8
ヘレナの顔色は蒼白だった。
息は荒く、全身が小刻みに震え、焦点は定かでない。
どうやら、これが彼女の初めての殺人だったようだ。
セロは、ヘレナに拳銃を向けたまま、ゆっくりと彼女の方に近づいていく。
ヘレナは硝煙靡くライフルを床に置くと、怯えた子犬のような目で、セロを見上げた。
セロは、拳銃の銃口をヘレナの脳天に押しつけた。ごり、と音がして、少女が痛みに呻く。
「ごめん、なさい」
ヘレナは絞り出すように言った。
セロの目論見は、ご破算になった。
セロが、この辺境の片田舎を訪れたのは、実の姉が長を務める秘密結社フォルトムに繋がる手がかりを得るためだった。
フォルトムと繋がりを持つ武器商人を追い詰めたところまではよかったが、まさかこのような終わり方を迎えるとは思いもよらなかった。
セロはヘレナを見下ろす。
燃えるような赤い髪を持つ貴族の少女。
この女の行動は、まったく予測不能かつ理解不能だ。
「いきなり、何してくれてんの。お前」
ヘレナは一瞬目を伏せたが、顔を上げた時には、開き直ったかのように肝の据わった表情をしていた。
「撃ってくれていいわ」
「あ?」
セロは目を眇めた。
「私がマイヤーにつけ込まれたせいで、家臣と領民が大勢死んだ。許されない失態よ。死んで償うしかないと思う」
セロは、脳天を吹き飛ばされたマイヤーの屍を見下ろした。
「で? これは、いいように利用されたことに対する腹いせか?」
「それもあるわ」
ヘレナは青い顔をしながらも、唇の端を歪めた。
「聞いて。アスカンの部隊の中に、バルシュミーデがいる。アスカン家の騎士たちの頭目よ。あいつなら、あなたの探している組織のことについて、何か知ってるかもしれない」
そこまで言われて、セロはヘレナの意図に気がついた。
セロは怒りの篭った目で彼女を睨む。
要するに、ヘレナは、セロをアスカンの部隊にぶつけるつもりで、マイヤーを殺したのだ。
バルシュミーデとやらが、フォルトムと直接的に関わりを持っていることはないだろう。だが、アスカン家の部隊の頭目という立場の人間なら、マイヤーから何らかの形で組織に繋がる情報を聞き出している可能性は否定できない。
マイヤー本人が死んだ以上、セロとしては、バルシュミーデないし、彼の率いるアスカンの部隊を無視はできないことになる。
「人をコケにしたやり口だな。ブチ切れた俺に殺されるとは思わなかったのか」
「こうなった以上、私はどんな手段を使ってでも、領民を守る。自分の命ひとつであなたをアスカンにけしかけられるなら、悪い取引じゃないわ」
セロは舌打ちした。
こんなものは、取引としても駆け引きとしても成立していない。
セロにとって、バルシュミーデを締め上げる必要はあるが、リュトヴィッツの領民を救う義務はないのだ。
例えば、アスカンがリュトヴィッツを完全に制圧するのを待ち、連中が油断したところでバルシュミーデを拐う、というような行動を取ることもできる。
だが、脳裏を掠めるのは、この地に来てから僅かなりとも関わりを持った人々の顔だ。
初老の御者。宿の女将。
感情を切り離して完全に合理的になるのは、情実で動くよりもはるかに難しい。
セロは、結局彼女の思惑に乗ってやることに決めた。
「こうなったら仕方がねぇ。邪魔な連中を全員殺してから、バルシュミーデとやらをゆっくり拷問するか」
ヘレナは一瞬気の抜けたような顔になり、深く息を吐きながら俯いた。
「ありがとう。ごめんなさい」
「意味のない謝罪が好きな女だな。言っとくが、事が済んだらお前からはキッチリけじめを取るぜ。流石に俺のことを舐めすぎだ」
ヘレナは覚悟しているとばかりに頷いた。
「構わないわ。私のことは、煮るなり焼くなり好きにして」
「うぅ。ぉ……」
その時、ベッドの上で仰臥する男が弱々しい声で呻いた。
これが、当代のリュトヴィッツ卿。つまり、ヘレナの父親ということだが……。
「大丈夫よ、父様。ここにいて」
ヘレナは、まるで子をあやす母親のように、男の頬をひと撫でした。
彼女はセロに振り返る。
「セロ。私にできることがあれば手伝うわ。何でも言って」
「当然だ。お前の領地の問題なんだからな。とりあえず、この塔の屋上に登るぞ」
セロはヘレナとともに、血の匂いの立ち込める部屋を出た。
「あのオッサンは、一体どうしたんだ?」
屋上に続く階段を登りながら、セロは無遠慮に聞いた。
「父のこと? 賢明な領主で、いい父親だったわ。けれど、アスカンのやつらに毒を盛られてからは……」
ヘレナは悔しそうに言葉を伏せた。
聞けば、病弱だった母は数年前に他界したのだそうだ。
アスカンの策略により父は人事不省に陥り、リュトヴィッツの運命はヘレナの肩に乗せられることとなった。
父母に代わり、たったひとりで領地を守ろうと足掻いた貴族の少女。
悲しいかな。知識も経験もない彼女の努力はすべてが空回りに終わり、領地は壊滅的な被害を被った。
「身の程を弁えて、初めからアスカンに降伏するか、第三勢力に援助を乞うべきだったな。助けの当てはなかったのか?」
「南のヴィッパードルフ領の領主家は当家の遠縁よ。何度か救援の要請を手紙で送ったけど、返事はなかったわ」
ヴィッパードルフとしては、リュトヴィッツに肩入れすることで、圧倒的な軍事力を持つアスカンと敵対するのを避けたということだろう。
非情だが、納得できる判断ではある。
塔の屋上は狭間つきの胸壁に囲まれた見張り台になっていた。
セロの思った通り、城下町の全体を見通すことができる絶好の狙撃地点である。
セロは床に手を置き、召喚を行った。
呼び出したのは、一丁の狙撃銃と、大型の双眼鏡だった。
PSG−1。
セミオートマチック式でありながら、ボルトアクション式に互するほどの精度を誇る高級狙撃銃である。
マズルには高い消音効果を持つ大型のサイレンサーを装着している。
双眼鏡はシュタイナー社の高級軍用モデル。最大15倍の望遠性能を持つ。
セロは双眼鏡をヘレナに渡した。
「覗いてみろ」
ヘレナは訝しみながらもスコープを除く。
「わっ!? すごい。遠くのものがはっきりと見えるわ!」
「本体上の摘みを回すと倍率が変わる。焦点補正は自動だ」
セロはヘレナに簡単なレクチャーをしながら、狙撃銃の銃身を胸壁の狭間に置き、委託射撃の体勢を整える。
「ここからアスカンの連中を撃つ。市街戦の前に、なるべく数を減らしたい。お前は、そいつを使って敵の位置を逐一知らせろ」
「わ、分かったわ」
セロは言うが早いが、早速発砲した。
バスン、とくぐもった銃声がして、今まさに村人に暴行を加えようとしていたアスカン兵が、ライフルスコープのレクティルの中で倒れた。
突然仲間が倒れたことに驚き、周りの兵士たちが狼狽る。
セロは、彼らが騒ぎ出す前に連続的に発砲し、瞬く間に4人の銃兵をなぎ倒した。
「え? 今撃ったの?」
「撃ったのじゃねぇ。敵の位置を報告しろ」
ヘレナは慌てて双眼鏡を覗き込む。
「えぇっと、大通り沿いの教会近くに3人! 入り口の傍」
ヘレナのガイドに従い、セロは素早く銃の狙いを付ける。
3連発。
3人のアスカン兵が倒れる。
「西の井戸の近く。2人いるわ」
セロは、その2人を排除する。
「あ、見つけた! バルシュミーデよ。広場の植木の傍にいる。たくさんの兵士に囲まれてるわ」
「バルシュミーデは後だ。まずはやつを孤立させる」
「分かったわ。次は……」
ヘレナのガイドに従い、セロは次々とアスカン兵を排除していく。
セロは、ヘレナの索敵が正確で迅速なことに内心で驚いていた。
高台からの狙撃に必要な情報を、必要なタイミングで提供してくれている。
これは、口で言うほど簡単なことではない。
無論、彼女は狙撃術はおろか、近代的な軍事教練など一切受けていない。
もともとの素養によるものということになる。センスがいい、としか言いようがないだろう。
とはいえ、セロもセロで、狙撃手としての専門課程を受講した経験などない。
だが、リュトヴィッツの城下町は、差し渡しで1キロにも満たないほどの小邑だ。
狙撃距離も概ね300メルト以下。このくらいの距離であれば、風向風速等の要素をそれほど考慮せず、銃の性能でゴリ押しできる。
セロが市内に入った敵の3分の1を減らしたところで、ようやくバルシュミーデは自分の部隊が攻撃を受けていることを察したようだった。
彼は部下たちを叱咤して、索敵を行わせた。
しかし、銃を持っただけの未開人であるアスカン兵たちは、遠距離狙撃の対処がまるでなっていなかった。
セロの狙撃によって、次々と倒れていくアスカン兵。
結局、部隊がほぼ全滅するまで、バルシュミーデは有効な対策を取ることができなかった。
最後に彼が取った行動は、数名の部下とともに下馬し、ともかく屋内に退避することだった。
確かに、それならライフルでの直接照準は不可能だ。
「こんなに遠くから、あんなに一方的に……」
ヘレナが震える声で呟いた。
セロからすれば、この結果は不思議でも何でもない。
装備の面で、こちらが相手を圧倒していたというだけのことだ。
技術的にも難しいことはしていない。極端な話、射手はセロでなくてもよかったくらいだ。
「バルシュミーデを捕まえる。お前はここにいろ。マイヤーの時みたいに、吐かせる前に殺されちゃたまらんからな」
ヘレナは気の抜けた声で、「もう、あんなことはしないわよ」と溢した。
赤髪の少女は、付き物の落ちたような顔をしていた。緊張の糸が切れて、呆然としている。
バルシュミーデ率いるアスカン本隊は壊滅した。
つまり、アスカンの軍事力は無力化され、リュトヴィッツの危機は去ったということになる。
ヘレナの戦いは、ひとまず終わったのだ。
セロはヘレナを残して塔を降り、城を出た。
建物の間を縫って、バルシュミーデの隠れる民家にゆっくりと近づいていく。
「た、隊長」
「情けない声を出すな! そこ、窓を見張れ。待て、バカ! 住人のジジイとババアは殺すな。人質として使えるだろう」
連中の声は外にだだ漏れだった。
セロは窓の死角から、足音を消して民家に忍び寄ると、地面に手を置き召喚を行った。
喚び出したのは、MK7A3ガスグレネードと、赤箱のマールボロ。そして、ジッポライター。
セロはグレネードのピンを抜くと、窓の中へと投げ入れた。
パンッ、と乾いた音がして、家の中から困惑の声が上がる。
「うおっ!? 何だこりゃ!」
「け、煙が出てるぞ」
「ぅ……、な、何だか、眠く……」
MK7A3は、強力な麻酔薬であるハロタンを急速に気化させ噴出する非致死致傷兵器である。投下から10秒で、20立方メルトの空間に睡眠ガスを充満させることができる。
ほどなく、人の倒れる音が重なった。
セロは紙巻煙草を一本取り出すと、ライターで火をつけた。
吐き出した紫煙が空に昇ってゆき、この小さな戦争の終わりを告げた。
トビアス・バルシュミーデは、目を覚ました。
周りを見回す。石の壁に囲われた地下牢だった。
後ろ手に縛られ、椅子に座らされている。
目の前には、ひとりの男がいた。
大男だ。身長は、2メルトに迫るのではないか。
「貴様は誰だ? リュトヴィッツの傭兵か?」
男は答えない。
「おい! 聞いてるのか。私を誰だと思ってる!」
バルシュミーデはアスカン家に代々使える騎士の家柄であり、主家より軍事の権限を委任された身である。
彼は、例え虜囚の身に落ちようと、自分がこのような扱いを受けるのは不当と考えていた。
「うるせぇな。誰だよ」
大男は不機嫌な声を出しながら近づいてきた。
岸壁が迫ってくるような圧力があった。
隆々たる筋骨の持ち主だが、鈍重な印象はまったくない。漆黒の双眸は剃刀のような眼光を放っている。
バルシュミーデは、まるで大型の肉食獣を前にしているかのような気分だった。
男は妙な道具を持っていた。
一見すると、銃身が極端に短い銃のような形をしている。
ただ、銃身に当たる部分の先端からは、捻れた釘のようなものがせり出しており、そこから弾丸が射出されるとは思えない。
バルシュミーデには知る由もないが、それは異世界においては、ごく一般的に普及した工具だった。
電気の力で回転刃を高速スピンさせ、硬い木材にも易々と穴を開ける電動ドリルである。
至極真っ当な工具であるにも関わらず、それを見た時に、誰もが何とはなく恐怖心を覚えるのは、人間の想像力故だろう。
もし、それが、本来の用途にない形で使用されたなら……。
猛烈に回転する先端が、自分の体に向けられたなら……。
電動ドリルを初めて見るバルシュミーデも、おぞましい形をした回転刃が唸りを上げて回り始めると、いよいよ戦慄の表情を浮かべた。
「お前が何様だろうが関係ない。聞きたいのは、武器商人のマイヤーに銃を流した組織のことだ。マイヤーは、何か言っていなかったか?」
「し、知らない。私は何も……」
「些細なことでも何でもいい。死ぬ気で思い出せ。お前の身のためだ」
バルシュミーデを見下ろすセロの双眸は、夜の泉のように底の知れない闇を写していた。
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何卒m(_ _)m