僕の名前を人に覚えてもらえないわけ。
海原は昨日の僕たちの会話に不運にも巻き込まれた形になってしまったし、そして彼女は覚えていないだろうが中学の時に起こったあの出来事を僕にとっては彼女とこうして二人っきりになるのはとても気まずかった。
「昨日はなんか練習の邪魔をしたみたいでごめんな」
とりあえず僕はそう謝る。やはり無関係の海原をあんな感じで巻き込んでしまったことに少なからず罪悪感があった。
「えっいや全然大丈夫だよ。でもキー君て意外に男らしいんだね。私、驚いちゃったよ」
「ぐぅ…」
これは恥ずかしい。
どのくらい恥ずかしいかというとラブレターを好きな人の下駄箱に入れたと思ったら、全然違うところに入れていたのと同じぐらい恥ずかしい。
「うん、キー君カッコよかったよ」
「もうやめてくれ。恥ずかしさで僕を殺すつもりか?てか、お前も僕のことをそういう風に呼ぶんだな」
「あっダメだったかな?一花ちゃんがそう呼んでるからいいのかなって思ってたけど、ちゃんと名前で呼んだ方がいい?」
それはまるで僕の名前を覚えているかのような台詞だったが、普通に名前で呼んでくれてと頼んだら、「君の名前なんだったけ?」と言われるのがオチだろう。
だから僕は
「いや、別にどっちでもいいけどさ」
と何も思っていないかのように振る舞う。
何か思っていないかのようにということは、何かを思っているということだった。いや、僕の場合は自分の名前に関しては思わずにはいられなかった。
そう、僕の名前は人に覚えてもらえない。
その理由として考えられるのは前に一花が僕の名前を聞いて言ったように、僕の名前はあまりにも普通すぎるからだった。
普通すぎるから覚えられない。
例えここで僕の名前を教えてもいくら優しい彼女でもすぐに忘れてしまうだろう。何十回、何百回教えても忘れてしまう。
僕は、そんな自分の名前が大っ嫌いだった。
そんな僕の気持ちなんて知らず彼女は言う。
「ならこれからもキー君て呼ぶことにするよ。よろしくねキー君」
そして何が嬉しいのか僕にはさっぱりわからないが彼女はニコリと微笑んだ。
「そういえばキー君の右耳なんか濡れてるみたいだけどなんかあったの?」
「えっあ、いやこれはあれだよ。汗だよ。汗」
とてもじゃないけど一花の唾液とは言えなかった。言えるわけがなかった。
「右耳だけ?」
「そうそう僕の右耳は汗っかきなんだよ」
「それなんかの病気じゃないの?大丈夫?」
とりあえずハンカチで拭いて、と彼女は僕にハンカチを渡す。
「えっいいのか?」
「うん使って」
相変わらず優しい奴だな。中学の時と何も変わっていない。
そんなことを思いながら渡されたハンカチで僕は右耳を念入りに拭く。
「ありがとう。ちゃんと洗って返すよ」
「別にそんなことしなくってもいいのに」
「いやさせてくれ」
これ、一花の唾液なんだ。とはやはり言えなかった。いやそもそも例えこれが一花の唾液じゃなくって僕の汗だったとしても洗って返すのは常識だった。
「あー本当に助かった。お礼になんでも一つだけ命令を聞いてあげよう」
「キー君はランプの魔人さんなの?」
「なんでもいいから言えよ。ジュースを一本奢るとかなんでもいいぜ」
「うーん、あっそうだ。じゃあ一花ちゃんを探すの手伝ってよ」
もちろんそれぐらいの命令ならお安い御用だった。




