幸せな時間と来訪者
今度は中編を書く!と、意気込んでいたのですが中編って何文字から何文字だ…?と首を傾げている段階です(調べろ)よろしくお願いします。
ある、森の奥深く。1人の少女がまるで天使かと見紛う程キラキラと輝く美貌の少年に今日も絡まれていた。
「ねぇねぇティナ、今から洗濯を干すの?」
「ティナ!森の入り口に珍しいキノコを見つけたよ。食べられるといいね」
「ティナー。そろそろ君の歌声が恋しいな」
少年の名前はハイジェイド。真っ直ぐと伸びた柔らかな色合のプラチナブロンドを緩く首の後ろでリボンで一纏めにした、サファイアブルーの美しい瞳を持つ美少年だ。その姿はもはや神々しく、初めて見た時のティナなんかは何かお供え物をした方が良いのかなと迷った程である。こんなに美しければ外を歩く時はさぞかし苦労をするのであろう。
地面から足が浮いていなければ。
「ハイジェイド……歌はもう少し待って。まだ水汲みが終わってないから」
そんな彼に向かってため息混じりに話すのはこの『死者の森』に住むティナ。今年12歳になった。
「ねぇねぇティナ。いつも言ってるだろ?僕の事はジェイドって呼んでよ。ハイジェイドって長いでしょ?」
「さして変わんないじゃん」
そしてこの無駄にキラキラしい少年、ハイジェイドとの出会いは1年前。丁度今日の様に晴れ渡る空が綺麗で、洗濯物がよく乾きそうだなと思う様な日だった。
✳︎✳︎✳︎
「あ」
ティナの仕事はこの森に集まってくる幻姿達の鎮魂だ。一般的には『浄化』とも言われているがティナの浄化のやり方はあまり一般的ではない時間のかかるやり方なのでいつからか森の皆が『鎮魂』だと言うようになったのだ。
「どうしたのティナ」
ティナが洗濯物を干す間鍋が吹きこぼれない様見ていてくれていた幻姿の少年がドアからひょっこりと顔を出す。
「多分、今森に新しい人が来た」
すると少年は一つ頷く
「ああ、お仲間?」
「多分ね。」
ティナは自分の足元を見る。洗濯物をまだ全部干し終われていない。森に様子を見に行くのはこれを全部干し終わってからでいいだろうかと悩み、うーんと唸る。が、やはり駄目だろうなと思い至り肩をがっくりと落とす。今日は気合を入れて布団のシーツまで洗ったのに。
「ちょっと様子見てくるよ………」
肩を落としたティナを見て少年は苦笑いを浮かべる。
「ごめんね。僕たちがやっておいてあげられればいいんだけど。あ、出るなら鍋も火からおろしておいた方がいいんじゃない?」
「いいの。見ててくれてありがとう。はああああぁぁ………でもやっぱり薪が勿体ない」
幻姿は所謂『幽霊』だとか『亡霊』、状況によっては『悪霊』などと呼ばれている者達の総称だ。つまり実態が無い。鍋の吹きこぼれを見ていて貰う事は出来ても鍋の中身がいい感じになった所で火から下ろして貰う事は出来ないし、残りの洗濯物を干しておいて貰う事もできない。ティナは火にかけてまだ間も無い鍋を泣く泣く火から下ろし、竈門の火を消す。鍋の野菜はまだまだ火が通っていなさそうだったが余熱が頑張ってくれると信じよう。
「行ってくるー」
「いってらっしゃい」
ひらひらと手を振る少年と我が家を背にティナは歩き出す。森に行く、と言っても森に入るまで徒歩5分。問題は森のどこに新しい幻姿が現れたか、だ。
「んー。もう少し奥かな?」
慣れた様子でサクサクと森を進む。途中何人か顔見知りの幻姿が居たので新しい幻姿を見掛けなかったかを聞き、探している幻姿の状況によっては危ないかもしれないから近付かない様に言い含めておく。
「多分そろそろ………」
森へ入って15分程歩いただろうか。その幻姿は居た。どうやら今回の幻姿は暴れ狂うタイプでは無かった様でほっと胸を撫で下ろす。流石に大きなモヤを背負った自分よりも大きな幻姿が殴りかかってきたりすると怖い。慣れていても怖いものは怖い。
「あ、珍しい」
そして今回はどうやら子供の様だ。膝を抱え込んで蹲ったその身体はとても小さく、12歳のティナと同じかそれよりも少し大きいくらいだった。そしてティナの足音に気が付いたのか少年が顔を上げた。
ーーうわ!
驚くべきはその少年の天使の様な美しさだった。
ーーあれ?幻姿だよね?モヤ出てるもんね?
幻姿は皆、多かれ少なかれ身体から多少の黒いモヤを出す。誰かや何かを恨んだりすればする程モヤは多く色も深くなり、幻姿自身も苦しみで凶暴になる。
ーーまだ子供なのに可哀想に………
自分も子供のくせに、心の中でティナは目の前の天使の様な少年を哀れんだ。そして眉を下げたティナを見た少年はこちらを見てふるりと瞳を揺らす。
ーーなんか、綺麗すぎて………お供え物とか持ってきた方がいいのかな
しかし天使に対するするお供え物って何なのだろう。ティナは別に信心深くも無いのでそんな知識は無い。神殿か?神殿に聞けば分かるのだろうか。
「おい」
そこで呼び声だと思われる声が聞こえた。まるで鈴を鳴らすかの様な軽やかで柔らかい声。が、しかし聞き間違いでなければ「おい」と言われた気がする。
「おい、そこのお前」
あ、やっぱり聞き間違えじゃ無かった、そう思った瞬間少年が立ち上がった。
「ここはどこだ」
返事をしないティナに焦れたのか天使(仮)は苛立った様に眉を顰めて足をタンタンと鳴らしている。
ーー案外堪え性ないのかなぁ
何でこんなに偉そうなのかなと思いながらも、どんな幻姿でもやる事は変わらないのでとりあえず相手の問い掛けに対して返事をしてみた。
「ここは『死者の森』だよ」
「死者の森………?」
どうやら天使は死者の森をご存知ないらしい。
「私はティナ。この死者の森を管理してるんだよ、綺麗な幻姿さん」
「まぼろしすがた……?」
ふむ。どうやらこの天使(仮)は森だけでは無く幻姿自体もご存知無いらしい。だが子供だから仕方ないのかもしれない。なのでティナは丁寧に、できるだけ刺激を与えない様にしながら説明をする。
あなたはもう既に無くなっていて、この『死者の森』に辿り着かれたのですよ
と。
この森には昔から良くないもの、世間では『淀』と呼ばれる物が何故か集まってくる。つまりここは生き物が死に、天に召される迄の間を過ごす停留所の様な役目を果たしているのだ。しかしそのまま何をするでも無く放置すればモヤの強い幻姿達の凶暴性は落ち着かずに近くの街や村を襲ってしまう。そこでこの森の管理人として充てがわれたのがティナである。
ティナはその昔、小さい村に母親と2人で住んでいた。父親の顔は見た事が無かったがよく近所の子供達から「フギノコ」とよく言われたので別に死に別れた訳では無かったのだろう。そんな顔を見た事もない様な父親よりも、愛情を沢山くれる母親の方がティナはとっても大切だった。だって、名前だけの父親の事を知ったってお腹は膨れないんだもの。しかしティナが6歳の頃、母親が倒れてそのままあっさり死んでしまった。村にティナの居場所は更になくなった。元々何も無い場所に向かって話し掛けたり、突然どこかを見ながらぼーっと立ち止まるティナは大人からも子供からも気味悪がられていたので今更ではあったが、困った事に母親がいないととてもお腹が空いた。
「やあ、君がティナかな?」
お腹がペコペコで動けなくなって道端で倒れている所に知らない大人の男が居た。
「おいで。おいしいものを食べさせてあげよう」
母親が生きている時に「知らない人にはついていっちゃいけません」と何度も言われたが、これは不可抗力だろう。男は動けなくなったティナを荷車のような物に乗せてそのまま村から連れ出したのだから。
「おい、僕が死んだってどういう意味だ」
あ、いけない。いつの間にか昔の事を思い出して少しぼーっとしてしまっていた。
「何で死んでしまったのか私には分からない。でもここにはそういう人が沢山来て、それで私の鎮魂を受けてモヤを薄くしてから天に召されていくんだよ」
「モヤ………?」
警戒を解かないままに天使(仮)はチラチラとティナの動きを警戒しながら自分の身体を確認している。まるで野生の獣の様で少し可愛らしい。
「おい、嘘をつくな。何も無いじゃないか」
舌打ちをしながらこちらを睨み付ける天使には悪いが確かに出ているモヤも大した事が無いし、攻撃をしてくる様子も(今の所)無い。ならティナはそろそろ家に帰りたかった。早くしないと今夜はベットカバー無しで寝る事になる。草への直寝は御免被りたい。
ーーまた明日様子を見にくればいっか
うん、大丈夫大丈夫。ティナの歌う浄化の歌はこの森の中なら何処にでも届くし、今こうしてティナと少しだけでも対話したから多少なりとも楽にはなった筈だ。
よし、帰ろう。
ぱん、と手を叩くと突然動き出したティナに対してビクリと肩を揺らす天使(仮)
「ちょっと今日はもうやる事あるから帰るね。詳しい事はまた明日くらいに教えてあげられると思うから。待ちきれなかったらその辺にいる他の幻姿に聞いてもいいよ。えっと………名前聞いて無いね。あなたの名前は?」
「ふん。人に名前を尋ねるときはまず自分から名乗れと習わなかったのか?」
さっきティナって言ったのに。もう天使(仮)じゃ無くて天使(笑)にしてやろうか。
「ティナだよ。で、名前は?」
「はっ。嘘ばかりつく怪しい奴に名乗る名等持ち合わせていない」
「…へぇ」
天使(笑)に決定だ。
「ならもういいよ。私の気が向いたらまた明日ね、天使(笑)」
そう言って天使(笑)に背を向け駆け出した。後ろで天使(笑)が何か言っていたけれどああいうのは「ぶれいもの」なんだって前ここにいた幻姿が言っていた。人の好意を何だと思っているんだ。こっちは国から押し付けられた管理人だと言っても無給なんだぞ!
そこから1カ月、ティナは天使(笑)の所へ気が向いた日は様子を見に行った。「ぶれいもの」の天使(笑)はどうやら最初に居た場所からあまり動かない事にした様だ。見つけ易くてとてもよろしい。
2カ月目、ティナが森の中にいる間は少し距離を取りながら付け回す様になった。めちゃくちゃに睨みながら。
3カ月目、ティナの家の前辺りまで付いてくる様になった。
4カ月目、ティナが外で洗濯物を干したり、食糧の備蓄を作ったりしているとぽつり、ぽつりと「独り言か?」と思うレベルの小声で話し掛けてくる様になった。
5カ月目、ようやく天使(笑)の名前が判明した。ハイジェイドと言うらしい。顔だけでは無く名前までキラキラしている。
6カ月目、ティナの名前を呼ぶ様になった。そして森に木の実が沢山なっている木を見つけたと教えて貰ったのでティナが喜ぶと初めてふわりと微笑んだ。しかし直後思わず癖で言ってしまったティナの「ありがとう天使(笑)!」の言葉で鬼みたいな顔になった。だってしょうがないじゃないか。名前を知ったのはついこの前なんだから。
7カ月目以降は今までの態度は一体なんだったんだと問い詰めたくなる程に懐いた。本当に野生動物である。ティナ、ティナとどこでもついて回ってはティナが何をしていても興味津々で楽しそうにしている。
ハイジェイドとはなんだかんだ気が合ったのでまるで兄妹の様に過ごした。ハイジェイドが今いくつなのかは何度聞いても結局答えてはくれなかったが、12歳のティナと比べてもあまり変わらない所を見ると12歳くらいなのだろう。ティナと年の近い幻姿は今まで居なかった訳では無かったがここ数年は鍋の吹きこぼれをよく見ていてくれた少年だけだったのだ。しかし彼も先日無事に天へと召された。
「今まで本当にありがとう。すごく、すごく感謝してるんだ。天へ召されて、生まれ変わりの権利を得られたらきっと会いにくるよ」
そう、他の幻姿達と同じ様な事を言って。
「こちらこそありがとう。待ってるから、頑張って見つけてね」
「うん。きっとだ。」
少年は泣きそうな笑顔で笑いながらキラキラと空気に溶けていった。そのキラキラと光る粒子が段々と空へ登っていくのを見上げ、ティナは小さく「さようなら」と呟いた。分かっている。彼だけでは無く、今まで天に召さていった幻姿も含めた誰とも恐らく再会は叶わない。何故ならば死に、天へ召され、再び地上での生を受ける『生まれ変わりの権利』を得られる時には前の生での記憶は綺麗に消されている。加えて、再び生まれ変わるには何十年、下手をすれば何百年もかかると言われているので(誰が言い出したかは知らないが)まず再会は出来ない。そんな事は彼も、今までの幻姿も承知している。しかしそれくらいティナには感謝をしていると言う事なのでティナは素直に嬉しかった。
「ティナ」
少年を見送った日、珍しくティナは何もしなかった。ただ他の幻姿の大人達が遠くで見守る中、ハイジェイドと共にぼーっとしたりそのまま転寝を繰り返して過ごした。
✳︎✳︎✳︎
ハイジェイドと出会い、少年と別れて2年が経った。ティナは14歳になった。背も少し伸びてハイジェイドと同じくらいの身長になったし(そもそも彼は死んでいるので背は伸びないが)、体力も前よりはついた。ハイジェイドはまだ天に召される様子は無いが召されるまでの時間は個人差があるので気にはしていない。今日も、今日とてティナは沢山の幻姿の大人達に見守られながらストーカーを引き連れて森へ食糧探しだ。しかしそんな平和な日々は突然終わりを告げる。
「?」
いつもの様に浄化の歌を森で歌っていたティナは違和感を感じて首を傾げる。
「どうしたのティナ」
ティナの歌を聞くために沢山集まっていた幻姿や、ティナの隣に座っていたハイジェイドは突然歌を止めたティナを不思議そう見た。
「なんか、変な感じが……」
「変な感じって、また新しい幻姿?」
そう言って近付いてきたお姉さん幻姿にティナは首を振る。
「違うと思う。幻姿ならすぐ分かるから……なんだろう。幻姿じゃ無いけど、なんか沢山のモヤが森に入ってくるからこのままじゃ淀が出来ちゃうかもしれない」
ティナがそう話した直後、向こうから走ってくる幻姿が居た。ティナの父親くらいの歳のその幻姿は青い顔をして走りながら叫ぶ
「ティナ!今すぐ逃げるんだ!すぐそこまで国の奴が…………」
しかしその声は最後まで紡がれる事は無かった。突然鋭く光る光源が走っていた幻姿を貫き、一瞬でその姿をかき消した。
「え…………」
それは『一般的な』浄化魔法だった。ティナが使う歌や対話のそれではなく、幻姿達の意思や同意の有無に関係なく強制的に彼等を滅する魔法。
「「「ティナ!!!」」」
呆然と立ち尽くしていると頭にガツンと鈍い衝撃が走りティナの視界はグラリと揺れた。幻姿のみんながティナを呼ぶ声が聞こえるがそれ以上に気になる声がある。
「チッ、なんだこの森は!モヤだらけではないか。一体どうなっている!」
「ああ?モヤ?俺には見えないが……しかし何だか肌がピリつく様な不快感はあるな。これが幻姿がいるという証か」
その声を聞いたティナは思い出した。ああそうか、確か昔住んでいた村でもそうだった。ティナにはこんなにもはっきりと見えたり聞こえたりする幻姿の姿や声を他の人は認識出来ない。皆その辺りに行くと肌がピリついたり不快感を覚える程度で、見える方の人でもただのモヤに見えるだけなのだと。
ーー待って、その人達はもう殆どモヤは出してないの。もうすぐ自然に天へと召されるの!
そう言いたいのに声が出せず、段々と視界が狭くなる
ーーみんな……!
逃げ惑うみんなの姿をぼやける視界に映し、ティナの目の前は真っ暗になった。次に目を覚ましたのは薄暗くて硬い石の上だった。
「ここどこ?」
声を出すと思ったよりも掠れた声が出た。水が欲しい。辺りを見渡すと冷たい石造りの汚れた場所だった。前方には錆臭い鉄の棒が沢山刺さっている。その奥に見えるあれは廊下だろうか。そこに置かれている松明みたいな物がここの唯一の光源らしく薄暗い。
ーーこれ、前に誰かから聞いた牢屋ってやつなのかな?
身体中が痛い、寒い。早くここを出たい。
ーーみんな大丈夫かな…………
目の前が真っ暗になる前に見たみんなは自分の事よりもティナの心配をしてくれていた様に思う。沢山ティナの名前を呼ぶ声が聞こえた。
ーー早く帰りたいな
しかし、これがティナの地獄の始まりだった。知らない大人が数人ティナのいる薄暗い牢屋の前に来てつらつらと何か難しい事を沢山話した。その中でも何とかティナが理解できたのは、ここはお城の地下牢だと言う事。今までティナに森の管理人の仕事を押し付けておいて給料なんて一切渡して来なかった癖にティナの事を森に引き籠る穀潰し、役立たず、ゴミと罵ってきた事。最近お城では敷地内の至る所に大きくて深い淀が出来たのでそれを全部消して回るのがティナの次の仕事だと言う事。
ーーどうせこの仕事だってタダでやらせるつもりのくせに………
あの森の管理をしている間、一度も支払われなかったティナへの給料。無給で生きてきたティナがどれだけ苦労していたのかこいつらは知る由も無いのだろう。
✳︎✳︎✳︎
「時間だ、出ろ。」
そして今日も朝が来た。ここに連れて来られてからもう随分と経つ。石造りの地下牢で唯一の薄い布を身体からノロノロと下ろしたティナは顔を上げる。今日も朝食は一仕事終えてからの様だ。
ーーあとどれくらい城で働かされるんだろ
ここで働き始めてから何度かティナは逃走を試みた。しかしすぐに捕まり、折檻を受け、痛めつけられた。食事も余計な体力をつけぬ様にと最低限しか与えられておらず地下牢と淀の往復で元々あまり肉が付いていなかったティナは今まで以上に痩せ細った。
ーー今の所助かってるのは淀の処理だけで幻姿の浄化はさせられてない事かな
日が高くなってきた頃、ティナの空腹もかなりの物になっていた。今日はいつもより朝食までが長いなと思っていればそれは突然やって来た。
「ふむ、成る程。確かに淀は全て消えた様だ」
ティナを地下牢に放り込んだ後長々と喋りに来ていた大人だ。
「城はまあ、これで問題ないだろう。しかし貴様が怠慢にも放置していた死の森の瘴気が濃い。近隣の街にも被害が出始めている。貴様は自らが引き起こした事の責任を取る為今すぐ森へと向かい広がる瘴気を消し去れ」
「…………」
何を言われているのか分からなかった。無理矢理連れてきた挙句人を酷使して、そしてまた突然放り出すのだ。ここから逃げたいとは思っていたので出て行く事自体は吝かではない。しかし今、こいつは聞き捨てならない事を言わなかっただろうか。
ーー死の森の瘴気が濃い?!
森の管理者であるティナを無理矢理連れてきたのだ。当然代わりの管理者を置いているのだろうと思っていた。だが今聞いた事を考えれば今あの森は管理者が誰もいないのでは無いだろうか。
ーー自分達が連れてきたくせに私の怠慢?!
ティナは男を睨んだが態度がなっていないと男の持っている変な杖で殴られた。そしてそのまま私を森まで送ってやれと偉そうに指示を出して何処かへ歩いて行った。
「いった………」
まるで荷物かの様にボロボロの馬車へ詰め込まれたティナは送ってもらった事に感謝するんだな、と胸クソ悪いセリフと共に森へ放り出され、男に押し出された拍子に転んだ。最後まで自分勝手な奴らだった。そうして起き上がりながら悪態を吐こうと顔を上げた瞬間、ティナの背筋がぞわりと粟立つ。
「なんで………」
そこに広がるのはティナがここから連れ出される前とは比べ物にならない程暗く、淀んだ空気の広がる森だった。以前の明るく清廉な空気の森は見る影も無かった。
ーー瘴気が濃すぎて息がし辛い
「!」
突然何かが後ろから飛び掛かってきたので慌てて飛び退きながら自身の周りを浄化する。見た事がない幻姿だった。恐らくティナが城の浄化をさせられている間にやってきたのだろう。
ーーどうしよう
そうこうする内に幻姿がだんだん集まってくる。それに伴いモヤも増え、あっという間に淀が出来た。
「無理矢理の浄化はしたくない、したくない………けど」
そうも言っていられない状況になってきた様だ。ティナが迷っている間に凶暴化した幻姿は容赦無く襲いかかってくる。
「ぐっ……!」
思わず、一瞬で済ます浄化が出そうになったのを咄嗟に抑えたがその隙に幻姿の爪が左腕を掠った様だ。なるべくモヤにだけ浄化を当てながら逃げ惑っている内にティナはある事に気が付き、絶望した。
「ユー二、トレット、ベッカ……?」
容赦なく攻撃をしてくる深いモヤを背負った幻姿達の中に見知った顔をいくつも見付けてしまったのだ。
「うそ………」
だって、だって彼等はあの日。ティナが連れ去られるあの日までもうほぼモヤは無くなっていてあと数日もしない内に天に召される権利を得られそうだよと笑っていたのだ。それが今や皆凶暴で、目はガラス玉の様に感情を映さず、口から漏れ出る声にならない声はまるで飢えた獣の様だった。
ヴ……ゥア゛…………
そしてそのガラス玉の様な瞳からは静かに涙が流れていた。
ーーどうして、こんな思いをしているの?
ーー何故、こんな目に合うの?
ーーみんなや私が何をしたっていうの?
胸が締め付けられる。先程からの浄化で瘴気による息苦しさはかなり軽減されている筈なのに呼吸が上手く出来ない。
『け……シて…………』
「!」
『ティ………ナ…………』
突然声が聞こえた気がした。耳を済ませてももう何も聞こえず、目の前には迫り来る顔馴染みの幻姿だけだった。しかしティナははっきりと聞いた。聞き覚えのある声だったのだ。
「あ、あ………うああぁぁぁぁぁああ!!!」
ティナは泣いた。泣いて、泣いて、泣き叫びながら今まで決して行わなかった『一般的な浄化』を行った。幻姿はもう死んでいるから人間じゃないだなんて言うけれどそんなもの嘘だ。今目の前のこの人たちはこんなにも苦しんでいる。
「あっ……ああ…………」
せっかく新しく生まれ変われるのを楽しみにしていたのに。天に召される前のひと時を心穏やかに過ごせて幸せだと笑っていたのに。なのに。
「ああああぁぁぁ…………!!」
ティナが死の森を離れて、実に2年の時が経っていた。ティナは16歳になっていた。
暴れ狂う幻姿達を浄化して回り、ティナの体力はもう限界だった。城でろくな扱いを受けてなかったのも合わさって指一本すら動かすことが出来なかった。それでも朝はやってくる。誰にでも、どこにでも。やがて白んでいた空には美しい朝日が輝き、森には清浄な空気が戻っていた。
「ふっ……うぅ…………」
しかし森が以前の様に穏やかな空気に戻ったことを喜ぶ者は居らず、其処にはただ力尽きて横たわったまま自身を抱きしめる様に身体を小さく縮こませて涙を流す元少女がいるだけった。