第18話 料亭
第18話です。
「空くん、少し話をしたい」
茜さんのお父さんの一言が、俺に突き刺さった。それは、まるで「これからあなたの日常を壊しますよ」と神から言われたような恐怖を俺に与えた。
「まあ、時間も遅いし、ちょっとここでは都合が悪いから、どこかで夕食でもとりながら話をしたいんだけど……どうかな?」
「はい。わかりました」
今日、迷惑をかけて、信頼を裏切ってしまったことで、茜さんとの日々が終わるのだということを考えると、抜け殻のような声で返事をしていた。視界の隅に、車でも眠そうにしていた茜さんが家に入ろうとしているのを見つけると、茜さんが赤の他人になっているように見えた。
「…………のレストランに行こうか」
「はい」
茜さんのお父さんが何か言っていたようだが、別に今日で関係が終わる人だと思うと、聞き返す気も起きなかった。
「着いたよ」
「はい」
茜さんのお父さんの声で車を降り顔をあげると、左手に、いつくかの小さな灯籠らしきものが置かれていて、その間に置かれた飛び石が建物までポツポツと続いている、いかにもな料亭が見えた。門では年季のありそうな黒々とした木製の扉が開き、堅苦しそうな雰囲気がこちらまで流れてきていた。
「じゃあ、中に入ろう。予約はさっきしたから、問題なく入れるはずだよ」
「……」
茜さんのお父さんが店の扉を横に引くと、カラカラと乾いた音がした。店の中はそこそこ広く、カウンターと座席が合計10個ほどあり、奥には個室もいくつかあるようだった。
「いらっしゃいませ。月野様、本日は2名様でのご予約ですね。いつもご利用いただきましてありがとうございます」
「……?」
店員さんが来てくれて挨拶をしてくれたが、話ぶりからするに茜さんの家はこの高級な料亭の常連さんのようだった。しかし、言っちゃ悪いが茜さんからはそんな上品なオーラを感じたことがない俺は驚きを隠せなかった。
「今日はちょっと、娘の友人と話をしたいことがあってね」
「わかりました。本日もいつもの席をご用意しております。お食事は既にお席にご用意させていただいておりますので、ごゆっくりお過ごしください」
「ありがとう」
「……いつもの?」
すると茜さんのお父さんは奥を指差し、
「あの席だよ。私たち家族がここで食事をするときは、いつもあそこでするんだ」
そう言うと、奥の奥にある、恐らく店で一番広いであろう個室に向かって行った。
「さて、さっそく本題に入ろうか」
茜さんのお父さんが言った。
「はい、お願いします」
もう、さっさとここから出て茜さんに対する感情を整理したかった俺はぶっきらぼうな感じを隠しきれず返事を返した。もうこんな日々も終わりか。
「…………さっきの茜の様子を見て、やっぱり、今まで伏せてきた茜のことについて、空くんに知ってもらうべきだと確信した。空くん、君はこれから、今まで以上に茜と一緒に過ごしてもらうことになると思う。……そして、茜のことなんだが……」
「……?……ちょっと待ってください。俺が今日ここに呼ばれたのは、茜さんのご両親に迷惑をかけてしまったので、『もう茜さんと一緒にいないで欲しい』ということを言われると思っていたのですが」
「えっっ。いやいやそんなことはないよ!」
茜さんのお父さんは、そんなことは頭の片隅にもなかったというように首を激しく横に振った。
「そもそも、空くんが何かしたのかい?私はそれをそもそも聞いていないのだけれど」
そうか、まだ茜さんのお父さんは知らないのか。
「でも、今日、電車で帰ってくることができず、ご迷惑をおかけしてしまったのは、俺が自分本位な理由で電車を一本遅らせてしまったからなんです。本当にすみませんでした」
やってしまったことを隠して、これからの毎日を過ごしていくというのは、単純に俺も後ろめたさに苛まれるし、茜さん家族にとっても良くない。別れるなら、真実を述べて、綺麗にお別れをしたかった。すると、茜さんのお父さんが口を開いた。
「そんなことは、別に大丈夫だよ。むしろ、私のお願いを、茜を大切にしようという空くんの決意が感じられて、空くんへの感謝が大きくなった。」
思ってもいない返事だった。
「本当に……いいん……ですか?」
「ああ、何も問題ない。本音を言ってしまうと、私たち、月野家は、空くんが何をしてしまっても君を信じる。」
ここまでの信頼を得ていたとは、一体どういうことなのだろうか。
「なんで、そんなに信頼を……?」
「それはもう、普段の茜の話を聞いていれば空くんの性格はわかるし、茜自身がはっきり、空くんのことを『自身の隣にいて支えていてほしい人だ』ということもよく言うんだよ。多分、空くんが思っている100倍くらいは、茜は空くんを信頼しているんじゃないかな」
「えっ!!!!そうだったんですね」
今まで知らなかった茜さんの一面を、深く知ることができたのに嬉しさを感じたと同時に、そんなことを言っている茜さんを想像すると、ちょっと笑えてきた。さっきまでの憂鬱な気持ちは、どこかへ吹き飛んでいた。
「今日だって、茜が空くんの前で寝ていたからね。驚いたよ」
「え?どういうことですか?」
人前で寝るのは、珍しくはないことだ……というとだいぶ嘘になるが、人前で寝ている人がいても、まあ疲れたんだろうと思ってそこまで気にはしないだろう。
「あー、茜は家以外では決して寝ないんだよ。どんなに疲れていようと、車の中でも寝ないんだ」
「それは、どうして?」
「そうだね。まあ、元々はこれが今日の本題だったんだけど……」
茜さんのお父さんは、一拍置くと、
「茜は、多重人格なんだ」
そう、告げた。