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第三話 白い雌豹

「あんっ、もっと優しく……」

 びくりと身を縮め、顔をしかめて訴えるナナ。

「こう?」

 ナナを気遣い、可能な限り彼女の求めに応えたい。悠人は指先に神経を集中し、精緻せいちな動きを見せる。

「あっ、そう……そんな感じで……んっ、そっ…………上手よ」

 一転、ナナは恍惚とした表情を浮かべ、声が途切れ途切れになる。その不規則な呼吸が、うつむいて頬に掛かった髪を小刻みに揺らす。

「良い……上手よ、悠人ぉ…………」

 車内に響く甘い声。白く、染み一つ無い美しい肌がほんのりと赤く色付いてゆく。

「これはどう?」

「んっ、その動き、凄く良いぃ」

 快感に腰をくねらせるナナ。動きに合わせてシートも軋み、不規則さが段々と一定のリズムへと変わってゆく。

「あの……どうでも良いけれど、もう少し普通に話して貰えないかな?いちいち、そんないやらしい声出さないでよ」

「もう、解ってないわねぇ。私は車なんだから、上手に運転されたら気持ち良くなるに決まってるじゃない」

 ナナの指導の賜物か、この気難しい車を随分とスムースに乗りこなす様になった。手足の指先が、その役割毎に絶妙な働きをし、アクセル、ブレーキは勿論、山坂道での頻繁なシフトチェンジにもストレスを感じなくなった。

「……はぁ、じゃあ、運転に集中したいから、少し静かにしていてくれる?」

「えぇぇぇ、悠人ったら冷たぁいぃ」

 悠人は、昔よく怜奈に連れられて行った、車で数十分程の距離に在る、『三敷峠みしきとうげ』を目指していた。三県の境を跨ぐ山道で、道幅が広く起伏の緩やかな国道が出来てからは旧道として扱われ、通行する者は、一部の『物好き』達を除いてほとんど無い。

「あ、この景色久し振りっ!ねぇ、見て見てっ。三敷レッカーの看板、新しくなってるぅ。儲かってんのねぇっ」

「いや、それはあまり良い事じゃないから……」

 七年間、ずっとガレージの中に居たナナにとって、久し振りの外界は道端の看板一つとっても、懐かしかったり、目新しかったりと、心を躍らせる物であった。

「……それでさ、話は戻るんだけれど、じゃぁ、ナナはさ、姉さんがこの車に乗っていた頃には、こんな風に話をしていたんだよね?」

 タイミングを計って、真面目な話題に戻してみる。

「そうよ。その時はもう、付喪神になっていたわ。怜奈の前のオーナーは男だったんだけれど、そいつが、ちょっと金持ちでさ、コレクション扱いでほとんど乗ってくれなかったの。で、たまに乗ったら、凄く運転下手だったのよ。挙句の果て、12A(SA型標準のエンジン)をブローさせて、『傷物は要らない』って、捨てられちゃった……エキセン(エキセントリックシャフト。一般的なエンジンのクランクシャフトに相当する)がボッキリ折れて」

「そっか……」

 腹立たしそうであって、また、諦めの感情とも取れる口調のナナ。本当は姉の事を聴こうと思っていたが、ナナの身の上を知るのも悪くない。

「存分に走って、車としての役目を果たしたと感じられたなら、他の車達と同じ様に廃車されて良かったわ。でも、私は何の為に生まれて来たのか分からなくなっちゃった。……その頃なの、私がこうなったのは」

 窓の外を流れる景色をぼんやりと眺めながら、ナナは続けた。

「……多分ね、私みたいな付喪神って、恨みから生まれるじゃないかな。『祟り』って言うやつ」

「うん……僕もそう思う」

 同情ではない。自分を一人の車好きとしてその男に置き換えてみたら、自分はナナをもっと大切にしてやれただろうか?或いは、修理代や車両の年式と、車を買い換えた場合のメリットを天秤に掛けて、やはり、ナナを捨てただろうか……?

「だから、人間に復讐をね……けれど、その後すぐに怜奈と知り合ったから、そんな気分の悪い事しないで済んじゃった」

 ナナの話を聴きいて、優しく相槌を打ち続ける悠人。

「それで、怜奈が『源さん達の時代はペケナナって呼ばれていたらしい』って言って、そこから私に『ナナ』って言う名前を付けてくれたんだ…………って、ごめん。本当はこんな話聴きたい訳じゃないよね。人と話すの久し振りだったから、つい……。聴きたいのは『怜奈がどんな運転をしたか?』でしょ?」

 ナナも、悠人の気持ちを汲んでいない訳ではなかったらしい。ただ、彼女のお喋りも、色々なものを抱えているからなのだろうと、変に納得出来てしまう。

「いや、それも有ったけれど、ナナの話を聴きたくないなんて事無いよ。まだ、それでも信じ難いけれど、ナナは僕にとって大切なセブンだから……でも、その話はまた後で。さぁ、着いたよ」

 話に夢中で、車が停車した事に気が付かなかった。

 悠人がRX‐7から降りた事を確認すると、周囲にひと気が無いのを見計らって、完全な変化へんげを行った。車体が見る見るうちにナナの姿へと形を変えてゆく。

 車内ではRX‐7の車体とナナの肉体の実体を同時に維持出来るが、あくまで一体であるから、車両から離れてナナとして存在する事は出来ないらしい。

「わぁっ、綺麗っ!」

 峠道を頂上付近まで登った所に在る、見晴らし台。辺りはすっかり暗くなっており、木製の柵の方へ近寄ると、眼下に街の明かりを見渡す事が出来た。

「姉さんに良く連れて来て貰ったんだ……あ、でも、ナナも、いつも一緒だったんだよね」

 恥ずかしそうに頭を掻く悠人。

「うん。私に乗って来てたんだから。でも、良いの?この場所って怜奈の……」

「そう、このちょっと先の所だね。分かってる。いつかは、向き合わなければいけないと思っていたから……けど、ナナの方が嫌かな?その時そばに居たんだから……」

「ううん、良いの。嬉しい。私にとっても怜奈との思い出の場所だから。怜奈と二人でも結構何度も来ていたしね……」

 その話に違和感を感じて、目の色が変わる悠人。

「ねっ、待って。こんな山の中、二人きりで何回も来ていたの?たまにじゃなくて?」

「そりゃ、怜奈ってこの辺りじゃなかなか有名な……」

 そこへ、甲高い音をさせて、黒地に赤いバッジが際立きわだつ、一台の車が停まった。

「おい、君!『白い雌豹めひょう』の連れじゃないか!?」

 車を降りて話し掛けて来たのは、高そうなスーツを着た三十代くらいの男であった。

 この黒インテ(インテグラタイプR)は、いつだったか見た覚えがある。インテRの黒色はあまり見掛けないから、印象深かった筈なんだけど……。

 ナナは、それがいつの事なのかどうにも思い出せない。曲がりなりにも『神』だと言うのに、物忘れとは我ながら気分の悪い話だ。

 駆け寄って、再び問いかけて来る男。

「なぁ、君は白い雌豹といつも一緒に居た人ではないか?」

「ちょっと、何よっ?出し抜けに……」

 白い雌豹?悠人には何の事が分からなかったが、ナナにはその言葉の意味が通じている様子だった。

 男は、身なりを整えて咳を一つすると、言葉を選ぶ様にして話し始めた。

「私は、この辺りをメインに走っている酒井と言う者だ。数年前に、付近で轢き逃げ事件があったのだが、君がその被害者と一緒に居た女性に、とても似ていたんだ」

「だとしたら何かしら?あなた、別に刑事とかじゃないんでしょう?」

 酒井に対し、やたらと突っ掛かるナナを、悠人がたしなめる。

「ちょっと、ナナ。そう突っ掛からなくて良いんじゃないかな。取り敢えず、話を聞いてみたら?」

「私、金持ちっぽくて偉そうな奴嫌いなのぉ」

 あぁ、納得。前の金持ちオーナーに惨い捨てられ方したんだっけ。

 悠人はナナの態度に合点がいった。

「気を悪くしたなら申し訳ない。あまり人と話す事が得意な方ではないから、何と言って良いか……」

「気になさらないで下さい。それより、その被害者と言うのは、多分、僕の姉の事かと思うのですが……?」

 酒井は、目を見開いて悠人の顔を見つめる。言われてみると『白い雌豹』の面影がある。

「あぁ、これは幸運だ!私は、あの事件以来、頻繁にここへ通って来たんだ。あの後、『白い雌豹』がどうなったのか、知りたい一心で」

「あぁっ!思い出した!!あんた、おっきいダイヤの指輪持って来て、いきなり怜奈にプロポーズした図々しい男っ!!」

「なっ、何だ図々しいとは!?私は、気持ちに正直なだけだ……っと、待ってくれ。彼女はレナと言う名なのか?これは、良いことを聞いたっ」

 悠人は、目を丸くした。

「姉さん、プロポーズ受けたの?」

 名も知らない異性に、プロポーズ出来る神経とはいかなるものだろうか。

「ほら、あのコって優しかったから……」

「えっ、『優しかったから』って?OKしたの!?」

 その悠人の問いに答えたのは酒井だった。

「『私より速いなら』と言われた。だから、腕を磨いて後日勝負を挑もうと思っていたら……」

「怜奈に会えなくなった訳だ」

 酒井は静かに頷いた。その表情は無念さに溢れている。

「で、どうなった?助かったのか、彼女はっ?」

 そうか、この人は姉さんが亡くなったことを知らないんだ。それでずっとここで待っていて……。

 悠人は、その横柄さは決して好かないが、酒井が姉を真剣に想っていてくれたのだと、それだけは凄く良く解った。

「ねぇ、酒井さん。『白い雌豹』って姉さんの事なんですよね?姉さん、走り屋だったんですか?」

「あぁ。この山では、今でも一番の速さだろう。誰が付けたか、彼女のクールな印象と車名の『サバンナ』から由来して、『白い雌豹』と呼ばれていた」

 驚いた。自分の姉にそんな通り名が有ったとは。車に強い執着心を持っている人ではあったが、正直驚いた。

「それで、彼女は今どうしているんだい?」

 そう、それを聞きたいのだ。

「……僕と走って下さい」

 悠人は、小さな声で呟く。

「ん?」

「僕とっ、僕と走って下さい!あなたが僕に勝ったなら、今、姉がどうしているかお教えします」

 思わず、ナナと酒井は顔を見合わせる。一体、何を言い出すのか。

「待ちたまえ。何故、そうなる?それは、白い雌豹の弟と走れるのは光栄だと思うが、『免許を取って何年も経たない』様な歳に見えるが?」

「はい、今日交付されて来ました」

 酒井は、大きな溜息をいて答えた。

「それでは話にならないだろう!?幾ら私が白い雌豹にまだ勝った事が無いとは言え、あまりにも失礼ではないかっ?」

 酒井の怒りはもっともである。免許取立ての小僧が、己を弁えず勝負を挑んで来たのだ。

 対してナナはと言えは、最初こそ驚いたものの、既に悠人の心中を汲んだのか、黙って聞いているだけだ。

「失礼を承知で、それでもお願いしたいんですっ。どうか!」

「…………ふぅ。ところで、君は学生か?……そう言えば、車はどこだ?」

 キョロキョロと辺りを見回して車を探すが、それらしい物は見当たらない。

「高校三年生です。車は……姉が乗っていたセブンです」

「そうか。分かった。では、来週の土曜日、午前三時に、ふもとの自動販売機前で会おう。上りを一本。こっちもターボ仕様だが、FF(前輪駆動)だ。そのトラクション(路面に伝達される駆動力)の差がハンデ(ハンディキャップ)と言うことで良いか?慣れない者には下りは危険だからな」

「ええ、有難う御座います。……手加減は無しですよ」

「あぁ、分かっている」

 最低限の取り決めをし、二人の男は決戦の日を約束した。

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