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エゴと責任

「ユウイチ。起きて、ユウイチ」


 サナに体を揺すられて目を覚ます。あの穴に呑み込まれるとどうも気を失ってしまうらしかった。


「ここは……家の前か」


 そう口にはしたもののすぐには確証が持てなかった。地獄に連れていかれる前と後では、見慣れた景色があまりにも変わり果ててしまっていたのだ。


 元々ユウイチの自宅周辺一帯は見渡す限り家ばかりの込み入った住宅街だった。それが今では向かいの家も、その隣も、そのまた隣も……立ち並んでいた家々のほとんどが倒壊、何百メートル先でも見渡せる、広大な更地のようになってしまっていた。


 後に残ったのは倒壊した家の瓦礫、なぎ倒された電柱や標識。そしてそれらの傍で倒れている、遠目からでももう動きそうにないと推測できる、人。


 穴に呑み込まれる前にあちこちから聞こえた悲鳴や爆発音も、今ではどれだけ耳を澄ましても聞こえない。風が小さなごみを運ぶ音だけがユウイチの耳にかすかに届いた。人の気配もどこにもない。


「2日でこれか……」


 悪魔イルマンが去り際に2日経過したと言っていたことを思い出し、無意識にそう呟いた。こんな有様なのはこの周辺だけなのだろうか。いや、天界の扉から飛び立っていった大量の天使達……日本どころか、世界中がこんな惨状なのかもしれない。


 だがユウイチにはいまいち実感が湧かない。この絶望的な世界が現実の事であると感じられない。


 それも当然の事だった。ユウイチはまだ、最も向き合わなければならない現実から目を背けているのだから。


 ユウイチは地上で目を覚ましてから、ある一方だけは見ないようにしていた。自分の背後、本来であれば17年間自分が育ってきた家が存在しているはずの方向だけは。


 しかしいつまでも目を背けているわけにはいかない。ここで立ち尽くしているわけにはいかない。知りたくない現実だからこそ、自分にとって最重要な現実だからこそ、未確定のまま放置しているわけにはいかない。


 大きく深呼吸する。悪い目が出る可能性は100%じゃない。今見える範囲にも崩れずに残っている家がいくつかある。自分の家も案外無事かもしれない。中に入ると母さんが出迎えてくれて、崩壊した世界でまた楽しく暮らせるかもしれない。


 ユウイチは、意を決して振り返った。


 最初は、天使達のように空でも飛んでいるのかと思った。振り返ってすぐ目に映ったのが曇り空だったからだ。だが足はきっちり地面についている。ではどういうことか? 簡単なことだ。


 自分の家も、その先も、地平線の彼方まで見渡せるほどに、全てが崩壊しているだけのことだった。


 ユウイチは瓦礫の山となった自分の家を見て一瞬、魂が抜け落ちる感覚を味わった。よろめきそうになったのを何とか持ちこたえることができた。希望はまだ残っている。


 無言のままかつて自分の家だったものに歩み寄り、その上に登り、瓦礫を一つ一つ除けていく。


 素手での作業で、手の平にいくつも傷ができた。だが彼にとってそんなことはどうでもいい。今はあるものを探すことに夢中だ。


 そこに存在してはいけないもの、絶対に在ってほしくないものを必死に探す。見つからないことを願う。この瓦礫の除去作業が徒労に終わることを切に願う。


「母さん……頼む、逃げていてくれ……母さん……!」


 ユウイチの口から母を呼ぶ声が何度も零れる。世界も、家も、もうどうだっていい。母さんさえ生きていてくれればそれでいい。


 だが、ユウイチの願いは届かなかった。いくつ目になるかわからない瓦礫を除けた時、その下から人間の腕が現れた。ユウイチとお揃いの火傷痕のある、女性の右手。


 膝から崩れ落ちたユウイチはその右手を握って何度も叫んだ。母に何度も何度も呼びかけた。しかしユウイチが手を離すと、母の右手は重力に逆らうことなく地に落ちるのだった。


 それを見てユウイチは堰を切ったように泣き出した。大きな声で、大粒の涙を流しながら泣き続けた。「高校生にもなって……」と叱ってほしかった。だがそれは叶うことはない。叱ってくれる人はもういない。取り戻したお揃いは再び欠けてしまったのだ。


 ユウイチは自分に問いかける。一体、誰がこんなひどいことをしたのか。決まっている、天使達だ。天界の扉から降ってきた天使達がこの世界を、人間を死滅させ、母さんをも瓦礫の下敷きにしたのだ。


 だが、天使だけじゃない。直接手を下したのは天使でも、その原因を作ったのは他でもない自分だ。


 ミカエルにそそのかされたとはいえ、自分のエゴが母を殺したのだという事実を否定することはできなかった。自分のエゴが眠っていた母を生き返らせ、自分のエゴが生き返った母を殺してしまった。


 交通事故で痛い思いをしながら死んでいった母を、今度は瓦礫に潰されるという苦しい死に方で葬ってしまった。



 許せない。許せない。天使も許せないが、それ以上に自分が許せない。


ユウイチは自害することを誓った。


 自分の命を自分で絶つことが、死んだ母に、そして死滅した世界に対する責任の取り方だと考えたからだ。



 ようやく収まったユウイチの泣き声と替わるように、空に天使のラッパの音が鳴り響いた。天使が地上に降りてくる合図だ。


 3人の女天使が、ユウイチの近くに舞い降りる。ユウイチの願いによって無条件で彼に惚れている天使達が言い寄りに来たのだ。


 反応を見せないユウイチに彼女達は歩み寄る。何か話しかけてきていることはわかるが、ユウイチの頭には内容が一切入ってこない。彼の頭は今、自分と天使に対する憎しみ、怒り、恨み、痛憤、悔恨、呵責……そんな感情で溢れかえっていて、とても外から何か情報を取り入れる状態にない。


 そんな彼にさらに天使達は歩み寄る。彼の目の前の瓦礫を彼女達が踏む。


 右腕の位置から辿れば、彼の母親の遺体が眠っているであろう瓦礫の上に、天使達が立つ。


 彼女達の目には、ユウイチ以外の人間は害虫程度にしか見えない。瓦礫の下で死んでいる害虫を踏みつけたって、彼女達は何も感じない。何かを感じろという方が到底無理な話なのだ。

 

 ユウイチは立ち上がった。天使達は、ユウイチが自分達の呼びかけに応えてくれたのだと歓喜の声を上げる。当然、ユウイチには彼女達の声など聞こえていない。ただ、天使達の前で、敵である天使達の前で、力なく跪いている自分が嫌になったのだった。



 自害する前にやることがある。やらなければならないことがある。天使達をこの地上から追い出すんだ。悪魔とのオトシマエなど関係ない。俺が、俺自身が、この天使どもを消し去りたいんだ!



 火傷痕のある左の握り拳から血が滴り落ちる。爪が手の平に食い込んでも痛みをまるで感じない。それほどまでに彼は憤怒で満たされていた。このまま憤死してもおかしくないほどに。



「――憎い?」


 そんな彼の頭にサナの、小さな鈴の音のような声が響き渡る。荒れ狂う感情の渦の隙間を縫うようにして、ユウイチの心に届く。


「憎い……天使も、自分自身も」


 ユウイチが答える。突然憎いと言われた天使達が何か弁解するように語り掛けているが、彼には届かない。サナの声だけが彼に届く。


「だったら、力を、貸す。そのために、私が、いる」


 そう言ったサナの体が光を放つと同時に、ユウイチの右手に刻まれた紋章も発光を始める。光は最後に大きく瞬いて消えた。サナの姿も消え、代わりにユウイチの右手には血塗られたような深紅の大鎌が握られていた。


「人では、天使に、勝てない。(悪魔)の力、使って」


 サナの声がユウイチの頭に直接響いた。ユウイチの口角が思わず吊り上がる。


 こいつはいい。大鎌と言えば死神の武器の代表格だ。それを持つ自分は死神……。神の使いであるところの天使を、


 死神である俺が殺すのだ。


 

 大鎌を振り上げたユウイチに天使達は怯えたが、惚れた弱みか、抵抗は見せなかった。



 終末の日から2日後、7月4日。天使の首が初めて地に落ちた。

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