一花が水泳を始めたわけ
「少しだけだけど、水中でまともに目を開けられるようになってきたわね。すごいわキー君」
「泳げるようになるのはまだだけどな」
泳ぐとなるとどうしても力が入ってしまい、体が沈んでしまう。しかし短時間で目を開けられるようになったのは自分でも褒めたくような成長だった。
本来ならこの調子で続けたかったのだが、流石に疲れてしまったので僕たちは今プールサイドに座り、少しだけ休憩を取っていた。
「なぁ一花はいつから水泳を始めたんだ?」
僕は唐突にそんなことを聞いてみた。
「小学四年の時、当時仲良かった友達に誘われて始めたの」
「へーお前にも昔、友達いたのかよ」
「心外ね。ラノベの主人公じゃあるまいし、私にも友達の一人ぐらいいるわよ。いや、一人ぐらいいたて言い直した方がいいかしら」
一人ぐらいいた――それはつまりもう友達ではないということなのだろうか。僕と同じように。
「そいつは今どうしてるんだ?」
僕は気になって思わず聞いた。これはきっとデリケートな問題なのでそう聞いてしまった瞬間、しまったと後悔したのだが、一花はあっさりと言うのだった。
「小学六年の時、親の仕事の都合で引っ越したわ」
「そうなのか」
「まぁそれでもしばらくはその友達とは連絡を取ってたんだけどね。『全国大会で一緒に戦おう』なんて約束したりしてね」
「本当に仲が良かったんだな」
そう聞くと一花は寂しそうに言う。
「えぇ仲が良かったわよ。……元気にしてるかなアクアちゃん」
「うん?それってニックネーム?」
「本名よ。『水泡』て書いて『アクア』て読むの」
「……」
まさかのキラキラネームだった。
そんなヘンテコな名前を生まれた時から呼ばれてるなんて相当その子は苦労しているだろう。名前で苦しめられてる者同士、気持ちがわかるような気がした。
そんな僕の反応を見て一花は言う。
「もしかしてキー君てば同情してる?ならそれは大きな間違いよ。アクアちゃんは他人から同情させるほど弱い女の子じゃないわ。むしろ自分の名前を誇らしく思ってた」
「そうなのか」
「私はそんな彼女が大好きだったんだけどね……」
そう言って彼女は寂しそうに水面を見た。そしてそんな彼女を見て僕はただ「そっか」というだけだった。
きっと色々あったのだろう。それ以上その子について聞いてはいけないと思い、だから僕は別のことを聞いてみることにした。
「お前はどうして水泳を続けてられるんだ?やっぱり友達との約束があったからか?それとも泳ぐことが楽しいからか?」
部活を今までやったことがない僕はわからない感覚だった。同じことをずっとやり続けるというのはいつか飽きてしまったり、やめたくなることがあるはずだ。だけどそれでも続けられるのはすごいことだと言えるだろう。僕には到底できない。
だから僕は知りたかった。
その理由を。続けられる理由を。
だけど彼女が泳いでいる理由はあまりにも意外な理由だった。
「どっちも違うわよ。友達との約束なんて今はもう関係ないし、水泳を楽しいと思ったことも一度もない。私が水泳を続けている理由は――」
そして彼女は続けて言う。
「何も考えなくっていいから、ただそれだけよ」




