プロローグ:解雇、追放そして出会い
「シド・ヴェノムヴェイン!今この時をもって貴様は解雇だ!」
〝シド・ヴェノムヴェイン〟ことこの俺は、いかにも貴族といった容姿の男に、そう高らかと宣言されていた。
俺が解雇を言い渡されたことに周りの奴らがざわめき始めるも、それは解雇宣告に対する疑問ではなく、むしろこの俺が解雇された事による嘲笑の方が多かった。
「やっとかよ……」
「ようやく伯爵様もご決断なされたか」
「あの人、前々から嫌いだったのよね」
「いつ追い出してくれるのかと待ち遠しかったわ」
「……」
周囲のそのような声に俺はショックを受けることは無かった。
まぁ近々こうなるだろうという事は分かっていたので、そこまでショックを受けずにいられたのである。
とはいえ、この時をもって俺は無職になってしまったのたが、このまま目の前にいる男に仕えるよりはいくらかマシだと思う。
「ちなみにこの街で仕事が見つかると思うなよ?既に根回しは済んでいるのでな!」
こういう事に関しては仕事が早いなといつも思う。
目の前の男……〝ニルギリー・フォン・アルトバイエルン〟という人物はそういう男だ。
金にがめつく、名誉に貪欲で、女にだらしない。
でっぷりと太った身体を見ればどれ程食い意地が汚いかもよく分かる。
更に自分以外の他人が目立ったりする事を嫌い、他人のものを欲しがり、気に食わないと直ぐに暴力に走る。
極めて傲慢のくせに面倒な仕事は他に押し付ける。
まさに傲慢、強欲、暴食、色欲、嫉妬、憤怒、怠惰といったこの世の悪を体現したかのような存在であった。
俺は大きなため息をつくと、踵を返してその場から立ち去ろうとした。
「退職金など払わぬからな!せいぜいみっともなくの垂れ死んでしまうがいい」
そんな捨て台詞のような言葉を聞き流しつつその場を後にする。
ここは魔族大陸にあるアルトバイエルン伯爵領の領土内にある街で、ここに住んでいる者達は全員が魔族だ。
当然この俺も魔族なのだが、長命な魔族の中でも俺はとりわけ特異な存在であった。
魔族の中で最も力を持つ者しかいないとされる〝不老不死〟の体質を持つ魔族……その一人が俺なのだった。
なので先程の馬鹿伯爵の〝の垂れ死んでしまえ〟という言葉は、俺に対しては俄然無理な話であった。
(それを分かっていたからこそ、先代の当主は俺を雇ったというのに)
先代のアルトバイエルン伯爵はそれはそれはもう優れた人物であった。
常に先のことを見通し、領民の生活水準の向上や犯罪率の軽減、また災害対策の為の政策など、先代アルトバイエルン伯爵がいなければこの領地は既に廃れていたことだろう。
まぁ、その後継である今の伯爵がアレでは、遅かれ早かれ廃れるであろうが……。
(去る前に先代に挨拶でもしていくか……)
そう思い、歴代当主が眠る墓へと赴くと、そこには一人のメイドが手を合わせて祈りを捧げていた。
俺はふと笑みを浮かべると、そのメイドの隣に立ち、同じく手を合わせて祈りを捧げる。
「奇遇ですね?貴方とここでこうして出くわすのは」
「そうだな。普段は屋敷の中でだったからな」
このメイドの女性の名は〝セラ・フローレンス〟────先代に拾われた元孤児の魔族で、今ではメイド長として働いている女性である。
まだ幼かった彼女が来る前からここで働いていた俺はよく顔を合わせる度に声をかけていた。
そのせいかセラは俺によく懐いていたのを今でも覚えている。
最初こそ慣れないメイド業務に悪戦苦闘していたセラだが、本当に随分と立派になったとしみじみ思う。
「今日はいったいどうなさったのですか?」
「ん?あぁ……最後に挨拶くらいしとかねぇとなと思ってよ」
「最後?それはいったいどういう意味ですか?」
「実はなぁ……」
俺はセラに先程解雇された事を伝えた。
すると彼女はまるで自分の事のように憤慨していた。
「なんですかそれ?!貴方というお方がいたからこそ、今の平和な土地になったというのに!!」
この屋敷での俺の主な仕事は領土内に蔓延る魔獣や魔物の討伐であった。
魔獣や魔物は魔族と違い知能が低く、相手が魔族だろうと見境無しに襲ってくる。
たった一匹の魔獣で村がいくつか滅んだというのは日常茶飯事であった。
俺はそれらの討伐を自ら買って出て、それにより今は〝魔物氾濫〟の兆候すら起きない程になっている。
「いったい何をお考えになっているのでしょうか?あの馬鹿息子は……。シド様がいなくなれば、この領地が一気に危険に陥るというのに」
「馬鹿だからこそだろ?まぁともかくそういう事だから俺はこの街を出ることになった」
「街からですか?その必要は無いかと思いますが……」
「あの馬鹿息子が根回ししてくれたらしく、どうやら俺を雇ってくれる所はこの街には無いらしい」
「……」
絶句してしまうセラ。
そして彼女は怒りのオーラを放ち始め、何を思ったのか据わった目でその場から去ろうとした。
「何をする気だ?」
「決まってるでしょう?あの馬鹿息子をシバキ倒しに行くんです」
「やめとけ、やめとけ。時間も労力も無駄に終わるだけだ」
今にも殴りに行きそうなセラを制止し、怒りが収まらず息を荒らげる彼女の頭を撫でる。
「別に街はここにしか無いわけじゃねぇ。今まで忙しい毎日だったからな……良い機会だと思って、のんびり旅しながら次の仕事先を探すとするよ」
「でしたら私も……!」
「お前はまだ必要とされている人間だ。お前にしか出来ない仕事はまだまだある。それを放り出すつもりか?」
「それは……」
「お前が俺を慕ってくれるのは嬉しいが、自分がやるべきことを放り出すことはするな。まぁ、あの馬鹿息子に我慢出来なくなったら、その時はこの屋敷を出ればいいだけだしな」
まぁそうなった場合あの馬鹿息子が何かしそうな気がするが、しかし馬鹿息子はセラを気に入っている事を俺は知っている。
無闇に酷い扱いをする事は無いだろう。
「それじゃあな、セラ。達者で暮らせよ?」
「はい。シド様もご健闘をお祈り申し上げます」
そうお互いに別れの挨拶を交し、俺とセラはそれぞれ向かうべき方へと歩き出した。
◆
それから数日が経ち、俺は今、深い森の中を進んでいる。
退職金こそ出なかったものの、俺は基本的に必要な時にしか金を使わない性格だったので、幸いにも貯金は結構あった。
なので街で働けずとも暫くは暮らせて行けたのだったが……。
「あんの馬鹿息子……働き口どころか買い物すら出来なくしやがってたとはな……」
そうなのだ。
あの馬鹿息子は俺があの街で買い物をする事すら許さなかったらしく、どの店に行っても門前払いを受け続けていた。
だが店主達はその全員が心から申し訳なさそうな顔をしていたので、脅しか何かを受けていたのだろうと推測する。
(守るべき自領の民達を脅すとは、なんつー領主様だ、まったく……)
そう心の中で悪態をついたところで何も変えられるはずもなく、俺は見かけた獣を狩ってはそれを食料として腹を満たす生活を送っていた。
しかももう一つ運が悪かった事はアルトバイエルン伯爵領の街から次の街……いや、隣の領地までかなりの道のりがあるという事だ。
アルトバイエルン伯爵領は辺境では無いものの、周囲の領地との間に深い森で覆われている土地で、半ば辺境と言える所であった。
しかもこの森は今こそ安全が確保されているが、それまでは数多くの魔獣や魔物が蔓延る危険な土地であった。
なので今でも凶悪な魔獣が隠れ潜んでいる可能性が高い。
(はァ……あの優れた先代から、いったいどうすればあんな馬鹿が生まれるのやら)
三日ほど前に作った乾燥肉を口にしながらそんな事を考えてしまう。
この乾燥肉も残りわずか……そろそろまた獣を狩って作らねばならないだろう。
まぁ出来上がるまでに時間を費やしてしまうが……。
さっさと伯爵領から出て、次の領地で食料を買い込みたいものだ。
そんな感じで森の中を突き進んでいると、ふと何処からか声が聞こえてきたような気がした。
耳を澄ませてみれば、誰かが歌を歌っているようにも聞こえる。
(こんな時間にこんな場所で……いったい誰だ?)
今は既に夜……辺りは暗く、今いる場所も到底、呑気に歌など歌っていられるような場所ではない。
(冒険者か?それとも新手の魔物か?)
魔族大陸にも冒険者は存在する。
彼らは普段から俺のように魔獣や魔物、また資材や素材の採取・運搬、商人や要人の護衛などを行っている。
もし冒険者であれば少しばかり食料を分けて貰えるよう交渉するのだが、もしこの声の主が魔物であるならば戦闘になってしまうだろう。
まぁ、歌を歌う魔物なんて今まで聞いたことも見たこともないが……。
とにかく確認だけはしておかないとと思い、声がする方へと足を運ぶと、そこには一台の荷車と、その周囲に飛び散る血飛沫があった。
(やれやれ……どうやらこの荷車の持ち主は馬と共に魔獣に襲われたようだな)
死体が無いところを見るに食い尽くされたか巣へ運ばれて行ったか……。
ともかく先程の声はやはり歌声で、それは放置された荷車の中から聞こえてきた。
(はいはい、確認させてもらいますよ……っと)
荷車の幌をめくってみると直ぐに檻特有の格子が目に入り、その中には数人の子供が横たわっていた。
その中心で一人の幼い少女が子供達をあやすように歌を歌っている。
(横たわっている子供達はどうやら寝てるだけのようだな。それよりも……)
俺は歌を歌う少女に目が釘付けになる。
他の子供達とはあまりにも違う存在感を放つ少女は白銀の髪に長い睫毛も白……どこか儚げながらも異様な存在感を放っていた。
しかも少女の歌声を聞いていると、どうにもこのままずっと聞いていたくなるような心地良い安心感を感じてしまう。
しかも何故だか何がなんでもこの少女を守らなければならないという庇護欲に駆られてしまう衝動を感じていた。
(魅了か何かの類か?まぁ……俺には通じねぇが)
先程感じていた安心感や庇護欲は既に消え去っていた。
俺は魔法やら固有能力などによる精神や身体への異常を与える効果を無効化出来る。
何故ならば俺は〝虚無〟を司る魔族で、固有能力には〝無効化〟に関するものがいくつかあるからだ。
俺は一旦軽く深呼吸をすると、ドアをノックするように格子をコンコンと叩いた。
「────っ?!だ……誰?」
音に驚いた少女は歌うことをやめ、身体を僅かに震えさせながらこちらへと目を向ける。
開かれたその双眸は血のように紅く輝いていた。
この少女との出会いが、俺の今後に大きな影響を与える事になるのは、この時はまだ知る由も無かった。
この時の俺は、何となく目の前の少女が何か俺達魔族にとって重要で大切な存在であるかもしれないという淡い予感を抱いていたのだった。




