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第一章 1 結婚式と病院

数年前から、断捨離ブームが続いている。私は今54歳。昔々の物を整理しようと思い立ったのは七年前の47歳のとき。 マイホームを建ててから10年ほど経ったころ。我が家には、広いロフトがあり、そこに私の昔々の物がそっと置いてあ る。転勤族の我が家には中身をずっと見ていないのに四回の引っ越しの度に移動させていたトランクがある。今更ながら 見もしない物を引っ越しの度にどうして運んでいたのだろう? と不思議に思う。

それは小学生の時、お年玉で買ったパティ&ジミーのお気に入りのトランク。私の学生時代、生きていた証のような物が 入っていることは覚えている。

私はロフトに上がり、奥からそのトランクを引っ張り出した。そして、そっと銀色の金具を外し開けてみた。子供たち の夏休みがもうすぐ訪れる晴れた暑い平日の午後のことだった。

通知表、日記、友達からの手作りのマスコットや手紙、部活のユニホームが出てきた。そしてアメリカ旅行へ持っていっ たノートが出てきた。ツリーハウスに住む母親と息子と娘の絵が描かれてある色鮮やかな表紙のノート。大学生の時、大 学近くの雑貨屋で一目惚れして購入したノート。アメリカ旅行中にそのノートに日記を付けて帰国後、旅行記にまとめる つもりだったのに実現できなかったことを思い出した。ノートを開き読んでみた。

初めの方は大学生にしては幼い字で日記が書かれていた。途中から英語の勉強用のノートに変わってしまっていた。ア メリカで英語を習うためにノートが必要になり日記を書くのを止めてしまったことを思い出した。ノートをめくっていく と、その旅行の日程表 (itinerary) が挟まっていた。

そのノートとitineraryと記憶を頼りに実現できなかった何かを言葉にしてみよう。口から出る言葉は取り返しがつかない 。じっくり考えて言葉を文章にしてみよう。文章は独り言。


これは私、信実に起こった約30年間の話。30年が長いか短いかは時間の長さ、つまり物理的な問題ではなく個人の 感覚の問題。30年前、私は高校2年生だった。私の家族は公務員の父、専業主婦の母、2歳上の専門学生の兄、祖父、私の五人で、 三重県山吹市(架空の市)に住んでいた。今流行りの古民家喫茶を開いたら素敵だろなと思える広い土間のある玄関、黑 <太い柱と梁がふんだんに使用されている大きな家に住んでいた。

永遠に続くと思われていた昭和が終わる少し前、高校3年生になったばかりの私は、従兄弟の紫根亜美ちゃんの結婚式 に出席した。彼女はお見合い結婚だった。

私の父の兄(紫根伯父さん)の一人娘の亜美ちゃんは私より12歳年上で同じ山吹市内に住み、私の母の友達の紹介で 私の家でお見合いをして結婚に至った。そんな訳でお見合いの日に、私はお婿さんに亜美ちゃんより10分程、早く会っ ている。

9月の爽やかな秋風が吹く日曜日の午後、亜美ちゃんの見合い相手、貢さんは私が高校2年生の時、紺色のスーツ、紺 色のネクタイ姿で私の家の玄関の前に真っ直ぐ立っていた。その日、私は部活後、友達ルイと私の家で遊ぶことになって いた。私達は、

「こんにちは!」

と大きな声で挨拶をして彼の横をすり抜けて玄関から入った。彼は少し驚いて照れくさそうに笑って小声で、

「こんにちは」

と言い丁寧に頭を下げた。それが彼との初対面。母からその日は亜美ちゃんのお見合いを私の家ですると聞いていたこと を思い出した。私達は二階の私の部屋に行きルイにお見合いのことを話した。

ルイは、「えっ! お相手さん数学の高山先生にそっくり。やだっ」 と笑った。確かによく似ていた。そして二人で大笑いした。

亜美ちゃんも間もなくきて私の部屋のすぐ下のあまり使われていない洋風リビングでお見合いが始まったようだ。私たちも美味しいモンブランにありつけた。

亜美ちゃんは地元の公立短大を卒業して小学校の事務をしている。テニス、スキーが好きな行動派。その日はサテンの草色のワンピースを着ていた。お見合い回数はもう10回は超している。私の家では初めて。綺麗な服が着られてケーキが食べられてお見合いは、いいなぁと思った。

数日後、母が貢さんを紹介してくれた村神さんと電話を楽しそうにしている。いい話のようだ。でも私は、なんと 貢さんは制服姿の高校2年生の私を気に入ったのではと思った。

そんな感じで今回はトントン拍子で結婚まで行きそうだった。亜美ちゃんは仕事帰りに私の家に寄ることが多くなった。29歳の亜美ちゃんは今ではあまり皆、気にしないけれど30歳までに結婚したい気持ちと公務員として9年働い て、もう1年働けば一生厚生年金が多く貰える所で悩んでいるようだった。現在とは年金給付の仕組みが異なっていた。

貢さんは転勤族。その時の仕事は横浜だったため結婚退職しなくてはいけないからだ。お見合い結婚は冷静に駆け引きが大切。

迷った挙げ句、亜美ちゃんは次の年の3月末に仕事を辞めて貢さんと4月に結婚することを決めた。 それがこの話の始まりの私が出席した結婚式。

4月のよく晴れた日曜日、結婚式と披露宴は私の自宅から歩いてでも行ける農協のホールで行われた。 父は八人兄弟。そんな訳で私には従兄弟が多い。会ったこともない従兄弟もいる。でも本家の紫根家の結婚式には 亜美ちゃんの伯父、伯母に加え、従兄弟が各家から一人ずつ招待されていた。私は同い年の従兄弟二人に会いたくて親にせがんで長男の兄を差し置いて出席した。会いたい従兄弟の一人は東京、もう一人は名古屋に住んでいる都会っ子。小 頃は、もし私が津市に住んでいたら私たち従兄弟は日本の三大都市を制覇できるのにと考えていた。まだ大阪、横浜 、京都などの大都市の存在を知らない頃、私にとって津市は時々行ける大都会だった。披露宴の内容はよく覚えていないけれど、お婿さんの友達が吉本風の劇で笑いをとっていた気がする。とにかく私たち は久しぶりに三人揃って会えたのでよく食べて、よくお喋りして楽しんでいた。残念なことは亜美ちゃんのウエディング ドレス姿はメガゴジラみたいだったこと。それは亜美ちゃんが悪いのではなく美容師さんが下手だと思った。田舎の美容 師さんがお化粧をしたので肌は真っ白で口紅、頬紅全て濃くて亜美ちゃんが可愛そうだった。 その他、覚えていることは二つ。

花婿、花嫁の両脇の仲人席にこの縁を取り持った母の友達、村神夫婦ではなく県会議員夫婦が座っていたこと。土器昇 さんと言う山吹市からの県議だと披露宴で挨拶していた。私もよく知っている村神夫妻が仲人をするとばかり思っていた ので少し残念に思った。

もう一つは披露宴がちょうど終わる頃、母が会場の案内係に呼び出されて電話に出たこと。まだ携帯電話が普及してい ない頃、電話の子機が派手な蝶ネクタイをした案内係から母に渡された。電話は病院からで兄が気分が悪くなり運ばれて いると言うことだった。父と母は病院へ急いで行ったこと。どうして気分が悪くなったかは私には教えてもらえなかった

三人が家に帰ってきて母が言ったことは、

「由彦(兄)を結婚式に出席させれば良かった」(私ではなくて)だった。何年か後に兄が病院に運ばれた原因らしき事 を私は知ることになる。

数日後、結婚式の写真が送られてきた。みんな真っ直ぐ立ち真剣な顔つきで一枚の大きな写真に収まっていた。私は可 愛いピンクのスーツを着て少し淋しい顔をしていた。

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