説得
俺はコップに手を伸ばした。
が、コップに触れる直前でぴたりと手を止めた。
「どないしたんや」
ボスが俺を睨んでくる。
俺はスッと茶色いビンを指差した。
「あれはまだ中身があるか? あっちを飲みたい。もちろん無料で」
「なんやと?」
男たちが一斉にそのビンの方を見る。それからまた一斉に俺の方を向いた。
ボスが隣に座る男に、顎で指示した。指示を受けた男は軽く頷いて、ビンを手に取り、俺の前に差し出した。
俺はそのビンを手に取る。残りは三割くらい。蓋を開けるが、臭いはなかった。
俺はビンを掲げてボスに訊いた。
「ちょっとした賭けをしないか」
「はよ飲め」
「いいから聞けよ。今から俺がこれを一気に飲む。飲み終えることができたら、あんたがそこのコップに入った水を飲む。もしくは、俺の質問に全て正直に答える。どうだ?」
ボスの顔が歪んだ。思案しているようだが、おそらく答えは決まっている。
「ええやろ」
答えはこれしかない。
俺は軽く頷いて、瓶に口をつけずに液体を流し込んだ。
味は分からない。なぜなら『異次元緩和』能力を使って俺の体と液体が接触しないようにしているからだ。
そうしないと毒が体の中に取り込まれてしまう。
ビンが空になった。
俺は「ごちそうさん」と言ってビンをテーブルに置き、ボスに向かって微笑んだ。部屋の中が少々ざわつく。
「さあ、あんたはどうする?」
ボスはしばらく俺を睨んでいた。やはりボスだけあって、肝が据わっている。
一度、唾を飲んだのが分かった。それが合図だったのか、ボスは口を開いた。
「聞きたいことはなんや」
「ジャチャとはどういう場所なんだ?」
「貧民が集まる場所や」
「奴隷特区だと聞いているが」
「なんや、知っとるやないけ。今時奴隷なんて珍しくもないやろ」
「だが、みんな肌が褐色で、しかも女性ばかりだ」
「せやな」
「どこかから連れてきたんだろう? あるいは誘拐か」
「失礼やな。売り物を買うてるだけや」
人間が売り物である時点で変だと思うが。
そうして話をしていると、出入り口の方から口笛がした。痩せ気味の男が部屋の中に入ってくる。
「うぃ、戻りやした。あれ? 新人ですかい?」
呑気というか、陽気というか、能天気というか。痩せ気味男は俺を新人だと勘違いしたらしい。
「いやあ、ついにオレっちにも後輩が出来たかあ」
一人でよく喋る男だ。そして内容を聞いている限りだと、一番下っ端らしい。
「おおドックミン。お前、喉渇いてへんか?」
「うぃ、渇いてまっさあ」
「せやったらそこの水飲んでええぞ」
ボスが顎で指し示したのは、俺の目の前にあるコップだ。俺の見立てでは、おそらく毒が入っているはず。
「うぃ、ありがたく頂戴いたしまっさあ」
ドックミンとかいう男はヘラヘラ笑いながらコップを手に取り、水を一気飲みした。
が、次の瞬間。
「うぐっ……ガバっ……うぃ……」
と口から涎を垂らしながら、全身痙攣させてその場に倒れた。
彼はしばらく痙攣していたが、やがて動かなくなる。死んだらしい。
マジか、と俺は思った。気を抜いて能力を解除してしまうと、俺も同じ目に遭うことになる。排泄されるまでどれくらいの時間が必要だったっけなあ。
「ほんで、なんでか猛毒が効かん兄ちゃん、質問は終わりか?」
部下が目の前で死んだというのに、ボスは飄々としていた。他の男たちは口をあんぐりと開けて呆然としているのに。
「この奴隷特区にはリューゲンが関わっていると聞いている」
「ああ」
「どう関わっているんだ?」
「俺たちはリューゲンに金で雇われとるんや」
「なんのためにこんな奴隷が必要なんだ?」
「それは知らんな」
「知らない訳ないだろ」
「知らんもんは知らんねん。奴隷の使い方なんて買う人間の勝手やろ」
「つまり売っているのか。誰に売ってるんだ」
「……」
「言え」
ボスは答えない。代わりに見回り男が、俺の右横から剣を突き刺してきた。今度は曲剣ではなく、直剣だ。
しかしもちろん『異次元緩和』能力を使用中の俺の首に当たる寸前で止まる。
イラっときた俺はその直剣の刃を押し除けて、見回りデブの顔にパンチをお見舞いする。
デブは顔面を歪ませて吹き飛んだ。
「何回やってんだアホ。そろそろ学習しろよ」
どこかで聞いたようなセリフを吐く。ボスがチッと舌打ちした。
俺はボスに向きなおって、テーブルを両手で叩いた。机の上に置いてあった硬貨が数枚、床に落ちて散らばった。
「言え」
「シュプロ」
「誰だその男は」
「女や」
「……女?」
「クルジの孫や」
「クルジって……長老の? でも孫はシンシアじゃ」
「孫って言うても、隠し子の子供やから表には知られてへん。せやけど今でもクルジはシュプロの面倒を見てるようや」
「シュプロはなんで奴隷を買ってるんだ?」
「詳しくは知らんけど、脅されてるって噂は聞いたことあるな」
「誰に脅されてるんだ」
「リューゲンや。クルジの孫を経由して奴隷を売買すれば、少なくともこのカルチアでは誰も奴を責められん。それどころか奴隷の出所も突き止めることは難しいやろな。クルジが勝手に口封じしてくれるやろうから」
えらく難しいことをやってるな。しかし、複雑なことをやっているからこそ、リューゲンは嫌われながらも力を持ち続けているのだろう。
奴隷に関してはなんとなく分かった。
次は、こいつらの番だ。
「お前らもリューゲンに脅されているんじゃないのか?」
言うと、ボスは頭を掻いた。
「もうええやろ。奴隷のことは全部話したんやから、帰ってくれや」
「いや、俺の頭の中のシナリオを成功に導くには必要な質問だ」
「お前のシナリオ?」
「ああ。神に好かれるためのシナリオ。っていうのは置いといて、何か脅されてこんなことしてるんじゃないのか? ただ金で雇われてるだけか?」
ボスは怪訝な顔をして、隣に座る男と目を合わせた。
話そうか迷っているようだ。
彼らは目だけで会話をしたのか、それとも結論が出なかったのか、ボスがまた口を開いた。
「脅されてるんとちゃう。ワシらは本来、死刑になる人間や。その刑を軽くする代わりにこうして危険な仕事をもらってるってわけや」
「なるほど、取引か。でもそれなら逃げ出したっていいし、リューゲンの言うことを聞く必要もないだろ?」
「何を言うてるんや。逃げ出してなんになる? ワシらは真っ当な仕事をして生活できるような人間とちゃうぞ。リューゲンの近くにおった方が、安全に危険な仕事ができる」
安全に危険な仕事ができるという言葉に、深い闇を感じる。
リューゲンの権力の強さがひしひしと伝わってくる。
シンシアが乗っ取られそうになっていると言っている意味がよく分かった。というかクルジの孫まで使われてるんだから、ほぼ乗っ取りに成功している気がする。
「でもいつまでもリューゲンの駒でいられるわけでもないだろう? いつかはリューゲンに消される可能性だってあるわけだ」
「そんなもん逃げたって一緒や。確かにワシらはたんまり金をもらっとるから、逃亡生活するだけの金はある。せやけどやっぱりどこかで限界はあるんや。リューゲンは何人もの部下や駒を抱えとる。いつかは殺されてまうわ」
「リューゲンが死んでも?」
「なんやと?」
ボスの目が鋭く俺を睨みつける。
「リューゲンが死んだら逃亡生活なんてしなくていいんじゃないのか?」
「あのなあ兄ちゃん、リューゲンを見たことあるか?」
「ああ。一回だけある」
「あいつは一人で行動してたか?」
「一人だったと思うが」
「それはちゃうで。遠くから何人も見張ってるんや。騎士、暗殺者、ワシらみたいな賊……。リューゲンに手を出そうとした瞬間、やられてまうで。それに、リューゲン自身も剣の腕前には確かなものがある」
俺は少しだけ安心した。
ボスはリューゲンのことを慕っているわけではない。無条件に服従しているわけではない。
リューゲンに刃向かうことを諦めているだけだ。
これなら、俺のシナリオが成功する可能性はある。
「だがーー」
俺はボスの目をまっすぐ見て言った。ボスの呆れたような目の奥の瞳に映っていた俺は、ニヤけているように見えた。
「俺には剣も毒も効かない」
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