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第五話 通わない心

 終業式を終えた金曜日、学校から三敷峠へと直行した悠人とナナは、酒井との勝負を当夜に控え、練習も最終調整に入っていた。

「さっき見たストレート手前のコーナーは、もっと積極的にインを使っても平気ね」

「うん、あそこの路肩はU字溝が草に覆われていたけれど、コンクリートの蓋がしっかり掛かっていて踏める。昨日までのアタックじゃ、暗くて判断がつかなかった」

 二人は、決戦の場である三敷峠を、麓の自動販売機前から頂上付近の見晴らし台まで、既に幾往復も済ませている。ナナの提案で、この夕方までの明るい時間に、法定速度以下の極めて安全な走行を繰り返し、攻防のポイントとなりそうな場所は、車を降りて見て歩いたりもした。この一連の作業には、路面の細かな状況を把握する意図が有る。

「ね、こういう練習もアリでしょ?昔は、こうして怜奈と一緒に走ったわ」

 ヒグラシの声が増え始め、陽光の傾きが実感される頃、麓へ降りて来た二人は、自動販売機前の縁石に腰を掛けてここまでの走行について気付いた事を話し合っていた。縁石のきわに沿って停められたRX‐7は、ハザードランプを点滅させながらナナの背もたれになっていた。

「あの頃とはまた、アスファルトの亀裂だったり、土ぼこりや小石の溜まり方だったり、路面のコンディションが違うわね。直前にしなきゃ意味が無いし、今日は丁度良かったわ」

「季節にもよるしね。まだ、枯れ葉が積もる時期でなくて良かった」

 この一週間、工場の手伝いや勉強を手早く終え、少しの睡眠を取ってから深夜に三時間程走りに来る、それを繰り返して来た。『白い雌豹』と呼ばれた姉の走りを知り尽くしているナナの指導は、車両自身としての感覚も相俟あいまって、とても効率の良いものであった。

 酒井に勝負を申し入れた時点で、別に、悠人にはナナを頼るつもりなど無かった。ただ練習を重ね、自己の努力によって少しでもましな走りが出来る様になろうとは思っていたが、存外、ナナが良いトレイナーになってくれた。そう事であった。

「じゃぁ、あと一往復したら一旦引き上げよう。エンジンオイルとブレーキパッドを交換して、タイヤも前後ローテーションする」

 首を反らして冷たいミルクティーを飲み干すと、ナナの手に在った空き缶も引き取り、自動販売機の脇に据えられたくずかごへ投げ入れる。そうして両手が空くと、軽く尻を払って再びRX‐7に乗り込んだ。

「この前から思っていたんだけれど、ナナってさ、『付喪神』って言っても、飲んだり食べたり人間と同じ事が出来るんだよね。他にも何かそう言う事有るのかな?」

 カチャカチャとシートベルトをしながら、ここ数日頭に有った疑問をぶつけてみた。ちょっとした好奇心でもあるが、今後ナナと接してゆく上で、何か気遣うべき事は無いだろうかと考えた、悠人なりの優しさだ。

「あら?随分と興味を持ってくれるのね。嬉しいっ」

 ナナは、得意げな顔で続けた。

「そうよ。人間と同じ物が食べられるし、お化粧も出来るし、今着ている服は怜奈に貰ったヤツだけれど、必要が有れば着替えも出来るしぃ……それに、お風呂だって悠人と一緒に入れるしぃ……」

「いや、一緒じゃなくて良いし」

 からかっているつもりか、ナナは度々卑猥な話題に誘導する。どうしてもそういう話題に慣れられない悠人は、努めて興味の無い風の態度を見せた。

「そのまま二人で甘い夜をしっぽり過ごす事だって」

「だからっ、そんな話までしてないってっ」

 エスカレートしてゆくナナに対し、語気を強める悠人。その言葉に、ナナも心外そうな顔をする。

「うっわぁ、冷たい言い方するんだぁ。質問に答えただけなのにっ。そういう態度をとるなら、じゃぁ、私もずっと気になっていた質問よっ」

 悠人をギロリと睨みつけると、その視線を外さずに続ける。

「悠人はどうして黒インテに勝負を挑んだの?勝負事を好むタイプじゃないし、初心者マークべったりの悠人がどうこう出来る相手だとも思わなかったでしょう?この山で一番速かった怜奈と、確か、あいつだけは競り合っていたわ」

 クラッチペダルを踏み込み、ギヤが一速に在る状態であったが、シフトノブをニュートラルの位置に戻して発進の動作を中断した。

 『冷たい言い方』と言うナナの言い分を真に受けた悠人は、申し訳無さそうに視線を下げる。

「ごめん……別に、冷たい言い方をするともりは無かったんだけれど、変なこと言うからさ。別に僕も、この山を何年も走り込んでいる人と、まともな勝負が出来るなんて思っていないよ」

 悠人の態度を見て調子に乗ったナナは、わざとらしく高飛車なもの言いをする。

「あぁらぁ……ふぅん……そう。なら、どうしてあんな事を?」

 助手席から身を乗り出し、したり顔で悠人の顎に指先を這わせるナナ。

 流石にこの態度にはムッとした悠人だが、先程の事も有り、いつもの事と諦めて話を進めた。

「多分、酒井さんはまだこの車のテールランプを追い続けてる。いつか追い抜いて、もう一度姉さんにプロポーズしようって」

 ふと、悠人の顎に悪戯をしていたナナの指が止まる。

「それで?」

 ナナは、悠人の顔を覗き込んで問い続ける。

「だからさ、気持ち良くこの車に勝って貰って……」

「『だから』、その代役を買って出たの?」

 ナナにとっては思いもよらない答えだった。そんな事の為に毎日走りこんで来たのか。

「代役って言うのも違うかな。もう、三敷最速の雌豹は居ない。それが解って貰えれば良いんだ……」

 ハンドルの革をそっと撫でながら、力無く答える。悠人の意識はすっかり姉との思い出に捕らわれ伏し目がちだ。

「怜奈を諦めて欲しいだけなら、悠人が毎晩練習する必要も無かったんじゃない?」

「一所懸命になって、それでも僕はかなわないんだ。それが、酒井さんにとって全ての答えになると思うから」

 悠人の理論からすれば、怜奈が運転していた頃にはあの黒いインテグラに一度も敗北しなかったこのRX‐7が、自分の運転によって大敗を喫したなら、酒井も幻滅して怜奈の死を受け入れ易くなるのではないかと、そう言う事らしい。

「ちょっ……馬鹿じゃないっ!やっぱり、そういう発想はお子様よねっ!!」

 ナナは顔を真っ赤にして声を荒げた。急激な表情の変化に、悠人は狭い運転席を後ずさった。

「まったく、何様のつもりよっ。そんなくだらない気を遣うくらいだったら、『怜奈は死んだ』って言う事実だけ伝えた方がよっぽどマシよ。でも、違うでしょ!?『いつまでも、姉さんの影に縛らないで欲しい』って伝えたいんでしょうがっ」

 ナナがどうしてこんなに怒るのか、悠人には理解出来なかった。そんなに自分は間違った事を言っただろうか。

「だったら、思い切り勝って、今は怜奈じゃない人間がこの車を乗りこなしているんだって、解らせてあげたら良いじゃないっ。負ける前提で臨む勝負なんて、何の感動も呼ばないんだからっ!!」

 そう言って、ナナは車の中に引っ込んでしまった。

「あっ、ちょっと、ナナ?」

 それきり顔を見せなくなってしまった。呼ぼうと触ろうと、返事は無い。

「参ったな……」

 決戦を当夜に控えているにも関わらず、二人はすっかりすれ違ってしまった。

 これって、まさしく『車と心が通わない』ってやつだよなぁ。悪い事しちゃったな……。

 悠人は、もう一往復する筈だった予定を切り上げて、自宅へと車を走らせた。

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