4 社会復帰とバイト
この頃の生活は、私にとっては楽しいものではなかった。日が経つに連れ、もう元に戻ることができないと事の重大さを理解した。そして朝、目が覚めたら戻っていないかと何度も想像した。いつに私は戻りたかったのだろう。何を取り戻したかったのだろう。信? 大学? 私は友達も大学も恋愛もみんな一度に失ってしまった。でも命はあるし住む家も食べ物も服もある。衣食住が満足にあるのに何の不満があるのかと思い直すことにした。友達だって一部を失っただけで会おうと思えば会ってくれる友達は私にはいる。ただ会っても本当に話したいことが話せない今は会いたいと思えなかった。
夏がまた始まる頃、父が、
「運転免許を取りに行くか?」と言った。「いいよ」と答えた。
車に乗れないことには働く場所も限られてしまうと父は言った。
そして家から一番近い自動車学校に通った。急いで免許を修得する必要のない私は2ヶ月かけて免許証を手に入れた。でも車はないし、行く場所もなくペーパードライバー。
免許を取ったので働こうと思った。車はないので電車で通える所を新聞で探した。大名古屋ビルヂング内の有名な外国の電気メーカー会社がサイドビジネスで外国語の教材を売る販売員を大量に募集していた。説明会に行こうと思い参加した。大学へ通っていたルートで私は仕事を求めて向っている。水兵さんの服を着たナナちゃん人形を過ぎ、その会社が借りた名古屋駅近くの会場に着いた。そこにはすでに50人ほどいた。説明によると主な仕事は会社が用意した名簿の人達に電話を掛け英語、ドイツ語、フランス語、スペイン語、ポルトガル語、ロシア語、中国語、韓国語の修得に興味がないか尋ねる。あるようだったら直接会う約束をして教材の説明をし、売るという仕事だった。社員さんはとても親切だし、新事業なので多くの人材が欲しいらしく誰でも採用だったので、やってみようと思った。
次の日、会社へ行くと昨日は50人以上も参加していたのに実際きたのは私も含め四人だけだった。それに部屋も広くなく四人と社員10人程で丁度いい広さだった。本当に50人みんなきてしまったら、身動きがとれなかっただろう。その日に知ったことは完全歩合制で交通費もでないと言うことだった。でも一度でも契約に結びつけば社員になることができ毎月給料が入ると言われた。そして早速、仕事に取りかかった。
その日は、名古屋市内の少し古い高校名簿を渡され初めのページから電話して勧誘するように言われた。何を言うか書かれた紙を渡された。午前中はギコチナク電話をした。もちろん、電話の相手から、いい返事など貰えず終わった。昼食後は教材の説明を受けた。教材は英語のみで他の言語のものはまだ完成していないと説明があった。次の日もまた次の日も
私は色んな名簿を渡されロボットみたいに電話を掛けた。
仕事を始めて1週間程するとフランス語に興味のある人が会ってくれることになった。私と社員さんの二人で対応した。入口近くのカウンターで客を待った。客は三人でみえた。まだ高校生の男の子達で、フランス語を習いたいと言った。私は困った。フランス語の教材はないからだ。すると社員さんがマニュアルでもあるかのように
「フランス語を覚える前に世界共通語である英語を習得した方がいい」と言いだし英語教材の説明を始めた。私は横で聞いていた。10分ほど話していると彼らの一人が、「僕たちはフランス語を習いたいんです」と言った。私も彼らにフランス語を習って欲しかった。彼らは当たり前のことを言っているのに、この社員さんは何を言っているのか分からないと思った。英語なら高校で習っているだろう。そして彼らは帰って行った。
次の日、また私はお客さんと会う約束が取れた。今度は英語。聞いたことのある大きな会社の役員という彼は社員教育のため英語の教材を探しているそうだ。今度は前回より年配の少し偉い社員さんと二人で同じカウンター対応した。
約束の時間に小柄で60代の高級そうなスーツ、中折れ帽を身につけた紳士が現れた。私が電話対応した人物だとわかると、
「こんなにお若い人とは」と驚いてから上品に帽子を取り、頭をさげた。私は電話で話した内容を彼に話した。その後は社員さんが説明した。紳士は「会社に戻り検討します」と言い帰って行った。
でも結局、いい返事は貰えなかった。
私はもう10日もただ働きで交通費も貰えていない。それに販売している英語教材にも魅力が感じられない。そして一緒に入った三人も知らない間に何も言わず、いなくなっていた。そして私も次の日からは行くのを止めた。
またプー太郎(就労可能な年齢にありながら学校へも通わず仕事もしないで家にいる比較的若い子の呼び名)になっていた10月の半ば頃、父が、
「新しいコンビニができるから少し働いてみるか?」と言った。
「いいよ」と答えた。そして父の運転する車で面接へ行った。採用されコンビニで働くことが決まった。3kmの距離を自転車で通い平日週5日、8時から16時まで働くことになった。
コンビニでは主に私より1時間遅れて週5日、9時から17時まで働く中卒の15歳のミキちゃんと、9時から15時まで週4日働く主婦の森田さんと三人で働いた。オーナーや店長も時々同じ時間帯で働いた。私達の仕事は午前中は駐車場掃除、客対応より業者からの商品の受取り陳列するのが主な仕事。午後からは客がなければ暇で置いてある雑誌を読んだり、ミキちゃん、森田さんと雑談したりして楽しんだ。年の離れた三人だけれど、よくしゃべる二人だったので私はいつも聞き役に勤めうまくやっていた。ミキちゃんは六人兄弟の五番目で下の妹はまだ小学生。上の四人の内、二人はミキちゃんと同じ中卒で兄二人は進学校に行き一人は国立大学生と話した。「うちは兄弟で頭のでき違うのよね。私は勉強嫌いでパーだし高校へ行ってもやりたいことないし早く働きたいと思ったよ」とアッケラカンと話す。ミキちゃんは素直で話がおもしろく仕事の覚えも私より早いくらい。高校くらいは出ないと、どうするんじゃとその頃、世間一般で言われていたことは何だったのだろうと思った。大学中退の私とミキちゃんの違
いは少なくともここでは感じられない。 森田さんは私と同じ山吹高校を卒業後、就職をして22歳でお見合い結婚して小学3年生の娘さんがいると話した。姑と同居で家にいたくなくて働きにでたと話した。とてもさっぱりした性格で化粧は濃く色っぽい人。
働いて1か月ほどたった頃、オーナーが私とミキちゃんに採用した理由を話した。ミキちゃんは家が近くて土日もきて貰える日があったからで、森田さんはオーナーに好みだったらしい。私は面接に父親が送ってきたので信頼できると話した。コンビニでバイトするのにも私は父の助けがいるんだと思い情けなかった。
そして、その頃父が私に「この試験を受けてみないか?」と言って小中学校事務職員採用の募集用紙を見せた。去年の合格率は10倍と、とても高い。受かる気はしないけれど、試験内容が高校卒業程度だったので「いいよ」と返事をした。そしてその仕事は従兄弟の亜美ちゃんが結婚前までしていた仕事。亜美ちゃんは仕事帰りにピアノやテニスなど、いつも習い事をしていたし、よく旅行もして楽しそうだったことを思い出した。公務員は世間体もいいし、受かれば自信がついて前向きな気持ちになれるかもしれないと思った。試験勉強はコンビニの仕事の休憩時間、家に帰ってからと土日の休み
に本屋で買った公務員初級試験攻略本をひたすら解いた。久しぶりの勉強は頭がすっきりする。私は勉強が嫌いではない。12月、一次試験の日。筆記問題、簡単な小論文、その後、心療内科で受けたテストと同じ実のなる木を描くテストとロールシャッハテストをやった。みんなそれ程難しくなかった。でも採用は10人なのに教室三つ分の人が受験している。狭き門。
1週間経ち結果が郵送できた。合格。とても驚いた。父も母も祖父も喜んでくれた。
祖父は「大学の薬学部より公務員の方がいい」とまで言っていた。
2週間後の面接試験には高校の卒業証明書、内申書が必要だったので、高校に連絡して取りに行った。私には高校卒業から大きな変化があり色んなことがあったのに卒業してから2年しか経っていないので、担任だった先生はまだ高校にみえた。先生は2年間、職員室のその席から動かず座っていたのかと思えた。
先生は私が大学を辞めたことは知らなかった様子で告げると少し渋い顔をした。でも4月から学校の事務職員として働けるよう試験を受けていると話すと、
「狭き門をよく受かった。すばらしい」と喜んでくれた。私は事務の仕事をしたかった訳ではないけれど、何もできないのに大きな口は叩けないと思っていた。このままコンビニで働くよりは、いいだろうと思っていた。運良く合格できいいチャンスを得られたと思っていた。
勉強漬け生活が一変して面接の日まで平日はバイトに行き帰ってからは特に何もしないで過した。この極端さが私の欠点かも知れない。何でもホドホドが大切なのかも知れない。私には難しい。
面接試験の勉強は何もしなかったと言うか、する必要性に気付けなかった。随分後から公務員面接試験の攻略本もあったことを知った。学校に通わず受験した私には必要だったはず。大学やバイトの面接とは違い正式な就職面接では事細かな決まりがある。
ただ父から「面接は顔出すだけでみんな受かる」と聞いていたし去年も面接で落ちた人は誰もいなかったので、安易に考えていた。
面接の日、一次試験と同じ会場に行き、面接が行われる部屋の前の廊下に用意された椅子に座った。私を含め丁度10人揃った。そして自分の名が呼ばれるのを待った。私は2番目だった。
「一斤染さんどうぞ」と呼ばれノックを二回して入った。(三回が正解だったらしい)椅子の横に立ち「腰掛けて下さい」と言われたので鞄をかかえ座った。(鞄は横に置くのが正解らしい)本当は、ここで自分の名前とよろしくお願いしますと完全に言い終わってから頭を下げ座るのが正解だったようだ。面接には細かい決まりがある。「自己紹介を簡単にしてください」と言われた。
「一斤染信実です。山吹高校出身です」とだけしか言えなかった。大学を辞めた理由を訊かれるのだろうと思いとても緊張してきた。
しかし面接官はこんな感じの質問をした。
「今朝の新聞に大きくトルコ地震の記事が出ていましたが読まれましたか?」テレビ欄と四コマ漫画しか読んでないのに思わず「はい」と言ってしまった。そして次に「日本の自衛隊はトルコに援助に行きましたか?」と訊いてきた。しばらく沈黙してから「分かりません」と答えた。
読んだのに分からないとは矛盾している。失敗。試験官は難しい顔になっていた。それから簡単な質問が二,三あり「以上です」と言われ私は頭を下げ面接室から出た。結局、大学に関することは何も訊かれなかった。
10人の面接が終わり、出口近くのロビーに集まり10人で少し会話をした。高卒の人より4年大学出身の人の方が多くて驚いた。私も大学名を訊かれたのでM大学を中退していると話した。
面接試験の2日後の夕方に父宛に電話があった。県会議委員の土器昇さんからだった。そして父はその内容を私に話した。
私の面接試験を父が土器昇さんに頼んだと言うことだった。そして彼は面接試験の前に知り合いの試験官の一人に頼む予定だったのに忘れてしまい試験後に電話で頼んだ所、私の面接態度が一番悪いけれど土器先生のお知り合いなので合格にしますという話だった。態度が悪いのには心当たりがある。新聞を読んでないだけでなく読んだと嘘をついたことだ。でもどうしてアメリカ旅行に続いてまたも土器昇さんの名前が出で来るのか意味がわからない。亜美ちゃんの結婚式で会っているはずだけれど私は彼の顔すら覚えていない。選挙ポスターで見ているかも知れないけれど、まだ選挙権が20歳か
らの頃なので私は彼が当選した際には選挙権はなく投票していなので覚えていない。それに私は新聞さえよく読まない人間なのだ。
父に「どうしてそんな事をするの。私がその仕事にふさわしくないなら落とせばいいでしょう。余計なことはしないで」と怒った。すると父が「頼むことは誰でもしている。亜美は短大の合格も事務職員は一次試験から頼んだ」と言い切った。
亜美ちゃんの事務職員の話は小学生の時、私は聞いたことがあることを思い出した。小学生の私が充分に理解していたとは思えないけれど何となく彼らの行動は悪いことに思え、また彼らにとっても良くない事だと感じた。私はそうなりたくないと思った事を急に思い出した。まさか短大までとは知らなかった。裏口入学。信じられない。そして私は「亜美ちゃんは高校も裏口入学なの?」と訊いた。
父は「高校は違う」と言った。「じゃ私も大学裏口入学なの?」
とニック先生がM大学の下村教授と友達だったことを思い出して訊いた。次々と頭の奥の抽斗から記憶がでてくる。
「馬鹿言え。ちがう」と言った。どちらが馬鹿なのだろう。馬鹿と言う方が馬鹿。もう滅茶苦茶。
「不合格でいい」と言うと、
「就職はみんな誰かの縁故でするものや」と言った。
「いくら渡したの?」と聞くと、
「ネクタイピンとウヰスキーだけや」と言った。菰野屋の伯父さんが選んだネクタイピンだ。
「私が合格すると誰か落ちるの?」と訊くと、「みんな合格になった」と言った。
そこで私は諦めてしまった。何に対しても逆らえない。親として合格して欲しいならば政治家に頼むより面接の仕方を教えるべきではないかと思った。そして自分は余りに無力でとても淋しい気持ちになった。
子供と大人の違い。子供はいろんなことを考え、それに則ったルールにしたがった方がうまく進み、大人はその時、その時々で臨機応変にした方がうまく進む。そして子供は可笑しな事を言い、大人は可笑しな事をする。裸の王様。私も否応なしに大人になる。でも春からの新しい生活のことを考えると楽しくない訳ではなかった。
結局、私は一貫性がなくいい加減。




