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11 私の生活

長男の高校卒業を機に給食調理員として働くことにした。社会復帰、収入が得られるご褒美。

ある日テレビを観ていた。食堂を開いた70歳の女の人の特集番組。彼女は、どうして食堂を開いたかという質問にこんな風に答えていた。

「35歳の頃、夫を亡くしまだ幼い五人の子供達を育てなくては、ならなくなった時、手に職のない私でも食事はつくれる。大きいか小さいかの違いだけだと思い食堂を開き子供を育てた」と話していた。幸い私には夫がいて、お金にそれ程困っているわけではないが、必死で生きてきた彼女に憧れた。

他にも食事が作りたい理由がある。秋のお彼岸の日、小学4年の息子が、クラスメイトの男の子と彼の妹を連れ帰ってきた。私は夕食の準備をしていた。その日の献立はお萩。私は、餡子ときな粉のお萩を沢山作っていた。友達の彼が、寄ってきて珍しそうに見ているので、「食べる?」とお萩を勧めた。彼と妹は「美味しい」と言い食べた。息子も食べた。そして食べ続け殆どなくなってしま

った。そして次の土曜日のお昼時。家族五人でチャーハンを食べ始めるようとした時、彼と彼の妹がきた。私は息子に外で食べ終わるまで待っているように指示してしまう。また食べ尽くされては大変だ。それから数年後、偶然彼らの家庭環境を近所のママ友から聞くことになる。その兄弟は家では殆ど食事を与えられることがなく、たまにカップラーメンがテーブルに置いてあるだけの家庭で給食費も未納で学校で問題になっていると知った。彼らは私のお萩を美味しいと言ってくれたのに、私は酷いことをしてしまったと気付いた。そんなことも何処かに引っかかっていたと思う。そして働いた。私の住む市の学校は各自の学校内に給食調理室がありました。その中の一つの小学校に配属されました。その小学校の四百人分を五人の調理員で作りました。衛生面上の決まりも多く覚えるのに苦労しました。普段使わない筋肉を使い慢性の筋肉痛になりました。給食調理員は女ばかりで容赦ない言葉を言われ自分がなんて仕事ができないんだという事実を知ることができました。きついなぁと思う日もあれば、一つのチームで楽しくできたと思う日あり、概ね充実していました。私は家事が好きなんだなぁと思いました。何より、社会の中で生きていると感じられることが嬉しいと思いました。それが結婚後、初めて長く働いた私の職歴。こんな感じに昼間は働き、家では夫、次男、娘と平凡に暮らしていました。

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