしていた。とても恥ずかしくなった。そんな記憶。それ以
来、私は伯父さんを避けていた。その後、特段何も起きていない。紫根家では、幼児にもアルコール飲ませていた。当時では珍しいことではない。そんな時代だったの一言で済まされるかもしれない。しかし幼児に時代背景までわかるわけがない。人の感じ方は時代で違うものではないはず。
そして、彼らは変わっていない。平成生まれの亜美ちゃんの子供らにも、飲ませていた。お酒が苦手な私と異なりビールを好んで飲んだので伯父は喜んで缶ビール一本ごと与えていた。祐仙寺保育園に短期間、預けていた2歳のころも。信さんは何も気付かなかったのだろうか?
二つ目は5年程前に子供達と紫根家を訪れた時。伯父さんが、
「信実は亜美と違って自分で何でもできたな。伯父さんは余計なことをしたな」と言った。
大学も仕事も中途半端に辞めた私に何ができたのか意味がわからなかった。できた事があるとすれば、子育てかなとその時は思った。そして余計なこととは、縁故で合格した事務の仕事のことかなと思った。でも後から考えてみるとそれは恐ろしいことかも知れない。伯父さんが発した余計なこととは、やはりアメリカ旅行に伯父さんが関わっていたことを指す
のだろうか? 彼のことなので酔った勢いでいやらしい話を土器昇さんとしていて仙人信さんも一緒に行くようにしたのだろうか? それでアメリカで信さんは私に親切にしてくれたのだろうか? 彼は兄のことを尋ね、私は彼に泥棒と話した。父は紫根伯父さんに兄の事件のことを話したと言っている。信さんと紫根伯父さんは仕事上の知り合いだった。帰国後、信さんが紫根伯父さんに兄のことを尋ねたのだろうか? そして最後に、電話で私を拒絶したことと関係している。
また、掌くんが騙されていると思ったこととも結びつくのだろうか? 保育園理事を最近までしていたのならば、過去から最近まで私の情報は、ずっと彼らに届いていたのだろうか?
また保育園理事であった紫根伯父さんが私の幼児期にした行為は幼児虐待なのだろうか? しかし、もう土器さんも紫根伯父さんも亡くなっている。事実は消滅した。私には何も伝わってこなかった。
巡礼の旅の最終章で、信さんに知りたいことを尋ねるために会うことは不可能ではない。でも会わないことを選ぶ。彼が本当の事を話してくれるとは思えない。また彼が何かを話したとしても彼が使う言葉や行間にも私は何かを感じ、読みとってしまいそうだ。そして知りたいことは、そのもの自体ではなくまわりにも広がっている物かもしれない。だとすれば何処まで行っても私は真実にたどり着けない。もう傷つく勇気は湧いてこない。彼も私が何も連絡して来ないのでホットしているだろう。彼も後悔の気持ちを持っているだろうか? でも取り戻そうとは思ってはくれないだろう。それよりも
人の中身は変わらないと信じるなら、会わずに思うことは会話し知ることなのだろうか。




