確かに魅了魔法が使えますけれど
「エメルダ・アンダーソン。お前との婚約を破棄する!」
これが例えば学院の卒業パーティーだとか、王国建国祭だとか、そういったものであったならもっと大変な事になっていたかもしれない、と思える宣言をかましたのはこの国の四大公爵家の一つ、ホローディムレット家長男、サイラスであった。
とはいえ、そんな大きな催しの中での宣言ではなかったとはいえ、学院の食堂で言うべき言葉ではない。
現にそんな宣言をされたせいで、周囲は「え? 何事?」とばかりに静まり返ってしまっている。
言われた当の本人でもあるご令嬢――エメルダもぱちくりとその大きな瞳を瞬かせていた。
その両隣に座っている彼女の友人も「え? 何言ってるのこの人」と言い出しそうな顔をしたままサイラスを見ていた。
淑女教育の賜物なのか、そんなきょとんとした状態でも優雅さが漂ってるのが凄い。
「また随分と唐突ですけれど……一体どうして、とお伺いしても?」
エメルダとてまさか昼食時にいきなりこんな宣言をされるとは思ってもみなかった。そもそもサイラスとは確かに婚約しているけれど、仲は可もなく不可もなくといったところだ。アンダーソン家は侯爵家であり、公爵家のホローディムレット家とは昔ながらの付き合いもあり、親同士の交流がある。そこで子供が生まれて男女だったら婚約させましょうか、という流れになってとりあえず家の繋がりを考えて不都合もないし、親同士が言ってたように生まれたのがサイラスとエメルダだったために婚約させたに過ぎない。
半分は政略も混じっているが、完全な政略というわけでもない。とはいえ、そういった婚約は貴族の間では割とよくある話でもあるので別におかしなものでもなかった。
そんなわけで婚約といっても昔から家族のような付き合いをしてきたので恋愛とかそういった感情が芽生える事はなかったけれど、お互い不満はなかったはずなのだ。少なくともエメルダにはなかった。
だがしかし、サイラスにはあったのだろう。でなければこんなところで大々的に宣言するはずもない。
知らないうちに何か、彼の事をそうまで追い詰めるような事をしただろうか?
自覚はないが、無自覚にやらかす事だってあるだろう。だからこそエメルダは理由くらいは聞いておこうと思い口を開いた。
「お前が人の気持ちを弄ぶような奴だと思わなかった! どうして、どうして魅了魔法なんて使ったんだ!!」
ざわり、とその時周囲で聞いていた者たちが騒めいた。
かつて、この国を、いや、世界を統べていたのは偉大なる魔法使いたちであったと言われている。
そしてそんな彼らの子孫が王であり貴族である。
故に王族や貴族は魔法が使えるのが当たり前であった。ごくまれに平民の中にも魔法が使える者が現れるが、そういった者たちの過去のルーツを探ってみれば出奔した貴族だとかの血筋が混じっている事もあるし、うっかり貴族が平民に手を付けて生まれた子供であったなどという事もある。
魔法は扱い方を間違えればとんでもない事になるので、ある程度の年齢になるとそれらの扱いを学ばなければならない。それが、この学院の役割でもあった。大半は貴族たちが通うので、魔法の扱い以外も学ぶけれどメインはあくまでも魔法関連だ。
魔法が使えるからといっても、なんでもかんでも使えるわけではない。
魔力には波長があって、それにより得意不得意が決まるといってもいい。
火属性が得意な者、水属性が得意な者、といった具合に得意な属性があり、苦手な属性は頑張っても発動しない事がほとんどだし、それでも更に無茶をすれば暴発して自分や周囲の者が怪我をするので大抵は得意な属性の魔法を伸ばす方向性で学んでいる。
そんな中でも魅了魔法というのは少し他の魔法との扱いが違っている。
何せ言葉の通り魅了するわけで。
そんなのをそこらで後先考えずに使えばとんでもない事になる。
だからこそ、そういった一部特殊な魔法が得意な者たちは場合によってはその力を抑える魔道具を身に着けなければならなかったり、場合によってはその能力を封印されて許可が出た時にしか使えない、という事もあるのだ。
魅了魔法、と言われて周囲が騒めいたのはまぁ、当然の反応なのだけれど。
「あの、エメルダ様は魅了魔法とか使えないはずでは?」
「えぇ、わたくしが得意なのは水魔法ですわ。特に雨を降らせるのが得意ですので、夏に水不足になる地域で使っておりますの」
「魅了魔法は使えませんよね……」
「えぇ、それは勿論」
両隣の友人に声をかけられたのでエメルダは素直にそう答える。
魅了魔法なんてエメルダは使えない。使えるわけがないのだ。たった今言った通り、エメルダが使えるのは水属性の魔法であり、その中でも得意なのは雨を降らせるものだ。領地の中でも水不足に陥りやすい所でよく使っている。領地以外でも場合によっては頼まれてそういった仕事として魔法を使う事があった。
魔法が使えるといっても、なんでもかんでも使えるわけじゃない。
ほとんどの者は得意な属性は一つだけだ。それ以外の属性魔法は使っても正直とてもしょぼいのと、あと魔力消費が半端ないので使うメリットがない。
長い歴史の中においては過去、複数の属性を使いこなす者がいたという話もあるが、それは偉大なる魔法使いの先祖返りと呼ばれている。そう簡単に出てくるものでもない。
エメルダの得意魔法については割と知られている。
何せ去年の夏は異常気象と言ってもいいくらいの猛暑で各地で水不足が相次いだ。それぞれの領地に水魔法が使える者がいないわけでもないが、それでも追いつかなくて魔力的にも余裕があったエメルダが応援に向かった程なのだ。他の領地の事など知った事ではない、と見捨てていたらきっと大勢の平民たちが死んでいた事だろう。生かさず殺さず搾取せよ、と教わっている者も中にはいるが、それにしたって平民が死に過ぎた場合その生活の不満の矛先は上へ向けられる。
そうなれば最悪内乱が勃発するかもしれないのだ。流石にそれは望むところではない。
そんな会話がされる以前に、周囲の視線はサイラスへ向けられつつある。
「何言ってんだお前?」
とか言い出す奴はまだいないけれど、それも時間の問題だった。
エメルダが魅了魔法の使い手であるならばその言い分は理解できるが、エメルダが魅了魔法を使えない事は周知の事実であるのだから。
「もう一度聞きますわねサイラス様、一体どういう事ですの?」
エメルダの声はどこか固い。当然か、ある意味言いがかりに近い事を大勢の前で言われたのだから。場合によってはサイラス有責での婚約破棄も確かにあり得る。エメルダは頭の中でそんな風に考えた。そうなった場合、周囲にこれだけ目撃者がいるので証言には事欠かないが、それにしたって嬉々として婚約破棄に乗っかるのもどうかと思ってしまう。
エメルダは別にサイラスの事は嫌いではないのだ。恋愛感情を抱いているかと問われれば家族としての情はあるとしか答えられないが。
そんなエメルダに向けて、サイラスはコホンと一つ咳ばらいをしたうえで、ずびしっ! と勢いよく指を突き付けた。
「お前は魅了魔法を使えるルルティア・セルティリオス令嬢を使い俺に魅了魔法をかけただろう! そうじゃなきゃ最近気がつくとずっとお前の事を考えたりふとした瞬間どうしているだろうかと気にしたり果ては出かけた時に見つけた品を、これ似合いそうだなとか好きそうだなとか思ったりするものか!」
騒めいていた食堂が、一瞬にして静まり返る。
先程まではどういう事だろうか、と思っていた周囲がこそこそとエメルダ様は水魔法しか使えないのに魅了魔法とか何言ってんだ? なんて話をしていた者たちもいたが、サイラスの言葉で完全に沈黙した。
「ふとした瞬間お前の微笑む顔を思い浮かべては動悸がするし、体温は上昇するしそれからあとえーと」
などと言っているところでサイラスの顔は耳まで真っ赤になりつつある。
じ、っと見ているエメルダのその瞳に自分が映っているのを見て、サイラスははく、と言葉を吐き出そうとした口を、しかし中途半端に閉じてしまった。
エメルダが自分を見ている。その瞳に自分を映している。自分だけを、見ている。
それを理解してしまえば、これ以上何を言っていいのかわからなくなってしまった。びしっと突き付けていた指は今は力をなくしてへにょりと曲げられている。
対するエメルダは言われた言葉の意味を理解して、顔にこそ出していなかったもののかなり驚いていた。
幼い頃からずっと一緒だったし、婚約を結んだとはいえ恋人というよりは既に兄と妹、はたまた姉と弟といったような関係だったのだ。家族という認識をしていた。別にそれを間違っているとは思っていない。いずれは結婚してそれが妻と夫になるだけだと思っていたので。燃え上がるような恋を経験しなくとも、家族になって共に過ごしていけばいずれは淡い恋のような感情も芽生えるかもしれない、などと思ってはいた。それ以前に恋はなくとも愛はある。エメルダにとってはそれで充分であった。
だが、サイラスの言うような魅了魔法は使用していない。
というか、魅了魔法はそういう使い方はできないはずだ。
基本的に魅了魔法というのは、術者に対する好感度を上げるものであって対象の好意を他者に向けるものではない。それができるなら政略結婚を嫌がる者たち同士に使うだとかの方法ができてしまう。有用に使えるけれど、悪用も多発できる恐ろしい代物になってしまう。
それでなくとも魅了魔法は特殊なものなので、使用者が手あたり次第そこらで使えばとんでもない事になる。
王族やそれに近しい国の中枢を担う者たちに使えば国を丸ごと乗っ取る事だって可能になってしまう。事実、遥か昔にそういった事をしようと目論んだ魅了魔法の使い手もいた。それもあって今は魅了魔法が扱える者は魔道具で能力を抑えたり封印したりするのだ。手当たり次第にそこらで使えないように。
ここ最近サイラスが素っ気ない事にエメルダだって気付いてはいた。
もしかしたら他に好きな人ができたのかもしれない。もしそうなら、婚約の解消も考えていたし、お相手の身分次第では愛人だとか妾といったものも考えてはいた。
だがしかし実際はどうだ。
こんな、こんな大勢の前で魅了魔法に惑わされていると思い込んでいる婚約者は、よりにもよってエメルダへの想いをぶちまけたのだ。
それが魅了魔法によるものだと思い込んでるのはどうかと思うが、なんというかじわじわとエメルダも熱を帯びてきた気がする。
周囲も突然の告白に静まり返っていたが、時間の経過と共に小声で話し始める者たちのひそひそとした声が聞こえてきた。
「馬っっっっ鹿じゃねーの!?」
だがしかし、そのほぼ静寂を打ち破ったのは少し離れた位置にいた青年だった。テーブルに肘を立て頬杖をついてもう片方の腕でサイラスに向けて中指をおっ立てている。
王家に連なる血筋とも言われている四大公爵家に対して、とんでもない不敬だった。
「な、馬鹿とはなんだ馬鹿とは」
「あんな、魅了魔法はそんな風に使えねーんだわ。あくまでも使う奴に対する好感度操作なの。わかる? わかってないからそんな戯言言ってるんだろうけどさぁ。お前が魅了魔法使われてたらその場合好きになってるのはエメルダ嬢じゃなくてルルティア嬢なんだわ。でもお前が好きなのはエメルダ嬢だろ? それ、魅了魔法使われてませんからー!!」
「なん、だと……?」
「へっ、バーカバーカ、大衆の前での告白ご馳走様でーす盛大にふられろ勘違い野郎」
へっ、のところで全力で嘲る表情を浮かべるこの青年は、ロレンツォ・エードルンド。四大公爵家の一つ、エードルンド家の跡取りである。これが跡取りとか公爵家大丈夫か? と思ってはいけない。困った事にこれでも優秀なのだ。これでも。
「大体ルルティア嬢は普段魅了魔法を使えないように魔道具で力制御されてんだから、いくら侯爵令嬢に頼まれたからって魅了魔法を使えるはずないだろ。あくまでも王家の許可を得た場合にのみ使えるやつだかんな」
そう言ってロレンツォが視線を向けた先は、エメルダたちのいるテーブルから離れたテーブルにいるルルティアであった。彼女の周囲には魔法を使えるせいでこの学院で学ぶ事になってしまった平民の生徒たちがいる。
ルルティア・セルティリオスは伯爵令嬢であるが、現在その彼女はというと、パンの上にハンバーグを乗せそこに更にソースを追加で乗せサラダを乗せ、それを更にもう一つのパンで挟み、随分と豪快なハンバーガーを作成していた。貴族令嬢がやる事ではない。
周囲にいる平民の生徒たちはハラハラした眼差しで、
「ルル様それ豪快ってレベルじゃない」
だとか、
「大丈夫ですかそれ食べる時顎外れません?」
だとか、
「もう素直に授業終わったら町でハンバーガー食べに行きましょうよそっちのが絶対いいですって」
だとか、
「そもそもそれ食べきれるんですか……?」
だのと言っている。
それに対してルルティアはといえば、きりっとした眼差しを平民生徒たちに向けて、
「大丈夫です。わたくし、やる時にはやる女ですのよ」
とか言っている。
明らかにそれはやる時ではない。誰か止めろ。と近くにいた貴族たちは思ったが、平民生徒にそれだけの度胸はないだろう。
「ははは、ルルティア嬢は今日も愉快だなぁ」
ロレンツォはそれを見てにこやかに微笑んでいる。それを見て周囲の貴族たちは察してしまった。
アレに好かれているルルティアは可哀そうだけど、アレを好きだと隠しもしないロレンツォの女の趣味もどうなんだろう、と。
確かにロレンツォもルルティアも見た目だけなら美男美女。口を開かずその場に二人並んで立てばきっとお似合いに見えるのだろうけれど。
サイラスに対するロレンツォの態度だとか、思った以上にボリューミーな代物が出来上がりそれを持つ手がぷるぷるとしているルルティアだとかを見るとこいつら二人をくっつけてはいけない気がする……と思えてくる。
魅了魔法の使い手、と言えば一体どんな相手かと警戒されるが、少なくとも今のルルティアを見て警戒しようという気にはならない。これが油断を誘っているのであれば大したものだと思えるのだが、周囲にいるのが平民生徒である時点で成程確かに魅了魔法は現在封印されているのだなと思われる。
もし使えるのなら、平民を侍らせるよりもうちょっと身分が上の貴族令息だとかを侍らせているはずだ。
少なくとも過去に魅了魔法を己の欲望のままに使った者たちはそうだった。
「ねーぇルルティア嬢~、ちょっと聞きたいんだけどさー、サイラスに魅了魔法って使った事ある~?」
離れた位置にいるのでロレンツォが少し声を張り上げて問いかければ、ルルティアはサンドイッチなのかハンバーガーなのかどう判断していいのかわからないそれにかぶりつこうとしていたのを止めて、一度そちらに視線を向けた。そして露骨にイヤそうな表情になる。仮にも公爵家のご子息にしていい顔ではない。
「なんで人間風情に使わなければならないんですか気持ち悪い」
更にはこの言い分である。人間風情とかお前は一体何様なんだと思われそうだが、ルルティアはそれを気にした様子もなく改めて手にしていたブツにかじりついた。
「えー? でもルルティア嬢ー、興味ない~? このサイラスとか公爵家の人間だから魅了すれば公爵夫人にだってなれるかもしれないんだよー?」
「あるわけないでしょう面倒くさい。そもそも好きでもない野郎魅了してどうするんです。金目の物貢がせてポイするにしても魅了魔法を使われたっていう判定が出た時点でお縄じゃないですか。他に魅了魔法使える人いるならともかく現時点で使い手わたくしだけなのにメリットが何一つとして存在しません」
その言葉を聞いてロレンツォは腹を抱えて笑い出した。
対するサイラスは呆然としている。
エメルダはといえば、どういう反応をするのが正解なのかしら……? とばかりに目を瞬かせていた。
「そもそも。彼がこの国に害なす存在だというのであれば上から使うように指令は出るでしょうけれど、そうじゃないなら使いませんよ無駄ですもの」
「え、上から使うようにって言われる事あるんですかルル様」
平民生徒の一人が問いかける。
話の合間合間で豪快バーガーにかじりついていたルルティアは、咀嚼し終えてから改めて口を開く。
どうでもいいが豪快にかぶりついてるはずなのに、その仕草はとても優雅だ。どうなってるんだろう……と平民生徒は疑問に思っているものの、流石にそれを聞ける雰囲気ではなかった。
「大抵はこの国に入り込んだ他国の間者とかですわ。そういうのに魅了して正直に本当の事を話すようにさせるのがわたくしのお仕事です。拷問とか尋問とかの手間が省けるので、ここ最近は暗部の人たちもそれ以外のお仕事により一層励んでましてよ」
「おっふ」
聞いてはいけない国家の闇を垣間見た気がしたが、ルルティアが魅了魔法の使い手という事を考えれば想像できないものでもない。ルルティアもそれをわかって発言したのだろう。
「あ、じゃあさー、サイラスじゃなくて俺に魅了魔法使ってみない? 使わなくても結果は同じだと思うんだけど~」
「結果が同じなら使う意味がありませんでしょう。時間の無駄です」
「はは、つれねーの」
軽い口調で言っているが、ロレンツォの近くにいる人間は気付いてしまっている。その目は本気である事を。
マジか……こいつマジでルルティアを……と口には出さず慄いている者たちがいるという事もロレンツォは当然気付いている。気付いた上で放置しているに過ぎない。
「ルルティア嬢」
「なんですか」
「婚約しない?」
「いたしません」
ちょっと口調を真面目な雰囲気で取り繕ったものの、にべもなく断られる。身分はロレンツォの方が上なのだが、ルルティアはそれを意にも介していなかった。
実際過去、公爵家から婚約についての話が来たのだが、その時は魔道具で能力が抑えられているにも関わらず全力でロレンツォの父である現公爵に魅了を使いその婚約の話自体無かったことにしてもらった。当然その婚約の話が消えた時点で魅了は解いている。
完全に自分の為に使ったとはいえ、周囲が思う自分の為に使う魅了魔法の使い方と異なったせいか、お咎めはなかった。
「公爵家が駄目なら俺、家を出るよ? それとも他に好きな奴いる?」
ロレンツォがこの場でこんなことを言い出したのは、二人きりの時に言い寄っても魅了魔法で有耶無耶にされるからだ。
魔道具で力を抑えているとはいえ、それでも人間相手に使えばそれなりに好意を抱く。好きな相手の言う事を叶えてあげたいな、出来る範囲だし、と思えてしまう。
実際以前それでロレンツォはじゃあわたくしに構わずさっさと家に帰って下さい、の言葉に従ってしまったのだ。家に帰ったあたりで魅了魔法の効果が解けて、崩れ落ちたのは言うまでもない。
だがこういった大勢がいる場でなら、もうちょっと詳しい本音が聞けるのではないかと思った。だからこそあえてこんなところで告白めいた言葉を吐いているのだ。
実際一部から告白よ、告白だわ、なんてきゃあきゃあとした声が聞こえる。小声であるが、それでも突然のコイバナに沸いている複数名がいるのは確かだった。
高位貴族はあまり表情に出していないが、低位貴族たちはこの話の行方がどうなるのか、興味津々ですというのを隠しもせずに見守っている。
どう足掻いてもそれ、途中で反対側から具が落ちない? と思われていた豪快バーガーを綺麗に食べ終えたルルティアは、心底面倒くさそうな顔をロレンツォがいるテーブルへと向けた。そして一言。
「おだまり犬派」
そう言ってのけた。
「なっ、犬の何が悪いんだよ可愛いだろ犬! 忠誠心あるし」
「別に何もしなくても一方的に尻尾振ってくるのがいいとかお手軽ですねぇ。その調子で身分か貴方本人かはどうでもいいですけど、尻尾振って近づいてくる女とよろしくやってればいいじゃないですか」
「それとこれとは話が別だし! なんだよ猫派、猫とか懐くときとそうじゃない時の落差激しすぎんだろああいうのがいいならそういう風に振舞うけどさぁ!」
「猫が好きなのであって猫っぽい性格の人間が好きというわけではないので」
ロレンツォは未来の公爵であるので身分に関しては問題ない。むしろ充分すぎると言える。
ついでに黙っていれば見た目も悪くないので彼の性格を知らない者――それこそ下級生あたりからはよくきゃあきゃあ言われている。
公式の場ではそれらしく振舞えるが、普段が普段なので彼と関わった後は割と憧れがクラッシュする女生徒もそれなりにいるが、それにしたってルルティアの態度はあまりにも容赦がなさすぎた。
「ルル様そういや微弱でも魅了魔法その状態で使えるんだっけ? 人に使わないって事は猫に使ってるの?」
「えぇ、野良だと人に警戒心抱いて近づいてきませんけど、怪我をしてたりすると流石に放置はできませんでしょう? 場合によっては他の猫に病気を媒介する可能性もありますし。なので軽度の魅了をかけてこちらに近づかせて病院に連れていった後保護しておりますのよ」
「とても平和的な魅了魔法の使い方ですね」
病気に関する予防接種の注射だとか、お前のためなんだよって言っても犬や猫がそう簡単に理解を示してくれるわけでもない。末永く健康でいてほしいから病院に連れていくのに、いざ連れていけばとても嫌がられる始末。良かれと思っているのにその相手からは嫌われて下手したら数日後を引く事もあるのだが、ルルティアは魅了魔法を使う事で病院に連れていってもそこまで嫌われてはいない。勿論魔法を解いたら嫌われるだろうけれど、それだって病院から連れ帰ってその後の面倒を甲斐甲斐しくみる事で魔法の効果が切れてもなぁなぁにと言うか、ある程度許されてるといったところか。
注射をする時も魅了魔法でメロメロ状態なので暴れる事もないので、獣医からは絶賛されている。
「えっ、それじゃルル様のおうちって猫いっぱいいるの?」
「えぇ。保護した子たちもいますし、その保護した猫から少し前に子猫が生まれましたのよ」
「子猫!? 子猫見たい! えっ、いいなぁ猫」
「大切に育てていただけるのであれば、お譲りいたしますけれど」
「ちょっと親に話してみる。結果はどうあれ猫見たい猫」
「次の休みでよければ遊びに来ます?」
「いいんですか!? 是非!!」
周囲の平民生徒だけではなく、近くにいた他の猫好き生徒たちまでもがその展開に沸いた。
早速お父様にお手紙出さなくちゃ、だとかお母様を説得してみますね、とかいう声がそこかしこでしている。
その流れで、伯爵家にお邪魔するならマナーとか学び直さなきゃ……講師の先生に特別授業開けないか確認してくる! とか言い出す生徒もいた。
そこから先はあっという間だった。
あれよあれよといううちに話がまとまったらしく、ルルティアは猫好き生徒たちを引き連れて食堂を立ち去っていく。
周囲でロレンツォの告白紛いの光景をドキドキしながら見ていた生徒たちや、我関せずといったその他の生徒たちは残っていたが、そこにはルルティアに相手にされなかったロレンツォも勿論残されている。
「は……? えー、ちょっと待ってよルルティア嬢! 俺も! 俺も猫見たい!!」
犬派ではあるけれど、別に猫が嫌いなわけでもなかったロレンツォはすっかり姿が見えなくなってしまったルルティアを追いかけるようにそう叫んで食堂から駆け出して行った。
他の生徒と違いロレンツォには若干の下心も含まれているようだが、言動の割に初心な男だ。家にお邪魔する以上の事はできそうもないだろう。
ここでようやくサイラスはルルティアに関する噂をハッキリと思い出した。魅了魔法の使い手というだけではない。猫狂い令嬢がいる、という噂を。とはいえ、だから何だという話だ。
そうしてある程度の生徒たちが食堂から出て行った後は……
「…………」
「………………」
一連の出来事をスルーしていた生徒たちと、あとは婚約破棄を突き付けたサイラス、そしてエメルダとその友人たちだけが残されていた。
「それで」
思い出したようにエメルダが声を出せば、サイラスは面白いくらいにビクッと身体を硬直させた。
今更になって自分がしでかした事を実感したのだ。
「するんですか? 婚約破棄」
「そ……な、や……」
右手を頬に当て、少しばかり首を傾げて問いかければサイラスは先程以上に顔を真っ赤にさせてどうにか言葉を出そうとしていたようだが、出てきたのは言葉にならない音ばかり。
エメルダとしてはどうしても彼がそれを望むなら仕方ないと思っている。これが他の誰かを好きになったとかであったなら、エメルダとてわざわざそんな事を聞かずに婚約破棄承りました、とか言っていただろう。
けれども理由はそうではなかった。
まさかサイラスが、自分の事を妹か姉のどちらかのようにしか見ていないと思っていた彼が、一体何が切っ掛けかはわからないが自分の事をそういう対象として見ていたのだ。エメルダはまだ彼に恋をしているわけではないが、恋をしている相手につられて自分もいずれはそういう風に思えるかもしれない、とは思っている。
サイラスが望まぬ結婚をするのであれば、身を引くのも有りだなと思う程度にはエメルダもまたサイラスに好意を抱いてはいるのだ。
流石に大分人が減ったとはいえ、食堂にはまだ人がそれなりにいる。自分の両隣に座っている友人も、どこか心配そうに、けれどそれでいて好奇心を隠しきれない眼差しをサイラスに向けている。
「サイラス」
「な、なんだ……!?」
エメルダの呼びかけにサイラスはどうにか言葉を発する。しかしその声は緊張なのかすっかり裏返ってしまっていた。
「婚約破棄をするのであれば、お互いの両親に話をしておかないといけません。もし、このまま継続するおつもりならば、改めてわたくしに貴方の気持ちを聞かせてちょうだい。……待っているわ」
そう言うとエメルダはすっと立ち上がりそのまま食堂を出ていってしまった。
「あっ」
「エメルダ!?」
あまりにも自然な流れで置いていかれた友人がその後を追う。
待っている、と言っていたエメルダの表情は婚約破棄を突き付けられた悲壮な令嬢というものではなく、むしろ――
「…………うわぁ」
長い沈黙の後、サイラスはかろうじて声を出せたがその場にへたり込んでしまった。
何が切っ掛けだったのかは本人にも理解できていない。けれどある日突然ぶわーっとエメルダに対する好意が溢れ出してしまったのだ。今にして思えばそれは前から存在していたのだろう。自覚していなかっただけで。
けれど、あまりにも突然、自分にとっては本当に突然としか言いようがない状態でそれらの気持ちが溢れてしまったせいで、そして魅了魔法を使える相手がいるというのを聞いた事があったせいで、短絡的にもエメルダが依頼して魅了魔法を自分に仕掛けたのだと思い込んでしまった。
そう思い込んでしまうほどに、好きという感情は突然あふれ出たのだ。
そんな魔法を使わなくても自分はエメルダの事を――
そう考えてしまった結果、サイラスはエメルダの過ちを正そうとこんな場所で婚約破棄を突き付けてしまった。やり方に問題しかない。
そしてその結果、自分は魅了魔法を使われてなどいないという事が明るみに出てしまったし、ましてやありのままの気持ちを大勢の前で暴露したも同然だった。
耳まで真っ赤に染まったサイラスは、思わず両手で顔を覆う。もうどこからどう見ても恋に悩む乙女みたいな姿だったが、残念ながらこいつは野郎である。そして彼の周囲には彼に言葉をかけるような人物もいなかった。
周囲に残っていた者たちはこの騒動に全く興味を持たずマイペースに食事を済ませると、相変わらず床にへたり込んでしまっているサイラスには目もくれず移動を開始した。次の授業なんだっけ? とかそんな会話を残しつつ。
そうして。
そうして最後に残されたのは、未だ恋する乙女みたいな状態から脱出しきれないサイラスだけとなってしまったのである。あとは食堂で働く者たちくらいか。
ランチの時間帯になってすぐさまエメルダの所へ赴いた彼は結局昼食を食べ損ねたし、何なら次の授業にも遅刻してしまうのだが。
同情してくれる相手は生憎生徒はおろか教師にもいなかったのである。