3 教室とアメリカ
9月になり学校が再開した、受験生の独特のピリピリ感はなく何も変わらない教室。進学校とは名ばかりで本気で勉強 している生徒は、わずかのようだった。私のテストの結果から判するならば、私は辛うじてその中に入っていたと思う。
雲が薄い膜になり秋のよく晴れた昼休みに教室に一人でいるとクラスメイトの蜜が話しかけてきた。 「来年の夏に私の近所の英語教室の先生が主催するアメリカ旅行に3週間一緒にいかない?」と訊いてきた。 蜜とは特別仲が良いわけでもなく3年生になって初めて存在を知った友達だった。でも高校3年生になった4月に席が隣でアメリカの話をしたことを思い出した。だから蜜は誘ってくれたのだろうなと思った。 「行けたら、 いいね。親と相談してみる」と答えた。
蜜は「この話は誰にも言わないで」と最後に付け加えた。私一人に声を掛けているのだろうか? と不思議に思ったが明 るい蜜に誘われて嬉しかった。
良いことか悪いことかは別として私は自分の思い道理にするために努力するタイプだと思っている。まずアメリカへは 小さな頃から、とても行きたかった。アメリカの印象は広くて自由でかっこいい。次に今の場所から逃げたかった。受験 勉強も行き詰まり何か頑張れる理由も欲しかったし、こんなに簡単に自分のことを誰も知らない所へ行けるなんて、すごいと思えた。そしてこの楽な選択は自分の今までの生き方には反するけれど、とにかく何処かへ逃げたかった。 家に帰ると私は親に、「クラスの友達が夏のアメリカ旅行に誘ってくれた。私も行きたい。絶対国公立大学に受かるよう勉強するし駄目なら 短大にするから」と頼み込んだ、私にかなり甘い父は、 「その英語教室の先生に会ってみよう」と言った。
次の日。教室で二人きりの時、蜜に親からOKが出たと話した。まずその英語の先生からの話を聞いてから決める事となった。
その英語教室は蜜の家と同じ街に存在し私の家から車で30分程離れた場所にあった。母は車の免許を持っていないので父と二 人でその場所に行った。私は秋らしいボルドーのトレーナーと芥子色の当時流行のもんぺのような服装で出掛けた。 英語教室は淋しい商店街の間の中に入り薬屋の奥にあった。ニックと名乗る英語教室の先生に案内されて薬屋の中を進み中庭に建てられた可愛い丸太小屋の中に入った。英語教室のために建てたと彼は言った。ニックという名だけれど彼はどこか ら見てもかっこいい日本人だった。ここのわすれな草薬局は奥さんの実家だと彼は話した。奥さんが現れて挨拶をした。彼女は大都会が似合いそうなきれいな人だった。
父が山吹市からきたと話すとニック先生は、 「山吹市からの県会議員の土器昇さんを知っているか?」と訊いた。
父は「よく知っている」と言った。 今度はニック先生が「友達だ」と言った。
二人は共通の立派な知り合いを持ち、すっかり意気投合したようで私のアメリカ行きはトントン拍子に決まった。 ニック先生は日本の高校を卒業して親が田んぼを売って作ったお金でアメリカの大学に留学、アメリカで五年働いた後、帰国し名古屋で英語を数年教えた後、今は結婚してこの場所と山吹市に二つ英語教室を開いていると話した。
帰り際にニック先生が
「信実ちゃんは何処の大学を受けるのか?」と訊いた。私は何処の大学も学部も決められていないけれど、 「国立大学と愛知の薬科大を受けるつもりです」と答えた。こんな調子で私は何の努力もなしにアメリカへ行けそうになった。




