6
あー、あー。本日も晴天なり。
今日も特にギイマの侵攻は聞いてない。そして101部隊の部屋は相変わらず静かだ。みんな机に向かって仕事をしていて、私とカレハさんは掃除している。とはいえ、昨日と今日でそんなに汚れるはずもなく壁や窓を微少に削っているだけじゃないかと思う。
私は雑巾を持った手を休めてアンジュさんを見た。すると、アンジュさんも丁度集中力と集中力の切れ間だったとみえ、私と目があった。私はついにっこり笑ったがアンジュさんは殺し屋のような目付きで私を睨んですぐ作業に戻っていった。
カレハさんは一生懸命窓を拭いていたので今のやりとりを見られることはなかったようだった。
それにしても、実は今日は杞憂な事項が一つある。言ってしまえばチャンス以外の何物でも無いのだが、ある意味このチャンスをものに出来なかったら逆にこちらが少しへこんでしまうという諸刃のイベントが待っていた。
定期巡回。簡単に言えば私が彼女たちの部屋を回って危険物やを持っていないか検知魔法で調べる業務だ。
たとえ、この戦線が少女たちだけで運営されているといっても戦場にはいつだって危険な薬物やそれに準じる何かは付き物だ。それを所持してはいないかを私たち上官が調べてまわるのだ。まあ、この四人がそういうものを持っているとは私は思っていないが業務は業務だ。やらないわけにはいかないだろう。
それよりもつまり定期巡回で他の皆の部屋にズカズカと足を運ぶことになるわけだが、それはうまくいけば距離を縮めることになるが悪くいけば嫌いな奴が自分の部屋に入ってきたということで、とんでもない拒絶をされる可能性があることを意味する。
難儀だ。
特にあまり話せていないリオナさんとイリスさんは実に不安である。
なんとなくだが、二人とも地雷を踏むととんでもないことになるという予感がビンビンしてくるのだ。積極的に何かを言ってこない人間のほうが怒らせたときに怖いのだ。
「さて、今日の書類的な業務は半日で終わりです。別に作業をし続けてもいいですが、終えたい人はキリがついた人から作業を終えてもいいですよー。あ、でもそういう人は部屋の鍵を私に預けてくださいねー」
私は両手をパンと叩いて、皆に聞こえる声でそう言った。皆は少し驚いたものの、すぐに定期検査かと気付いて荷物をまとめ始めた。
「ユイ上官さん」
まずはイリスさんのところに行こうと部屋を出ようとする私をカレハさんが呼び止めた。カレハさんの顔色は長年の雨の後に一切合切ペンキを塗り落とされた、コンクリートの壁のように悪かった。
「はい? どうしました?」
「あの。洗剤が切れてしまったので今から私は洗剤を買いに行きたいと思うのですが……その……」
カレハさんはもじもじとしている。
「私、BF44地区の近くに花壇を持たせて貰ってお花を育ててるんですけど……」
「お花を育ててるんですか。へええ、スゴくカレハさんらしい可愛い趣味ですねえ。それが、どうかしましたか?」
「わ、私らしくなんてないです! かわいくなんて! ……でも」
カレハさんは下を向いて黙ってしまった。
「あのー、カレハさん?」
「……私はダメな人間だから、今日はお花にお水をやるのを忘れてしまって……すいません。もし近くに寄ったなら、ついででいいので、お水をあげてもらえませんか」
BF44地区か。
BF44地区ならば、丁度イリスさんの部屋の近くだ。というか、カレハさんもきっと分かってて言ってきたのだろう。
「構いませんよ」
私は快諾した。
「あ、ありがとうございますっ!」
カレハさんは余程ありがたかったのか何回も私にぺこぺこ頭を下げた。
廊下を歩いてイリスさんの部屋へと向かいながら考える。考えるといっても難しい話ではなく、思いを馳せるといった方が正しいかもしれない。
昨日、アンジュさんが話してくれた魔法のようなオレンジのジャムのとろけるよう(想像)な甘さの蠱惑的なその味わいは一体如何程なんだろうか。なんてアホな考えに。
オレンジが煮詰められて極上の蜜になっていく過程を詳しく聞いていれば、妄想ももっと具体的になったか? とか、いやいや、そんなことをしたら只でさえ妄想だけで太りそうな今以上に食べたくなってしまって、ひどいことになるからその思考は危ないとか、まあそういうことだ。
あー、食べたいなー。帰りたーい。
ここでの任期が終わって本国に帰ったら少しくらいは暇が出来るであろうから、その休暇を使ってオレンジ畑に出かけに行こうかなー。お母さんとお父さんを誘って贅沢にオレンジジャムをのせてこう、パクっとね? いけない、涎が。ふへへ。
丁度、そんな事を考えていると、窓の外に小さな花壇が見えた。
その花壇は宿舎と宿舎の間の渡り廊下の傍にひっそりと建ってあった。今は日の関係で近くに生えている木の影になっていて、涼やかな風が吹く度に当たりかたが変わる木漏れ日を鬱陶しそうにさわさわと揺れていた。
花壇に咲いている花は華やかなものばかりで一見せっかちなのに、所々落ち着いた花が植えてあるお陰でむしろ楽しく、賑やかになっている。
「あれがそうか……。綺麗です」
思わず感嘆の声が口をついて出てきてしまう。しかし、よく見ると少しだけ元気が無いようにも見える。やはりカレハさんが水をやり損ねたせいで水分が足りないのかな、と思う。
「イリスさんの所へ行くよりも先に花壇に水をやるとするかー」
私はのびをして、花壇の花に水をやるついでに最近まとまって浴びるのを忘れていたお日さまにでも当たってこようかと思って、渡り廊下への扉に手をかけた。
しかし背後に気配を感じて立ち止まった。
む、後ろから粘っこい視線を感じる。誰だ。
気配に感づき立ち止まったままの私の襟が後ろからいきなり掴まれた。
「ほべえっ!」
そして、そのまま手を後ろに引かれて背中の骨が折れるかというくらいにエビのように私は仰け反らされた。
背中! 背中が折れる!
体をくいっと捻って体勢を持ち直し、一体全体誰なんだと手繰り寄せられた方に体を向かせる。
さらさらのゴールドの髪を持った人が頬を膨らませていた。
マリーゴルド・イリス。その人が私の後ろに立っていた。
「あ、なんだ。イリスさんじゃないですか。丁度今お宅にうかがおうとしていた所で」
「なんだ? なんだとはどういうことですか!? 嘘でございましょう!? 貴女ってば本当はどこへ行くつもりなんでしたの!」
私を人指し指で指さしながらピシャリ、と士官学校低学年時代の鬼教官の様に鋭く言葉を言い放つイリスさん。うう、あのクソババアに校庭を走りまわされた私のトラウマが。
若さと容姿の端麗さではイリスさんと教官は似ても似つかないが、雰囲気がやたらと似ている。私はそのせいか、今から教室を抜け出していたずらをしに行こうとした瞬間に見つかり何をしようと思っていたのかを教官に激しく糾弾されるいたずらっ子の様な気分になっていた。
いや、むしろあの時の教官とイリスさんは同じ目をしている。
はっ、私が問題児なことを脳内でバレた! ……いや、誰にバレたというんだ。冷静になれ私。
「綺麗な花壇を見つけたものですから覗きに行こうかと思いまして」
イリスさんは怒りにプルプル震えていた。
「ユイさんはわたくしよりも、花に水をあげることの方が上、大切だと言いたいわけですの!? 私の部屋へbの巡回という任務よりもその花のほうが大切だというわけですの!?」
「そ、そんなこと言ってません……」
うう、そんな教官のような目で私を見ないで。私は悪いことをしていないのに、したという気分にさせないで。
「態度が示していますわ! し、ししし失敬ですわ! わたくしを無視しないでくださります!? わたくし怒りました! わたくしへの用件を満たしてからでないと行ってはいけません! 容赦しませんわよ!」
スッゴい剣幕だ。本国の士官学校の教官に向いているんじゃないか。あのクソババアの後釜にでも据えてもらえば将来安泰だ。
「今失礼なことを考えたでしょう!? しかも私だけじゃなく別の人にも失礼なことを!」
どうして分かった!
「め、めめめ滅相もない! まさか私がイリスさんだけでなく第3者を巻き込んで失礼なことを考えるはずが、あ、あああありませんよっ!」
「ユイさん、あなた動揺してますわよ。と、に、か、くっ! わたくしへの用事を済ましてからでないと何もさせませんわ! そんな雑務ごときに私がないがしろにされるなど我慢なりませんわっ!」
イリスさんの瞳には決心の色がかたく見えた。
「うう、分かりましたよ……すぐ終わらせますって」
「何です、その本当はお前のことなんて後回しで良かったんだけどなんか叱られてうぜーし、めんどくせー、から先に相手してやるよ。はっ。みたいな顔はっ!」
「そんな事思ってませんって。人聞きの悪い」
さすがにそれは自意識過剰で妄想力が豊かすぎる。まるでイリスさんのおっぱいみたい。いや、変態か私
「いやいや、貴方のその生きてることがめんどくさそうな、死んだ魚のような目がそうだと物語ってますわ! ああ、全く! そのいやらしい目つきっ! 気に入りませんわ!」
「まーた、私の生まれつきの目をダシにされて叱られるのですか……そんなところまであの教官に似せなくていいのに……」
「何かいいましたか!?」
「言ってません!」
*
「イリスさんのお部屋初めて拝見しましたが、いやあ、スッゴク可愛らしいですねえ。お姫さまのお部屋って感じで一応女の子な私はマジであげぽよです」
「あげぽよ?」
イリスさんに連れられて、イリスさん部屋に入らせて貰ったのですが、いやあ、これが凄い。
本当にお姫さまの部屋の様に中は、フリフリのレースのカーテンとか、テーブルの上にさりげなく置いてある、花瓶の中に品よく活けてある名前も知らない赤色の花だとか、ピンク色のくまさんのぬいぐるみとか置いてある。
おとぎの国にでも迷い混んだようで、ひょっこりそこらの物陰から白馬の王子様が顔を出すんじゃないかってくらいだった。ガサツな人間が多い軍人の中でこんなにまともに女の子女の子している人は逆に珍しい。
「いや何も言ってないです。忘れてください。その言葉本国でももう死んでますから。……さてと」
私はポケットから封筒を取り出してその中の紙を一枚取り出した。
この部屋に全く似合わないほど、質素な紙一枚だ。それにはもはや黒色のなにかで塗りつぶしたんじゃないかと疑いたくなるくらいにびっしりと文字が書かれている。破けば破けそうな安紙にしか見えないが幾重もの多重の防壁魔法を張り巡らせた精密魔法陣だ。お値段も……私の月のお給金よりもする。
「この術式に魔法力を込めると、この部屋になんやらかんやらが定着し始めます。そんでもって五分くらいしたら持ってちゃいけないアレとかソレとかをイリスさんが持ってるか分かりますんで」
「そんなの分かりきってますわ。それに私はそんなもの持っていませんわ。私を疑うだけでも侮辱というもの、と私はいつも思っているくらいですの。不要ではございません?」
「まあまあ。こればかりは規則ですんでお気を静めてください」
まあ、イリスさんも初めてではないだろうからこの説明は分かっているだろう。しかし、私にとっては説明が仕事である。
「持ってちゃいけないアレとかソレとか言っても、具体的には過度の覚醒作用があるマジックな粉とか飲むと気持ちよくなりすぎちゃうお水とかですね。あ、お酒のことじゃありませんからそこは安心してください。お酒などの一般的な嗜好品は引っかかりません」
「だから、分かっていますと言っているでしょう。なんなのですわこの説明は!? 一回すれば充分なのにしつこいですわ」
「あー、はいはい。それで今、式を展開させイリスさんの部屋に定着させたので五分くらいすれば結果が出ると思います」
しつこい、という目付きのままイリスさんは流石に私の説明に耐えきれなくなったのか目を逸らした。まるで私と仲よく会話しようという雰囲気は感じられない。
……五分か。難儀である。何を話そうか。
うーん。クオリア皇国流上司奥義、『とにかく誉めろ』。
「しかし、イリスさんの部屋は凄く可愛いですねえ。私、目移りしちゃって! 小さい頃はこんな部屋に住んでみたいなあ、って思ってたくらいですよ。画一的な戦線の個室をこうもデコレートしてしまうイリスさん、本当に流石ですねえ」
「当たり前ですわ」
「さいですか」
当然のようにイリスさんが頷いて沈黙くんがまた現れた。昨日も会ったよね、君。……駄目だ。この人は自分のセンスに絶対の自信を持っている。何を誉めても自分がハイセンスなのは分かりきっていることなのに今更この上官は何を言っているんだ的な目線で見られるに違いない。褒められるまでもないといった具合だ。
「いやあ、私もイリスさんに見習って。コツとか教えてもらえません?」
「センスとは教わるのではなく、普段の行いに従っていつの間にか身に付くもの。教えることなど出来はしませんわ」
「さいですか……」
め、めんどくせー。誰だよその意識高い宮廷の規範書みたいな文言考えた奴。
「あれ、イリスさん。その絵本って((雪のくにの王子))さまですか? 私子供のころにめちゃめちゃ読みましたよ、それ。寂しかった雪のくにの王子様がやっと出来たともだちのために、自分の孤独を堪こらえて送り出す場面がすんごく印象に残ってます」
ふと、本棚に目をやると一番上段だけ、専門書が並んでいる他の列と様相が違っていることに気づいた私が目を凝らしてみると、そこばかりはずらりと絵本が並んでいた。そこに並べられている一冊の本の背表紙の題名が目に止まった。
「そうですわ。……ふん、そうはいってもユイさんもこれらを内心童話だとバカにしたい底の浅い人間なのでしょう?」
「私の幼少時代のバイブルをバカにするなんてとんでもない! あ、確かその童話を書いた人ってシャルロットだとか洒落がなんだかとかいう変な名前でしたけど、もしかして……」
私はイリスさんを指差した。
「そうですわ、童話作家シャルレ・プルレウスは我がフランチア王国の誇る偉大な文豪ですわ。世界各国、数多の言語に翻訳され万人に楽しまれている偉大な方なのですわ」
「ほええ……」
「フランチア王国では初等教育の母国語教育でこれを使わない国民は一人も居ないくらいですのよ? ……ま、ユイさんにはシャルレの本当の良さなんて分からないでしょうから」
まるでオペラの歌手かのように堂々と声を高らかに張り上げるイリスさんはちょっとだけ奇妙で、そのユニークなポーズとイリスさんの整った顔立ちがアンバランスでどこか可愛かった。はにかむような表情がグッド。
「へええ。クオリアの私でも名前を知ってるくらいですから、やっぱり本国でもすっごい人気なんですねえ」
「子供に親しまれつつも大人も感心させられてしまう教訓を職人技で巧妙に忍ばせるシャルレこそ世界最大の文豪ですわ! そうではありませんか? ……はっ、何をわたくしは子供のようにはしゃいで……。とにかく我が国の誇りですわ。私はこのような国の誇りを背負うような人間を須らく尊敬していますの」
晴れ晴れとした良い笑顔でイリスさんは私に手に持った絵本をつきだしてきた。
「最近では文字は軍法書とか資料とかでしか読みませんけど、小さい頃はなかなかの読書家だったんです。シャルレの絵本はいっぱい読みましたよ」
なお読書の半分くらいは雑誌、月刊ハ虫類(両生類)のことはこの際黙っていることにした。……蛙、可愛いのに理解できないとかこの時代の人間の感性はどうなってやがる。未来人に期待だ。
「なるほど……では、これも知ってますか?」
イリスさんは本棚から一冊の絵本を取り出した。
見覚えのある表紙でした。
ただ題名はフランチア語で書かれていて。ええと、一応語学はある程度の国の言語を勉強していて良かったな、と。
……表題は、少女戦線物語。
「少女戦線物語? ええと……思い出しました! あ、これシャルレの絵本で一番怖い奴ですよね? ……内容はあんまり覚えて無いのですが、子供心に怖くて怖くて仕方なくて、読みながらぷるぷる震えてたような気がします」
「ふふ。ここの砦が少女戦線と呼ばれている由来の本ですわ。外装がとても似ているからそう呼びれているそうですわ」
「はあ、なるほど! この砦の元ネタというわけですね!」
「ユイさん、内容を本当に覚えていらっしゃらない?」
イリスさんが絵本をパラパラとめくって中の挿し絵をそれはそれは慈しむように優しげな目で見ていた。
「はい! 怖くて震えてる、鏡にうつった私のイカした顔しか覚えてません!」
「……どうして厚顔無恥にも笑いながらにナルシストな発言が出来ますの……」
イリスさんは呆れていた。貴女に言われたくないぞ。
「そんで、どんな話でしたっけ?」
覚えてないけど凄く懐かしい。童心に帰る気分だ。
「……知らなければ、このイリスが思い出させてあげてもよろしくてよ?」
「いや、そういうのいいんでその絵本見せてください」
「むかーし、むかしのことですわ!」
「あっ、私の意思関係なく話始めるのせこい!」
むー。さっきからイリスさんとのかけあいがあのクソババアとの掛け合いに近付いて来てしまっている気しかしない。本当にイリスさんはあのおばさんに雰囲気が似ているなあ。……厄介な思い出ではあるが、どこか懐かしい思い出だ。
「ふん。それよりもユイさん、さっきから声が大きすぎですわ」
「すいません!」
「うるさいですの! 声が大きいって言葉に大声で返事をしないでもらいたいですの!」
ぺち。イリスさんに頭を叩かれた。
「いて」
「ふん、いいですかユイさん。少女戦線物語は……つまりこういう……」
「あれ? 私の知ってる物語と結末が違う!」
終盤近くまでイリスさんの話を聞いたところで、私は大きな声を張り上げた。
「とりあえず相変わらずうるさいですわ! 学習なさい!」
「うへ」
頭をぺしと叩かれる。
「……それにしても、物語の結末が違うとはどういうことなのですの?」
「だって、私が読んでいた少女戦線物語はスッゴク怖くてスッゴク悲しかったけれど最後はハッピーエンドでしたもん」
「ハッピーエンド!?」イリスさんは鳩が豆鉄砲を食らったような顔をしている。「少女戦線物語がハッピーエンドと申されますの? ユイさん!」
「はい。途中で本当に怖くなってブルブルは震えてましたけど最後はみんな助かって私嬉しくて泣いちゃいました。嬉し泣きしたのなんてその時が初めてでしたから、間違いないです」
イリスさんは怒りの表情を見せてプルプル震え始めた。
「少女戦線物語は滅びの美学。……それをハッピーエンドとは愚劣極まりありませんわ。恐らく貴女の読んだものは少しばかり改変された偽物のようですわね」
ふん、とイリスさんが鼻を鳴らした。
イリスさんは物語がハッピーエンドと聞いてすんごく怒りながらも呆れていたようだった。
「どうしてですか! 私、それを見て感動したんですよ!? それに、どんな物語だってハッピーエンドの方がいいじゃないですか! 心が楽しくなってワクワクしてくるじゃあありませんか!」
自分が小さい頃に読んで感銘を受けていた幸せな物語の結末がハッピーエンドではなく、バッドエンドだと聞いて私は少し混乱していた。
「いいですか、ユイさん」イリスさん「きっとその結末の捏造はクオリアに入ってくるとき子供に配慮して捏造したものでしょう。童話は常にその国に合わせて変化を求められる芸術ですの。フランチアこそ発祥の地ですからどちらが間違っていてどちらが合っているかだなんて明白ですわ」
「……そんな」
「しかし悲劇の傑作をねじ曲げて結末を捏造して、凡百たる物語にしてしまう。やはりユイさんのお国もたかが知れてますわね」
イリスさんがクオリアと私の物語をバカにするように言った。
「……そんなことないです。私にとっての少女戦線物語は希望の物語です。どんな時も諦めちゃいけないってそう思えた、教えてくれたかけがえのない本なんです!」
私がイリスさんの目を真剣な眼差しで見ていると、イリスさんはなんだかばつが悪そうにそわそわし始めた。
「……み、見せるまで内容を忘れていたくせにやけに真剣ですわね……。いいですわ。子供の頃に強く影響されて無意識的に自分の原動力になっているというのに忘れているなんて珍しいことではないですから。しかし、事実は歴然としているのですわ」
「ぐう……」の音しか出ない。
その時、軽妙な音が部屋に流れた。音源は展開していた術式からだった。
「……あ、終わったみたいですね。ええと、反応は緑。つまり大丈夫です。イリスさんの部屋に危険物は無いということになります」
「ですから、最初からやましいことなんて無いと言いましたでしょう?」
「そんな事を言うのなら私だって最初からイリスさんのこと疑ってませんよ。決まりです決まり。決まりは守らなきゃです」
……さてと、用事を終わらせたので退散しますか。イリスさんもなんだか私が自分の部屋に居る事実を鬱陶しく思っているようなので。ドアノブに手をかけて外に出ようとした時、後ろから私を呼び止める声が聞こえた。
「ユイさん、すみませんわね」
その声に私は振り向いた。
イリスさんが申し訳なさそうな顔をして私の事を見ていたのですが、はて、ここでイリスさんが私を呼び止め、しかも申し訳なさそうにする道理なんて何処に存在したのでしょうかね。
「はい? イリスさん、私に何か用です?」
「ごめんなさいなのですわ!」
イリスさんが深々と頭を下げた。……はい?
「数々の暴言。ずっと謝りたかったのですわ!」
「暴言?」
ああ、無能だとか。上から見下ろすなとかですか。
「わたくし、自分では無意識に、いつのまにか他人を傷につけてしまうのが珠にキズなのですわ! ダイヤモンドのかすり傷なのですわー! ……それに先程のクオリア皇国を馬鹿にしたような言い方、あれは無かったですわ」
「ふーん」
自分でダイヤモンドって言うか? 普通。
「気を付けていても、誇るべきわたくしフランチアの国や自分の家の事を思うといつの間にか、わたくしは気丈に振る舞ってしまうのですわ……。わたくしがフランチアを馬鹿にされたらすごく嫌ですのに、わたくしったら……」
「へえ」
私は平坦な声で答えた。イリスさんが全然印象と違うことをさっきから言うものだから、普通にポカンとしていた。
「わたくしは結構真剣に悩んでいましたのに反応薄すぎですわね!?」
「いや、私はそんなものオレンジジュースを飲み過ぎた時の舌へくる痺れくらいは気にしてませんからね。そりゃ薄いですよ」
「嫌に具体的ですわね……。それに例えが庶民的、俗物的すぎますわ。はあ、貴女アホですわね。謝ったわたくしが馬鹿でしたわ。貴女のことをクオリアのエリートと聞いていますが本当なんですの?」
私は頭をぽりぽりとかいた。
「はあ、どうやらそうらしいですね。ぶっちゃけ血筋だけは、さいきょーって感じです」
「はあ、貴女と話していると感化されて馬鹿が移るような気すらしてしまいますわ……」
「そうですかね? 私はそうは思いませんが」
「自分の無能さを他人事のようにして語るのはやめてくださいまし!」
「おっ、イリスさんナイスな突っ込みですね! 手の角度が良い!」
「だから、威厳が無さすぎなのですわ! はあ、こんな人間がエリート努めてると思うとクオリア皇国のたかが知れる……を通り越してもはや同情し始めてしまいますわ……」
失礼な。
「あの、一応私。本国ではこれの万倍はキリッとしてますからね? もうここでは部下が全員私のことを慕ってくれないのでヤケクソになってるだけですからね?」
「そんな言葉を信じろって言われたほうが難しいのですわ……」
部下にクソだとか無能だとか言われるのに慣れてる将校が居るわけないだろ。そりゃあ、こうなる。まあ、私はそんな言葉は出さないようにした。
「あ、そうだ。忘れかけてました」
ふと、私はあることを思い出した。イリスさんは私の様子に少し首を傾げていたけれど、直ぐに合点がいったようだ。
「? ああ、ユイさんはお花に水をあげようとしてましたわね」
「ええ」
「出てっていいですよね?」
「……ふん、用事が終わったならさっさと出てってくださいまし」
「さっきまで私に楽しそうに語っていて、それがいき過ぎて私に謝ろうとしたんでしょう? 話したいくせに。本当に素直じゃないですねー」
「口うるさいですわ。……全く小生意気で妹みたいな上司ですわね、貴女。ユイさんのような人間、ここ少女戦線以外じゃ許されませんわよ」
「だから万倍キリッとしてるんですって。それにそれを言うなら上官に軽口叩きまくる不肖な部下を見るのも私は初めてですけどね」
私とイリスさんは目を合わせて少し吹き出してしまった。
「ふふ、あなたバカですわね」
「ええ、全く。じゃあ私はこれで」
ドアノブに手をかけて、ふと頭にある考えが浮かんだ。
自然に頭の上に、その言葉が浮かんだ。二匹目のどじょうを捕まえるつもりだったのかもしれなかった。単に興味があっただけというのもあったし、それを元にもう少しイリスさんのことをよく知ることが出来ればなと思った。
「あー、そうだイリスさん」
「まだ? なんですの?」
「イリスさんってギイマとの戦いが終わったらなりたいものとかやりたいこととかあったりします?」
イリスさんは私のいきなりの質問に、最初は何を聞かれたか分からないで少し戸惑ったような素振りを見せたが、直ぐにいつものような顔になって高らかと言い放った。
「ふん、そんなのは決まっていますわ。わたくしマリーゴルド家の名を本国に知らせしめシャルレのような誇り高き得難き実績を得ることですわ。……その得難いものを手にいれるまでは絶対にわたくしはくたばりませんことよ!」