理想鏡
博士はパラレルワールドを発明した。正確にはパラレルワールドにいく方法の事だ。博士はその方法を大々的に発表した。
「この姿見が見えますか?これはパラレルワールドへの道を開ける魔法の鏡です。ほら、このように。」
そう言い博士は姿見に手をかざした。すると、みるみるうちに博士の手は姿見に吸い込まれていく。博士は手を引き戻し、これ見よがしにこう言った。
「どうです。この技術を使えば、あなたは理想郷に行けるかも知れません。この発明品を『理想鏡』とします。ぜひともこの場所にお越しください。」
来たのは一人だけだった。
「まあネットなんてこんなもんですか。」
博士はそう呟き、たった一人の来客を迎えた。
「では早速ですが、あなたはこの私の発明品、『理想鏡』を使いに来たのですね?」
来客の男は力なく頷いた。
「なるほど…こんな胡散臭い発明品に頼るほど疲れていると…特にどんな事が?」
男はまた力なく、自身の苦痛を話した。
「…うるさい上司に女房、子供。異常な量の仕事。最近は父も亡くした。…もう嫌になってしまったのだ。」
博士はそれを紙に書き込む。
「はあ、なるほど…分かりました。ではその姿見の前に立ってください。」
男は姿見の前に立った。ぼさぼさな髪やしわしわなスーツが目に入ったかと思うと、それは瞬時に歪み、禍々しい渦へと変わった。男はそれに多少の躊躇いを感じた。
「躊躇ってますか?嫌ならいつでも…」
博士が言いきる前に、男は首を横に振った。博士は、最後に忠告を促した。
「最後ですが、忠告としてここに戻ってくる事はありません。あなたの代わりがまた、この姿見から出るからです。もしあなたが理想郷に行けたとしても、その理想郷に住んでいるあなたの代わりはここに来てしまう。必ず誰かが犠牲になるのです。それでも良いですか?」
「…別に構わないさ。」
男は相当病んでいた。
「…そうですか。では、これが本当に最後です。あなたがその先の世界へ行ったのならば、事情を周りに説明してください。あなたが話した苦痛を周りの人たちに…。そして助けを求めてください。」
「…分かった。」
男は前に踏み出し、鏡の中に入った。するとしばらくして、鏡の向こうからまた男が出てきた。
「…うるさい上司に女房、子供。異常な量の仕事。最近は父も亡くした。…どうか私を助けてくれ。」
博士は頭をかいた。
「ああ、盲点だ。別の世界線でも私のような発明家が胡散臭い解説をしているんだから、そんなところに来る奴なんて、たかが知れているではないか…」