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「……うーん。何にしよう」


 私は悩んでいた。悩みに悩みまくっていた。頭が沸騰するほど悩んでいた。なんと飲み物ひとつにだ。


 目の前には喉が乾いた人のために、魔法の力で溶けない氷の中に何本ものボトルが入れられている。飲みたい人はこれを熱魔法で溶かして飲みたいものだけ取り出すのだが、私ははて、アンジュさんには何の飲み物が良いんだろうな、と考え始めた。


 紅茶にしようか、なるほど普通だ。普通すぎる却下。つまらない人間だと思われる。上官としての才覚というか器の大きさを疑われる。無難なの選んでんじゃねーよと言ったところか。


 ならばコーヒーか? ダメだコーヒーには私がトラウマがある。コーヒーこわいコーヒーこわい。カフェインが襲ってくる。クオリア皇国魔の徹夜戦争……うっ、思い出したくない……。


 じゃあ、なんだかよく分からない開発会社がノリで作ったような緑色のスープのようなやつか? いや、流石にそれは喧嘩売ってるだろ。喉が乾いた差し入れにスープとかどんな嫌がらせだよ。アンジュさんにぶん殴られても文句はいえない。


 悩む。悩む。大いに悩む。


「……ん」


 ふとファンシーな缶が目に入った。オレンジに顔を描いたようなキャラクターがこちらに親指を立てながらウインクをしている。


 ……これだ!


 ここは、オレンジジュース。それしかない! 


 ……だって見てくださいよこのオレンジ! 良い顔をしてるでしょう? へーいベイビー、俺様を飲んでくれヨーって顔をしてるじゃないか! パッケージデザインで奇をてらいつつも中身は誰もが飲めないことはないというオレンジジュースであるという絶妙なチョイス。


 ……まるで私のため、このときのために入荷されたかのように燦然と輝くそのオーラ、只者ではないことがビンッビン伝わってくる。


 なによりフレンドリーなオレンジくんの健康的な真っ白な歯! やれる、やれるぞ! こんな遊びもしちゃうんだぞという上官の余裕感を漂わせつつも実益を兼ねた飲料を差し入れることで有能さをアピールだ。


 ……いや、無いな。そんなはずはない。


 やっぱこれはふざけすぎだろ、はっちゃけすぎだろ。だってこのオレンジくんのキャラクターの顔見てるとなんか爽やか過ぎてイラつくから。


 蹴りたくなってくるもの。ちょっと認められそうになったからって距離を縮めようとしすぎだ。攻めすぎ私。そんなのないない。無難に紅茶だ。つまらなくてもいい。


 軍人なら花より実をとれ。


*


 まあ結局飲み物を選び終わった私は101部隊の部屋のドアの前に立った。


 私の手元にはイカれ……イカしたデザインのオレンジジュースが二本あった。なぜだ、なぜ私の手の中にこれが……!


 くっ、記憶にない……。


 記憶にないといえば嘘になるが、しかし、疲れた頭には甘いものがいいとかいう謎の予防線を張ってこれを選んでしまった過去の自分の頬を一発ぶん殴ってやりたい……!


「アンジュさーん」


 なるようになれと私はドアを勢いよく開けた。


「遅かったな」


 アンジュさんは特になんの感想も抱かせないような顔で私を見た。


「いやあ、うっかり迷っちゃいまして、私、ここで働くのが初めてなもんで」


「そうか。ま、そりゃそうだろうな。意外に入り組んでいるからなこの砦は。分からないでもない」


 アンジュさんは疑っていないようだった。


 勿論私の発言は嘘だ。私の数少ない人に誇れる微妙な特技として、設計図でも良いから一度マップを見てしまえばそれが立体的にいつまでも脳に残るおかげで敷地内なら絶対に迷わないというのがある。三次元の空間認識能力には定評がある。


 まあ、逆に言ってしまえばそれに頼り過ぎていて、地図が間違っていたり、そもそも東西南北に感覚的にいかほど、というアバウトな捉え方は大の苦手なのだが。まさかオレンジジュースを買うか迷っていて遅れたとは言える訳が無かろうよ。


 それは今はどうでもいい。今は如何にしてこのオレンジジュースを自然にアンジュさんに渡して目的を達成するかだけが大切だ。


「んで、何買ってきてくれたんだ? ま、こいつは重要だぜ? 何を買ってきたで私はお前の将としての器をはかっちまうからなあ」


 アンジュさんは不敵に笑った。


 ギクッ。やはりこの飲料選びには上官のプライドが試させられるという私の予感は間違っていなかったか。


 大丈夫。今回は自信があるから。


 しかし……私は手にもったオレンジジュースに視線を落とした。オレンジくんが爽やかな目でこちらを見ていた。蹴りたい……最高にこやつめを蹴ってやりたい……。


 うーん、やっぱ今からこいつを転んだふりしてぶちまけて新しいの買ってこようかな……いや、勿体無いしなあ。転んだふりってこんな床にものひとつ落ちてない部屋じゃ絶対不自然だもんな。掃除するんじゃ無かったなあ。


 悩む。その後に私の脳は焼ききれた。


 もういいや、文句は飲んでから言ってくれ!


「はい、オレンジジュースです! しかもオレンジくんが書いてあるやつですよ! レア! レア物ですよこれ! 知りませんけど!」


 私は出来るだけ視線を下の方に落としながら手にもった缶をアンジュさんの方に突きだした。


 しん。


 静寂という名前の怪物がどうやらこの部屋に忍び込んでいるようだ。可愛いやつめ、早く出ていけ。


 沈黙が重い……。


 もうダメだ。と思っておそるおそる私がアンジュさんの方を見るとアンジュさんはスゴく女の子らしい、満面の笑顔だった。何事?


「そうか! オレンジジュースか、分かってんじゃねえかてめえ! オレンジは最高だよな!」


「へ、へへ。ですよね? アンジュさんならきっとそう言うと予想していましたよ」


 そんな訳ない。失敗したらこのオレンジくんの缶に士官学校時代に黄金と評された私の右小キックを食らわせようとさっきまで画策していたところだ。


「丁度そいつを飲みたいと思ってたところだ。……お前も存外、気も利くじゃねえか」


 なんだかパッケージの奇抜さは関係なく意外と高評価。やった、私は賭けに勝ったぞ! いえーい。ありがとうオレンジくん。後で誉めてやる。


「うん、美味い。懐かしい味がする。……そういえば、お前の腰にぶら下がってるそれ、何だよ?」


 アンジュさんが私が普段携帯している腰の刀を指差して聞いてきた。


 黒い鞘に、黒い鍔、それに柄まで黒の真っ黒な代物だ。


「これですか? 刀ですよ」


 アンジュさんは刀と聞いてまるで興味を無くしたようだった。元々そんなに興味が無かったのかもしれない。


「今時そんなの必要ないだろ」


「必要無いと良いのですが」


「そういう意味じゃねえ。そんな棒振り回してる暇と力があったら魔法使えよって。杖使えよ杖。まあ訳わからん得物を使う魔法少女サンドリヨンは珍しくないが斬撃武器? 魔弾飛ばせよ魔弾」


「……そうなんですよねえ。ただ事情があってこの刀を武器にしなければいけなくて……」


「ふうん。ま、私にゃお前が何持ってようが関係ねえが。戦闘っつうのは死ななくて殺せるなら何だって良い」


「そうですね」


「そうだ」 


「はい」 


 少しの沈黙が部屋の中に訪れた。


「しかし、こんなに平和だと最近色々余計な事を考えちまうんだ」


 アンジュさんがジュースをすすった後におもむろに口を開いた。


「余計なこと、ですか?」


 私も一口すすって、そんな当たり障りのない言葉を返した。


「……。いつの日になるかわかんねえけどさ。いつかギイマとの戦争も一段落ついたら地元に残ってる妹と一緒にまたオレンジを作るって約束してんだ。そん時の事をさ、最近考えちまう」


「妹さんとオレンジ農家ですか、いいですねえ。素晴らしい夢をお持ちです」


 アンジュさんは照れたように頬をかいた。


「……へへ。両親が死んで金が足りなくなっちまって今は私がこうやって戦地に働きに出てんだけどな……元気でやってるかな、あいつ……」


 アンジュさんは懐かしそうな目で外の夜空に浮かぶ月を見た。


「オレンジジュースとか私実は大好きですもん。私も憧れますよ。好きなものに囲まれて好きなものを育てる生活ってやつには」


「いいもんだぜ」


「いいもの? まるで経験済みのようなセリフですね」


「ま、あな」


「あ、また、ってことはアンジュさん元々オレンジ育てていたんですか? 帰ったら新しくやり始めるわけでなく、再開するということですか。はあ、なるほど。アンジュさんがオレンジ農家だったなんて、なんだかちょっと意外です」


「意外? 失礼なやつだな」


 アンジュさんは最初に会ったときのように、私を鋭い目で睨んだ。


「おっと確かに失礼でした。見かけによらずとか失礼でしたね」


「わざわざ見かけによらずとか言って失礼の上塗りしてんじゃねえよ」


「ありゃりゃ、確かに。これまた御無礼でした」


 アンジュさんは呆れ始めてきたらしく鋭い目線を微妙な表情に変えて持っていた缶を少しだけ振った。


「……まあお前がそう言うのも分かんなくもねえから、許してやる。……それにしてもお前、オレンジをジュースにするの好きなのか?」


 なぜかおそるおそるといった雰囲気を漂わせながらアンジュさんは私に聞いた。


「ええ、好きですよ。する、というか私は消費者側なのでオレンジを使った市販のものの中ではジュースが好き、という意味ですけれど」


 アンジュさんは感心したように二度頷いた。


「私はそのまま食うのが一番だと思うがそういう輩は多い。市販のオレンジジュースなんざ、さしてうまくねえのになんでだろうな?」


 さしてうまくないといいつつさっきから手にもったオレンジジュースを大事にして飲んでいるアンジュさんに私はおかしみを感じた。


「食べやすいからじゃないですか? 食べやすいというか、飲みやすい。手に入りやすいですしね」


「はあ、なるほどなあ。そりゃそうか。簡単に手に入って気軽に飲めるもんなあ。納得といわれりゃ納得だ。商品ってのは気軽さが一番重要な点っつう側面もあるもんなあ」


「それよりも先程市販のオレンジジュースは美味しくないって言った割には大切に飲んでいますよね、そのオレンジジュース。どういうことでしょう?」


 いたずらっ子っぽく問いかけたのだが、アンジュさんは全く顔色を変えずにむしろ笑みを強めた。 


「ああ、こいつも悪くはないさ。でもそりゃあこれと本当にうまいオレンジジュースとを比べちゃいけねえ。昔は私も農家だから形の悪い奴、売れない奴、余った奴は潰してよくジュースにして飲んでたんだが、新鮮なやつで作るのがこりゃあ、たまらなかったぜ。クソ暑い日なんか氷で冷やした採れたてのこいつを飲むとホントに格別だ。別格よ別格」


 ごくり、と私の喉に唾が伝う。


「おお、なるほど。夏の日差しにキリッと冷えた瑞々しいオレンジジュース……。浮かんできます、頭の中に浮かんできます……ああ、分かります。いいですねえ……そそりますよお……」


 ダメだ。オレンジ農家にこんな話をされて食欲をそそられない人間がこの世に居るか。いや、居ない。


「ああ、あの感動ったら言葉になんねえよ。こう喉で甘いオレンジがごきゅごきゅ鳴ってな。くう、思い出すだけでたまらねえ!」


「うひゃー、やめてくださいアンジュさん。涎が、涎が止まりませんよお……」


「いやいや、これだけじゃねえ。そんで、それでも余った奴をジャムにして食うんだ。これがな、飽きねえ飽きねえ、いくらでもいける。一斤、十一ブロンズもしねえ安物のパンに乗せてみろ。たちまち上等な菓子に早変わりだぜ。魔法世紀の今やちまたに魔法なんざいくらでも溢れてやがるが、私に言わせりゃこれこそほんとの魔法みてえなものなんだ」


「どひゃー! ストップ! それ以上はいけません! 私の食欲が暴発してしまいます!」


 アンジュさんはよほど私がアホ面をしていたのか私の方を見て腹を抱えて笑っていた。


「はっはっ。てめえがあんまりにもうまそうに私の話を聞くもんだから調子にのっちまった」


「いやあ、目の前に実物がないときのうまそうな食べ物の話は残酷ですよお。しかし、アンジュさんがオレンジについて喋っているときってなんだか生き生きしてましたねえ」


「……まあ、な。ヒートアップしちまった。ふっ、こんな様なことが余計な考え事だってんだ。まあ、平和になったらいつかお前に食べさせてやる、飲ませてやるよ。たまらねえオレンジのフルコースをな」


「うわあ、それは楽しみです」 


「へへ、期待は裏切らさせねえぜ……」


「ふふ。そうでなくっちゃ面白くありませんよお」


「へへ」


「ふふふ。……なんだか、私。アンジュさんのこと口が悪くて凄く怖い人だなって思ったんですけど二人きりだとなんか、普通の人ですね」


 アンジュさんが一瞬首を傾げた。そして私が何を言ったか気付いたらしく顔を赤くした。オレンジ好きなくせに林檎みたいに可愛らしい照れかただ。


「~~! ったく! お前、恥ずかしいこと言うんじゃねーよ。んなことねーから! 私はこえー人間だよ!」


「そんなことありますよ。うまいオレンジの話をする人間に怖い人間は居ませんからね」


 いや知りませんけど。


「おいおい、そのカテゴリに含まれる人間どれだけ要るんだよ。しかし、そりゃ私は根は良い奴って自負はあるからな。所詮しがねえ田舎のオレンジ農家の娘さ」


「根は良い奴って自覚があるのなら」


 こうやって自分を卑下しているアンジュさんは本当に初めて会ったときに比べて別人にしか見えない。


「……どうしてカレハさんにはあんなに強く当たるんです?」


 私は気になっていた言葉を口から出した。


 アンジュさんはその言葉を聞いた瞬間に急に真顔になって照れではない方の感情で顔を赤くした。


「う、うるせえ、とっとと帰れバカ野郎! オレンジジュースはうまかったがそれだけでてめえを上官なんぞに認めてねえからな、小賢しい! ほらさっさと出てけ! 出てかねえなら私が出てく!」


 そういってアンジュさんはイスから立って、部屋から出ていこうとした。


 ドアの前でアンジュさんが立ち止まった。


「おい、てめえ。カレハの前で私にあんまり馴れ馴れしくすんじゃねえぞ。したらぶっ殺すからな」


 バン!


 大きな音を立ててドアが閉められた。


 また怒らせてしまった……。ありゃりゃ、私、どこで間違えたんでしょうかね。


*


部屋から戻ると玄関のポストにひっかかりそこねた手紙が扉の前に落ちていた。拾い上げる。両親からだ。封筒を開けると、なぜだか故郷の香りが一瞬したような気がした。私は指を滑らせて文字を読んだ。……何々。


 ユイ。元気でやってますか。風邪を引いてませんか? 立派に役目を果たしていますか。辛くありませんか。頑張っていますか。辛いときは歌を歌うと良いですよ。風邪を引いたときは栄養のあるものをたくさんとってよく体を暖めて、よく眠るといいですよ。


 ……なんだか、こんなようなことばっかり書いてあった。


 大丈夫。心配しなくても私は失敗せずに頑張ってるよ。なんて心の中で応えた。……いや、失敗はしてるか。ま、だから心配なのか。


 寝る前に新品のタイプライターに指をはしらせて、返事を書くとしよう。

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