お願い……!
「今までわたくしに自分から触れなかった方が、浮気がバレた途端に、スキンシップをはかるだなんて。そんなおかしなことでわたくしが騙されるとでもお思いなの? それほどまでにラン様は、聖女様が大事?」
俯いたセリナは震える声でルーナ先生に問いかける。ありもしない浮気を信じ込んでいるせいで、せっかくの甘いハグがセリナの中で浮気男の誤魔化しハグになってる!
「お言葉ですが、クレア様がルーナ先生を寝取るなどという不名誉な嘘を信じるのはやめて頂きたいですね」
「ラン様を悪く言わないで!」
セリナの叫びと共に、ゴウっと風が巻き起こり、部屋の中の書類がバサバサと落ちた。セリナの感情が乱れたせいで、魔力が暴走しているらしい。普通の人なら感情が乱れたくらいでこんな風になることはない筈だけど、それだけセリナの魔力が強いということなんだろう。
「どうせ、どうせ……わたくしはラン様に愛されてなんかいないんだわ!」
叫んだセリナの声に呼応するように、更に風が強くなる。彼女の言葉は支離滅裂だ。
「セリ、ナ……! やめな、さい」
風に押されてセリナから引きはがされそうになったルーナ先生が、彼女を抱え直す。
「ラン様を奪う女なんて、いなければいいのよ……!」
低く怨嗟を吐いたセリナの胸から、黒い影が噴き出た。セリナの叫びに合わせて荒れ吹いていた風の代わりに、彼女の胸を中心に、影がうごめいて取り巻く。
「なに、これ……」
言いながらセリナは胸元を探ると、影の噴き出ているペンダントを取り出した。次々とあふれ出る影は徐々にセリナの身体を包んでいったが、彼女は怯えるどころか、笑い始めた。
「あは、力が、溢れて……わたくし、これなら……殺せるじゃない」
唇を吊り上げて笑み、セリナはペンダントを抱きしめるように、胸に当てた。
「だめだ!」
瞬間に、ルーナ先生がセリナの手からペンダントを奪う。その途端にセリナにまとわりついていた黒い影は、ペンダントを追ってルーナ先生に襲い掛かった。衝撃でルーナ先生の身体が突き飛ばされ、セリナの身体が弾かれたように押されてドアに当たった。
「なにをなさるの!」
怒った勢いで叫んだセリナが、ルーナ先生を睨むと、彼は影に飲み込まれそうな顔を、へらりと笑ませた。
「セリナちゃんが、闇落ちなんてだめだよ」
そう告げたルーナ先生の顔は、影に包まれて隠されてしまった。ペンダントから噴き出た影はやがてルーナ先生の身体からも溢れはじめ、徐々に獣の形になっていく。
「逃げ、て……セリナちゃ……」
とぎれとぎれに発せられた言葉は、ざらついた声だった。
「ラン様……どう、して……」
激昂していた意気を削がれたセリナが、ふらついてぺたりと床に座り込む。そんな中でも、影はどんどん膨れ上がっていく。
「クレア様!」
不意に、アウレウスが私の腕を引っ張った。
「逃げるべきです!」
そう言って、アウレウスはドアに向かって私を引き立てる。
「だめ! このままじゃルーナ先生がモンスターに……」
「危険です!」
私は力を込めて、アウレウスの腕を解こうとするが、剥がせない。今すぐに影を消さないとルーナ先生がモンスターになってしまう。私は、身体の中で魔力を循環させ、練り始める。過去の二回は無我夢中だったから、聖属性魔法をきちんと使えたとは言えない。放出させるだけでいいのかもしれないけれど、先日の魔力の消費がまだ回復しきっていないせいで、うまく魔力が練れない。
冷静に魔力を練ろうとしても、身体から魔力をかき集めるのに時間がかかりそうだ。
「アウレウス! 魔法を練る時間を作れない!?」
「何をおっしゃるんです!」
身体の中で魔力を集めながら、私はアウレウスの説得を試みる。どのみち、こんな風に邪魔されてては、未熟な私が魔法なんて打てない。
「今ならまだルーナ先生を助けられる! でも魔法を練るのに時間がかかりそうなの!」
「ですが」
アウレウスの手に力が籠る。けれど、ここで諦めてなんかいられない。
「風であの影を、少しでも飛ばせない!? お願い……!」