第3話 魔王、ドラゴンの赤ちゃんとこんにちはする
卵が今にも孵りそうだったので、余は地上に降り立つことにした。
スーッと足から軟着陸である。
魔闘気をコントロールしながら移動、余はこれの第一人者だからな。
卵にいらぬショックを与えぬよう、魔闘気によるスライド移動をして、とりあえず身を落ち着ける場所を探すことにした。
卵はピクピクと動き、その震動はどんどん大きくなる。
「おっ、孵るか。今孵るか」
余はちょっとドキドキしながら、腕の中の卵を見つめる。
そして卵は、グラグラと揺れ……。
次第に震動が収まり、ピタッと収まった。
「……孵らぬのか」
孵らないらしい。
フェイントだった。
とりあえず、母竜から託された卵である。
この卵を守るというのが、しばらくの間、余の行動目的となることであろう。
しばらく道を行くと、滅びた村に到着した。
村には禍々しい瘴気が蔓延しており、なるほど、人間では容易に近づけまい。
「これは安全そうであるな。よし、ここを仮の宿りとする」
余はそう宣言した。
村の家々を魔法で粉砕し、材木を中央へと集める。
これを魔法で補強し、即席の屋敷が完成だ。
ここで卵を孵すことにする。
余は屋敷の中に入り、卵を膝の上に乗せて座り込んだ。
そして、半年ほど過ぎた。
卵がピクピクと動き始める。
「お、孵るか、孵るか」
久々の卵が見せる躍動に、余はドキッとした。
じーっと卵を見つめる。
また、この間のように動くのを止めてしまうかもしれない。
あまりはしゃぎ過ぎてはならぬな。
だが、今回はフェイントではなかったらしい。
卵の表面に、パリパリとヒビが入る。
そして、殻を突き破って、可愛らしい鼻先が出てきた。
瑠璃色に光る、小さなドラゴンの鼻先である。
「おおー」
余は感嘆した。
生命の誕生である。
卵の状態でも生きていることは生きているのだが、殻を破って外に出てくるという事に、言いしれぬ感動を覚える。
思えば、魔王時代はこういう感覚を抱く事もなかった。
仕事は人を変えてしまうのだ。
「ピィー」
卵から出てきた鼻先が、そんな音を立てた。
鼻の音かなと思ったら、どうやらドラゴンの鳴き声らしい。
赤ちゃんらしい、可愛い鳴き声だ。
殻をパリパリと破り、赤ちゃんは姿を現す。
生まれたての肌は、鱗も柔らかく、ぷよぷよのすべすべ。
胴も手足も短く、丸っこい頭が殻を被って、きょろきょろと周りを見回すように動く。
殻を被っていては見えまい。
余がその殻を取ってやろう……。
「いや待て。待つのだザッハトール。これは、余が介在して良いものなのか?」
疑念に襲われ、手を止める余。
赤ちゃんは今、自らの力で外の世界に出てきたのではないか。
では、この殻を取ることは、大自然の掟を破ってしまうことになるのではないか?
「ぬ……ぐぬぬ!!」
余は懊悩した。
殻に近づけられた手が、触れようか触れまいかの葛藤にぷるぷると震える。
「ピィー、ピィー」
その間にも、赤ちゃんは周りに何があるか見ようと、一生懸命頭をきょろきょろさせる。
「赤ちゃん、頭、頭。被っておるぞ……!」
余は思わず、赤ちゃんにそう囁きかけた。
言葉は通じておらぬだろう。
だが、余の心が伝わったのか。
赤ちゃんは「ピヨヨー!」と鳴くと、短い手足を一生懸命に伸ばして、頭の殻をてしてし、と叩き始めた。
「そうだ、頑張れ。頑張れ赤ちゃん……!!」
余は、手に汗握り、赤ちゃんを応援する。
やがて、赤ちゃんの頑張りが功を奏した。
脆くなっていた卵の殻が少しずつ欠け、ついに赤ちゃんの顔が顕になったのだ。
つぶらな青い瞳は、まるでサファイアの如き美しさ。
それが余をじっと見つめる。
「ピヨ」
「うむ」
「ピヨヨヨヨ?」
「うむ。よくやった赤ちゃん……! そして、こんにちは……!」
「ピヨー!」
赤ちゃんは余の挨拶に応えるよう、大きく鳴くと、むぎゅっと抱きついてきた。
赤ちゃんを撫でる余。
手触りは、ぷにぷにのぷるっぷるである。
「ピヨヨ」
「うむ」
何を言っているかは分からないが、余は新たに生まれたこの生命を労いたい。
これほどまでの努力をして、命は世界に生まれ落ちてくるのだな。
感動、感動である。
しばらく赤ちゃんをなでなでしていた余であるが、ハッと重大な事に気づいた。
「赤ちゃんの名前が……分からぬ!!」
母竜に聞くのを忘れていた。
しまった。
我が魔王生、一生の不覚である。
となれば、あれか。余がこの赤ちゃんに名付けねばならぬのか?
「むむむ、うーむ」
余は赤ちゃんを抱き上げた。
つぶらな瞳が、じーっと我を見つめてくる。
それが、突然潤みだした。
「ピ」
「ぴ?」
「ピャアー! ピャアー! ピャアー!」
「ぬわーっ!? な、泣き出したぞ!」
焦る余。
なんだなんだ。
一体何があって泣き出したのだ!?
余の、魔界一と謳われた脳細胞が動き出す。
そして、余の頭脳は一瞬で結論を出した。
「お腹が減っている……?」
「ピャアー! ピャアー!」
「ぬわーっ!? そうだ、言葉が通じぬのだった!!」
ひとまず、この問題は空腹かもしれない。
そう言う前提で解決を模索しよう。
だが、よくよく考えれば、今後はこの赤ちゃんと、余が向き合って育てて行かねばならぬのではないだろうか。
まずい。
それは大いにまずいぞ。
何せ、余には育児の経験が無い。
どうするべきか……。
余は少し考えた後で結論づけた。
「育児は、育児に慣れた者に尋ねるのが最良であろう。よし、子を持つ親がいる、人間の里へ行こうではないか」
余は、ピャアピャア泣く赤ちゃんを抱っこしながら立ち上がった。
半年ぶりの起立である。
体のあちこちに降り積もっていた埃が、バサッと音を立てて落ちた。
さて、近隣の村を探し、育児の教えを請わねばならぬ。
そして村へ行く道すがら、赤ちゃんのご飯を入手せねば。
これは、勇者パーティを育て上げる以上の一大ミッションになりそうな予感である。