ティナの思い付き
限界が来て動けなくなる程に浄化の力を使ったあの悪夢の様な日から1年経った。ティナは17才になった。彼女は朝食を済ませてから森へ行き、食糧を採集しながら歌を唄った。広い広いこの森の隅々にまで浄化の力が届く様に。
『自分の行動に意味はあるのか』
あの日からティナは何度も何度も考えた。静かな森はただ静かだというだけでティナの気持ちを沈ませた。思い出すのは昔の事だ。
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「おい、お前!どうして外にでてるんだよ!」
子ども特有の高い声に振り返るとそこには村でも有名な悪ガキ共の集まり。ああ、嫌な相手に見つかったなぁ。そんな事を考えていると肩に鈍い痛みが走る。咄嗟に痛む部分を抑えれば次は頭部や腕、足にも襲いかかってくる。
ーーまたか………
村の子供達はこうやって度々、日々の鬱憤や忙しい親に構ってもらえない寂しさをティナへ石を投げつける事で解消している。逃げてもダメ、逆らってもダメ、我慢して痛くなさそうにしてもダメ。そして彼等のリーダー格がティナの反応を「ダメ」と判断すればそれは一気に直接的な暴力へと変わる。勿論、大人達は助けてくれない。今日も、ティナは投げつけられる石から頭を守る為に蹲り痩せた細腕で頭部を覆った。
ーーこれを乗り越えないとご飯がたべられないし
そもそも家から出ずにどうやって1人で暮らしていけというのか。出来るならお前がやってみせてみろ!と声には出さないがティナはいつも思っている。
「ただいま、母さん」
「お帰りティナ」
子供達が石投げに飽きて漸く解放され、家に帰るとそこにはにこやかに笑う母がいた。そして少し空いていた窓から不躾に家の中を覗き込んでいた近所のおばさん達が「ほら、またよ」「本当!気味が悪い」とヒソヒソ話し込んでいる。ティナからすれば村全体で幼い子ども1人を爪弾きにしておきながらその『気味が悪い』子供の住む家を不躾に覗き込んでいる彼女らの方が『気味が悪い』
母を見れば困った様に眉を下げてこちらを見ているので「大丈夫だよ」と首を振る。母は綺麗な人だった。流石に村一番の美人だとかそんなのでは無かったけれど、一緒にいれば安らぐ優しい面立ちの人だった。だからこそ『フギノコ』を作ったのだと勝手な事を言う者もいたのだろう。別にティナはそれが本当の事だったとしてもなんだっていいが。そしてそんな母はよくティナに歌を唄ってくれた。女手一つでティナを育てる為、昼夜問わず働く彼女にはティナをゆっくりと構ってあげられる時間が無かった。その代わり、彼女は洗濯をしながら、料理をしながら、時には内職をしながらティナに沢山歌を唄って聞かせた。だから彼女が他の人から見えなくなって、自分で沢山の事をしなければいけなくなった時、今度はティナが彼女に沢山歌を唄って聞かせた。すると少しずつ母の身体の周囲に揺れていたモヤは薄くなり、ある日突然その身体が淡く光り出した。何となく、もうこれが本当に母との別れになるのだろうなという気はしたが母が最期まで笑っていられる様小さな声で歌い続けた。ティナは6歳だった。それが、一般的に知られる方法と形は違えど幻姿の『浄化』だとは知らなかった。
そして空へと登って行く母を見送ってからというもの、ティナの身体には少々異変が起きていた。
ーーまただ…………
村の至る所で黒っぽいホコリの塊の様な、頑固な黒いカビの様な物が至る所で目につくのだ。初めは真っ黒な雨雲が空から落っこちてきたのかと思った。しかしすぐさまそんな訳はないかと思い直し、近づいて見てみるとモヤモヤっとしたなんだか少し気分が悪くなってくる物体だった。
「おいフギノコ!お前母親が死んだのにどうやって生きてるんだ?」
ある日また煩い子供達に囲まれた。同世代だとはいっても栄養状態の悪いティナからすればこの中の1人にだって力で勝てる気はしない。また彼等の鬱憤を晴らす玩具にされるのかとうんざりしていれば今日は珍しく、怒りで目を吊り上げた1人の中年女性がこちらへ走ってきた。いつもティナが大人数から暴力を受けていても我関せずなのに珍しいなと思っていれば、それは囲んでいる子供達もだった様で少し焦った顔をしながらチラチラとティナと女性を交互に見ている。
パーーーーン
妙に高い音がしたかと思えばすぐに地面へと吹き飛ばされる身体。顔の左半分が燃える様に熱い。一体何が起きたのか分からなかった。
「どうせお前だろう!この盗っ人め!」
肩を怒らせて走ってきたかと思えば何の躊躇いもなくティナの顔を目一杯打った女性は大声で言い放った。
「え……?」
子供達から暴力を振るわれる事はあっても大人から手を上げられる事は流石に無かったので驚いた。親切を装って家の中の物を持って帰られるなんかはあったが。
「え、じゃないんだよこの盗っ人め。気味の悪いお前を村に置いてやってるにも関わらず恩を仇で返しやがって!」
なんの事だかさっぱり分からなかったが興奮したままにティナの胸倉を掴んで激しく揺さぶる女性によればどうやら数日前から度々家の中で食料の備蓄が無くなるらしい。そしてそれが何件の家でも起こっている事が分かりどうやらティナが盗った犯人に違いないという。いや、知らないしと思った瞬間「ぁっ………」という小さな声が聞こえた。胸倉を掴まれたままそちらを見てみるとブルブルと震える女の子がぎこちない仕草で何かを身体の後ろへ隠した。そして他の子も見てみれば皆一様にバツの悪い顔をして目配せをしあっている。そしてその内1人が決心した様に口を開いた。
「ぼ、ボク見たよ!こいつが色んな家に忍び込んでたんだ!」
ーーはぁ?
すると1人目の発言に背中を押されたのか口々に「オレも見た」「私も!」と騒ぎ出す。ティナは罪をなすり付けられたことに気付き「ちがう……盗ってない………」と首を振った。しかし案の定信じては貰えずその後次々と集まった『備蓄を盗られた』という大人にも散々殴られた。絶対備蓄無くなってない奴も殴っただろ。痛すぎて死んでしまうかと思った。しかし死んでしまうならもうそれはそれでいいかなと思うくらいには、ティナはいっぱいいっぱいだった。
ーーああ、でも…………
真っ暗な道に痛みで起き上がれないまま放置されたティナはゆっくりと首を動かして空を見上げた。今日は星が綺麗だ。
ーー仕返し、してやりたいなぁ………
切れた唇を痙攣らせながら微笑みをもらす。狂った村で育ったティナは、しっかりとその性格に歪みを育てていた。
ーーよし、そうしよう。
身体は痛くて動かないが頭は動く。今まで沢山嫌な思いをして来たのだ。それに対してティナが少しやり返したところで神様は怒らないだろう。
どうしようかな
その日から、ティナの『ささやかな仕返し』が始まった。まず、仕返しの方法を考えたが力では大人どころか同世代の子供1人にだって勝てないだろう。なので相手に真正面から立ち向かうのは無理。次に考えたのは盗っ人だと冤罪をかけてきたのだから本当に盗ってやろうかという案だったがこっちも無理。そもそもティナに盗みに入れる様な技術や身体能力は無い。他にも井戸に毒を投げ込んでやろうかとか、眠っている住人達の家を燃やしてしまおうかとも思ったがこれも断念。毒の知識なんて無いし、放火はすぐに気が付かれるから気が付かれた時点で終わりだ。やるなら村の奴ら全員にしっかりと仕返しをしてやりたい。
「ああ、そっか」
ティナはふといい事を思い付いた。村人はいつもティナを不気味だ不気味だと言っていたでは無いか。ならばその『不気味な』ティナからぴったりのプレゼントをしてやろう。これならきっと誰にも気付かれない。全員にきちんと仕返しができるだろう。
「黒モヤ探さなきゃ」
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「ふぅ、今日はこんなもんかな?」
今日も沢山の黒いモヤモヤを村人の家やその周辺に撒いてきた。最初はあのモヤモヤに近付いたら嫌な感じがしたのであれをどうにか村人の家周辺に発生させれば彼等は『よくない状況』になるのではないかなと思った。しかし試していて気が付いたのはあの黒モヤ、ティナが身体にぐっと力を入れて近付くとススス…と横に逸れる様に移動する物があるのだ。壁や道なんかにへばり付いている物は無理だったが空中の物ならばその方法で移動させられた。そして何より素晴らしいのはその黒モヤ、村人の所へ放り込むとだんだんその家の人間はおかしくなっていくのだ。やたらと病気しがちになったり、少しずつ心を病んでしまったり、やたらと暴力的になったり。そのとばっちりでティナも殴られたりはしたが殴られた痛みより散々ティナの事を『気味が悪い』と言っていたのに、今は自分達の方が『気味が悪い』状態になっている村人を見られて満足だった。更に黒モヤは黒モヤによっておかしくなった人が居ればどんどんと増える。それがまた楽しかった。きっと、ティナの心はあの時に一度壊れてしまったのだろう。でも別に良かった。理不尽な奴等が壊れれば壊れる程満足するこの心は、仕返しという目的が無ければとっくに形も保てなくなっていたのだから。
「やあ、君がティナかな?」
そしてティナが『ささやかな仕返し』を完了させる頃、変な男が村に来た。男は自分を浄化師だと言い、モヤに取り憑かれた村の調査に来たのだとも。他にも何か色々喋ってきていたがティナは村人への仕返しの為に寝る間も惜しんで行動していたので空腹も疲労も限界で動けなかった。そんなティナを見て男は人好きする顔で言った。
「おいで。おいしいものを食べさせてあげよう」
そうしてインモール国の(この時初めて自分の国の名前を知った)浄化師を育てる機関へと辿り着いた。そこには沢山の大人が在籍していて皆が浄化師なのだという。しかしその浄化方法に驚いた。ティナが見ていた地面から浮いている人達は幻姿と呼ばれ、見つけ次第一瞬で消してしまうのだ。同じ様にティナが村人への仕返しで使った黒モヤは淀やモヤというものであれもすぐに消さないといけない。間違ってもティナみたいに移動させてみようだなんて考える人は居ないらしい。逆にティナの浄化のやり方は物凄く批判された。おかしい、非効率、落ちこぼれ等散々罵られたがティナからすればここで働いている人たちの方がおかしかった。死んだとはいっても、殴ってもこない人達を問答無用で消して回るこいつらが、人間が、気持ち悪かった。
「お前の様な役立たずはいらん。出て行け」
だからそうやって無責任に放り出されても「やっぱりな」くらいにしか思わなかった。もうティナは一通り浄化に関しての技量は身に付けていたので学ぶ事も無いから惜しくも無かった。
「おや、ティナ。本当に出て行くのかな?」
「うん」
6歳の頃にティナを村から出した男だ。
「そう。ティナは今……8歳になったんだったかな」
こくりと頷くと男は相変わらずニコニコとした顔で「成る程」と言った。ここに来て暫くしてから知った事だがこの男はこの『いくせいきかん』とかいう場所のちょっと偉い奴だった。
「ティナはまだ子供だからね、このまま出て行っても大変だろう?だからみんなには内緒でいい事を教えてあげよう」
男の言う『いい事』は行く宛の無いであろうティナに今は誰も管理する人が居なくなっているある森の管理人にしてあげると言う話だった。確か森には使われていない小屋があるからそこに住めばいいとも、管理人になれば国から助成金が出るからなんなら今よりももう少し良い生活もできる、とも。
ティナは訝しげに男を見たが相変わらずニコニコとしている。そして1つため息をつく。この男は優し気な表情を作りながら最終的には自分の思う様に事を運ぶ。ここでティナが断っても結局は管理人の役目を押し付けられるのだろう。
ーー別に興味ないんだけどな
しかしお給料も出ると言うなら素直に頷いておこう。そうしてティナは『死の森』の管理人となった。初めて森に入った時は余りにも濃くて深い瘴気や大量の淀に思わず「あんのヘラヘラジジィ!」と悪態をついたが。
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「でも結局一回もお給料払われなかったんだよなぁ。食料すら貰えなかったし」
ふ、とティナは誰もいない森で笑う。
「小屋に住み着いたものの着替えもないし、食料もないしで結局街の方に降りて行ってゴミ漁りしたんだよね……」
最初は出来ないことの方が圧倒的に多かった。でもティナなりの浄化を施して行く内に正気を取り戻していく幻姿の人々が沢山の知識と愛情で彼女を育ててくれた。小さい兎や狐などなら獲れる様になったし、それらの毛皮を使って身の回りのちょっとした物を作れる様にもなった。幻姿の人々は、ティナににとって師で、親で、兄妹で、友人で、恩人だった。
ーーでも、もう誰も居ない。
ティナは辺りを見渡す。倒れるまで森を回復させた日以降、ティナの強過ぎる浄化力が森に定着したのか幻姿がこの森に訪れなくなってしまった。
寂しい
悲しい
自分の存在価値が見出せずひたすらに虚しかった。そしてティナは思い立った。
よし、森を出よう
と。うん、それがいい、そうしよう。何故かは分からないが誰も新しい幻姿が来ないのなら管理者なんて要らない筈だ。国にただ使い潰されるのは嫌だったが、幻姿のみんなの為になら森に残ろうとも思った。しかしそうで無いなら別に未練も何も無い。思い立ってからティナは早かった。少ない持ち物を纏めて次の日の朝には出発した。6年過ごした思い出の詰まった家は、一度も振り返らなかった。