第12話 眺望
第12話です。
「着いたよ。ここが、私が今日来たかった場所。」
茜さんは俺にそう告げる。茜さんから目を離し、前を見る。
「……!」
俺は思わず、言葉を失った。あの虹のように織りなされている花々を見ても言葉を失うまではしなかった俺が、だ。
「そう。これこそ本当に空に見てもらいたかったもの。」
茜さんに連れてこられたのは見晴らしのよい、少し開けた場所だった。置かれている看板には、『一望の広場』と書いてあった。そして……開けた俺の前には、俺たちが住んでいる街の全てが見えているのではないか、というほどに開けた景色があるのだった。
俺が生まれたときから存在する街のシンボルである時計塔はもちろん、普段遊びに行っていた小学校時代の友達の家、学校の社会科見学で行った工場、夏休みに行った星空観測会の会場、冬休みに家族と行ったイルミネーションの会場……。色んな時間を過ごしてきた俺の人生が、すべてこの一瞬、一フレームに圧縮されているようで、時間が歪んで別世界の時間が同時に流れ出すようで、……。
俺は、時間・空間を越えて世界を手に入れた気分だった。
「……。」
茜さんは俺の気持ちを汲んでくれたようで、何も言わずに俺と一緒に世界を見つめてくれていた。
「ふぅ……。気持ちの整理、終わりました。」
俺は、茜さんに告げる。
「どう?なんだか、時間の概念をひっくり返される感覚だったでしょ。」
茜さんは言う。俺とは状況を説明する言葉は違っても感じていることは2人共通しているようだった。
「本当にそうですね。色んな思い出が蘇るというか、使うことがなくなった思い出を引っ張り出したというか、なくしかけたものを見つけ出したというか……、とにかく、そんな感じでした。」
「うん、やっぱりそう言ってくれると思ってたよ。今までの会話から、なんとなくそういう感じがしたからね。」
茜さんは、喜びに満ちた表情で続ける。
「嬉しいなぁ。感覚が共有できるのって。こんな思考を共有してくれる人、今まで居なかったからなぁ。」
茜さんは、自分の人生の時間を全てこの一瞬で振り返ったかのような重みのある声で言った。
「さっき、公園で、『引き寄せられるようにここに来たくなる』って話をしたけれど、実は花じゃなくて、ここからの景色に引き寄せられてるような感じがするんだよね……。今なら、この私の気持ち、空にもわかるんじゃない?」
茜さんは、俺に問う。
「はい、そうですね……。わかります……。」
俺は街並みをもう一度眺めながら言うのだった。
「この場所に来ると、世界の多様性や広さを感じて、私の存在が認められるような気がする。」
俺が街並みを眺める脇で、茜さんはそう言ったようだった。
俺たちは景色を堪能した後、自転車で上ってきた道を下っていた。
「そういえば、空はどんな思い出を思い出したの?さっき『色んな思い出が蘇る』とか言ってたけど。」
自転車をゆったり漕ぎながら、茜さんは尋ねてくる。
「いやまあ……友達の家でケンカして出禁になったり、社会科見学でお気に入りのシャーペン落としたり、星空観測会当日曇りで月や星が見えなかったり、イルミネーション楽しみにしてたのに、カメラ忘れて写真に撮れなかったりとか……ですかね……。」
「っっっ。」
茜さんは、笑いが堪えきれないようだった。いや、しょうがないだろう。さっきすぐに思い出した、比較的印象に残っていた出来事が悪いことばっかりだったんだから。
「まあ、悪いことほど覚えてるっていうのはよく聞く話だしね。空の場合は、割合がおかしいけど。」
茜さんは笑いながら言う。本来なら俺はここで止めるようにツッコむのだが、今日は茜さんの発言にゲラ笑いしてしまったから、何も言えない……。こうして俺は、「俺たち結局どっちもガバガバなんだなぁ。」となんとも言えない気持ちで道を下ることになった……。
帰りは下りだったので比較的早く帰れるかと思っていたが、ゆっくり話しながら帰っていたので、結局着いてみると5時30分くらいになっていた。俺はそろそろ茜さんと方向が別なので別れようかと思っていると、
「そうだ、空は私の家の細かい場所まで知らないでしょ?せっかくの機会だし、教えてあげるよ。」
と茜さんが言った。今行く必要もないし、家は必要になったら教えてもらえばいいかとも思ったが、普段一緒に帰るのだから、万が一の何かためにも、家の場所くらいは知っていてもいいかと思い、俺は
「わかりました。じゃあ先導お願いします。」
と返し、2人で茜さんの家に向かった。
「ただいまー。」
茜さんの声が月野家に響いているようだった。その声を聞くと、茜さんの両親は異様なほど素早く茜さんのもとに駆け寄って来た。俺が驚いていると
「茜、遅かったじゃない!30分以上門限過ぎてるじゃない!なんで今日は遅かったの?」
どうやら茜さんのお母さんの発言を聞くに、茜さんの休日の門限は5時のようだった。「中学生でそれは異常に早くないか……?」俺は思うが、他の家庭の方針に何か言うのはおかしいだろう。何も言わないでおく。
「だって、空とだしいいかなぁって。……空と居ると本当に楽しいしね。」
なんだかすごく嬉しいことが、完全なる無警戒領域から飛んできたような気がする。耐えろ俺!ここでにやけたらキモすぎるぞ!俺の表情筋と喜びの感情のバトルは恐らく15秒ほどだったのだろうが、俺の中では5分はたっている気分だった。
「まあ、空くんとならいいかもなぁ。」
ここで、茜さんのお父さんが口を出した。
「空くんなら多少は色々任せられるし……、茜、空くんとなら、6時まで休日の外出を認めるぞ。」
茜さんのお父さんは茜さんにそう告げた。その途端、茜さんの表情が太陽のように輝きだし、俺はまた嬉しくなるのだった。
茜さんが門限が6時になったことに喜びながら家の中に入るのを見て、俺は帰ろうとするが、茜さんのお父さんに呼び止められる。
「さっき、茜の門限を延ばしたけれど、絶対にこれだけは守って欲しいことがあるんだ。『茜と遊んでいて、7時30分までにこの家に着くことができないと感じたら、必ず私たち両親のどちらかに連絡してくれ。絶対だ。着くことが不可能だと感じた時点でいいから、とにかくいち早く連絡してくれ。頼む。」
茜さんのお父さんの必死のお願いに俺は驚かされるが、俺は少し前の部活サボリの話し合いでのことを思い出す。「これも『茜さんが抱えるもの』に関わるのだろう。」俺は、茜さんのお父さんに信頼されていくことを嬉しく思いつつ、
「わかりました。必ずそうします。」
俺はそう告げた。そうして、茜さんの両親の連絡先をもらうと、俺は帰路につくのだった。