姉が壊れた
姉が壊れた。てか壊れてた。
俺の姉は五年前に結構いい大学卒業して結構いい会社に就職して営業担当になって一人暮らしはじめて、一年目からなんかの賞をとって元気でばりばりやってたはずだったのに、前に「彼氏とポケモンやるんだけどswitch貸してくんない?」「は?稼いでんだから自分で買えよ」「いいじゃんべつに。どうせ最近やってないんでしょ」ってやりとりがあって実際俺はゼミ関連でわちゃわちゃやってるのが忙しくてゲームがご無沙汰だったから貸してやったきりすっかり忘れてたswitchをダイパのリメイクが発売したのを機に取りに行ったら「ちょ、まって。いまダメ」「なに?彼氏きてんの?」「ちがうけど」「じゃあいいじゃん」渋る姉を強行突破して部屋入ったら窓にはガムテープで目張りしてあって部屋の中央にでっかい七輪と練炭がおいてあった。「あの、その、ち、ちが、さ、さんま。さんま焼こうとしてたの」言い訳しようとしてそのうち口があわあわしてなにも話せなくなってきた姉がおもしろくて俺は「ウケる」と言った。
おまえさぁ。中学からずっと成績優秀でスポーツも万能で高校ではバトミントンで全国大会出たし大学は地方だと一番いいとこ入ってそこで成績優秀者で表彰されたやつだったのに、こんな終わり方しようとしてたわけ。まじかよ。くそウケるわ。こちとら高校は底辺だしスポーツはもやしだしで、親から尻叩かれて大学だけはそこそこのとこ入ったけどいいように使われて友達もいねーしへたれてんぞ。おまえの六千倍みじめな俺が生きてんのにおまえ死ぬのかよ。
俺が馬鹿笑いしながら窓からガムテープ剥がしてったら、姉はなんか床に座り込んで「うわーんうわーん」って泣き出す。やかましいけど放っておいてガムテープを全部剥がし終わったから姉の手を引いてベッドに移動させようとしたが姉は立てないらしいので仕方なく横抱きにして無理矢理移動させる。横たえて布団被せて手だけ握ってやったら腕に縋り付いてくる。おまえなにがあったんだよ。昔は「きっしょ。猿。死ねよまじで」とかって嫌ってたじゃねえかよ。まあ話したくないなら話さないでいいけど。
よくよくみたらバトミントンで全国行った筋肉質だったはずの姉の身体は随分肉が落ちて骨っぽい。長かった髪も適当に短くしてて手入れをサボっているのか艶がない。こいつちゃんと食ってるんだろうか。元々間食大好きで寝る前にポテチ開けて親に怒られてた姉の寝室には食べかす一つ落ちてない。そもそもこの部屋、姉が入居してきたときとほとんど変わってないように見える。こいつ部屋ちゃんと使ってるんのか。そういえば七輪置いてたリビングにも生活感はなかった気がする。ブラック企業体験談みたいなので読んだ「家には寝に帰ってるだけ」みたいなのが思い浮かぶ。姉の泣きモードはうわーんうわーんからあおーんあおーんに移行していて経験上たぶんここからもうちょっと静かになってしくしくになってめそめそに変わるはずなんだけど、あおーんあおーんがなかなか終わらない。イラついてきたけどなんかもういいから好きなだけ泣けって気持ちになって服の袖が鼻水でべちょべちょなのもまあ我慢してやる。
無事な左手でスマホ取り出して「親に連絡しとくかなぁ?」とか思ったが昔から姉に過度な期待を寄せがちだった親が余計なプレッシャーを与える気がして一旦やめとく。言うにしても姉がまともに話せる状態になって同意をとってから連絡しよう。暇だったからネットサーフィンをはじめたら姉のあおーんあおーんが突然途切れて、姉はゲーム機の電池が切れたみたいにぷつんと寝た。
姉が縋り付いてた腕をゆっくり引き抜いて、俺はリビングに移動して興味本位で姉のスマホを探す。あった。テーブルの上に放りっぱなしになっていた。その横には「お父さんへ お母さんへ 敦へ」と表に書かれた三通の手紙が置いてあったけどまあそれはあとで三通とも読まずに焼く。
姉のiPhoneはロックが掛かっていたけれど姉のセキュリティはガバガバなので生年月日とかでパスワード開くんだろうなと思っていたら案の定1209でヒットする。クリスマス直前に生まれてきてしまったがためにクリスマスに一緒にお祝いされて他の人間は誕生日を別個で祝うものだと小学校に上がるまで知らなかったあわれな姉。
LINEの通知が溜まっていて開いたら平岡課長なる人物からアホほどメッセージが送られてきている。あれー。姉って今日休みの日じゃねー? と、思ってたらその平岡課長から電話がかかってくる。出てみる。「てめえどこでなにしてやがる」第一声で怒鳴り声。黙ってなに喋るのか聴いてたら社会人たるもの上司からの連絡には休みの日でもすぐに応答できるように備えとくのが当たり前でー、から始まる説教が五分続いたあたりで俺はスマホをテーブルにおいて「いつまで喋ってるのかなー」と様子を見る。平岡課長の説教は十分続いてそのうち姉の容姿や身体的特徴をあげつらいはじめ、ついには十五分を越える。そのあたりでようやく「わかったのかてめえこら」で一旦息継ぎが挟まる。息を吸って次の説教をはじめようとしている気配が伝わる。ほっといたら一時間でも二時間でも怒鳴ってそうだ。おい。おっさん。ちょっとストップな。
「あの、俺、由美の弟ですがこれってパワーハラスメントにあたるのでは?」
俺が言うと、二秒の沈黙のあと通話が切れた。
俺は姉のスマホから平岡課長からのLINEでのパワハラとセクハラの入り混じった地獄のような内容 (ひでーのだと営業先と思われる場所に行って「全裸で土下座してこい」、「証拠とってもらって俺に送れ」ってのがあった。AVかよ)をスクリーンショットして俺のスマホに片っ端から転送する。やりとりはスクロールするだけでもうんざりするくらいの量があった。平岡課長の言葉には姉の業務態度が気に食わないとかではなくて、なんかもう姉を否定して傷つけるのが楽しくてしょーがないような感じが端々から感じ取れて俺は人間の邪悪さを垣間見た気分になる。次大学行ったときにちょっと民事訴訟つよつよの山路教授に相談してみよう。だいぶ無理して法学部に入ったメリットをはじめて感じた。
デバガメ根性を全開にしてついでに彼氏とのやりとりを覗いてみたら、姉はだいぶ前に新庄さんと別れていて、どうやら雰囲気が暗くなって仕事関連のことでスマホを気にしてばかりの姉のことを新庄さんが嫌になって振ったらしい。新庄さんはセックスの最中に「LINE来てるから」と言ってベッドを抜け出した姉の愛情を信じられなくなったらしくて、あー、そりゃ自信なくなるかもなー、とは思った。童貞だからうまくイメージできんがな。
さて。姉の現状はだいたい把握した気がするが、一応俺は俺の内心を確認しておこう。
姉が死ぬのは嫌だろうか?
しばらく考えた。俺は「優秀な姉とそれほどでもない自分」にわりとコンプレックスがあった。姉はべつに性格いいやつじゃねーし、いろいろ不利益を被ってきた。対戦ゲームで俺が勝つと「いんちきするな」とか「ハメ技使うな」とかキレだして威圧してきた姉の態度が、他人にビビりがちな俺の人格形成に与えた影響は結構デカいと思っている。(自分は同じ技を平気で使うくせに) 俺は姉のことがべつに好きじゃない。
かといって、じゃあ死んだらいいか? って訊かれたらそれもまたちょっと違う気がする。
むしろ償え。俺に罪悪感を覚えて生きろ。
そんな感じだ。OK。俺は姉が死ぬのは嫌だ。確認終わり。それはそれとして貸してたswitchは回収しておこう。どうせこのへんの収納ボックスの引き出しの中だろうと適当に漁ったらあった。当初の目的は達成した。俺のポケモンライフは守られた。
そのあたりでベッドの方からしくしくー、って啜り泣きが聞こえてきて「あっくん……」とか子供のころの俺のあだ名を呼んでて、幼児退行してる姉に俺はもう一回ウケる。寝室に行ってみたらベッドでしくしくやってる姉が壁向いたままで「夢で、夢だとあっくんが助けてくれた……」とか言ってて俺はこらえきれなくなってでもなるべく押し殺そうとして「くっくっくっ」て悪役っぽい笑い声をあげてしまう。
姉がガバッと振り返る。




