7 同窓会と結婚
高校3年生のクラス同窓会の通知が届いた。多くクラスメイトは大学3年生になっているはず。気が進むわけではないけれど、愛ちゃんにもルイにも誘われたし、蜜やみどりさんのことも気掛かりだったので出席することにした。蜜とみどりさんには、アメリカ旅行後以来、一度も連絡を取っていない。ルイを通じて蜜の様子は少し聞いていた。私が蜜に対して怒っているのではと思って気にしているそうだ。勿論、怒っていないと答えた。彼女は何も知らなかったのだから。ただ蜜は信さんに私の兄のことなどの話はしたのだろうか? と思っている。知りたければ蜜に訊けばいいのに、訊くこと
ができないのは私の悪い癖。
同窓会は高校の近くの料亭で行われた。30人程と高い出席率。あれほど早く卒業したいな、ここから逃げたいなと考えて過したクラスなのに再会してみると、友達と会話が弾む。蜜もみどりさんも元気そうであまり変わっていないように見えた。変わってしまったのは私だけだと思えた。
ずっと女の子と話していて時々、柳Aくんの視線を感じていた。でもお互い話そうとはしなかった。2時間が魔法のランプに吸い取られるように経った。高校の時、リーダー的な存在だった男子が、「駅近くのよだかというスナックで二次会をするので、みんな移動です」とジャケットを高く上げ振り回しながら飛ばし叫ぶように言った。かなり酔っている。
もうすぐ夏が終わる湿った風の中、私達は駅に向って歩いた。スナック内は他に客の姿がなく貸切状態。半分くらいが二次会に参加したようだった。アルコールが極端に弱い私もみんなにつられてカルピス酎ハイを飲んでいた。でもあまり美味しくない。
隣に柳Aくんが座りにきた。
「オレわかる?」とおかしな質問をした。例えば、札幌の時計台前でバッタリ会ったのならば、
「オレわかる?」 と言われたら見たことはあるけれど誰だっけ? と言う話になるかも知れないけれど、ここは同窓会。わかるに決まっている。まだオレオレ詐欺はなかった時代。
彼は3年経った今もデートに誘ってくれた。きっと高校生の時、考えていた兄と彼の繋がりはなく私の勘違いだったんだろうと思った。彼は私が好きだったんだろう。でもあの頃の私は人に好かれる要素がないような気がしていた。自分でも自分が嫌いなのに。私の中の何かを彼が気に入ってくれたようで、感謝すべきなのだろう。でも又断ってしまった。そし
て彼の父親は小学校の先生と訊いて知っていた。思いがけず、またどこかで繋がるのを恐れてしまう。二次会はお開きとなり数人は三次会の会場へ姿を消した。私はとぼとぼと一人、家へと歩いた。暗い空には星が一つも見えなかった。
そして、その頃、母は亜美ちゃんに続いて姪である菰野屋の娘の見合い相手を熱心に探していた。彼女は私立大学の社会福祉学科を卒業して何故か大手メガネショップで働いて2年目。彼女の希望で横浜か神戸に住んでいる男を探している。もちろん母は高学歴のエリートしか相手にしていない。父と母はお見合い結婚。自分の結婚相手もこれくらい積極的に自分で探すべきだったのではと思う。それともお見合い結婚が最高だと思っているのかも知れない。
母が探したお見合い相手は神戸に本拠地のあるフォニックス電機の方で国立の大学院卒、背も180cmある、当時の最高の結婚条件の三高、高学歴、高収入、高身長で、すんなり結婚が決まった。
菰野屋の伯父さんは、彼らはお見合い後デートして好きになり、恋愛に発展した、お見合い恋愛と言う新語を造って喜んでいた。戦争中や統一教会でもあるまいし、一回のお見合い後、結婚する人達なんかいるのかなと思った。124
私の生活でも変化があった。雅さんの勤める家具の会社を辞め新しい仕事に就いたこと。社長さんも雅さんも毎日働ける場所の方がいいと賛成してくれた。山吹市の隣の市にある不動産の会社だった。今度は若い受付兼事務員が私も含め五人。営業マンは20人くらいだった。今度は車通勤をしている。
働き始めて1週間ほどたった頃、自宅のすぐ裏の駐車場に車を停め歩いて家に向っていると一台の車が静かに近づいてきた。危ないなぁと思っていると今度はクラクションがなった。私、何かしましたか? と言いたい顔で運転手を見ると高校3年の時同じクラスの世良くんだった。
「世良くん?」と言うと「ピッぽーん」と返ってきた。同窓会で見たのですぐにわかった。でも同窓会では一言も会話をしていない。
世良くんは車の中から私は道端で立ち、話をした。今何をしているかとか、友達の話、同窓会の後彼が行った場所の話等々しゃべり続けた。会話が止まらないくらい。すると世良くんが、
「喫茶店に移動しようか?」と提案した。「いいよ。家そこだから着替えてくる」と言い残して家に入った。仕事の制服から、私服に着替え少しお化粧も直し、待っていてくれた世良くんの車に乗った。助手席に座り車が動いた。考えてみると私は初めて男の人の車に一人で乗る。私は二回、好きな人の車に乗れるチャンスを逃していることを思い出した。一回目は高校3年の夏、大学を案内してくれた先輩の車。2回目はその次の年の夏、アメリカでの信さんのカローラ。どちらかの車に、もし乗っていたら人生は変わっていたのかなと、ふと思った。
世良くんと15分ほどドライブして、ピーターバードという喫茶店に入った。夕食前なので、お腹は空いていたけれど、彼が珈琲を頼んだので私もココアだけ注文した。彼が最近観たという映画の話、寮での生活などの話をした。また小学5年の夏まで大阪に住んでいたと話した。関西人と
関係するのか、よく喋る。彼がこんなに饒舌な人とは知らなかった。また彼は大学へは行かず、警察官になっていた。それは何となく友達が話しているのを聞いて知っていたような気がした。瞬く間に時間は経ち、彼は警察の寮の門限があるため戻らなくてはいけないと言った。私は当然のように「また会える?」と訊いていた。
「いいよ」とまた会う約束をして車で家まで送ってもらった。
仕事は慣れてきた。変則勤務の世良くんに合わせ、彼の休みの平日の夕方6時くらいから一緒に何度か食事をした。 食事は順番に食べたいお店を探して車も順番くらいに出してデートした。彼は信用できる人かもしれないと思うようになっていた。私は人、特に男の人を時間を掛け観察して関わってもいい人かそうではない人か確かめることが癖のようになっている。多くの失敗から学んだ私なりの知恵。数回目かのデート後、家の近くまで送ってもらった日、帰り際に車の中で、「私と付き合ってくれる?」と訊いた。彼は迷っているような表情をした。私には私の言動で相手がどう考え、反応するかを予想する能力が、かなり乏しいようだ。相手を困らせてしまう。そして彼が、
「まずは友達からゆっくり。今度の休みに映画を見に行こう」
と言った。それは私に配慮した彼の精一杯の言葉だったのだろう。取り合えず初めて丸一日デートすることになる。彼の発した言葉は正しいと思えた。
次のお互い休みの日曜日、駅で待ち合わせて電車で名古屋の映画館へ行った。今のようにモールなどに併設されているシネマコンプレックスはなく映画を見るなら名古屋駅周辺が一般的だった。彼が以前、映画館で“羊たちの沈黙”を見た時に宣伝していた”ジュラシックパーク”を面白そうと言うので見ることにした。彼が話す内容は発掘された太古の琥珀に偶然閉じ込められていた蚊が吸っていた恐竜の血液中のDNAから遺伝子工学によって現代に恐竜を蘇らせるという何とも胡散臭い話。選択ミスでないかと思ったが、映画は素晴らしくよく次のデートはサファリパークへ行こうと言う意見で一致した。
彼からはその日の帰りに「彼女になってほしい」と言われ正式に付き合うこととなった。
それから、お互いの友達カップルとダブルデートをしたり旅行をしたりした。クリスマスにはプレゼント交換、少し豪華なレストランで食事をした。きっと普通のカップルのような付き合い方だったと思う。そんなある日、私は彼に兄の事件を話そうと決断した。彼は冷静に聞いていた。そして職業柄、詳しく調べた。公私混同ではない。警察官と付き合う私が不適格では、公に差し支える。
その時、兄が所属していた窃盗ループは薬物にも関係していたと知る。亜美ちゃんの結婚式の日に兄の気分が悪くなり病院へ運ばれたことを思い出した。
彼は言う。「普通に暮らすことは難しい」と。何が普通かは人に依るかも知れないけれど確かに普通に暮らすことは簡単なようで難しいことかも知れない。でもそれが今の私にはできているような気がして落ち着く。そして彼と常識感覚が似ていて良かったと思った。
しかし時々、可笑しなことが起きる。そんな出来事は四回。
一つ目はある朝、母が、
「夜中に変な電話があった。名前を名乗って“僕は信実さんのうんこを食べたことがあります”と言い電話を切った」と話すのだ。
そんな馬鹿なことがあるわけがない。私に報告する必要のないことだと腹立たしく思った。そして、
「名乗った名前はしっかり聞こえなかったがせから始まった」
と言う。ただでさえ恐い思いをしてきたのに、不確かな情報を与えないで欲しいと思った。せから始まる苗字は世の中に沢山ある。例えば、瀬口、関、世良、仙人、千田…とか。
二つ目は郵便で手紙がきた。私が家のポストの中で見つけた。私宛。封筒の裏には同じ小学校だった男の子の名前が書かれてあった。封を開けると中の薄い便せんには私との小学校5,6年生の思い出が長々と書かれていて、これからの人生、信実さんと笑ったり怒ったりして暮らしたいと結ばれていた。手紙の他にグレイトギャツビーの車を連想させるクリ
ーム色の外車のような? 車の写真が二枚同封され、写真のに“山吹公園で待っています”と日と時間が指定してあった。
手紙の主の彼が書いたような彼との小学時代の思い出は全く覚えていない。第一、彼とは中学で同じクラスになっていない。高校も違うはず。彼は私をどこかで見たかもしれないけど私は彼を10年以上も見ていないはず。でも記憶を辿ってみると小学生の時、彼と同じ班だったことは思い出した。男女二人ずつの四人の班。もう一人の男子は菰野屋の息子で従127
兄弟のB。昔から知っている従兄弟と同じ班だったので、その時、私の口数は多かったかも知れない。そしてあの頃、友達らがBくんのお金持ちの親が私とBを一緒のクラスにしてくれと学校に頼んだと噂していた。Bは家でも学校でも横着なことで有名だった。 FamousではなくNotorious反面、私は真面目で成績が良くBの親には評判が良かったと思う。
あの頃は友達から何を言われようが平気なふりをしていた。けれど中学に入り少し経つとふりをするのが困難になってきた。Bは中学に入ると間もなく、オデコにそり込みを入れ短い丈の学ラン、短足にみえるようにダブダブのズボンを下げて履く、所謂不良の典型のようになった。そしてBがやった、いじめと分類される事などを友達や、そうでない人が逐一私に報告しにきた。
同じクラスだった小学生の時は、彼の活発な性格が良い方向に出て学級委員もやっていたのにと、あの頃の彼を残念に思っていた。それでも私は心の何処かで、赤ちゃんの頃から知っているBは本当は芯の通った人間だと信じていた。でも、それは中学3年のある日、崩れた。
こんなことがあった。私は女子更衣室へ向って一人で廊下を歩いていた。向こうからBを含む不良の団体が歩いてくる。
私はBと学校内で話こそしなかったが、見ると自然にいつも目を合わせていた。私はいつものように彼を見た。彼も私を認識した後、直ぐ目を下へ逸らした。いつもは睨むように見るのに変だなぁと思った。私はそのまま進み女子更衣室の前の掲示板まできて、掲示板に貼り付けてある二つのものに驚いた。一つは生理用ナプキンの封が開けられ広げられ両端を画鋲で留められてある。もう一つは私の水色の可愛いポーチが画鋲で留められてある。私はポーチを咄嗟に外した。もう一つは触る気にならなかった。更衣室に入ると私のロッカーは空いていて中は、グチャグチャだった。Bの仕業だな。彼の仕業でなく一緒にいた誰かが、やろうと言いだしたとしてもBは
反対してくれなかったんだなぁと思った。情けないヤツ。私の他にもロッカーを荒らされた人はいたし、煙草の吸い殻も見つかり更衣室はその日のうちに使用禁止となった。
私は親、先生はもちろん、だれにも話すことができなかった。どうしてだろう? Bをかばったつもりだったのか? 自分の見られたくないものをみられ恥ずかしかったのか? 自分でもよくわからない。言うべきだったと思う。それが随分大人になった時(話が前後するがもう40歳位の頃)
Bの父親、菰野屋の伯父さんが、
「中学でも学校に頼んで信実と同じクラスにしてもらえば良かった」と平気で口にした。小学生の頃の噂は本当だった。
親や学校でも手に負えない息子を10歳の私に押し付けたのだろうか? と思った。30年も経った今更何を言ってもどうしょうもない。唯々呆れた。私は彼をかばう必要も自分が恥ずかしがる必要も全くなかった。
そして今回はあの時の同じ班の人から今で言うストーカー行為。
この二つの出来事は世良くんに相談した。電話の件は相手がわからないことにはどうすることもできない。無視すればいいと言われた。手紙の件には、とても怒ってくれた。私に対してではなく手紙の主に。そしてもう手紙など送られてこないように処理してくれた。きっと母と父なら私に向ってあなたは何をしているの? と私を問い詰めるくらいで何も行動
してはくれないだろうと思った。経験済み。世良くんに相談して正解だったと思った。そして外車だと思った車は日産のフィガロと世良くんが教えてくれた。
三つ目は仕事帰りに紫根家に寄った日のこと。
亜美ちゃんが二人目の子供の里帰り出産のため紫根家にいたので会いに行った。私は赤ちゃんが大好きなのだ。出産後、退院して二人目の女の赤ちゃんを抱っこした亜美ちゃんが、
「保育園に迎えに行くけど一緒に行く?」と訊いた。
里帰りをしている2ヶ月間上の子供を保育園に預けているそうだ。「うん。行く」と言って亜美ちゃんの車に乗った。
亜美ちゃんは車を結構な距離、走らせた。同じ地区の保育園ではなさそうだ。保育園の駐車場に着いて車から降りると、そこは祐仙寺の保育園だった。どう言うことなんだろう? と思いながら保育
園の中に入って行くと大きな声で、「信実ちゃん?」と呼ぶ声がした。声の主を見た。保育園の先生のようだが、知らない年配の女の人。そしてすぐ横には仙人信さんがいた。驚いたけれど、私は頭が重りになったかように静かにお辞儀をした。彼も慌てたように頭を下げていた。そして亜美ちゃんが子供を受取り、門近くで待っていた私とみんなで車に乗り紫根家に帰った。
2ヶ月という短期間だけ、しかも足に障害のある子を預かって貰える保育園はそんなにあるとは思えない。やはり紫根家と仙人家は知り合いなんだろうと思った。ニック先生が私の参加するアメリカ旅行の話を土器さんにして彼が一人勝手に仙人さん兄弟に話を持ちかけたと考えていたけれど、亜美ちゃんのお父さん、つまり父の兄、紫根伯父さんも関係していたのかもしれないと思った。でも全て終わってしまった事。私は普通の生活に戻りつつある。今の生活を崩したくはない。この事は自分でも信じられない話で誰にどう言えばいいのか、さっぱりわからなかった。
4つ目はそれから1年ほど経った梅雨の季節、また紫根家に仕事帰りに寄った日のこと。その年の梅雨は台風とも重なり梅雨の晴れ間が全くなく、雨ばかりだった。
紫根家には亜美ちゃんは横浜に帰っていたが、祖母が伯父ら夫婦と同居していた。私は時々祖母の様子を見に行っていた。祖母は高齢で体も弱り自分の部屋で寝ていることが多い。寝ている祖母の横でしばらく話した後、リビングに入った。誰もいない。家には祖母一人のよう。リビングの中央に置いてある硝子のテーブルの上に結婚式の招待状などを見つけた。日付は昨日の日曜日。紫根伯父さんが出席した結婚式のもののようだ。
二つ折りの白い紙を開くと仙人信さんの結婚式の座席表だった。彼の名前の隣には堅い活字が三つ並んだ知らない名前。
藍でも蜜でもなかった。掌くんの名前。紫根伯父さんの名前もある。間違いなく彼らは知り合いとわかった。
いろんなことが腑に落ちた。私が高校3年の春に出席した亜美ちゃんの結婚式に彼らの母親も出席していたと推測できる。祐仙寺保育園で私に声をかけた女の人が彼らの母親だったのではと思った。Trap アメリカ旅行は彼にとってバチェラー・パーティーならぬ、バチェラー・トラベル(造語)だったのかなと思った。からかう、嘘、騙すの三語が三角立方体になって上へと伸び私を見下ろした。そして紫根伯父さんは私が気付くように、わざと座席表をテーブルに置いていたのかな? 意地悪だなと思った。
そして紫根伯父さんについて、私の考えはこんな感じ。江戸時代の身分制度には士農工商がある。一斤染家も紫根家も農民。士つまり武士の次に記されるのが農民だが、実際は一番下の位。そして寺は士と同じ位であり身分が高く政にも関わっていたと中学の社会科で習った。紫根伯父さんは、きっと、その身分に憧れたのではないかと思う。寺の人達との繋が130
りを大切にしたかったと思う。寺の僧には世の中の綺麗事しか知らされない。それは悪いことではなくむしろ良いことで人々は綺麗事を望んでいる。憧れの人にはそうであって欲しいのだ。汚い物があるから綺麗な物がわかる。
でも現代人の私にはもう関わってはいけない人達。もう過ぎたこと。なにもかも遅い。同じ山吹市内に住んでいるけれど棲み分けが必要。違う空間で静かに暮らそうと思った。
私は仕事を持ち彼氏もいて表面的にはもう大丈夫。大学病院の精神科へも通っていない。完治と言われることもなく2,3回通っただけで中止した。心の病気は身体の病気と異なり完治の見極めは難しく、また私としても精神科に通いたくはない。病名も中断した理由も聞かされていない。
私は自分の生活をしていけばいい。世良くんとの付き合いも3年目になる。そして二人とも25歳。周りの友達も結婚していく。世良くん仕事の警察官は比較的結婚がみんな早い。
彼がプロポーズをして「とにかく上手くやっていこう」と言った。良い言葉。絶対に幸せにするなどと相手が自信たっぷりだと、不確かな自分との距離の開きに不安になる。
私の家にも挨拶にきてくれた。
「ふつつかな娘ですが・・」と父は言った。本当にそうだ。
世良くんのご両親も賛成してくれ順調に結婚の運びとなった。




