ギムの過去
「足りない」
ギムが頬を膨らませてこちらを睨む。
俺がテーブルにぶちまけた所持金はおよそ千八百クロンだった。
どう頑張ってもあと二百クロンほど足りない。
どこでどう計算を間違えたのか分からないが、少なくとも俺の頭が良くないということだけは、(分かりたくもないが)よく分かる。
「足りない」
「何度も言われなくても分かってる。俺自身、どうやってこれで生活しようとしていたのか分からんくらいだ」
「足りない」
「まけてくれよ。サービスってやつだ」
「大サービス、した」
「もっとだ。頼む」
俺は手を合わせて懇願する。ないものはないんだから仕方ない。というか所持金を全部取られたら今晩からどうやって生活していけばいいんだ?
ギムは「む〜〜〜〜」と言いながらひとしきり俺を睨んだ後、スッと真顔になって目を閉じた。
「第十七節、勤勉は、赦しを生む」
と何やら唱え始める。なにかの教えだろうか。
「ギム様、許す。ただし、ここで勤勉に働くこと」
「教会で?」
「信者だから、当然。寝食も、教会」
どうやら寝床と飯まで与えてくれるらしい。今まで見知らぬ人の民家や安宿で泊まっていたから、これは嬉しい誤算だ。
もしやこの女、実はマジで神か?
働くといってもやることは大したことじゃなかった。掃除、洗濯、食事の準備。これだけだ。
教祖様の指示を一通り聞いた後、俺はもう一人の住人に話を聞きに行くことにした。
全身真っ白の服を着たじいさんだ。
教会の奥にある一室で横になっていた。俺が部屋に入ると、横目でこちらをちらりと見た。
どうやら腰だけじゃなく首も動かんらしい。
俺は近くにあった椅子をベッドの横に持ってきて腰掛ける。
「おお、あんたか。助けてくれたようで、感謝しておる」
「いや、いいですよ。身体は大丈夫ですか?」
「なんとかなっておる。命があるだけマシじゃ」
「早く良くなることを祈っています。で、それよりちょっと話があって」
「話? なんじゃ」
じいさんは話すのも辛そうだ。おそらくクルジ殿みたいな芝居もしていないだろう。俺はさっそく用件を口に出した。
「あなた、ギムにどういう教育をしたんですか? 自分のことを神だとか言ってますけど」
言うと、じいさんは咳き込んだ。
俺のしたかった話というのは、ただの文句だ。自分の見た夢を盲信しているなんて、狂っているとしか言いようがない。
「聞いたのかい」
「たっぷりと。有料のスープを飲まされながらね」
「あんたがどこからどこまで聞いておるのか知らんが、わしは教育なぞしとらん。そもそも、ギムがこの教会に来たのは、半年ほど前じゃ」
「え? ギムはあなたの娘かなにかじゃないのですか?」
俺はてっきり、ギムはこの教会で生まれ育ったものだと思っていた。
「半年ほど前のある日、教会の前で倒れておった。それを拾ってやったのがわしじゃ」
「なんでギムはここで暮らしてるんです? いや、その前にあなたは何者なんですか?」
「わしは見ての通り、ここの神父じゃよ。トマケという名を持つ」
「何教の?」
「ブッダスラスト教じゃ」
世界で一番有名で、一番信者が多い宗教だ。宗教なんて縁遠い俺でも名前だけは知っている。
つまりこの神父はギム教ではないらしい。まあ今のところ俺一人しか信者がいないんだから、当然といえば当然である。いやそもそも俺も、心の中では信者ではないのだが。
「ギムは記憶がなかった。今でも教会の前で倒れていた日より前の記憶がない。覚えていたのは名前だけ。だから世話してやってるのじゃ」
「自分のことを神とか言ってるが、あれはなんです?」
「ずっと言っておるよ。教会に来たその日から。そういう神託を受けたとか」
「夢でしょう」
「もしくは作り話か。しかしそれを否定して何になる? かわいいもんじゃろ」
「無理やり信者にされたんですけど」
言うと、神父の爺さんは咳き込みながら笑った。
「なぜじゃ?」
「出されたスープを飲んでいたら急に有料って言い出してふっかけられたんですよ。入信するなら安くするって言われて、仕方なく第一号信者になりました」
「信者になって何をするんじゃ?」
「さあ……弱者を助けるとかなんとか言ってました」
神父はにこやかな顔で頷く。
「それはいいことじゃ」
「否定はしませんけどね。神を名乗る必要はないと思いますが」
「じゃが名乗ってもよい。結局善行になるのじゃから」
「信者に金や労働を要求することは善行ですか?」
「労働?」
「スープ代が手持ちの金で払えなかったんで、ここの教会の掃除やらなにやらを強制されたんです。ああ、あとこの教会で住むことになりました」
「それは助かる。ピカピカにしとくれよ」
俺は眉をひそめた。目の前の神父が能天気に思えてくる
「何言ってるんです? この教会はあなたのものでしょう。乗っ取られそうになってるんですよ。助けた女の子に」
「別にわしのものじゃありゃせん。誰かを助けるためなら、誰が使っても良い」
「別の宗教でも?」
「もちろん。それに、ギムには少し期待しておる」
不思議なことを言い始めた。期待だと?
「なぜです」
「リューゲンという男がおる。あんたも見たじゃろ。ギムを連れていこうとしとった」
「その男なら、貴族の中でも嫌われてるって噂を聞きました」
「あれは酷い男じゃ。ギムが教会に来た翌日、ギムがリューゲンを見て、言ったんじゃ。すごい邪気を感じるって」
「それが?」
「一目見ただけでそんなこと分かるかえ?」
「記憶を失う前になにかあったんじゃないんですか?」
「二人ともそんな感じはせんかった。それにもう一つ」
神父が横目で俺を見た。
「あんたがやってきた」
「俺?」
「変な力を持った少年。あんたが加わった」
「無理やり加えられたんです」
「そうかい? 出されたスープが有料と分かったら逃げればいいんじゃないかい? あんた程の力があれば逃げられるじゃろう」
「神父が言うセリフに聞こえませんね」
とは言いながらも、それは俺自身思っていたことだった。
あんな理不尽な要求を飲む必要などない。突っぱねてしまえばいいし、神父の言う通り逃げればよかった。
だが逃げなかった。
「ギムが気に入ったんじゃろう、第一号信者君」
神父は微笑んだ。何もかもを見透かしたようなその笑みに少々腹が立つ。
そして言い返せないのもまた腹が立つ。
「いいじゃないか。何か悪いことがあるわけでもないのじゃから」
それはまあそうだ。掃除洗濯炊事さえすれば、寝泊まりできる上に食事もできる。そしてギムが近くにいる。
とはいえ俺とギムの間柄はただの教祖と信者だし、嫁探しにやってきた俺の目的からは遠のいている。こんなことをしていていいのだろうか。
「そこに水があるじゃろ。飲ませてくれんか」
神父が言う。俺の右斜め後ろにある机の上には水差しとコップがあった。
「じいさんの介護はギム教の仕事に含まれてないんですが」
「そうかい。じゃあ今から追加しとくれ」
「ったく」
神に関わる連中ってのはみんな人遣いが荒いのだろうか。
水をやり終えると、神父が目を瞑った。眠くなったらしい。話したいことはあらかた話した俺は、椅子を戻して部屋を出ようとする。
すると、神父が呼び止めてきた。
「ギムは今どこにおる?」
「さあ。俺に仕事を押し付けてどこかへ行きましたよ」
「ほう。ではジャチャかのう」
「ジャチャ?」
「リューゲンの部下が管理しておる奴隷特区じゃよ」
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