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サタンの娘

 ユウイチを取り囲む手下の悪魔達がサッと道を開け、サタンの娘はユウイチの傍まで連れてこられた。


 ユウイチは目を丸くした。彼が想像していたような人間離れした恐ろしい姿ではない。幼稚園児くらいの背格好で、深紅の長髪に深紅の瞳。愛くるしさこそ感じるが、恐ろしいなどとは微塵も思わなかった。


 不穏なのは、地獄の主の令嬢だというのに衣服はぼろ布一枚。手枷に、鉄球付きの足枷。これじゃあまるで……。


「この娘は重罪人や。どんな罪を犯したかわかるか?」


 イルマンがユウイチに問う。地獄での重罪とは何だろう。人間界での罪とは違うのだろうか。しかし彼らの姿は人間に酷似していて、もしかしたら罪の価値観も同じかもしれない。だとすると殺人? 強盗? いずれにせよ、こんな小さな娘がすることとは思えない。こう見えて内面は凶暴なのだろうか。しかし、手下悪魔に連れてこられる時も抵抗など見せず、ユウイチの前に立っている彼女は伏し目がちでおとなしそうに見える。


「地獄では、教育としてお前達人間の姿を見せることがある。後学のため、人間がどんだけ劣悪な生物かっちゅうのを教えるんや。とはいえ悪魔はそんなこと生まれつきの本能である程度わかっとる。人間が楽しむのを見て不快な気分になり、人間が苦しむのを見て愉快になる。それが悪魔としてあるべき姿や。やのにこの娘は……」


 イルマンはサタンの娘を睨んだが、すぐに目を逸らして苦い顔をした。どこかやりづらそうだ。おそらく、重罪を犯した目の前の悪魔にもっと毒づいたり暴力を振るったりしたいのだろうが、なんといっても自分達の親分の娘だ。重罪人とは言え、ぞんざいに扱うことは許されないのだろう。


 吐き捨てるようにイルマンはサタンの娘の罪を語り始めた。


「この娘は、人間が拷問される様子を見て『かわいそう』なんて口走ったんや! 人間に慈悲をかけることはこの地獄では重罪中の重罪! 普通やったら即刻極刑のはずなんや! はずなんやが……そこは、親分の令嬢。さすがに、そう簡単に極刑というわけにはいかんやろ」


 興奮していたイルマンだったが次第に落ち着きを取り戻した。短くなったタバコを最後に大きく吸い込んで地面に落とし踏み消した。


「で、どんな刑が適当かと考えとったところに、お前が天界の扉を開いた。そこでワシはパーンと閃いた。この娘に相応しい刑罰をな。それは……人間界への追放や。これは悪魔にとっては相当な苦痛なはずや。劣悪な人間どもと同じ世界で生きるっちゅうんは。けど、この娘には、人間に慈悲かけるようなこの娘にはちょうどええんとちゃうか、なぁ」


 とユウイチに同意を求めるイルマン。しかし地獄の司法制度に口出しするほどの見識がユウイチにあるはずもなく、黙って頷くしかなかった。にんまり笑ったイルマンは「さて」と前置きしてユウイチに近づく。極限まで顔を近づけてきたイルマンの口からはタバコの臭いが嫌というほど溢れ出してきた。


「次は兄ちゃん、お前や。どうオトシマエつけてもらおうかのお」


「オトシマエって……」


「当然やないか! ワシらからすればお前も、天界の扉を開いて親分に恥かかせた極悪人や。責任取ってもらうためにここに呼んだんやからのお」


 イルマンはわざとらしく考える振りをしていた。どうやらすでにオトシマエのつけ方は決まっているらしい。しばらくして「せや!」と何か思いついた芝居をして見せたイルマンは、


「兄ちゃんが地上から天使を追い出すってのはどうや? 地上が元通り、人間だけのもんになったら、親分の虫の居所もよくなるはずや。ミカエルとかいう天使とのやり取り見とったが、天使達はみんな兄ちゃんに惚れとることになっとるらしいやないか。せやったら簡単やろ。ガールフレンドに、お家に帰ってくれって言えばええだけなんやからの」


 それだけ聞くと簡単そうだが、そううまくいくだろうか。ユウイチが地獄に来る前に見た、飛び立っていく天使の数はかなり多かったように思う。それにその手が通用するのは女天使に対してだけだ。心配になるユウイチだったが、オトシマエにはまだ続きがあるようだ。


「とはいえ、天使が抵抗してきたら人間一人で叶う相手じゃないからなあ。それに、この娘の当面の世話してくれるような人間も欲しいしのお。おお、そうや! 兄ちゃん! この娘と契約結べ! そうすりゃ万事うまくいくで!」


 さも今思いついたかのようにわざとらしく提案する。それにしても契約? サタンの娘と? 一体どんな内容の契約何だろうか。


「その契約ってのは……」


 当然の疑問を口にするユウイチにイルマンが凄んだ。


「すればわかる、な?」


 つられるように周りの手下も圧をかけた。どうやら断ることはできそうにない。この契約を結ぶことがオトシマエの始まりのようだ。




 イルマンの手下が、サタンの娘の手枷足枷を外す。手下に背中を押されて彼女はユウイチに歩み寄った。伏し目がちだった赤い瞳がユウイチを見つめる。


「……名前は?」


 サタンの娘が口を開いた。小さい、それでもよく通る澄んだ声でユウイチに尋ねた。


「……ユウイチ」


「ユウイチ。私は、サナ。よろしく、ね」


 こんな可愛らしい子供が重罪人とは。やはり悪魔の価値観は人間のそれとは大きくかけ離れているようだとユウイチが批判的な気分でいると、


「手を出せ」とイルマンが促した。何をするのかわからないが、黙って言うとおりにするしかない。ユウイチが恐る恐るサナに右手を差し出した瞬間、イルマンの手下たちがユウイチの体を力強く掴んだ。身動きの取れなくなったユウイチに不安が一気に押し寄せる。拷問でも始まらんばかりの雰囲気だ。いや、これは拷問が始まるやつだ。とユウイチは確信する。最後の望みとばかりに、人間に対して慈悲の心を持つサナを涙目で見ると、


「我慢して、ね」と呟き、ユウイチの腕を掴んだ。


「何するんだよ……やめろ! はなせ!」


 力の限りもがくも、悪魔の力は強くてびくともしない。「契約」というサナの声が聞こえたのを皮切りに、ユウイチの右手に激痛が走った。


 声にならない悲鳴を上げるユウイチ。何とか右手を見るとサナが手刀の部分に噛みついてる。彼女は涼しい顔をしているが噛む力はとんでもない強さで、血が出ることは確実、骨が砕けることも止む無し、最悪噛み千切られてもおかしくない。


 悲鳴を上げ続けるユウイチには時間の経過がわからなかった。数秒の事だったかもしれないし、数分の事だったのかもしれない。それでもようやくサナの「終わった」という声が聞こえて、拘束から解放された。


 まだ痛み続けている右手を見てみると血がしとどに溢れ出ていた。ただ噛み切られてはおらず、骨も無事なようだった。流れ続ける血を見ながら手を握ったり開いたりを繰り返していると、血がおかしな軌道で流れ始めた。手の甲をぐるぐると回り始めた血は紋章を描き、腕を伝う血液は呪文のような模様を描いて黒く固まった。


 ユウイチが擦ってみても血で書かれた紋章が消えることはなく、刺青のように残った。


「契約完了やな。じゃあそろそろ、地上に戻ってもらうで。兄ちゃんがここに来てしばらく気ぃ失っとったせいでえらい時間かかったわ。向こうの時間でもう2日も経っとる。ほいだら、ちゃーんとオトシマエつけて来てや。あと、親分の令嬢のことも、よろしく頼むで」


 そういってイルマンと手下は去っていった。彼らの姿が見えなくなると同時にユウイチとサナの足元に穴があいた。地獄に来た時同様、ゆっくりと沈んでいく。


「痛、かった?」


 一緒に沈むサナが心配そうに尋ねる。


「何度も気を失うかと思った」


 彼女もイルマン達に契約を強要された身であるのだろうが、ユウイチは意趣返しとしてそう答えた。冗談だという含みを持たせて笑顔を作ったつもりだったが、サナは伏し目になり、


「ごめん、ね。……そうだ」


 何かを思いついた彼女はぼろ切れで作られた衣服の袖を捲った。彼女の左手の甲と腕には、ユウイチと同じ紋様が描かれていた。


「おそろい、だね」


 サナがそう言い残して穴に呑み込まれた。彼女より背の高いユウイチはもう少し時間がかかる。左手の火傷痕と右手の紋様を見比べた。


 左手のお揃いには放したくない思い出が詰まっている。


 右手のお揃いはまだ空っぽだ。どんな思い出で埋められていくのだろうかと少し心配になりながらユウイチも穴に呑み込まれた。


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