5 平成と小学校
昭和天皇が一月七日に崩御され年号が平成になった。しばらくはテレビのニュースも暗いトーンで放送され、外出しても車数が少なく感じられたが1週間も経つと何事もなかったように元に戻った。
そして1月15日の成人式は例年通り行われた。
私は、祖父が買ってくれた一目で高級とわかる振り袖を着て参加した。山吹市民会館で市長、来賓等の話を聞き記念写真を撮って女友達四人でフランス料理店で食事をした。久しぶりに会ったので近況を話し合った。友達は山吹市役所に勤め
2年目の子、この春に短大を卒業し銀行に就職する子。残りの一人は大学生だった。私が大学を辞めたことは噂で知ったと言った。
その噂は私が大学から帰る途中、地下鉄のトイレでレイプの被害者になり、その後、精神を病み辞めたということと、言いにくそうに話してくれた。その噂の元をそれとなく訊いてみたが、彼女は誰だったかなと曖昧にした。知っていても本当のことは言わないだろうし、また私が知っても否定しに行く勇気はない。
社会の中で生活していくと言うことは人に面白おかしく噂されると言うこと。人の口には戸は立てられない。ここでは私はその噂を否定した。当然。事実ではない。でも辞めた理由は言えなかった。辞めた理由は複雑。私にも理解
できない箇所も有り色々絡み合っている。
今はコンビニで働いていて4月から学校の事務をすると話した。私は平成第一号の社会人と言われた。TVのニュースでよく今年の成人をそう呼んでいた。でもバイトはしていたので、昭和の時も私は働いていた。仕事に優劣がないならば私はもう社会人3年目になる。平成社会人第一号ではない。
3月の中頃、私の職場が決まった。自宅から遠いため教員宿舎に住むことになる。亜美ちゃんは9年間ずっと自宅から通える職場だったので、私も自宅から通うとばかり思っていた。
4月1日から5日間は新採用の事務員10人が県の教育事務所に集まり研修。その後引っ越して田舎の小さな小学校勤務となる。
研修では自己紹介、学校の役割の話、コミュニケーションのためのリクレーションや先輩事務員の話を聞いた。沢山、人と話せてお遊びのようで楽しい時間だった。ただ指導官が私達へのこんな気になる質問をした。
「皆さんの中で小学生の時、特殊学級で学んだ経験のある人はいますか?」と訊いた。
私が小学生の頃の特殊学級は今の特別支援学級のことだが、もっと特別な学級だったように記憶する。ここにいる10人は殆どが大学出で難関の試験を受かった公務員なのに特殊学級にいた人などいるわけがないと思った。確かに誰もいなかった。私の小学生時代の特殊学級の児童を思い出すと勉強ができないよりも精神的に不安定な児童だったような覚えがあ
る。それは正に、つい最近までの私ではないかと思った。ここにいる指導官は私を不適任と判断した面接官から私について何か聞いていて、こんな質問をしたのだろか? と思った。研修最後の日、10人の中の一番年上の男性が、
「各学校で働き始めたら、みんな近況を共有しよう」と言い、彼の連絡先を伝えた。私達が彼に近況を手紙で知らせ彼がまとめ、みんなに連絡する約束をしてくれた。今ならスマホでライングループを作れば簡単に連絡が取れるのに、難儀。
次の日から私は急いで引っ越しの準備をした。でも大学のため、一人暮らしを数日間しているので買い足す物は殆どなく荷造りするだけだった。土曜日に家の軽トラと私の新車で引っ越しをした。
教員宿舎は、車で2時間半くらいの場所。住むことになる町の役場に着いた。宿舎を管理している町役場の人が宿舎まで案内してくれた。この街の小学校、中学校の教員宿舎は二つあり一つは先生たちの二階建アパート。そして管理職や事務員のための平屋一軒屋が四棟あった。私はその平屋の一つに住むことになる。同じ小学校の教頭先生も平屋宿舎だそうだ。残りの二棟は中学の職員が住んでいると教えてもらった。
その平屋は四畳半、六畳、八畳に加え暗い台所、お風呂、トイレが付いていた。八畳をリビングにして炬燵、テレビを置き、六畳にベッド、タンスを置いた。四畳半には何も置く物がなかった。洗濯機は屋外にあり平屋住人が共同で使えると言われた。
私が住む前は女の前事務員が保育園のお子さんと二人で住んでしたそうだ。旦那さんも初めは一緒に住んでいたけれど、離婚されたと町役場の人が話した。田舎なので何でも噂の主になってしまう。奥さんの浮気が原因ではないかと不確かな離婚の理由を訊いてもいないのに言い出した。
それから彼は家の使い方(風呂、温水器など)ゴミの出し方など丁寧に色々教えてくれた。そしてみんな帰って行き一人になった。
まず、学校へ行った。もう一つの教員宿舎は小学校から2kmと少し離れているが、平屋宿舎は小学校が見える位近かった。用意した菓子折を持って徒歩で向った。
あさっての月曜日に前事務員と引継ぎをして火曜日に入学式、始業式ですと言われた。校内を一周りして校庭をみてから帰った。
宿舎に戻り持参した料理を食べ、少し本を読んでいた。お風呂に入ろうと思い教えてもらったように水を溜め湧かそうとした。全く動かない。故障している? 町役場の人に聞いていたガス屋さんに電話した。今日はお風呂を諦め明日でもいいですと伝えたのだけれども、まだ午後6時なので直ぐ行きますと言ってくれた。
ガス屋さんが点検すると風呂タブの下から大量のおもちゃが出てきた。それが故障の原因の一つだったと説明してくれ、その他の部品も取り替え使えるようにしてくれた。ガス屋さんは、「このお風呂使われていませんでしたね」と言われた。私も確かに使えてなかっただろうと思った。
「私が住む1週間前まで住んでいた前事務員はどうしていたのだろう」と言うと、ガス屋さんは、
「彼女は殆ど別の宿舎に住んでいたらしい」とまた、不確かな情報を話した。何か不吉な予感がした。
月曜日、学校へ出掛けた。午前中は、前事務職員さんから大量の書類を渡され説明を受けた。彼女との雑談の中で私の
従兄弟の亜美ちゃんと数回事務員研修を一緒に受けたことがあると言った。そして、
「一度にこんなに沢山の資料の説明をしても理解は難しいだろうから何でも隣の席の教頭先生に聞いて仕事を少しずつ覚ていけば大丈夫だから」と言ってくれた。事務の仕事は教頭先生の補佐だと言われ気が楽になった。教頭先生も私達の横で話を頷きながら聴いていて優しそうな人で良かったと思った。最後に前事務職員さんにお風呂が故障していましたと話した。すると彼女は「私は普通に使えていました」と慌てて言った。
私には彼女が嘘をついているとしか思えなかった。
午後からは職員の顔合わせをした。一学年一クラスでクラスは10人前後の全校生徒66人の小さな学校。そんな小さな学校に新任の先生が三人、転任の先生が二人、私と用務員さんも新しいので職員の半分以上新しくなる。とても珍しいことだと校長先生は話された。
始業式では教壇に上がり挨拶があると言われた。
火曜日。入学式、10人の新1年生が一人ずつ挨拶をした。
その後、同じ会場で始業式。
校長先生の話の後、担任紹介、転任、新任の先生、事務員、用務員の順で正面の台に上がり挨拶をする。私は何度も宿舎で練習したように、小学生の時、毎年この学校の辺りの川で泳いだ話をした。そして良い思い出の場所で働けることを楽しみしています。という内容を話した。きっと緊張のせいで練習した時よりも早口になってしまい短いスピーチだったと思う。新任の先生達も緊張していたみたいだった。職員室に戻ると、校長先生は児童がこんなに騒いでいた会はないと話された。若い先生が多くきたので興味津々だった
そうだ。でも明るい雰囲気の中、無事済んで、みんなホッとしていた。その日の夕方に、PTA、町役場の人達との食事会に参加した。町役場に近い料理旅館で行われ、食事とお酒が大量に振る舞われた。お正月の紫根家での親戚の集まりのようだった。ここでは年に数回こんな会があると言われた。
次の日からは給食もあり通常授業。私は教頭先生に教えてもらいメモを取りながら仕事を覚えようとした。用務員さんは近所に住む40代の主婦で色々この地域のことを教えてくれた。給食は教頭、用務員、私で職員室で食べた
。苦手だった給食も大人になり好き嫌いが減ったのか美味しく感じた。仕事は月単位で行い、後は必要な品を買いに行ったり先生達からの頼まれ事をしたりする程度だった。それ程忙しくなく田舎でのんびりしていた。研修の時、近況を知らせる約束だったので、早速書いて投函した。その時、感じていた楽天的な内容を書いた。
最初の休みには自宅に帰った。友達を誘い二人で食事をした。コンビニでバイトしていた時は友達と食事に出掛けることは一度もなかった。やはり定職があると気分も晴れ友達にまた、会いたいと思えるようになる。
月曜の朝早く自宅を出て一度宿舎に戻り身なりを直し出勤した。その1週間は何事もなく平和に過ぎた。周りの新任先生達はピリピリしていた。お気楽な私とは違って担任を持って児童を教えるのは大変だろう思った。
次の日曜日は亜美ちゃんが5ヶ月の子供と私の母を連れて来るので週末は宿舎で過すことにした。
今、亜美ちゃんは夫の貢さんの仕事のため、横浜に住んでいる。でも去年の秋から里帰り出産のため山吹市にきている。そして12月末に初めての子を産んだ。
その時の私が知っている様子はこうだった。出産の翌日、私は病院へ亜美ちゃんと赤ちゃんを訪ねた。畳の個室で亜美ちゃんが赤ちゃんを抱き私と亜美ちゃんのお母さんが両脇に座っていた時、突然、亜美ちゃんが赤ちゃんの足を触りながら「この子指がない」と叫んだ。何を言っているのだろう? 指はある。亜美ちゃんが触っている。でも近づいてよく見ると左足の指が5本ではなく3本だった。私は叔母さんの顔を見た。彼女はすでに知っていた顔をしていた。その顔はこの事は誰にも知られてはならないことだと言っていた。私は「先生呼んでくる」と言いナースステーションへ行き、先生にきて貰えるよう頼んだ。先生はやっと呼ばれたかと待
機していたかのように直ぐみえた。「これは貰い交通事故のようなことだ」と話した。当然、亜美ちゃんは「歩けるのか?」と尋ねた。「少し遅いだろうけれど、歩けると思います」と言ってくれた。生まれて2日目も子にも悩みがある。貢さんも少し早いお正月休みを取り紫根家にいたので病室に直ぐにきた。彼は初めて見る我が子と同じ空間にいながら何も話さずうつむき、がっかりしている様子だった。赤ちゃんは目がまん丸な男の子で。私には、とてもかわいい赤ちゃんに映った。
そんな事情もあって亜美ちゃんは未だ横浜には帰らず、山吹市にいた。私が亜美ちゃんと同じ事務職員の試験に受かったことは驚いていた。「すごいね。私なんか試験全部縁故だったもんね」と公務員の仕事を得ることが当然の権利だったかのように言った。これが大人になって社会で働くと言うことなのだろうか? その権利を受け入れた私も大人になったのだろうか?
そんな事を考えながら宿舎で亜美ちゃんと赤ちゃんと母が来るのを待っていた。昼、少し前にきて一緒に食事に出掛ける。三人は時間通りきて私を車に乗せて、町の中心部にある食堂へ向った。
3ヶ月ぶりに会う亜美ちゃんの子は悩みなんて全くないように、よくクルクル動く目を持つ表情豊かな子になっていた。
亜美ちゃんが、「仕事はどう?」と訊いた。「まだ何をやっているのかよくわからない。教頭先生に聞いて言われたことをしているだけ。でも児童とはよく話して楽
しいよ」と答えた。すると亜美ちゃんは、「私なんか合わない教頭と仕事をした時、お互い背中を向けて座って一言も口をきかなかったもんね。児童には化粧お化
けと呼ばれていたし」と言った。
この事務の仕事が教頭先生と協力なしで進められるのかと不思議に思った。亜美ちゃんは本当に仕事をしていたのだろうかと思った。
そして亜美ちゃんと知り合いと言う前事務員の人のことを亜美ちゃんに訊いた。前事務員さんが亜美ちゃんと事務員研修で会ったことがあると話していたと言い、彼女は、本当に宿舎に住んでいたか訊いたけれど亜美ちゃんは彼女のことはあまり知らないと言ったので、これ以上は話さなかった。食事後、宿舎に戻り少し休憩して三人は帰って行った。
こちらに住んで3週目に入った。その日は教頭先生が自宅近所でお悔やみがあり休まれた。私は前に頼まれていた書類の整理をしたり引継ぎ書を読んだりして過した。給食は用務員さんと二人で食べた。用務員さんが、
「宿舎は慣れた? 一人で淋しくない?」と訊いた。私は「はい」と言い、そしてお風呂が故障していた話をした。「初めて風呂を使おうとした時、使えなくてガス屋さんに修理してもらいました。そしたら風呂タブの下から大量のおもちゃが、出てきて取ってもらい直してもらいました。ガス屋さんの話では当分、使われていなかったはずと言われるけれど、前事務員さんは使っていたと言っている。どういう事なのでしょう?」と訊いてみた。すると「私も今年からの勤務で詳しくは知らないけれど前事務員さんは他の宿舎に住んでいたと噂できいたよ。それが原因で離婚されたとも聞いているよ」と言った。
他の宿舎と言うことは誰だろう? 四棟あって私と、教頭先生、残りは中学の職員が住人。用務員さんと顔を合わせて、「教頭せんせい?」と言ってしまった。
次の日。教頭先生も出勤された。私も用務員さんも何事もなかったかのように過した。大人には知っていても知らないふりをすることが大切。それに私が知っている内容は不確かなこと。また私の仕事にも関係しない。
その日は4月20日だった。引継ぎ書に毎月給料日前日に役場の近くの小森商店に領収書を取りに行く事と書かれていたので、昼休み後、行くことにした。職員室は用務員さんと私の二人だけだった。
「小森商店へ行ってきます」と用務員さんに言い徒歩で出掛けた。歩いて15分くらい。いい運動になる。小森商店へは初めて行くが役場にも近くの食堂にも買い物にも何度か行っていて、小森商店の前を通っていたので場所を知っている。小さなお店。
引き戸を開け「すみません」と言った。お店らしくなく、商品が何も陳列されていない。何を売るお店なのだろう? ふしぎだ。
すると奥から小柄な人が出てきた。男の人のようだ。彼が私の見える距離に近づいて真っ直ぐ立ったとき、そして私が彼の顔を見たとき、彼には顔の中身がなかった。黄金糖キャンデーみたいな形をした顔の輪郭に薄い髪の毛がのっていて多分耳はあったけれど、目も鼻も口もない。当然、何も話さない。彼は私が高校3年の夏から頭の中に浮かんでいた人物と瓜二つだった。何かと何かが繋がっている。恐ろしくなって、でも落ち着いて森で熊に遭遇した時の対処方法のように後退りして戸を静かに閉め小学校へ走った。学校に戻った。職員室の戸を開けると校長先生も教頭先生もみえた。
「小森商店に行ってきましたが領収書は貰えませんでした」と言った瞬間、二人は顔を見合わせて、
「今日じゃない」「誰にも遭わなかったか?」と大声で言った。
恐くて「はい。会いませんでした」と言ってしまった。
もう一度引継ぎ書を見直した。すると私は日にちを間違えていた。給料日の前日ではなく必ず給料日に小森商店へ行く事と書かれていた。どうして読み間違えてしまったのだろう。
「日にちを間違えました。明日もう一度行ってきます」と言うのが精一杯で顔のない男の人のことは言えなかった。でも彼は誰なのだろう? 私の頭の中の人物が現実に個体となって私の前に姿を見せたのだろうか? それは、あまりに馬鹿げている。
帰宅時間になり、宿舎に帰った。夕飯、風呂を済ませた。すると電話が鳴った。受話器をとると、「もしもし信実ちゃん?」と声がした。高校の友達の愛ちゃんの声のようだ。「愛ちゃん?」と訊いた。「うん」と受話器の向こうの声が言う。愛ちゃんには、ここの電話番号を教えていたのだ。世にも奇妙な物語の中にいるような恐怖の日、一人でいる時に愛ちゃんが電話を掛けてきてくれて、とても嬉しくて話し始めた。すると、
「信実ちゃん。誰と話しているの? 亜美だよ」と受話器の向こうの声が言った。
急にアメリカ旅行で感じた感覚が蘇ってきた。世にも奇妙な物語は続いている。私は、ただただ静かに過ごしたかっただけなのに。どうして、また同じ県会議員の世話になり愛と藍と亜美と同じような名前がでてくるの? そして、いつも繋がるの? 全部偶然なの? 一体全体、私に周りで何が起きているの? 誰に訊けば、正確に教えてもらえるの? きっと長い沈黙後、亜美ちゃんは「なんかごめんね」と言い電話を切った。私は私も亜美ちゃんも聞き間違えていたのだと気付いた。
また一人になった。私はここには居てはいけない、こんなことをしていてはいけない。縁故で合格した私はここで働いてはいけない。もし働いたら罪になり、良くないことが起こる。亜美ちゃんみたいに奇形の子を産むことになると思い込んでしまう。そして校長先生の自宅に電話を掛けてしまう。
「私は県会議員のコネで合格しました。もう働けません」と一方的言いに電話を切った。少しして母から電話があった。
校長先生が知らせたのだろう。父と車で翌朝早く宿舎に向うと言った。私は「はい」と消えるような声で答えた。
次の日の朝、本当に朝早く父と母が軽トラックで、きて次々に私の荷物を詰め込んだ。私も言われるまま詰め込んだ。校長先生が宿舎にきて、「家に戻ってゆっくり休みなさい」と言われた。
何がどうなっているのか私にはわからない。周りの人はわかっているのだろうか? でも微かにわかってきたことがある。そして、それは誰も気付かない。私にとって家が一番恐い場所で私は休めないことを。でも私には行くところがない。私達は一斤染家に帰った。




