5.この想いを届けたとき
約束の土曜日。今日は冴島社長の誕生日。
夕方、早めに店をあがらせてもらい、代わりに塔子さんが店に入った。
塔子さんに事情を説明したとき、そりゃあもう大変なはしゃぎっぷりだった。「孫の顔を早く見たいわ」と言い出す始末で、あきれるばかり。
別につき合うことになったわけじゃないし、向こうだってそういうことまで考えていないかもしれないのに。
店の奥にある事務所で、手持ちの普段着の服で一番高いワンピースに着替え、髪とメイクを整える。姿見がないので卓上の鏡でなんとかチェックした。
「大丈夫かなあ」
服装もそうだけれど、知らない人ばかりのところにおじゃまするのはかなり緊張する。
誘われて浮かれている場合じゃなかった。
大学時代といっても冴島社長のお友達ということはセレブばかりなんじゃないだろうか。
「はぁ……」
無意識にため息がもれた。
するとそこに塔子さんが入ってきたので、慌てて口を閉じた。
「どうしたの? せっかくのデートだっていうのに」
「デートじゃないから。それより、この服おかしくない?」
くるりとまわると、塔子さんはいつになくまじめな顔つきになった。
「やっぱり変?」
「ううん、きれいよ」
「本当?」
「あたり前でしょう。お母さんの娘なんだから」
言うと思った。こんなんだから、ぜんぜん参考にならない。
「ふざけないで」
「ふざけてないわよ。咲都はきれいよ。どこに出しても恥ずかしくない、自慢の娘。もっと自分に自信を持ちなさい」
「お母さん……」
「お母さんはうれしいのよ。お父さんが死んでから、咲都はずっと花屋のことばかり。休みの日も机に向かって花の勉強をしてるでしょう。だから咲都がようやく自分のために時間を使うようになってくれて安心したわ。楽しんできなさいね」
塔子さんに言われ、一心不乱に仕事に打ち込んできたこれまでのことを振り返る。
花屋の娘だけれど、わたし自身、花屋としてのスタートが遅かった分、ハンデのように感じていた。だから、もっともっと努力しなくちゃいけないのだと自分を鼓舞し、恋愛も娯楽も封印してきた。
でもさすがにストイックすぎたのかな。
これからは自分のために……。榎本くんも言っていたように、仕事とプライベートをちゃんと分けよう。まわりに心配されないように、もっと自分の人生を楽しまないとね。
夜の七時。迎えにきてもらった冴島社長の車に乗り込んだ。
「今日はお招きいただいてありがとうございます」
けれどそう言った途端、思いきり笑われた。むくれていると、「ごめん」と明るい声が返ってくる。
「そんなに堅苦しい集まりじゃないから安心して。初対面で気を使うかもしれないけど、あんまり変な人は来ないと思う」
「だとしても緊張します」
ていうか、たまに変な人が来るような言い方だな。
「そっか。でも今日来るやつらは気さくでいいやつばかりのはず」
「別に冴島社長のお友達を怪しんでいるわけじゃありませんから」
そう言ってシートベルトに手を伸ばす。すると冴島社長に、「荷物はうしろに置くよ」とわたしの膝の上の紙袋を持とうとするので、とっさにシートベルトから手を離した。
「これ、もしよかったらなんですけど……」
わたしは紙袋に視線を落とした。
紙袋のなかには夕べ作ったかごブーケが入っている。花瓶などを用意せず、すぐに飾れるよう、籐のかごに花を飾った。
冴島社長は手ぶらでいいと言ってくれたけれど、花屋である以上、こういうときこそ心のこもった花をプレゼントしたいと思った。
「テーブルに飾っていただければと思いまして。どなたかほしい方がいらっしゃれば、その方に持ち帰ってもらってかまいません」
「そんなこと言ったら奪い合いになりそうだな。それ、すごくきれいだから。ちょっと不思議な色だね」
ハンドルに手を置きながら、顔を斜めにして覗き込む。
「プリザーブドフラワーなんです」
「聞いたことあるよ。一度、脱色してから染料液で着色するんだよね」
「さすが、よくご存じですね。人工の色なので生花とはまた違うんです」
「なんか好きだな、そういう色合い」
しみじみと言われ、ドキリとする。
その姿が妙に色っぽくて、プリザーブドフラワーのことなのに変に意識してしまう。
「カラフルに色を取りそろえたんですが、スモーキーな色で統一したので、仰々《ぎょうぎょう》しくなくてお部屋の雰囲気をじゃましないかと思います」
「ありがとう、ぜひ飾らせてもらうよ」
意外にも好感触でうれしい。男の人に花をあげても興味を持ってくれないと思ったけれど、がんばって作ってきてよかった。
マンションの部屋におじゃますると、すでにたくさんの人が集まっていて、賑やかだった。
総勢三十名くらいだろうか。華やかな人たちばかりで、みんな楽しそうに笑顔を見せていた。
リビングがまるで高級ホテルのレストランのように一変していた。大きなテーブルの上にはビュッフェ形式に料理が並べられている。
お酒の種類も豊富だ。シャンパン、ワイン、ウィスキーのほかにビールサーバーもある。磨かれたグラスが輝いていた。
窓の向こうのインナーバルコニーにもテーブルと椅子のセットが置かれ、まるで映画やドラマのワンシーンみたいに、一組の男女がリラックスした様子でグラスを傾けていた。
やっぱりわたしは場違いだ。みんな大人の余裕があって、社交的で、遊び慣れているように見える。
わかっていたことだけれど萎縮してしまう。このなかに入っていくのは勇気がいった。
「僕のこと、“冴島社長”って呼ぶのはナシね」
「え?」
「できればこれからも」
「でも……」
「無理なら今日だけでもいいよ。おいおいってことで」
言われてみれば、今日のようなプライベート感満載のときは社長と呼ぶのはおかしいかもしれない。それに本人が社長と呼ばれたくないのなら、これからも呼ばないようにしたほうがいいよね。
「わかりました。これからは“冴島さん”と呼ばせていただきますね」
冴島さんはわたしが作ってきたかごブーケをソファの前にあるローテーブルに置いてくれた。
そのあと飲み物と料理を取ってきてくれるというので、言われた通り、ソファに腰かけて待っていた。
「お待たせ。ちょうどシャンパンがいい感じに冷えてたよ」
グラスを受け取って、恐る恐る口をつける。
「おいしい」
「よかった」
でもレストランで頼むとボトルでいくらするのだろうと、つい貧乏くさいことを考えてしまう。
だってシャンパンなんて、友達の披露宴でしか飲んだことがない。外でお酒を飲む機会もすっかり減り、おしゃれなバーやレストランなんて、ここ数年行っていない。
「料理も遠慮なく食べて。これ、コタのところで作ったものなんだ」
「この間の洋食屋さんの……」
「そう。洋食屋はデリバリーはやってないけど、別事業でパーティーなんかのケータリングはやってるんだよ」
「別事業? すごいですね」
「コタはなかなかのやり手なんだよ。店をやりながら別事業を立ち上げて、ちゃんと軌道に乗せている」
実家を継いだだけじゃなくて事業の幅を広げているんだ。さすが冴島さんのお友達だ。
「あとでコタを紹介するよ。あいつ、今忙しそうだから」
視線の先には、コタさんとおぼしき人がアイランドキッチンでお肉を焼いている。彼の隣には紅葉さんも立っていた。
料理はホームパーティーの域を超えて本格的だった。テリーヌ、ローストビーフ、色とりどりのカクテルサラダなど、普段あまり口にしないものばかり。おいしくて、つい食べることに夢中になってしまった。
「お料理もすごくおいしいです!」
「春名さんって食べるの好きだよね」
「前にも似たようなこと言われました」
「あれ、そうだっけ?」
冴島さんは笑いながら首を傾げる。
「わざとらしいですよ」
「だから違うんだって。変な意味じゃなくて、いつもおいしそうに食べてくれるから気持ちいいんだよ」
「はい、食べるのは唯一の楽しみみたいなものですから。母も料理上手ですし」
開き直って答える。
どうせ今さら隠したって無意味だ。わたしが食欲旺盛なのはすでにバレているのだから。
「春名さんは料理しないの?」
「お恥ずかしいんですが、ほとんどしません。家事のほとんどは母がやってくれていて、甘えっぱなしです」
「お母さんって、いつもお店にいる塔子さんっていう人だよね?」
冴島さんが自信なさげに尋ねてくる。
「そうなんです。すみません、ちゃんと紹介していなかったですよね」
今のこの曖昧な関係で紹介するのは変じゃないだろうかと思いつつ、自分の母親なのに“塔子さん”と呼んでいるのだから、不思議がられるのはしょうがないとも思う。
「いいよ。でも近いうちに紹介してもらいたいな、交際相手として」
冴島さんはきれいな顔で微笑んだ。
好意があるようなことをこう何度も言われてしまうと、だんだん慣れてくるものらしい。戸惑いながらも受け流していると、冴島さんが言った。
「それって了承したと思っていいのかな」
ストレートに言われてしまうと、どう答えていいのかわからない。答えを出すのはどうしても勇気がいる。
「困らせてごめん。でも本気だから」
「えっ……」
「冗談だと思った?」
「そういうわけでは……」
だけど気まぐれなのかなと思っていた。もしかすると、そう思うようにしていたのかもしれない。
傷つくのが怖いから。
でもそう考えていた時点でわたしの気持ちは固まっていたんだ。
知り合って間もないのに、こんなにも惹かれている。彼が社長じゃなかったら、どんなによかったかと思うときもあった。
「本当にわたしでいいんですか?」
「まだそんなこと言ってる」
「だって……」
「不安なことがあるなら言って。それをふたりでひとつずつ無くしていこう」
甘く見つめられて、胸がときめく。ふたりきりだったらいいのにと少し残念な気持ちにもなった。
というのは……。
「冴島くーん、こっちでわたしたちとも一緒に飲んでよ。その子ばっかりずるーい!」
座っているL字型ソファの対角線上から声がかかった。
見ると、きれいな女性が赤ワインの入ったグラスを片手に、長くて細い生足を組み直し、冴島社長に色っぽくアピールしている。すでに酔っているらしく、頬を赤らめ、残りの赤ワインも一気に飲み干した。
両脇に座っているふたりの女性も冴島さんに手を振って、「おいでよ」と誘っている。
三人とも派手な見た目で、服の露出度も高い。キャアキャアと楽しそうにはしゃいでいた。
「どうぞ、わたしなら大丈夫ですから」
冴島さんは今日の主役。隣にいてもらえないのは不安だけれど、ひとり占めするわけにいかない。
「ごめん、すぐ戻るから」
そう言っている時点で、冴島さんは迎えに来た女性に腕を掴まれ、立ち上がるところだった。
やっぱり人気があるんだなあと思いながら見送る。
女性に囲まれ、ソファに腰を下ろした冴島さんは、彼女たちを無下に扱うことなく、それなりに紳士に相手をする。さすがだなあと感心のほうが勝り、やきもちのようなイライラした気持ちにはならなかった。
だけど距離を感じる。同じ部屋にいるのにやけに遠く感じるのは、広すぎるリビングのせいだけではない。
さみしいんだ。
冴島さんを独占できなくて、わたしはがっかりしている。
たくさん話したいのに。もっと近くで顔を見ていたいのに。彼女たちはいつになったら彼を解放してくれるのだろう。
おまけに知り合いのいない集まりなので、こういうときどうしていいのかわからない。大丈夫と言ったけれど、実はぜんぜん大丈夫じゃない。わたしは疎外感を覚えながら、ひたすらシャンパンを飲んでいた。
けれどそこへ見知らぬ男性が現れ、隣に座ってくる。誰なのだろうと思っていると、その男性が口を開いた。
「心配しなくても大丈夫だよ。秋成ならすぐに戻ってくるはず」
やわらかな声で、見た目もやさしそうな男性だった。顔立ちも整っていて、かなりのイケメン。冴島さんとは違う魅力がある。
「ああ見えても三人ともお堅い仕事をしていて、メーカーの研究員、会計士、国家公務員だっていうから信じられないよね」
「優秀なんですね。おまけにきれいな女性ばかりで圧倒されちゃってます」
「そうかな? 普通じゃない?」
「かなりレベルが高いように思いますけど」
「へえ、女性からだとそんなふうに見えるんだ」
掴みどころのない雰囲気は冴島さんと似ているような気もするけれど、冴島さんよりもおっとりとした感じの人だ。
「あっ、僕、野上といいます。秋成とは大学時代からの友人で、今も一緒に仕事をしてるんだよ」
「はじめまして。春名咲都です。花屋を営んでまして、冴島社長──じゃなかった、冴島さんがうちの店にお客様といらっしゃって、それで……」
「秋成が花を買いに? 随分と似合わないことするな」
「そうですか? 品のある方なので、花束を持つ姿も凛々しかったです」
野上さんとは驚くほど話が弾んだ。
野上さんはもともとメーカー系の大手IT企業に勤めていたが、今はフリーランスとして企業からソフト開発の仕事を請け負っているそうだ。
冴島テクニカルシステムズもクライアントのひとつらしく、プライベートではもちろん、仕事でもよく顔を合わせているということだった。
「秋成は、フリーランスの僕にとって恩人だよ」
「恩人?」
「秋成の会社のおかげで実績も作れた。社会的信用ってけっこう大事だから。僕が秋成と親しいってわかると、たいていの人はころっと態度が変わって交渉がうまくいく」
「やっぱりすごい人なんですね、冴島さんって」
「僕が女性だったら間違いなく惚れてた」
野上さんはおどけることなく、わりと本気モードで言う。それだけ冴島さんを信頼しているということなのだろう。
「冴島さんって人から慕われてますよね。今日だってこんなにたくさんの人がお祝いしに集まってくるほどですし、きっと華やかな交流関係なんだろうな」
「たしかに人望はあるね。人を惹きつける魅力があって、それはもう天性なんだろうね」
「野上さんにも、冴島さんと同じようなものを感じます」
「本当? それはかなりうれしいな」
野上さんの横顔がほころぶ。
「だけど、たまに不純な動機で近づいてくる人たちもいるけどね。とくに秋成には。今日だってそういうのがちらほら……」
「嘘? それって大丈夫なんですか?」
きょろきょろと見まわすが、どの人なのかさっぱりわからない。みんないい人そうに見える。
「大丈夫。秋成にしてみれば、今日来ているのはみんなどうでもいいレベルだよ。あいつのまわりには、もっととんでもない敵がうようよいるよ」
「なんだか怖いですね」
「怖いことなんてなにもないよ。危機は時としてチャンスにもなる。秋成はそう言って逆に楽しんでるよ」
「わたしとは正反対の考えかもしれません」
駆け引きや競争はどうも苦手だ。
でも言っていることはわかる。リスクを恐れ、無難に行動していては、得られるはずの利益も失うことになりかねない。
「たまに出し抜かれることはあっても、金額的な損失は別のことでちゃんと取り返してる。理想的な経営者だと思う」
「なるほど。見習わないと」
「僕もだよ。あっ、失敗はある程度経験しといたほうがいいらしいよ。なんでも、そこそこ大きな失敗を経験したことのない経営者は逆に大物になれないらしいから」
なにかの本で読んだらしい。野上さんが楽しそうに話してくれた。
野上さんの話はとても参考になる。冴島さんのことを知ることもできるし、自分自身の仕事に対する考え方の参考にもなる。
そのあとは野上さんと他愛もない話をしながらお酒を飲んでいた。しかし、そこへやけに愛想のない声がして顔を上げると、紅葉さんがぶすっとした表情で立っている。
「はい、これ。ふたりでどうぞ」
香ばしい匂いがすると思ったら、コタさんが焼いていたお肉だ。大きな牛ステーキで、たべやすいようにひと口サイズにカットされている。
紅葉さんがそれをローテーブルに置いた。
「うわぁ、おいしそう! ありがとう、紅葉さん」
「別にわたしからじゃないよ。お兄ちゃんが持っていけって言うから」
紅葉さんは目を逸らし、嫌そうに答える。でもその姿もなんだか可愛い。
「ふたりは初対面じゃないんだ?」
野上さんがわたしと紅葉さんを交互に見た。
「はい、先日こちらに伺ったときに、紅葉さんがデリバリーの品を届けにきてくださって……」
「それは大変だったね。紅葉ちゃんってなかなか激しい性格だから、怖かったでしょう」
「ちょっと、野上さん! 人を危険人物みたいに言わないでよ!」
紅葉さんが野上さんを怒鳴りつけた。野上さんはその攻撃を、「冗談だよ」と笑いながらかわしている。
「秋成さんに誘われたの?」
紅葉さんがようやくわたしの目を見てくれた。
「ええ、まあ」
「つき合ってるの?」
「それは……」
「でも好きなんでしょう? 気があるから、今日ここに来たんだよね?」
「……はい」
相変わらず、紅葉さんはきつい。わたしのことが気に入らないとストレートに態度に表すので、かなりこたえる。
「紅葉ちゃん、怖いよ。春名さんは秋成に正式に招待されたお客様なんだから、いちいち突っかからないの」
見かねた野上さんがそう言ってくれるけれど、紅葉さんはなおも息巻いている。
「だって納得できないんだもん。こんな地味女より、わたしのほうが断然いいに決まってるのに」
「失礼だよ、紅葉ちゃん。こんなきれいな女性に向かってなにを言ってるんだか」
「どうせ物珍しさでかまってるだけだよ。こういう人、今まで秋成さんのまわりにいなかったから。でもね、秋成さんにはキャリアウーマンとか、どこかのセレブとか、そういう華やかな人が似合うの!」
「なんだよ、それ。自分じゃないんだ」
「わたしはとっくにフラれてるの。だから秋成さんの彼女になる人は、わたしが認めた人じゃないとだめなの!」
いよいよ浮上できないくらいに落ち込んでしまう。二回しか会っていない人にここまで嫌われるなんてショックだ。
だけど紅葉さんはもっとつらいんだ。
そっか、冴島さんに気持ちをちゃんと伝えていたのか。フラれても好きだとはっきりアピールできるって、なかなかできることじゃないと思う。わたしにはとてもできそうにない。
だけど、こんなふうに正直になれたらどんなにいいかと思う。恥ずかしがって恐れてばかりのわたしのままだから、紅葉さんは納得できないんだよね。
わたしにとって今日はチャンスの日。ぐずぐずしていたら冴島さんが離れていってしまうかもしれない。今日こそは、自分に正直になろう。
「僕は紅葉ちゃんの言ってることに納得いかないな。決めるのは秋成だよ」
「わ、わかってるもん! い、いいじゃない、それくらい言ったって……」
野上さんにもっともなことを言われ、とうとう紅葉さんが意気消沈していった。
「紅葉さん、ありがとう」
「はっ? なんであなたにお礼を言われなきゃなんないの?」
「わたしも紅葉さんを見習って、がんばって一歩踏み出してみようと思いました。その勇気をくれたんです」
「ほんと、なんなの? わけわかんないんだけど」
「わからなくてもいいんです。あっ、お肉頂きますね」
わたしだけすっきりした気分でお肉を頬張る。やわらかくてジューシーで味もよし。これならいくらでも食べられそう。
「野上さんもどうぞ。めちゃめちゃおいしいですよ」
「じゃあ、頂こうかな」
野上さんはお肉を口に入れると満足げな顔になった。
「焼き加減もちょうどいいね」
「ですよね」
顔を見合わせて言うと、紅葉さんがじっとお肉を見つめているのに気がつく。
「紅葉さんも一緒に食べよう」
「はっ? なんで?」
「みんなで食べたほうがよりおいしいし、紅葉さんともう少し話してみたいなと思ったんです。あっ、でも今はお仕事中ですよね。やっぱり難しいか……」
「それなら大丈夫だけど……。ちょうど休憩もらったとこだし……」
紅葉さんがもじもじしながら答えるのを見たら、なんだかうれしくなってテンションが上がる。
「なら、ここにどうぞ!」
わたしの隣をすすめると、最初は躊躇していた紅葉さんだったけれど、腰を下ろしてくれた。お肉がのったお皿を差し出すと、素直に箸を持って食べはじめる。
「今度、洋食屋さんにごはんを食べにいってもいいですか?」
「……別にいいんじゃない。てか、わたしの店じゃないし」
「ありがとう。母も喜ぶと思います。わたしもそうなんですが、母も食べるのが大好きなんで」
「お母さんと住んでるの?」
「ええ。父が亡くなってからは母とふたり暮らしなんです」
「え……」
紅葉さんは気まずそうに下を向いて、箸を止めた。
「気にしなくて大丈夫ですよ。父のことはもういい思い出になっているんで。今は父の残してくれた花屋を母と一緒に守っていこうと決めてがんばっているところです」
「……なんか、いろいろ大変だったんだね」
「みんなに助けてもらってなんとかここまできました。といっても、まだまだ未熟なんでいまだに勉強中の身です」
「へえ……」
紅葉さんはわたしの話を真剣な面持ちで聞いてくれた。だけどそのとき、ローテーブルのかごブーケが目に止まったらしく、まじまじと見入った。
「それ、あなたが持ってきたの?」
「そうなんです。プリザーブドフラワーといって特殊な加工をしているので、枯れずにいつまでも楽しめます」
「可愛い」
「よかったらもらってください」
「いいの?」
紅葉さんは驚いて目を丸くする。
「冴島さんには、ほしいと思ってくださる方がいたら持ち帰ってもらってくださいと話してあります」
「じゃあ、もらう。あとで秋成さんに了解もらっておくから」
「はい」
野上さんが穏やかな笑みを浮かべ、わたしと紅葉さんを見守っていた。
紅葉さんは照れているのか、野上さんに「こっち見ないで」と頬をふくらませる。それを見て野上さんは声をあげて笑った。
「楽しんでるとこをじゃまして悪いんだけど、そろそろ彼女を返してくれないかな」
お肉を食べ終えたところで、ようやく待ち焦がれていた人が現れた。冴島さんがわたしと野上さんの間に割り込むように座ってくる。
野上さんが腰を上げて少しずれてくれたおかげで、なんとか並んで座ることができた。
「野上だからって、大目に見るつもりはないから。ほんと馴れ馴れしいんだよ、おまえは」
「人聞き悪いな。ただちょっと話していただけだろう」
野上さんは朗らかに答える。
だけど、その様子を見て申し訳ない気持ちになってしまった。
野上さんは、わたしがひとりでぽつんとつまらなそうにしているのを見て、隣に座ってくれたのだ。たくさんの話題を提供してくれて、わたしを楽しませてくれた。
だけどそう思っているところへ、助け舟というべきなのか、さらにもうひとりの男性が会話に割り込んできた。
「あっれー? 冴島ってそんな性格だったっけ?」
おもしろがるように言うのはコタさんだ。
右手にはウーロン茶の入ったグラス。左手には料理がきれいに盛りつけられたお皿三枚を器用に持っている。
「そんなってどんなだよ?」
冴島さんは言いながら、コタさんの手からお皿を取って、ローテーブルに並べた。
「なんだ、自覚がなかったのか」
コタさんがローテーブルを挟んだわたしたちの向かい側に腰を下ろす。ラグの上にあぐらをかいて、呑気にウーロン茶を飲んだ。
冴島さんはちょっとだけイライラしているみたいで、コタさんを冷たい目で見下ろしている。
「言いたいことがあるならはっきり言ってくんないかな?」
「じゃあ言うけど。珍しいなと思ったんだよ。冴島が女の子のことでやきもち焼くのって」
え? と思ったけれど、冴島さんの顔を見ることができない。うれしさで顔がにやけてくる。
「そんなのあたり前だろう。好きな女の子にほかの男が近寄ってきたら普通警戒するだろう。とくに野上は女関係に問題ありだからな」
黙って聞いていた野上さんがハッとしたように冴島さんを向いた。その顔はかなり不服そう。
でもわたしは野上さんのことよりも、冴島さんの言葉に胸が熱くなる。
自分に正直になる、それが今のわたしに必要なこと。冴島さんの気持ちを受け止めて、改めてそのことを強く感じた。
誕生日パーティー終了後。
招待されたお友達がみんな帰ったあと、コタさんと紅葉さん、そしてコタさんの会社の人たちが後片づけをしていた。
冴島さんは一階にあるカフェラウンジにいる。野上さんと軽く仕事の打ち合わせがあるそうで、それほど時間はかからないということだった。
わたしは冴島さんに、「家まで送るから部屋で待ってて」と言われていたのだけれど、どうにも手持ち無沙汰で、紅葉さんに手伝いを申し出た。すると使った食器を運んでほしいと頼まれ、紅葉さんと一緒に作業していた。
そのことに気がついたコタさんが、「ごめんねえ」と謝ってくる。
「とんでもないです。これくらい、どうってことありませんから」
「いやいや、お客様にこんなことやらせちゃって悪いよ。でも助かるよ、人手不足が深刻で」
「うちもそうです。うちの店の場合は予算の関係なんですけど」
「ああ、わかるよ。人件費ってかなり経営を圧迫させるよね」
コタさんは食器の入った重そうなケースを軽々持ち上げながら言う。それをいったん玄関に持っていき、台車にのせると、再びリビングに戻ってきた。
「花屋だって言ってたけど、冴島の会社の近くの路地裏にある店?」
「はい、そうです」
「ああ、あの店か。おしゃれでアットホームな雰囲気だよね」
「ありがとうございます」
「実は俺、屋内緑化っていうの? そういうのに興味があるんだ」
「屋内緑化って、写真では見たことはあるんですが……」
さすがにそこまで大がかりな仕事の依頼はない。というか、たぶんできない。
「経験ない?」
「はい。規模にもよるのかもしれないんですが、一般的に工事レベルになるんじゃないかと。わたしひとりでは無理な分野かなと思います」
花器に花を生けるのとはわけが違う。水やりだけでなく、排水方法も考えないといけないだろうし、綿密なデザインが必要とされるはず。
「そっか。相談に乗ってもらえればなと思ったんだけど」
「勉強不足ですみません。でも興味はあります。別の業者に仕事は依頼するとして、わたしなりにいろいろ調べてみますので、わからないことがあれば聞いてください」
何事も勉強だ。それにそういったデザインは興味がある。写真を見ているだけで刺激になって、今の自分の仕事にも役立ちそうなことがたくさんあるような気がする。
「それは助かるよ。でもだいぶ先の話なんだ。将来的に新たな飲食店をオープンさせることができたらいいなと思ってて」
「どんなお店ですか?」
「お酒に合う料理を提供する店。たとえばなんだけど、内装をジャングルみたいにしたいんだよね。小さい滝なんかも作って、ライトアップもしてみたい。鳥とか猿とかの鳴き声もあるとおもしろいよね」
「本格的ですね」
陽気な性格のコタさんはいつも楽しそうだ。お肉を焼いているときもそうだったし、後片づけをしている今も。
冴島さんのまわりにいる人たちは個性的で才能豊かな人が多い。頭のいい人同士、話も合うんだろうなあ。だからこうして今でも集まっているのかも。
その後、冴島さんが部屋に戻ってきて、作業を終えたコタさんたちが帰っていった。わたしも冴島さんと一緒にコタさんたちを玄関で見送った。
「やっと終わった……」
冴島さんがため息をつく。
「お疲れなんですか?」
「さすがに誕生日ケーキはないだろう? 二十八の男に向かって、歌のあとにロウソクの火を吹き消せって……。子どもかよ」
よほど照れくさかったのだろう。頭をかきながら、さっきよりも大きなため息をつく。
たしかにみんなの前でケーキのロウソクの火を消すのは、女のわたしも恥ずかしい。
「でも今日は楽しかったです。お料理もお酒もおいしくて。誘っていただいてありがとうございました」
お金を払っていないのに遠慮なく食べたり飲んだりしてしまって、図々しかったよなあと今さらながら反省する。
実は今日の誕生日パーティーは会費制とのことだった。それでパーティー後、幹事のコタさんにこっそりお金を支払おうとしたのだが、いらないと受け取ってもらえなかったのだ。
「相変わらず、いい食べっぷりだったね」
「やだ! 言わないでください! 自分でも食い意地はってたかなって思ってたところなんです」
「嘘だよ。コタがすごく喜んでたよ。僕も楽しんでもらえたんならうれしい」
「みなさんにやさしくしていただいたおかげです」
「いつの間にか、紅葉も手なずけちゃって。かごブーケも取られちゃってちょっと残念だったな」
「また作ってきます」
冴島さんは目尻を下げて頷くと、「お茶を淹れるよ」とキッチンに行くので、わたしもついていった。
冴島さんは戸棚から金色の茶葉の缶を取り出すと、慣れたようにティーポットに茶葉を入れて、お湯をそそいだ。
途端に甘い香りが漂いはじめる。フランスの有名な紅茶ブランドのアップルティーだ。
「フレーバーティーはよく飲まれるんですか?」
アイランドキッチンの反対側に立ち、冴島さんの手もとを見ながら尋ねる。
「これは母のお土産。普段は飲まないんだけど……。春名さんは好き?」
「はい、好きです。ティーバッグですが、たまに飲みます」
目線を上げて答えると、冴島さんと思いきり目が合った。
その眼差しは、以前この部屋で見たときと同じ真剣なもの。
この間はドキドキしてどうしていいのかわからなくなって、部屋を飛び出してしまった。
でも今のわたしは幸福な気持ちで満たされている。迷いが消えて、素直に受け止めることができる。わたしは、彼に愛されたくてたまらないんだ。
「今日、泊まってく?」
「えっ……」
ふいに投げかけられた誘惑のセリフに全身が熱くなる。
「無理にとは言わない」
でも泊まるって、つまりそういうことだよね? 男と女がひと晩一緒に過ごすということは、身体の関係を持つ可能性もあるということ。
だけどそんなつもりはなかったし、いきなり言われてもそこまでの覚悟はないというか……。展開が早すぎて、ついていけない。
「そうだよな、急ぎすぎるよな。これ飲んだら送っていくから」
「はい。泊まるのはまたの機会に」
言いながら恥ずかしくて顔から火が出そうだった。でも冴島さんばかりに言わせるわけにいかない。わたしも正直な気持ちを伝えなきゃ。
「楽しみを先に取っておくのも悪くないな」
冴島さんに愛おしそうに微笑まれ、わたしのなかの罪悪感のようなものがすっと消えていった。
だけど、冴島さんは自分が主役なのにお酒を一滴も飲んでいなかった。ちゃんと家まで送ってくれるつもりでいたんだ。
それからおいしいアップルティーを頂き、冴島さんの車で自宅に送ってもらった。
自宅は店から徒歩十五分ほどのところにある二階建てアパートの二階。助手席でナビをしながら、驚くほどスムーズにアパートに到着した。
マンションに連れていってもらったときも思ったが、冴島さんは車の運転が上手だ。そもそも運転は好きらしく、休日にはよく車に乗るそうだ。
「早いな、もう着いちゃった」
「楽しいと時間はあっという間に過ぎてしまいますよね」
「春名さんもそう思ってくれた?」
「もちろんです」
アパートの前に止めた車のなかで言葉を交わす。
この流れで、わたしはずっと言いたかったことを言ってみた。
「あの、なかなかタイミングが掴めなくて……。お誕生日おめでとうございます。いいお誕生日でしたし、冴島さんのお友達も素敵な人ばかりで、わたしのほうがたくさんいろんなものをもらったみたいな感じです。ありがとうございました」
「こちらこそ。僕の友達と仲よくしてくれてありがとう。いきなり大勢のなかに連れ出してよかったのかなって思ってたんだけど、春名さんなら人と接するのに慣れてるから大丈夫かなって思ったんだ」
「さすがに最初は緊張しましたけど」
「でも今度はふたりで。近いうちにまた誘うよ。外で食事しよう」
「はい、ぜひ」
わたしはシートベルトを外した。
「本当は帰したくないんだけど、こればっかりは仕方ないな」
冴島さんは残念そうにつぶやく。
「お店にもいつでもいらしてください。時間があれば、一緒にお昼でも」
「そんなふうに言われたら、週に何度も通っちゃいそうだよ」
「わたしはかまいませんよ」
「でもそのうち小山田さんに怒られたりして。ご自分の立場を考えてください、昼休憩といってもまわりの目がありますからってね」
冴島さんはおどけるように言って、やさしく目を細めた。
冴島さんは、わたしに触れることは一切せず、最後まで紳士的に接してくれた。
だけど、わたしを見つめる瞳も声もとろけそうに甘くて、今のわたしはそれを受け止めるだけで精いっぱい。もっとわたしのキャパを大きくしないと、彼とつき合っていくのは大変そうだ。
それからわたしはお礼を言って車から降りると、玄関前で冴島さんを見送った。走り去っていく車を見ていると切ない気持ちになって、小さなため息が出た。
名残惜しくて、未練たらたらなのはわたしも同じだ。
あのとき、「泊まる」と返事をしていたら、今頃どんな夜を過ごしていたのだろう。そんなことが頭をよぎり、もうすっかり彼の虜になっている自分に驚いていた。




