6 捜索願と退職
山吹市の自宅に戻り、私は前事務員さんと教頭先生の関係、小森商店で遭遇した顔なしの男の話、亜美ちゃんとの電話の話を母にした。すると母は前と同じように知り合いの医者に電話をして今度は精神科のある大きな病院を紹介して欲しいと頼んでいた。
今度も私の話は信じてもらえず事実も確かめては貰えなかった。しかし、今回の話は余りに馬鹿げている。自分でも諦めの気持ちがあったと思う。ブラキオサウルスとカバが同時に風呂タブから飛び出てきたと言った方が母は信じたかも知れない。そして、2日後、母と父は義務のように私を大学病院へ連れて行った。
病院では長い間、母と二人で待ち、名前を呼ばれ部屋に入った。その時、父は何処にいたのだろう。子育てはいつも母任せ。
ガランと広い部屋の正面に長い机があり、その向こう側に医師らしきの男の人が四人座っていた。私には面接を受けるような感じで彼らの前にポツンと一脚の椅子が用意されていた。指示に従い一度、座ったが男の人達が一斉に私を見てお互い何かを話し始めた瞬間、恐くて逃げ出してしまった。待合室に戻ると今度は母が呼ばれた。母は医師らと数分話して戻ってきた。その日は薬をもらい帰った。
家に帰りもう仕事はできないことを父から告げられた。
初め分限処分(心身の故障のため職務の遂行に支障があるため本人の意に反して公務員を休職などの不利益な処分)を受け、学校にいたのは僅か2週間で何も仕事をしていない私はその後、直ぐに退職の書類を言われるままに書くことになった。そして病院に通いながら治療することになった。
父は「みんなができることが、どうして信実はできないんだ。信実は何でもできるはずなのに」と言った。私はみんなができることができないどうして上手くいかないのだろうと思う。ほんの少し前までは楽しみながら努力して友達よりも殆どのことがよくできていて、自分でも満足していたのに。でも、今は私の周りを囲むのは友達ではない。わからない何かが間違っている、おかしい。そんな風に感じるから、やってはいけないとささやく声が聞こえるから、やりたくないんだ。自分が失われた気がして何がどうなっているのかわからない。
1週間ほど経ち父が、「亜美が信実に会いたいそうだ。行こう」と言った。父の車で10分くらい走り紫根家に着いた。広い庭先で貢さんが迎えてくれた。
私が「こんにちは」と挨拶したら、「信実ちゃんが学校辞めたと聞いて亜美が気にしていたけど、ケロッとして元気そうで良かった」と言った。
宿舎に居られなくなったのは確かに亜美ちゃんの電話が引き金。でもそれは言えない。二人の聞き間違いによる私の勘違いなのだから。亜美ちゃんは悪気があって電話をしたのではなく、むしろ一人暮らしをしている私を心配して電話を掛けてくれたのだから。
しかし私はちっとも元気ではない。なのに、彼には私はケロッとして元気に見えるんだと思った。中身と外見がずれて、別の人間が私をのっ取ってしまったように感じた。その後、私は紫根家に入り亜美ちゃんと、たわいもない話をして帰った。
その時、小学5年生の頃、クラスで流行っていたトンチと推理の本の問題の1つを思い出した。それは石炭で走る汽車に向かい合って二人が座っていた。二人のすぐ横の窓は開かれたままになっていた。汽車がトンネルに入り抜けた後、顔を見合わせた二人の内、進行方向の逆向きに座っていた人だけが、顔を洗いに行った。どうしてか?
答えは、汽車の進路方向に逆向きに座っていた人は窓から入ってきた煤で真っ黒になった向かいの人の顔を見て自分もそうだと思い込み顔を洗いに行った。しかしその人は進行方向の逆向きに座っていた為、煤は顔を洗いに行かなくてはならない程付いていなかった。その人が私。そして、真っ黒まま気付かないでいるのが亜美ちゃん。私は亜美ちゃんに「真っ黒だよ。洗いに行こうよ」と言うべきだったんだろう。でも言わないで一人で汽車と汽車の間の水が出るところへ行き洗おうとしている時、何者かに突き落とされて、もう汽車には戻れなかった。そんな風に感じた。
2か月ほど経つと自分の置かれている状況が、理解できるようになった。家の庭に出てみた。嵐が去った殺風景な景色の朝みたいだった。生ぬるい長い風が吹いていた。自分でも好まない状況だけれども受け入れるしかない。でも何もできない、する気力も自信もない。
そんな頃、母の従兄弟の雅さんがきた。私の、ぼんやりと鈍い様子を見て、「一緒に働こうか?」と誘ってくれた。雅さんは家具を造る工場の事務をしている。雅さんがすぐその場で社長さんに連絡して1日6時間、週3日、働かせて貰えることになった。
私の主な仕事は雅さんの直ぐ横で伝票整理。社員の雅さんとパートの荒木さんが事務員で家具職人が10人くらいの会社。年配の人ばかりで、みんな親切にしてくれた。本当なら私はまだ大学生で勉強したり友達と楽しんでいたはずなのに・・・こんなはずでは全然なかった思いで今の自分が恥ずかしかった。休みの日は何処にも出掛けず家で寝ていることが多かった。母には「どこか遊びに行ったら」と言われた。「遊び方がわからん」と言うと鼻で笑われ「アホらしい」と言われしまった。私は遊びたいのではない。
どんより曇った休みの日曜日の昼近くに、布団から出て新聞をみるとこんな記事を目にした。私はあの面接の失敗以来、新聞をよく読んでいる。一面の隅の小さな記事。
”県会議員・土器昇さん失踪・捜索願いだされる“と見出しがあった。驚いて記事を全部読んだ。彼が秘書の女性と姿をくらまして4日経ち家族が捜索願を警察にだしたという内容だった。父に記事を見せた。父は新聞を読んで既に知っていた。そしてこう言った。
「土器昇の家は祐仙寺の隣や」祐仙寺は仙人さんのお寺。もう一体何がどうなっているのか意味がわからない。また、繋がった。
「私の事務職の面接で面接官は、私は相応しくないと正しい判断をしたのに、仕事をほったらかして女と逃げてしまうような人にコネで頼んで合格にしてもらって一体なんなの? そして一体、日本全国に家が何件あると思ってるの? 土器昇とアメリカへ一緒に行った仙人兄弟が隣の家なんて変でしょう。どういうことなの?」と怒った。すると父は「土器昇の顔が広いだけのことや」と言った。確かにそうかも知れないけれど、私にこれ以上、構わないで、ほっといてと思った。
結局ほんの数日で県会議員、土器昇は見つかり依願退職し新しい県会議員が無投票で決まった。彼は秘書の彼女と山奥の淋しい庵で心中はしていなかった。彼は政治家を志したくらいだから世の中を良くしようと高い志を持っていたはずなのに、力を持つにつれて周りの後援者から頼まれ事をされ私の件も含め次々に不正をしていった。でも私がコネだったこと
は面接官、私が話してしまった校長先生にも知られ私以外にも疑問に思った人が現れてニッチモサッチも行かなくなり数多くの不正隠しのため(証拠隠滅)、女と失踪して辞めざるを得ない状況にした。また彼は裏口入学などに利用される政治家の仕事に嫌気がさしていたのかもしれない。でも退職金は全て手に入れることができた。その失踪事件は私に何かしらヒントをくれた。アメリカ旅行の件は女垂らしの彼が面白半分で企んだことだろうと推測した。しかし精神科に通っている私の推測など聞いてくれる人も、まして信じる人なんていない。誰に相談しようと精神病院に入院させられるのがオチ。もし、父から土器昇の家は祐仙寺の隣という事実を知らされなければ、彼の不正の真相を
調べる勇気を持てたかもしれない。でもこれ以上、関わるのが怖い。もう家でも何処でも兄の逮捕のことなど、だれも話さない。問題があるのは私だけ。紫根伯父さんも父も兄も亜美ちゃんも誰も彼も彼らのしたことは隠されたままで表面的に平気で暮らしている。表面だけ取り繕っている人達がウジョウジョいるのが現実。亜美ちゃんは自分が公立短大に裏口入学をしたことを知っているのだろうか? その影で入学できなか
った人のことや真剣に受験勉強できず入学し実力のない人と一緒に学んだ短大のクラスメイトのことを考えたことがあるのだろうか?
その頃私は以前通っていた心療内科の医師に母が兄の逮捕事件を話していないと気付いた。精神科の医師にも話していないだろう。
それは母にこう言ったときの母の反応でそう思った。
「仙人信さんに、兄が、どろぼうしたとアメリカで話した」
と、口にした。その途端顔色を変え目を見開き、「どうしてそんなこと話したの」と大声で怒鳴った。やはり言ってはならないことで母は誰にも話していないんだと確信した。何年病院へ通おうと意味のないこと。病気を治すには原因を医師に伝えないと・・・私が話さなくても気付いてくれるそんな医者がいるのかな。もし気付いたら、その後はどんな対応になるのかな。多くの人を巻き込むのかな。じゃ私一人が、おとなしくしてればいいのかな。悲しいなと
思った。そして、これが、私が医師に県会議員による裏口入学を話すと思って病院通いをやめた理由かなと思った。父と母にとって何が大切なのだろう。
人は自分と違う考えの人は全て変だと言い放ち嫌うことをこの数年で学んだ。人は自分が有利になりたい、偉くなりたいという自己肯定感から自分とは違う考えの人を忌み嫌い自分の方が勝っていると思うことで相手への攻撃を正当化する。そして、ある人を守るために別の人の犠牲は正当化される。
私は原発ゴミ(原子力発電所で使い終わった燃料から再利用できるウランなど回収後、残った放射能レベルの高い廃液)のように確かに存在するのに存在しないかのように扱われている。本当は最初からないほうがいい。
もう私の力ではどうにもできない。それならそれでいい。私は諦めることを選んだ。これからどうしたらいいかなんてサッパリわからない。でも言われるまま人の言いなりだけれど何でも受け入れ、やってみようと思った。感じ方は変えられないが考えは変えられる。自由。新しい生活を探そうと思った。中身を取戻す。やはり私は負けず嫌い。




