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17 8月3日(月)16日目

私の腕時計が8月2日午後12時59分から8月3日午前0時になった頃と言ってもアナログ腕時計に何の変化もないのだけれども・・・私はこんなことを口にした。しかも、きっと半径3m位は裕に聞こえるだろう大きな声で、

「信さんとキスしたい」周りの人達が驚いて一斉に笑った。一番驚いたのは私。しかしその時は本気でそう思ったと思う。

信さんが立ち上がり、こちらに向って歩きだした。みどりさんに席を替わるよう頼んで私の隣に座った。自分でも何が起きたのか分からないけど、周りの人に見られ聞かれ正に穴があったら一生入りたい気持ち。でも信さんが隣にきてくれたので心強い気がした。そして信さんは座ると、すぐさまこう言った。「信実ちゃんのお兄ちゃんどうしたの?」私は「どろぼう」と力なく答えた。

その答えは信さんにとって予想外のようで訊いてはいけないことを訊いてしまった時の顔になった。

私の考えなら、ある人に「どうしたの?」と尋ねて「どろぼうした」と答えられたら、いつ、何処で、何を、どうして、どのように、と5W1H、クエスションをするのではないか? と思うのに彼は、そのことについて何一つ言及しない。犯罪とは関わりたくなかったのか? それともコンビニで万引きのような大したこととは考えない正常バイアスが働いたのか? (正常バイアスとは危険な状況であっても、ちょっとした変化なら「日常のこと」として処理してしまう人間心理のこと)またはさらに追求することで私が傷つくと考えたのか? 

そもそも彼は、その質問に何を求めていたのだろう? 兄のことを知りたいのならば、初めに何歳なの? とか何をしているの? と訊くのではないだろうか? 彼はすでにそれは知っていたのだろうか? それよりも彼は兄が何をしたか? のみに興味があったのだろうか? 疑問符の数が増えていく。ローラースタンプが勝手にぐねぐね坂道をくだるみたい・・・とまれない。

私は誰にも話したことのない私の家の隠し事を口にしてしまった罪悪感から声が出なかった。そんな思いと信さんがこの先、私を助けてくれることになる期待の思いが私の汚れた心を二つに裂いた。この言葉を発する必要が、私にはあったのだと思えた。

二人の間で沈黙が続いた。彼は正しい言葉を見つけられないようだ。彼に嫌な事を聞かせてしまった。私は申し訳ない気持ちになる。このまま二人とも無言ではいけないような気がした。でも兄のことをこれ以上話すことはできない。彼のことを知ろうと思った。

「信さんは大学を卒業して保育士になろうと思う今年まで2年間どんな仕事をしていたの?」と訊いた。「色々したよ」が彼の返事。

「信実ちゃんはそれが知りたかったの?」と言ったので頷いた。

「どうしてドームの僕の部屋にきて訊かなかったの?」と言った。それには何も言えなかった。

その代わりに私は何故か京都女子短大受験の時の話をした。それはきっと彼が時々奇妙な関西弁アクセントで話すからだと思う。

「京都女子短大受験で京都へ行った時、試験の前日に路面電車に乗って私はハンカチを落としたのに気付かず降りようとしたら同じ電車に乗っていた男の人が拾って渡してくれたの。信さんだった?」

と言うと、その質問には答えず彼は、「僕が通っていた大学とその短大は姉妹大学だよ」と話した。

「信実ちゃんは、その短大に行けば良かったのに」と言った。

本当はそうするはずだった私は、

「そうすればよかった」と言った。彼は悲しそうな顔になった。次に私はこんな話をした。

「中学3年の秋、台風で堤防が壊れて川の水がすごい速さで動いて私の家まで、きてしまってね」と話すと同じ市内に住む彼は、

「その水害は覚えている」と言った。「でね。その時、私の家には私と避難してきた近所の年下の女の子と彼女の柴犬とその犬の生まれたばかりの子犬2匹しかいなくて、私の家の前に住む人の知り合いの人達が助けにきてくれたの。そして、とうとう水嵩が増えてきて逃げたの。その時、その知り合いの中に知らない高校生の男の人がいて、母犬を抱えてくれて子犬2匹を両腕に抱えた私を隣で支

えて腰までの泥水の中、一緒に歩いてくれたの。それは信さん?」

と話すと彼は頷いた。彼と何処かで接触したと思った奇妙な考えが良い結果で解けたとその時は本気で思った。

私は中学生になった頃から心に思うことを素直に言えなくなっていた。でも彼が聞いてくれ話せることの心地よさを感じて私は話すのをやめて、暗くなり静かになっていた機内で安堵し目を瞑った。80

 午前2時ハワイ空港に着いた。目を開けると横に信さんがいた。夢ではなかったようだ。でも冷静に考えて見ると信さんは水害の時、助けてくれた彼ではない。その彼の顔は思い出せないが年も違うし信さんではない。信さんの年が本当に25歳ならば水害当時、彼はもう大学生で京都にいたはず。彼ではない。でも今は信さんが隣に座っていてくれて嬉しか

った。

空港に着くと、満面の笑顔でレイを抱えたWanda先生が見えた。そして一人ずつレイを掛けてくれた。プルメリアの花のレイ。

その甘く華やかな香りは人を幸せにするパワーがあるそうだ。花言葉は明るいイメージのハワイには合わない内気な乙女。

それからハワイのホテルに向った。部屋は2人部屋で蜜と同じだった。みんなの希望を聞いてニック先生と涼さんが部屋割りを決めた。私は訊かれていないけれど・・・みどりさんは澪ちゃんと英ちゃんの希望で同じ部屋。最初、澪ちゃんと英ちゃんは私と同じ部屋を希望したのだけれど、飛行機内での出来事によって2人が希望を変えたと聞いた。残念に思

った。藍さんと紅ちゃん姉妹は同室。男の人達は3人同室。

空には日本で見るような欠けた半月、ホテルの部屋の中は薄暗い。そしてまだ私達は朝が来るまで寝られる。寝た。

 目が覚めた。部屋を見渡した。シングルベットが2つと大きなソファとテーブルが真ん中にあるリビングルーム、グリーンベースのトロピカル模様の壁の部屋。そしてバスタブ付きバスルーム、広いバルコニーが付いていた。

疲れ果て、沢山寝たので時間はもうすぐお昼の12時。蜜は隣のベッドで爆睡中。羨ましいくらい無防備な素直な小さな子供のような寝顔。起こさないようにそっとトイレに行き少し身支度して部屋の外に出た。鍵は一つしかないので置いていくことにした。 

部屋は8階811号室。覚えておかないと戻れなくなる。 

廊下を歩いて窓を探した。見つけて外を見た。同じような建物が海の方まで続いていた。位置が悪いのか、その窓からは海は見えなかった。辺りをユラユラ歩いた。知っている人には誰にも会わなかった。予定では昼御飯はハワイの街で外食と聞いていたけれど、予定変更。みんな疲れてしまったのだろうと思った。私も体がだるく、お腹は相変わらず空いていないけれど、喉が渇き、ただ心地の良いソファに座りたかった。

食事のできるロビーに座っていたら、ホテルの人が近づいてきて何か食べるか訊いてきた。クロワッサンとココアを注文した。確か自分でクロワッサンを取りに行くのと注文し持ってきてもらうのでは値段が違い高くなってしまうけれど、座っていたかったから頼んでしまった。ココアとクロワッサンが運ばれてきて、ソファに深く座ってこぼさないようにお皿をもって食べた。皮がパリパリで中は何層にもなっていて美味しい。ココアはチョコレートを食べているようなとても濃く深い甘さだった。 

立ち上がってみると少し離れた所に藍さんと紅ちゃんと蜜が食べ始める所だった。近づいて同じテーブルに座らせてもらって3人が食べるのを静かに見ていた。食べ終わる頃ニック先生と涼さんがきた。「明日は何をしたい?」と訊いてきた。

ハワイでは蜜とバディを組んでスキューバダイビングをするのを楽しみにしていたはずなのに、もうどうでもよくなっていた。誰も何も言わないでいるとニック先生が、 「ウインドサーフィンでいい?」と訊いたので四人とも頷いた。

 食事の後はホテルから出てビーチまで涼さんも含めて五人で散歩した。ビーチとホテルは離れていてホテルの窓から海が見えるか微妙な位置だった。見えたらいいなと思った。

しばらく歩いてビーチに着いた。多くの人がいて半分くらいは日本人の顔をしていた。

一人の男の人と目があった。と言うより私を睨んでいる。背が高く肌がテカリのある群青色と黒の間の色で、青いショートパンツを履き、上半身は何も着てない20代半ばくらいに見える男の人が私を鋭く睨んでいる。彼の顔は紫根伯父さん(父の兄)にそっくりで彼と言ってもいいくらいだ。でも年も背格好も違う。第一、紫根伯父さんがハワイにいるわけがない。でも確かに紫根伯父さんそっくりの彼は両目から赤黒いレーザービームを出しているみたいに私を睨んでいる。私は目をゆっくり逸らし、みんなにホテルに戻ると告げて小走りでホテルを目指した。

 ホテルに着くと鍵を持っていないことに気付き、みどりさん達の部屋に入れてもらった。バルコニーに出て海が見えるか確認した。海まで連なっている建物の隙間から小さくエメラルドグリーンの海が見えた。バルコニーには斑な模ようの鳩たちが飛んできては少し休んで飛び立つを繰り返していた。心が清んでないと平和の象徴の真っ白い鳩は近づかないと聞いたことがある。この鳩たちは私の心が、わかるのだろうかと思った。

  


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