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虐げられた少女は今日も唄う  作者: 小望月 白
7/9

その瞳に映るのは


バチーーーーン


響き渡る軽い音、少し遅れでやってくる右頬の熱と痛み。どうやら扇で殴られた様だ。


ーーまたか…………


面倒くさいなぁ、とは思うもののやり返せば向こうからやってきた癖にこっちが悪い事にされるのは目に見えているのでため息を吐くに留めておく。


「わたくし、きちんと忠告致しましたわよね!」


そんなヒラヒラしたレースのドレスじゃ引っ掛けるぞと言いたくなる程ボリューミーな、およそ森には相応しくない服装で佇む妖精令嬢。見た事がある様な気もするし、無い気もする。ここ最近ずっとこんな感じなのでいちいち覚えてもいない。


「ちょっと、聞いていますの?!」


ーーうぇ、耳がキーンてなる………


この国の王であるハイジェイドからの依頼で契約の森の浄化作業を始めて早数日。そして幾度となく繰り返されるこのやり取り。


ーーせめて浄化作業手伝ってけばいいのに


なのにご令嬢方は手伝いもせずに「ちょっと、疲れたわ。お茶にして」だの「やだ!ドレスに汚れが付いたじゃないどうしてくれるの!」等実にレパートリーに富んだ我儘を言い倒しているのだ。浄化作業もしてない令嬢が疲れたと言うのはおかしな話だし、汚れるのが嫌ならこんな所にドレスなんて着てくるな、というか浄化しないならもう来るなよとティナは常々思っている。それより例の『お嫁さん候補』に浄化作業は必須だったのではないのか。本当手伝え。


ーー本っっ当、私のこと殴る前に少しは協力しろよ!妖精(お前ら)の国だろ!!


と、心の中では一応言い返してもみている。


ーーくそ、我慢、我慢……マリーさんにも迷惑かかる………!


ワナワナと震える拳を押さえ深呼吸を繰り返すティナを他所目に暫くした後、ご令嬢は満足したのか声を出すのに疲れたのかは分からないが、ふふんと勝ち誇った様にティナへと最後の言葉を投げかけた。


「国王様の事を思うのならあなたの様な卑しい人間が側に寄るのはお止めなさい。でないとこの国の品位を落とすわ。大丈夫よ、あなたの代わりなんていくらでもいるし、王様のお心は妖精であり相応しい身分であるわたくしがきちんとお慰めするから。だからさっさとこの国から出て行きなさい!」


と。それを聞いた瞬間、何故か胸がちくりと痛む。ティナは既に立ち去り姿も見えなくなったご令嬢に向け「私だって、出ていけるなら出て行くし………」と呟いたが自分でも情けなくなる程に小さな声だった。


初めは小さな違和感だった。浄化作業が始まっても相変わらず夜になればマリーの屋敷に押しかけて来るハイジェイド。そして毎回毎回ティナと何気ない話をしたり、隙あらばティナの頭や髪を撫でて来る。嫌ではない。決して嫌では無いのだが繰り返されるその行動に何故かこの国に来た初日には感じなかったこそばゆさを感じる様になってきた。慣れない感覚にどうしていいのか分からずティナは毎回まごまごしている。そんな自分を見られるのが何だか恥ずかしくてつい素っ気ない態度になってしまっては寝る前に後悔する、を繰り返している。



✳︎✳︎✳︎



浄化の手伝いを始めてから随分と経った。もう数ヶ月経ったくらいだろうか。作業は順調に進んでおり、ご令嬢方の突撃はゼロにはならないが皆飽きてきたのかかなり頻度は少なくなった様に思う。しかし、最近のティナの頭は別の事で一杯である。


「はぁ………もう、なんか色々面倒くさいなぁ」


ため息をつくティナの頭を占めるのは前に突撃令嬢から言われた「品位を落とす」「あなたの代わりなんていくらでもいる」という言葉。最近あれが妙に引っかかる。何も無い時に突然思い出しては不快な気持ちになる。そしてこんな事ではいけないと悶々と悩み出すのだ。あれを言われてからかなり経ったというのに、だ。


ーー私の代わりがいる事なんてそんなの、分かってるし………


なにせ相手はこの国の王様なのだ。反対にティナはただの人間で、特別な事は何も無い。唯一あるのはこの浄化の力だけ。そんなことは初めから分かっていたし、今までそれに対して何も思ったりなんてしなかった。なのに何故今、こんなにも気分が落ち込むのか。


「あーーーーわからん」


ベッドに飛び込んだ状態でちらりと横を見ればアイリットと目が合った。しかし合った瞬間にツーンと顔を背けられてしまった。


「はぁ………せっかくのお休みだし、散歩でもしよ」


まだ昼食までは時間もあるだろうしマリーに声をかけて散歩へと出掛ける。何処からかふらっとメヴィが現れ今日は歌を歌ってくれるのかと期待した表情で尋ねられたが生憎そんな気分では無いと答えれば残念そうな表情で何処かへ飛んでいった。知らない間に私の従僕とやらになっていた狐は相変わらず「従僕とは……?」と首を傾げたくなる程自由である。


「もーーー家族愛と恋愛の違いってなんなの……!」


我ながら18にもなって残念すぎる悩みだとは思うが分からない。いつもなら甘やかしてくれる幻姿の面々も教えてくれそうな様子は無いし。


「もー。今歌を歌ったら逆に呪いとかになりそう」


ハイジェイドがティナの家族枠に入っているのは確か。その上もう二度と会えないと思っていたのに会えて、しかもまだ生きていると分かって更に特別な存在になったのも確か。しかしそれはどちらも『家族』というカテゴリに納まるのもまた確かで。


「ぐおぉ………なんかもう全部投げ出して逃げ出したい…………」


ティナがそう言って頭を抱えた時だ。甲高くとても愉快そうな声が聞こえた。


「あら、いいじゃない。ぜひさっさと出て行って頂戴」

「?!」


驚いて顔を上げればそこには恐らく浄化作業中突撃してきていた令嬢方が4人。ここはマリーの屋敷の敷地内な筈なのに何故いるのだろうか。混乱しているティナを嫌な笑顔で見つめる4人は突然、猫撫で声で話し出す。


「ねえ、憐れな人間。あなたこんな話を知っていて?」

「そうそう。とぉーっても大切なお話よ。この国にとっても、わたくし達にとってもね」

「でもまあ所詮人間のあなたには関係ないわよねぇ」


要領の得ない話に苛々とするティナだが手を握りしめる事で耐える。


「あら?あなたもしかして知らないの?図々しくも未だこの国に留まっているくせに」

「仕方ないわ。だって所詮は人間、なのだもの。教養もなければ繊細な心なんて持ち合わせていないんだから」

「それもそうね。それに相変わらず幻姿なんて連れ歩いて、気味が悪い。そんな矮小な存在を態々甚振ろうとは思わないけれど、好んで側に置きたいとも思わないわね」

「!」


ティナへの侮辱ならばともかく幻姿のその言葉に思わず一歩出そうになったが視界の端に映る幻姿達を見て必死に我慢する。それを見た令嬢達は楽しくて仕方がないといった風にケラケラと笑い、最後に爆弾を落として行った。


「ああそうそう。言い忘れておりましたわ。この度わたくし、正妃となるべく国王様と婚約する事になりましたの」


…………え?


「ハイジェイド様ったら、毎日とってもとっても大切にして下さるのよ?本当に、こちらが恥ずかしくなる程蕩けるような笑顔で名前を呼んで下さるの。ふふ、それからここにいる3人も側妃として王の為、国の為に身を捧げる次第ですの。だから今日は王妃となる者として、契約の森の浄化を頑張っている貴女を労いにきてあげたの。これからも、わたくしやハイジェイド様、そしてこの国の為に励みなさい。ああでもそうね。何か辛い事があって(・・・・・・・・・)この国を出たければ王妃としてあなたに慈悲を与えてあげてもよろしくてよ?ま、考えておきなさい。では、失礼するわ」


ふふふ、と勝ち誇った表情を見せたご令嬢方はそのまま軽い足取りで帰って行った。そこからはよく覚えていない。気が付けばベッドの上で寝ていたし、お腹も空いていなかったのでぼうっとしながらもきちんと食事などはしていたのだろう。多分。


「そっか、婚約………婚約。結婚する人って事だもんね。おめでたいなぁ……おめでとうって……次会った時、言わなく…ちゃ…………」


掠れた声でそう言い、まるで逃げるかの様にティナは眠った。そして翌日熱を出した。


「あーーもう最悪」


喉は痛いわ頭は痛いわ。身体も怠いし寒いし暑い。それでもティナは森を浄化しに行った。マリーは必死に止めていたが今浄化を止めればいよいよティナは居場所が無くなる気がして行かずにはいられなかった。結局、体調が悪いまま無我夢中で浄化作業へと毎日赴き家に帰ってからは気絶するかの様に眠った。そうすれば何も考えずに済むので丁度良かった。


1週間もすればティナの体調はすっかり良くなった。お陰で余計な事を考える余裕ができてしまった。そして考えて考えて考え抜いた結果、ティナはやっぱりハイジェイドに対する想いは家族への物だったと結論付けた。だって、そうじゃないと辛過ぎる。


「ハイジェイドは、家族。大切な家族」


毎朝鏡に向かって自分へと言い聞かすティナを、アイリット以外の幻姿達が悲痛な面持ちで見つめていた。アイリット(彼女)は最近虫の居所が悪いのかあまりティナの側へは寄ってこない。そしてハイジェイドといえば、もう随分と顔を合わせていない気がする。そこでティナはたと気が付いた。


ーーハイジェイドが来たの、婚約者のご令嬢達が来た前日が最後だ


はは、と乾いた声が出た。成る程。そりゃあ結婚する予定の相手が一気に4人もできたんだから、ここへ来る時間も義理も無いだろう。寧ろ来てしまう方が婚約者がいる身としては相応しく無い行動になる。なのに何故、今自分の胸はこんなにも苦しいのか。無意識に婚約話が嘘であったならばと期待していたのだろうか。


あーーーー、無理だ。


そしてティナは決意した。


ーーあと1箇所。


布団の中、ティナは祈る様にして胸の前で手を握りしめる。契約の森にはあと一箇所最大の淀がある場所が残されているらしい。そこの浄化が終わればこの国から出て行こう。勿論あの婚約者達の力は借りない。メヴィを使おう。勝手に従僕になっておきながら一度だって従僕らしい事をしていないのだ。最後くらい言う事を聞いて貰い、国から出るのを手伝って貰う。そして出来るかは知らないがこの国を出た後は従僕の契約とやらも解除して貰おう。


「また、旅でもしようかな」


同じ場所に止まればまた何かの折に王城の奴等から狙われるかもしれないから、妖精の国に来る前の様にふらふらと当てもなく旅をするのもいいかもしれない。幸い浄化ができる限り金には困らないだろう。


「うん、そうしようかな」


ティナはひとつ頷いた。その日はなんだか久しぶりにぐっすりと眠れた気がした。



✳︎✳︎✳︎



遂に森に残った最後にして最大の淀の浄化作業に取り掛かる事になった。最初は人間だからと遠巻きにしていた妖精の浄化師達も今では少しの話くらいならばする様になった。しかしそれも今回の浄化が終われば無くなるだろう。ティナは今回の浄化が終われば完全にこの国を出る決心も計画もしていた。マリーが多少寂しがってはくれるかもしれないと思い未だ言い出せずにいるが、そもそも人間がこちらの世界に留まる事がおかしいのだ。なのでもし何か言われたとしても申し訳ないが最後の我儘として帰らせて貰おう。


「ティナ、こっちの準備は整った。そっちはどうだ」


浄化をする上で特別な準備などが必要ないティナが適当な切り株の上に座っていると背後から声が掛かる。先程考えていた多少の会話をする間柄になった妖精浄化師の1人だ。今回の淀は規模が規模なので部隊編成が成され、予定では数日掛かる為野宿もあるそうなのだが驚いた事にハイジェイドも来るらしい。婚約だ何だといって忙しそうなこんな時に何も国のトップが出てこなくてもと少し穿った考えをしている事に気が付いたティナはそんな自分を恥じた。そして大切な家族に対してもこんな嫌な考えをしてしまう自分を誤魔化すかの様に(かぶり)を振る。


ーー大丈夫。もう少し、もう少しでこの国から出て行く。そうすればこんな苦しい想いはしなくて済むし、また前みたいに色んな幻姿達と楽しく過ごせる筈………


返事をしないティナを不思議そうに見ている浄化師の男に「すぐに行く」と返事をしてティナは立ち上がる。大丈夫だ。別れには慣れている。



✳︎✳︎✳︎



「………まずいな」


日も暮れてきたので野営の準備をし、浄化の要となる者達が集められた即席会議場で1人の浄化師が唸る。勿論この場にはティナも、国王であるハイジェイドも来ており先程からチラチラと何か言いたげな視線を感じるが私的な場でもないので言葉を交わす事は無い。少なくとも、ティナからは。それにティナはこんな状況で彼と向き合いたく無かった。大切な家族のおめでたい事を祝福してあげられないなんてきっと幻滅されてしまう。ティナはそれが怖かった。


「ああ。報告では最奥の淀がひとつあるだけだという事だった筈だがどうなっている?この短期間で形質を変えたと?」

「それが……詳しい話を聞こうと報告に関わった者を呼び出したのだが何故か全員姿が見えず……仕方なく別の者を向かわせたのだがその全てが何者かに殺されていた」

「「「!!」」」


目の前で繰り広げられる会話を聞きながらティナは今日この野営地に到着するまでの事を思い出していた。事前に受けた説明では下見をした者(殺されてしまったそうだが)の報告でこの森の最奥に最大の淀が存在し、その規模から部隊を編成はするが淀の数も一つなのでその想定で部隊を編成した。しかしいざ森を進んで行くと目的の淀以外にも多数の淀を確認。引き返す案もあったのだがそうするには些か距離を進み過ぎていた。なのでほぼ無理矢理突っ切ってきたのだが………


ーーこれこの調子で行って大丈夫かな


このまま目的地に近付くに従って淀が増え続けるのならば正直厳しい気がする。しかし今発言の機会無く終わった会議の決定は(いや発言求められても逆に困るけど)このまま部隊を進めるというものだった。部隊を動かす為に必要な専門知識のないティナからしてみればこの選択が合っているのか間違っているのかなんて分からないが会議が決定した後のハイジェイドの少し苦しそうな表情が気になった。もしかすると彼はこの判断には反対だったのかもしれない。


ーー王様だからってなんでも思い通りにいく訳じゃないんだな



✳︎✳︎✳︎



「おい!そっち背後に気を付けろ!」

「余裕のある奴がいればこっち手伝ってくれ!」

「おい、お前真っ青じゃないか。とりあえず一旦下がって……」


多くの浄化師達の声が飛び交う中、ティナはやや焦っていた。やはりというか何というか、昨日よりも確実に淀の数が多い。そして皆必死になって浄化をしてはいるものの明らかに浄化が追い付かず淀や淀から漏れ出るモヤによって体調を悪くしたり、浄化に必要な力を使い切って動けなくなる者が続出していた。かくいうティナもそろそろ足に力が入らなくなってきている。ギリギリの状態での浄化。何とかその日は乗り越えたが作業に取り掛かった誰もが痛感していた事だろう。今回の浄化は明らかに人数も準備も足りていない。なのに上層部の考えは変わらず撤退は無し。部隊は予定通り最大の淀へと向かって進められる事となった。



次の日も、そのまた次の日も繰り広げられる戦場の様な浄化作業。相手は大量の淀なので獣の様に牙や爪で飛びかかってくる訳ではないので安心だと思われる事の多い浄化作業だが実際は違う。淀やモヤは意思さえ無いもののその存在は生き物の命を奪いうる物だ。


ーーここに来てるお偉いさん(・・・・・)方はそこの所分かってるのかな


「……っはぁ、はぁ」


この周辺最後の淀を消し去りその場へ膝をついたティナはゼイゼイと肩で息を吐きつつ無事、生きて今日を終えられると思いほっとしながら胸に手を当てた。ちなみに幻姿達は後方で待機している。本当はマリーの家で待っていて貰いたかったのだが何故かアイリットも含めた5人全員が今回の浄化部隊にくっついてきてしまったのだ。せめて間違って他の浄化師に強制浄化されてしまわない様後方で待つ事だけは納得して貰ったが正直ティナは毎日気が気では無い。しかし彼らの存在が物凄く支えになっている事も確かなので何とも言えない。



✳︎✳︎✳︎



「ついに明日、予定よりは大幅に遅れたが目的地である最大の淀の浄化へと取り掛かる」


そんな言葉から始まった部隊会議。毎回思うがティナはこの場所に必要だろうか………。どうせ発言も求められなければ認められもしない。ならばここに居る者達と違って毎日浄化を行うティナはもうヘトヘトなので是非とも解放して休ませて欲しい。しかし、無情にもそんな思いとは裏腹に会議は進んで行く。ああ、もう眠た過ぎて意識が朦朧としてきた。


「………んはっ!」


いつの間にかうつらうつらとしていたらしい。視線を感じて顔を上げればこちらへ侮蔑な表情を向けてくる者、呆れた表情を向けてくる者、少数だが心配そうな表情を向けてくる者がいた。そして心配そうな表情を向けてきていた者の1人、ハイジェイドがもう休めと言ってくれた事でティナは予定よりも早く解放された。会議の内容は明日出発前に説明してくれるらしい。と、いう訳で。


「失礼します」


会議をしているテントをさっさと出たティナは割り当てられたテントに戻るとすぐ様眠りに着いた。今少しでも長く眠っておかないと文字通り死活問題になる。何と言っても明日、漸く最大の淀を浄化するのだから。



✳︎✳︎✳︎



「うわ………でっか」


次の日、妖精の浄化師達と共に目的地であった最大の淀を目視したティナは思わず呟いた。


「これは……想像以上に濃いな」


他の浄化師達も思わず呆けた様子で淀を見つめる。なんとも長い戦いになりそうだ。



✳︎✳︎✳︎

 

終わりが見えない様にも思えた最大の淀の浄化が終わった。


「よ、淀の………浄化を、完了…した。これから報告に行くので皆、暫し休め………」


そして息も絶え絶えの状態で現場責任者である浄化師が会議をしていた上層部達に報告を行った。途中から彼も浄化作業をしていたのでボロボロだ。今から国王であるハイジェイドもこちらへと赴き、淀の浄化を直接確認するらしいのだが生憎作業に当たっていた者達は漏れなく全員がぐったりと座り込んでいたり人によってはもう気を失っている。恐らく不快感を前面に押し出してくる上層部が何人かいるだろうがもう無理だ。身体に力が入らない。


ーーやっと、終わった…………


何をしたらこんなに大きく濃いものが出来上がるんだと感心すら覚える程の淀は、それが消えた瞬間今まで森中を覆っていた陰鬱とした空気が嘘の様に消え失せ纏わり付く様な不快な空気も霧散した。被害がゼロとは言わないが一応死者は出さずに済んだ今回の浄化。結果としては大変よろしいのではないだろうか。そんな事をティナが考えていると少し向こうのほうが騒がしい。恐らくハイジェイドが来たのだろう。ズルズルと木を支えに座り込んだティナは動けないので彼の近くには寄れなさそうだ。


ーーせめて最後にお別れは言いたかったけど、この様子じゃ難しいかもな


ふぅ、と息を吐いてゆっくりと自分の両手を見つめる。少し持ち上げたそれは笑えるくらいにカタカタと震えており、もう自分の中の浄化力が空っぽになっている事が分かった。


「本当、ギリギリだったな………」


思わずため息を溢しているといつの間にか幻姿のみんながティナの周りに集まってきていた。


「お疲れ様、ティナ」


この浄化が終われば妖精の国を出るつもりでいる事を伝えている彼らは当然の様にまた付いてきてきてくれるらしい。心強い事だ。


「流石に今回はもう浄化は暫く無理そう」


座ったまま彼らと話しながらふと考える。ここまで浄化力を使い切ったのはあの悪夢の様な死の森以来だ。今回はあの時よりも体力が付いているお陰なのかもう少しすればキビキビとまでは行かないが何とか動く様にはなれそうで自分の成長を感じる。しかしその時、何だか急に胸がざわついた。


ーーなに………?


周りを見渡しても特に何も無い。相変わらず浄化師達が死屍累々、といった状態でそこら中で転がってはいるがそれだけだ。何か説明を受けながらこちらへ歩いてくるハイジェイドが見えるが特段不審な物も見当たらないし。


「気のせいかな」

「ティナ?」


眉を寄せるティナを不思議そうに見つめる幻姿の1人に何でもないと言おうとした瞬間、ティナは目を見開いた。


「ハイジェイド!!!」


叫ぶと同時にティナはもう限界だと思っていた身体を死に物狂いで動かした。


ーーだめ、だめ、ハイジェイドだけはだめ!


丁度、話をしながら歩く彼らからは死角になる茂みに明らかに恨みの篭った目で飛び出してくる男が見える。その視線の先に映るのは間違いなくハイジェイドだ。瞳の色はきちんと確認できないが煤けているがそれでも元は綺麗なプラチナブロンドなのだろうと分かる髪や殺意に満ち溢れてはいるもののその整った顔立ちはどこと無くハイジェイドに似ている気がする。早く、早くと思いながら痛みで悲鳴を上げる身体を叱責しながら動かす。痛みによる生理的な涙で視界が滲んだがなんとかそのまま飛び込む様に男とハイジェイドの間に駆け込んだ。


ーーだめ!


一瞬目が合ったハイジェイドは驚いた様に目を開いたが次の瞬間、悲鳴の様な彼の声が聞こえた。


「ティナ!!!!」


ーーああ……


全てがスローモーションの様にゆったりと流れて見える。ハイジェイドと目が合った直後彼を背に庇う様にして両手を広げたティナ、目前まで迫るハイジェイドとどことなく似た雰囲気の男、本来国王を守るべきはずなのに慌てて逃げ出す会議に出ていた何人かの上層部の男達。


ーーもー、流石に無理かな


憎しみに囚われた男の手にはどす黒い色をした繭の様な物。恐らくだが淀と似た様なモヤが出ているので呪いのアイテムとかそんな所だろう。それがゆっくりと自分の鳩尾辺りに力尽くで捻じ込まれる様子をティナはただ他人事の様に見ていた。ダメ元で浄化してみようと思ったがやっぱり浄化力は空っぽで何も出なかった。


「……っぐ、ふ」


ごぼりと迫り上がってくる血の味、急速に冷えていく身体、遠くなる意識。


「っ!待って、ティナ!ティナ!!お願いだ、ティナ!死なないで!」


そして何だか遠い所でハイジェイドが呼んでいるのが聞こえる。それを聞きながら心のどこかでティナは理解した。残念ながらもう自分の命はここまでなのだと。


ーーまあ良かったか。最後にハイジェイドの事は助けられたし


でも、せめて最後に一目。どうせ死ぬのなら一目彼の姿を見納めたい。そんな思いで縫い付けられた様に重い目蓋を何とかこじ開ける。


ーーなんだ。思ったよりも近い所にいたんだ


まるでティナを抱きかかえているかの様な距離にいるハイジェイドの表情は悲壮そのもので、ティナはそれがなんだか可笑しくて少し笑った。きっと、実際には口元が少し上がったかどうかくらいなのだろうがそれを見たハイジェイドは早く医者をと叫んでいた声を止めてまたティナの名前を叫ぶ。そしてティナは思うのだ。ああ、やっぱりな、と。


ーーやっぱり私、ハイジェイドの事好きだったんだなー


もう限界を訴える目蓋を押し上げる力も出ずにゆっくりとまた瞳を閉じると視界は再び暗闇に包まれた。微睡の中へと誘われる感覚はきっともうティナの身体がその生涯を終えようとしている証拠なのだろう。既に彼の声も届かない。


ーーはぁーーっ。良かった、うん。最後にハイジェイドが好きなんだって分かって良かった


お別れをきちんと言えなかったのは残念だが、最後に自分の気持ちを知れて良かった。正真正銘、最初で最後の恋になった。それだけ聞くとちょっと素敵な響きがする。ただ、ひとつ心残りがあるとすれば旅をしている時からティナに同行してくれていた幻姿達だ。


ーーみんな悲しむかな……アイリットは怒りそう


何にせよ、ハイジェイドやマリーが居るので冷遇等はされないだろうが皆が天に召されるのを見届けてあげられなかったのは残念だ。


ーーみんな、元気でね


そう思ったのを最後に、ティナの心臓は動くのを止めた。穏やかにも見えるティナの表情を見たハイジェイドが、まだ暖かいにも関わらずくったりと動かなくなったティナの身体を抱きながら震える声で呟いた。


「………ティナ?」


その近くでは取り押さえられた男がハイジェイドへと向かって呪詛の言葉を撒き散らしながら拘束されていたが彼にそれを気にする余裕は無かった。


「ティナ、目を開けて……?ねぇ、嘘だよねティナ」


しかし彼女の命の灯火がもう消え去っているのは誰の目にも明らかだった。そして直後、女の身体を抱き締める様に抱えた男の慟哭を彼女が聞く事は終ぞ無かった。





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