森の守護者とハチミツ酒
「しかし……あのお嬢さんが例の花嫁さんですか」
「やはり分かるか……」
〝森の守護者〟こと人真似熊がポラリスの正体を見抜くのは別に驚く程のことではない。
人真似熊は人と同じ言動をする程の知能を持ち合わせているため、人の本質を見抜く才能に長けているのである。
これも魔族達の間では有名な生態の一つである。
「分かりますとも。魔獣や魔物のような知能の無い存在には分からないでしょうが、我々のような魔法生物達は彼女の事を好きなのですよ。あの宝石兎達も今はあのように遠巻きに見ているだけですが、本心では彼女に愛でられたいと思っているはずです」
「そうだとポラリスが喜ぶ。臆病な魔法生物であると教えたから我慢しているようだが、アイツも心の内では触れ合いたいだろうしな」
俺はそう話しながらポラリスに視線を向けた。
その話題の中心であるポラリスは優しく流れ落ちてくる滝をシャワーのようにその身に受け止め、心地よさそうな表情で身体を流していた。
「やはり魔王城へ?」
「約束したからな」
「その後は?」
「俺は魔王領内で冒険者か傭兵として活動するつもりだ」
「城へは戻らないのですか?」
「本当に……何でも見抜くんだな?」
「貴方は特に有名ですから。宝石兎乱獲事件の時、先陣を切って乱獲していた人族の組織を壊滅させてましたし」
「それ、ポラリスには絶対に言うなよ?」
「何故です?」
人真似熊にそう聞かれ、俺はもう何匹目かの魚を釣り上げながら答えた。
「よっと……俺は既に城を去った身だ。かつての〝騎士ヴェノムヴェイン〟はあの日にただの〝シド・ヴェノムヴェイン〟になったんだ。過去の栄光やら名誉やらに未練はねぇよ」
「あの日のことはまさに〝衝撃〟の一言でした……〝天魔十三騎士〟の一人である貴方が城を出たという報せは大陸中に知れ渡りましたから」
「まぁその後は流れに流れて辿り着いた屋敷に雇われ、魔獣や魔物の討伐に明け暮れる日々を過ごしてたけどな」
「おや?ならば何故、今はあのお嬢さんと一緒に魔王城へ向かってるんです?」
「俺を雇ってくれた人の息子に追い出されたんだよ」
「馬鹿ですねぇ……その方は。貴方が城から去ったと知った貴族達はこぞって貴方を雇おうとしていたのに」
「馬鹿だからな。これがだらしねぇんだ、頭も下も」
「魔王貴族の恥ですねぇ」
「もういいんだけどな────っと……これくらいあれば暫く食料に困らねぇだろ」
十数匹の魚達を見て俺は釣りを切り上げる。
それを見ていた人真似熊は〝僕も〟と言って同じく釣り竿を片付けていた。
そのタイミングでポラリスの〝あーっ!〟と言う声が聞こえ、そちらに顔を向けると彼女はバシャバシャと水をかき分けこちらへと駆け寄ってきた。
そしてそのままの勢いで人真似熊へとタックルをかます。
とは言っても人真似熊はポラリスよりも遥かに大きいため、彼女のタックルじみた抱きつき程度ではビクともしていなかった。
「おっきいクマさん!」
「どうも魔王の花嫁のお嬢さん。僕は〝人真似熊〟と言って、こう見えて魔法生物なのですよ」
「魔法生物って喋れるの?!」
「人真似熊だけだ。そいつらは人と同じ言動をすることで有名だからな。周りからは〝森の守護者〟と言われている」
「偉いの?」
「過去に宝石兎を乱獲しようとやってきた人族達を返り討ちにした事があってな。それを偶然見ていた魔族の報告により、そう呼ばれるようになった」
「僕達はそんな風に言われるような事はしてないんですけどねぇ」
照れているのか頬をポリポリとかきながらそう話す人真似熊。
その後、人真似熊は一通りポラリスとじゃれ合った後、〝子供達に食事をさせないと〟と言って去っていった。
子持ちだったのか……。
「シド!今日はお魚なの〜?」
「そうだ。特にソルトサーモンは海で取り込んだ海水を体内で塩に変えて溜め込んでいるから、その塩が程よい感じで焼くと美味いんだ」
「早く食べたい!」
「ははは、なら期待に応えて早く焼き始めるとしようか。その前にポラリス……」
「なに?」
「お前は先ず服を着ろ」
初めて人真似熊を見たことで興奮してすっかり忘れていたのだろう……生まれたままの姿のポラリスはキョトンとしてから自分の体へと視線を向け、そして頬を赤らめてお世辞にもあるとは言えない胸を手で隠し始める。
そしてニマニマしながら俺にこう言ってきた。
「シドのえっち」
ゴスっ────
そんな阿呆な事を言い放ったポラリスのその頭に、俺は無言で手刀を落としたのだった。
◆
夜も更けて、俺はポラリスが眠るテントの前で焚き火を眺めていた。
ポラリスは初めて食べたソルトサーモンの味に舌鼓を打ち、他の川魚の味も存分に堪能していた。
そんなポラリスは俺が張ったテントの中でスヤスヤと眠っている。
しかしそんな彼女の周りには数匹の魔法生物達が囲むようにして一緒に眠っていた。
どうやらあの人真似熊が言っていたことは本当だったようで、魔王の花嫁は魔法生物達に好かれる存在らしい。
少し風が出始めている事から今夜はかなり冷え込むらしい……それを察したのか、それとも単純にポラリスのそばに来たかったのかは分からないが、結果的に彼女が凍える心配は無くなったと言えるだろう。
魔法生物達に包まれて幸せそうな顔で寝ているポラリスを見て、俺は微笑ましそうに笑みを浮かべながら焚き火へと視線を戻す。
するとその向かい側で腰を下ろす者が現れた。
あの人真似熊であった。
「夕方ぶりですね」
「また来たのか」
「えぇ、子供達を寝かしつけられましたし、妻も眠ってしまいましたしね」
「それで、父親であるお前さんは何故ここに?」
「たまには男同士で語り合いながら飲みたいと思いましてね」
人真似熊はそう言うと一つの小ぶりな樽を取り出した。
「なんだそれ?」
「僕が作ったハチミツ酒ですよ。恥ずかしながらお酒を作られている魔族の方に教えて頂きまして」
「よく作ったなぁ」
「人真似熊ですから」
人真似熊は〝へへっ〟と笑いながら自作と思われる木のコップにハチミツ酒を注いでゆく。
「どうぞ。出来の程は自信がありませんが……」
「頂くよ。出来栄えに関わらず、人真似熊が作った酒を飲むなんてのは、そんな体験出来る事じゃねぇからな」
俺は人真似熊が差し出してきたコップを受け取ると、その中に注がれたキレイな琥珀色の酒を眺める。
「それでは……今日の出会いに」
「今日の出会いに」
乾杯代わりに同時にコップを僅かに上げ、俺と人真似熊は同時にハチミツ酒に口をつける。
程よい甘さの後に来る酒特有の味わい……今まで飲んできた酒の中で最も美味いと思える出来栄えであった。
「今まで飲んできた中で最高の酒だ」
「お褒めの言葉を頂きありがとうございます。いやぁ良かった……本当に不安だったんですよねぇ。なにせ初めて作ったのですから」
「初めてでこの出来栄えなら、十分に金を取れるレベルだ」
「売る気はありませんけれどね。人間のお金を得たところで使う予定はありませんから。これは僕と妻の密やかな楽しみにしておきます」
「今は俺との密やかな楽しみになってるがな」
「これは一本取られましたなぁ、ははは」
ポラリスが起きてしまわないよう小さい声で笑う人真似熊。
そして話題は何故か俺の事になった。
「聞かせては貰えませんか?あの日のことを……」
人真似熊が言う〝あの日のこと〟とは、俺が城を去った日のことだろう。
確かにかなり騒がれていた自覚はある……それに魔王にもかなり引き止められてたしな。
「何があったのですか?」
「別に何かがあったってわけじゃねぇんだ。俺は一線を退こうと思ってな」
「ほぅ?」
「俺は初代魔王サタナエルが魔王になる前から生きてきた。そのうち、サタナエルが魔族大陸を統一化し魔王となり、その後アンセムに誘われて天魔十三騎士なんてもんを設立した」
「天魔十三騎士はサタナエル伝説には欠かせないほど有名ですからねぇ」
「それからあの大戦が始まり、俺は騎士として戦いに明け暮れた。そりゃあもう一心不乱に……我武者羅にな」
「当時の貴方の戦う姿はまさに〝最強〟と言われるに相応しい戦いぶりだったと祖父から聞いております」
「そう言われるとむず痒いな。まぁ、戦後は後進の育成に務めてたんだが、その時にふと思ったんだよ……そろそろ騎士の座を若い奴に譲って、俺は気楽に暮らしていこうかなってな」
「そうだったんですか……」
「まぁ、その末に追放されたってのは皮肉が過ぎるんだがな」
「人生何があるか分からない……まぁ、だからこそ面白いんでしょうけれど。でも僕は他に理由があるのではと思ってるんですけどね」
人真似熊はそう言ってチラッとポラリスの方へと視線を向けた。
「あのお嬢さんは何か……僕らこの世界に住む人達とは違うような気がするんです」
本当に人真似熊というのは本質を見抜く力に長けているんだな。
「まぁな……だが、それについては話すことは出来ない」
「それはあの子との約束ですか?」
「そうだ……そしてお前が言った、俺が城を出た〝もう一つの理由〟でもある」
「そうでしたか。では、それについてはあえて聞かないで置きましょう。ささ、もう一杯……」
その晩、俺と人真似熊は夜明けまで飲み明かした。
俺は酔うこともなければ睡魔に襲われることも無いが、人真似熊の方は泥酔状態でフラフラになりながら住処へと帰って行ったのだった。
そして早朝、目を覚ましたポラリスが俺に鼻を近づけてから言い放った〝お酒臭い〟という一言は地味に心に刺さったのはここだけの話である。




