第二話 神様、仏様、ナナ様?
「……だっ、誰?って言うか、その服姉さん……?それに、セブンは!?」
混乱で、問いの言葉が正しい文脈を成さない。忽然と姿を消したRX‐7の換わりにそこに居いたのは、なんとも軽薄そうな女である。
『ナナ』と名乗るその女は、感慨深げな表情でしばし悠人を見詰めていたが、ふと、何かに納得した様子で小さく頷き、先程とは打って変わって静かに話し始めた。
「君が怜奈自慢の弟君よね。怜奈が亡くなった後、君のおかげで私は人手に渡らず済んだ訳だ……」
悠人には、ナナの言っていることの意味が分からなかった。怜奈の亡くなった後、どこかで知り合っていたのだろうか?しかし、「私は人手に渡らず済んだ」とはいかがなものか。自分を物の様に言う。
怪訝な、もの言いたげな、それでも言葉の出て来ない様子の悠人の心中を察したのか、ナナは自分の事を語りだした。
「混乱しているみたいだから自己紹介しておくわ。私は、東洋工業株式会社製造、E‐SA22C型、サバンナRX‐7。君の、そして、君のお姉さんの宝物だった車――の、付喪神よ」
『付喪神』。その言葉に、目をぱちくりさせる悠人。
「――ツクモガミって、あの、妖怪カラカサとか?」
耳慣れない言葉ながら、どこかで聞いた事の有る単語。人が、到底人格の存在し得ないものを長きに渡り大切に扱ったり、或いはぞんざい扱ったりする事で宿ると言う、物の怪の類の事だ。
「ちょっ、妖怪って!失礼なっ」
「わっ、ごめんなさい!!」
ナナがこぶしを振り上げて怒りを見せたことで、思わず身を伏せて縮こまる悠人。恐怖と言うよりも、条件反射に近い。
「うわっ、もっと失礼っ!取って喰ったりしないわよ!これでも、一応『神』って付いてんだからっ」
「いや、『普通に街を歩いている派手めのオネーサン』にしか見えないけれど……見えないのですが、それより、うちのセブンはどこへ行ったのでしょうか?」
『神』と聞いたせいか、急に言葉が敬語になる悠人。突然の事で言葉はぎこちないが、言っていることは至極当たり前の反応である。車が大切な悠人には、愛車が行方知れずになってしまった事の方が一大事だ。
「だからぁ、私がそのセブンなのっ。変身したのよ、変身っ!」
「あっ、そっか。それなら、セブンが無いのも当たり前ですよね……?」
一旦は合点のいった様子だが、今一つしっくり来ない。
「ん?……えぇっと…………それって……セブンはあなたで、あなたはナナさんで、ナナさんは付喪神で――」
「もう少しっ、もう少しよっ。もう少しで理解出来るのね!?」
ナナの身体にも力が入る。彼女にとっては、万事、自分と言う存在が理解される事から始まるのだ。
「うぅーん」
「どう?もう少し?」
ナナの顔が段々悠人の顔に近づいてゆく。
「う――むぅ。セブンはナナさんだから――」
「ど、どうっ?」
気持ちが前に出てしまうのか、更に近づく。
「うぅ――――――ん」
「どう?イケそう?もう少しでイクのっ?」
ますます近づく。
「うぅぅぅ――――――――ん」
「あぁ――――んっ、焦らさないでぇ」
これでもかと近づく。
「いや、駄目だ。頭の固い僕にはまるで理解出来ない」
ナナは、酷く落胆した顔で悠人を睨む。
「えぇいっ、この意気地無し!そんな事でこのレベル高めなオンナをモノに出来る訳無いじゃない!!」
「ゴメン、僕はダメな男だったよ。これからは強く激しく逞しい男に――――って、あれ?今、そう言う話じゃなかった筈……」
ニヤニヤと悠人を見詰めるナナ。
「ふふっ、悠人って可ぁ愛いぃ」
悪戯で無邪気な笑顔。外で風に揺れているヒマワリが、薄暗いガレージの中にも咲いた様だ。
「なっ、何ですか……?」
気が付けば、鼻先が触れ合う程に迫っているナナの顔に、どぎまぎしてしまう。気恥ずかしくて視線をそらすが、性格は兎も角、ナナが、いわゆるかなりの『美人』であることは判る。腰に届く程の長い黒髪は艶やかで、身の細さに対し不自然な程ふくよかな胸。裾から胸元までジップアップになっているワンピースが、胸の弾力で勝手に開いてしまいそうなくらいだ。
「もう、敬語遣わなくて良いって……ねぇ、それより、私の生まれたままの姿……見てみない?」
甘たるい声で、悠人の耳元に囁くナナ。短い時間の間に色々な事が起こり過ぎており、悠人は混乱で理性が吹き飛んでしまいそうだ。
「いや、べ、別に、興味無いからっ……」
脂汗が滲み、視線も定まらない。車に夢中で、あまり異性との係わりを持って来なかった悠人にとって、ナナの一挙手一投足はことさら刺激に満ちたものだった。
「嘘っ。興味無い訳無いじゃない。きっと、私の事をもっと解って貰えると思うの。さぁ、見て…………」
悠人は生唾を飲み込んだ。これから起こる『何か』への期待と不安で、思わず目をつむる。
「ねぇ、見て……目を伏せていたら見えないじゃない…………」
再び、艶っぽい声で促す。その声には既に逆らえず、半ばやけで、ゆっくりと目を開く。
悠人が目を開くと、そこに在るのは、消え失せた筈のRX‐7だった。
「ねっ、興味有ったでしょう?」
愛車が戻った安堵感で、ひとしきり頬を緩ませる。
「ねぇってばぁっ」
返事を催促する声に辺りを見回すが、ナナの姿は無く、声のする方には一台の車が在るだけ。そろりと近づき車体の中を覗き込んでみるが、彼女は居ない。
「だから、私がセブンなのっ。まっ、取り敢えず乗ってみてよ」
やはり、声だけが聞こえる。怖いながら、仕方なく運転席に乗り込んでみる。
「ねっ、これで信じてくれる?」
「うわっ!!」
ゴンッ。
一瞬にして助手席に現れるナナ。足を組んで座っており、こちらに向かって小さく手を振っている。驚きのあまり、サイドウィンドウに後頭部を強打した。『瞬く間に』と言う言葉が、こんなにもしっくりといくことが他に在るだろうか。
「いったぁ…………」
「うん、もうっ。大丈夫?」
言うより早く、悠人の頭部を抱え込む様に両手を添えて労るナナ。すると、ふわりと懐かしい匂いが鼻孔をくすぐる。あの、怜奈が付けていたコロンの香りだ。
「あっ……姉さんの匂い…………」
聞こえるか聞こえないかの小さな声で呟く。その言葉を聞き逃さなかったナナは、はっとした表情で身を引くと、俯いてしまった。
「ごめんなさい、ふざけ過ぎちゃった。でもね、本当なの。この匂いは、多分、本当に怜奈の匂いだと思う。私、この車としてずっと怜奈のそばに居たから――移り香ね、きっと」
急にしおらしくなったなったナナだが、悠人には、そこに先程までのオフザケは無い事が判った。
「本当に、君はセブンに宿っている神様なの?」
こくりと黙って頷くナナの姿は、さながら、首を垂れる散り際のひまわりだ。
「あのさ、まだ、良く信じられないけれど――――そうだっ。取り敢えず、ドライブにでも出かけない?」
他に何と言って良いか判らなかった。ただ、目の前の女性を落ち込ませたままにはしておけない。無性にそう思えた。
「へっ?」
前触れも無い提案に面食らったが、それが悠人の優しさなのだと思うと、怜奈の弟自慢を聞かされていた頃の事が思い出されて、何だか嬉しい。
「あら、奥手かと思っていたらいきなりデートの誘いだなんて、見くびっていたかしら?」
思わず飛び出した自分の言葉に恥ずかしくなり、挑発的な瞳で見詰めるナナの顔を見続けられなかった。
「いや、そのっ、この時間からなら、夜景を見に行くのにも丁度良いと思って……あっ、じゃない!余計いやらしく聞こえるっ。違うっ、そうじゃなくって――」
慌てながらも照れ臭そうな悠人の素振りが、何とも愛おしく感じる。
「ふふ、真面目なんだから――――そうね……連れて行って、夜景」
ナナの微笑みを返事と受け取った悠人。気を取り直して、優しくクラッチペダルを踏み込みシフトレバーを一速へ導くと、RX‐7を走らせ始めた。
初めてこの車を走らせるという感動はすっかり掻き消されたが、不思議と苦々しくは思わなかった。むしろ、数年振りに最愛の姉と再会出来た様で、心は満たされていた。