2.敏腕社長の華麗な駆け引き
それから三日後の月曜日。
午前中、生け込みの仕事のため、わたしは店からすぐ近くにある冴島WESTビルに来ていた。
“生け込み”というのは、企業や家庭、イベント会場などに伺い、花をアレンジメントすることをいう。単発の依頼もあれば、一定期間の契約のときもあり、その場合はプランに応じて現場に伺う回数を決めることができる。
冴島WESTビルとの契約は週に一度伺って、その都度新しいデザインで花を生け直すプラン。先月の八月のお盆明けから入らせてもらい、今日で三度目となる。
十六階建てのこのビルには冴島物産のグループ企業や数社のテナントが入居している。ビルの管理会社は冴島物産とは別のグループ企業で、そこからの依頼で仕事をさせてもらっている。
「では、一時間ほど作業させていただきます」
受付で署名し、ビジターカードを受け取ると、作業を開始する。
花を生ける場所は一階のエントランス。
来るたびに思う。さすが一流企業だ。グループ企業といっても、みなさんスーツ姿がビシッと決まっていて、たまに外国人の姿も見かける。
親会社の冴島物産は日本でも指折りの機械メーカーで、なおかつ専門商社でもある。
冴島ブランドの機械は世界各地に輸出され、高いシェア率を誇っており、その名は国内にとどまらず海外にも広まっているそうだ。
そんな一流会社のグループ企業から、どうしてうちみたいな小さな花屋に仕事の依頼があったのか、おおいに謎だ。思いあたる理由は、店が近所にあることぐらいしかない。
「こんにちは、春名さん」
作業をはじめて一時間ほど経った頃だった。やけに近くで男性の声がすると思い、振り返ると、三日前にお母様への花束を買いにきたあのお客様が立っている。
ということは……?
「先日はありがとうございました! こちらのビルの会社にお勤めだったんですね」
思わぬ再会に少し興奮してしまい、じゃっかん声も大きくなっていたかもしれない。
「お店のホームページ、見せてもらったよ。『春名さん』って名字だったんだね。店名を見て、勝手に名前のほうだと思ってた」
「そうなんです。名前みたいな名字なんで、たまに間違われます」
ホームページをチェックしてくれていたんだ。
自分で立ち上げたホームページ。たまにだが、きちんと更新もしている。
季節感を意識してアレンジメントした花や観葉植物の写真も掲載するようになったら、女性のお客様がぼちぼち増えていって、その効果には自分でも驚いている。
「この花、春名さんのところでアレンジメントしてるんだってね。いいセンスしてるなと思っていたんだ」
「ありがとうございます。こういったご依頼を受けて仕事をするのは、実は初めてのことだったんですが、精いっぱいやらせていただいてます」
父が生きていた頃は、単発のイベントで生け込みの依頼があったらしいけれど、わたし自身は初めての経験。プレッシャーもあって一回目の訪問のときは塔子さんに手伝ってもらった。二回目以降はひとりでこなせるようになったけれど、みなさんの反応がわからず、ずっと不安だった。
でもこうしてほめていただけて、心からほっとした。
「今回は前のとはまた雰囲気が違うね」
「九月に入ったので、少し落ち着いた感じにしようと思いまして」
備前焼の壺にグリーン系の植物を多めに使い、真っ赤な大輪のカトレヤを数本生けてある。さらに、より和風感を出すために、くねくねとした枝の雲竜柳を添えてみた。
「先日、生け花のお話をうかがって、少しですが和もイメージしてみたんです」
「うん、華やかだけど上品だね。これも好きだなあ」
しみじみと言われ、わたしのほうが感動してしまう。こうなると、俄然やる気が出てくる。
次はどんなデザインにしよう。秋を感じさせる色合いのチョコレートコスモスや紫色の果実をつけるコムラサキ、もみじやススキなんかもいいかもしれない。
「楽しそうだね」
「えっ? あっ、すみません」
つい、あれこれと妄想してしまった。この間知り合ったばかりなのに、彼のフランクで屈託のない笑顔を見ていると気を許してしまいそうになる。
そのとき、ロビーに快活な声が聞こえた。
「Hi,Aki!」
見ると、白髪まじりの外国人の男性がこちらに向かって歩いてくる。
「お知り合いですか?」
「ああ、そうなんだ。これから彼と打ち合わせもかねて食事に行くんだ。それじゃあ、僕はここで。続きがんばってね」
「はい、ありがとうございます。行ってらっしゃい」
おじぎをして見送ると、彼は外国人の男性と英語で会話していた。
やっぱり、この人、仕事ができる人なんだ。
英語はペラペラで、相手の方はかなり年上なのに臆することなくフレンドリーに対応している。
そういえば彼の名前を知らなかったけれど、『アキ』さんというのか。
でもニックネームなのかな。『アキヒコ』さんとか『アキヨシ』さんとか……。名字はなんだろう。
だけど、そこまで考えて、いやいやと首を振る。これ以上、踏み込んではいけない。偶然に再会しただけなのだから、必要以上にかかわるのはやめよう。
普段は気にならないのに、どうしてか彼のことが気になってしょうがなかった。いつもと違う自分の感情に少し戸惑っていた。
その日、昼の休憩を挟み、午後一の配達から戻ると、店番をしていた塔子さんからメモを渡された。
「少し前に冴島テクニカルシステムズさんから電話があったわよ」
会社名を聞いて首を傾げる。その名前は聞いたことがあるのだけれど、電話をもらう理由に心あたりがないのだ。
「冴島テクニカルさんって、冴島WESTビルに入っていた会社だったような気がするんだけど……」
すると、「そうみたいですよ」と午後から出勤していた榎本くんがスマホの画面を見せてくれた。
画面にあったのは冴島テクニカルシステムズのホームページ。所在地はたしかに午前中に伺った冴島WESTビル内になっている。
会社概要を見ると、やはり社名通りのグループ企業だ。かなり大きなIT企業で、ますます意味がわからない。
「秘書課の小山田さんという女性の方で、折り返しますって伝えておいたから連絡してちょうだい」
塔子さんから受け取ったメモに書いてある電話番号を見る。それは代表番号らしく、ホームページにあった番号と同じだった。
すぐに電話をすると、明日の午前十時半に社長室の生け込みに来てほしいということだった。
急な依頼だけれど今のところ配達の予定はないし、万が一急ぎの配達があったとしても、塔子さんにお願いすればなんとかなる。
「お伺いします」と言って電話を切り、塔子さんと榎本くんに電話の内容を説明した。
「すごいじゃない。エントランスの生け込みを見て気に入ってくださったのかしら?」
「きっとそうですよ。ほかの会社からも依頼がくるといいですね」
「そうねえ、そうなると助かるわ」
塔子さんと榎本くんの会話を聞きながら気合が入る。
お客様に満足してもらえるものを作らなきゃ!
単発ではなく、どうにか長期プランにもっていきたい。固定客が増えれば店の売り上げも安定する。
榎本くんはうちのアルバイト代だけでは生活が成り立たず、居酒屋でも週に何度か働いている。本当は正社員として雇いたいくらいだけれど、とてもじゃないけど無理なのでせめて時給を上げたかった。
翌日、約束の時間の五分前に冴島WESTビルに赴くと、いつものように署名し、ビジターカードを受け取る。
「十六階へどうぞ」
受付の女性に言われ、身体が強張った。
最上階だ……。
十六階建てのビルはこの辺りだと一番高いビル。店からいつも見上げていたフロアに足を踏み入れることになるなんて思ってもみなかった。
花や花器、必要な道具類をつんだボックスつきの台車を押してエレベーターに乗り込む。最上階のボタンを押すと、エレベーター内の人たちの視線を感じた。
エリート集団のなかでは異質の格好だし、やはり最上階というのは特別なフロアなのだろう。
エントランスにあった案内板を見たら、冴島テクニカルシステムズは十二階から十六階となっていた。ビルの上層階を占領している会社ということは、グループ企業のなかでも大きな力を持っている会社なのだろうか。
最上階に到着すると、エレベーターの前に女性が立っていた。
「いらっしゃいませ、お待ちしておりました。わたくし、電話でお話させていただいた小山田です。社長秘書をしております」
「FLORALはるなの春名と申します。このたびはご依頼ありがとうございます」
台車から手を離し、頭を下げて挨拶をした。
小山田さんは電話の声でイメージしていたよりも若い。たぶんわたしと年齢はそう変わらないと思う。
肩につくぐらいの黒髪をひとつに束ねた、すっきりとした顔立ちの美人。しなやかな立ち振る舞いで女性らしい美しさがある。
「どうぞ、こちらへ」とさっそく小山田さんに社長室へ案内された。
「社長が挨拶をしたいと申しております」
「えっ、社長さん、なかにいらっしゃるんですか?」
「はい、おります」
てっきり社長さんが不在の時間に作業をするものだと思っていたので、まさかお会いすることになるとは……。
ということは、今日の作業は社長さんがいる前でやるの?
しかし戸惑っている暇はなかった。
小山田さんは社長室の前に来ると、ドアをノックし、すかさずドアを開けた。わたしは背筋をピンと伸ばし、小山田さんに気づかれないよう、ゆっくりと息を吐いた。
「社長、FLORALはるな様をお連れしました」
「失礼します。FLORALはるなの春名と申します」
小山田さんのときと同様に挨拶し、頭を下げる。
「よく来てくれたね。よろしく、春名さん」
社長の声は思ったよりも若い声だった。大きな会社の社長というものは、年配の人かと思っていた。しかもこの声、どこかで聞いたことがあるような気がする。
「あっ!」
顔を上げ、思わず口もとを手で押さえた。
にこやかな顔で椅子の背にゆったりと身体をあずけているその人は、お母様の誕生日プレゼントを買いにきたあのお客様だ。昨日もエントランスでお会いしている。
ということは、この人が社長……?
「びっくりした?」
「……はい、とても」
びっくりなんてもんじゃない。まさか社長だなんて!
だってこんな大企業の社長が、うちみたいな庶民の店に花を買いに来るなんて思うわけないじゃない。
「ごめんね。でも、わざわざ自分から社長ですなんて言うのも変だろう? それにあくまでも春名さんと僕は、店主と客の関係だからね」
「それはそうですが……」
彼は、冴島 秋成。冴島テクニカルシステムズの代表取締役社長だ。
榎本くんにホームページを見せてもらったあと、自分でも確認した。
仕事を請け負う前に、先方がどんな会社なのかを知らなくてはならない。業種、沿革、従業員数、取引銀行、簡単な財務状況の情報ぐらいは収集する必要がある。
冴島社長の背後にある窓からは街を一望できる。さすが最上階。周りに高い建物があまりないため、かなり迫力ある眺めだ。
この人、本当に社長なんだ。
「社長が急に花を飾りたいとおっしゃるのでおかしいなと思ったんですが、そういうことだったんですね」
小山田さんが少し厳しい口調で冴島社長に言ってのけた。
「そんな目で見るなよ。花を飾ることには小山田さんも賛成してただろう? 和みますねって」
「賛成はしましたが、まさか下心からそんな発想をされたとは思いもしませんでしたので」
……下心?
思わぬ言葉にぽかんとなる。
「本人がいる前でよく言うね。春名さん、困ってるよ」
「なら、ご自身で否定してください」
「なんで?」
「『なんで?』じゃありません。まったくもう……」
小山田さんはあきれたように言って肩を落とす。冴島社長は相変わらずにこにことしていた。
今の冴島社長の返答は、小山田さんをからかうつもりで言ったのかな。
軽いノリの冴島社長を見る限り、わたしのことにそれほど興味を持っているように思えなかった。
「春名さん。こんな社長ですが、お仕事を引き受けてくださいますでしょうか?」
小山田さんが仕切り直しをするように確認をしてくる。
「あっ、は、はい! それはもちろんです! 今日もそのつもりで準備してきましたから」
断わる理由なんてあるわけない。うちの店の現状では、どんな仕事も逃すわけにいかないのだ。
それから社長室の応接用ソファに座り、小山田さんから支払い条件について説明を受けた。
「金額については電話でお話した通りです。ご記入いただく書類はこちらです。この書類は一週間を目安にこちらの返信用封筒で送っていただくか、わたしまで直接ご提出ください」
小山田さんは丁寧に書類の内容を説明してくれる。だけどちょっと淡々とした感じもする。几帳面でまじめな方だ。
わたしは一字一句聞き逃さないよう、真剣に耳を傾けた。
ひと通りの説明が終わり、預かった書類を受け取って、カーキのエプロンのポケットにしまう。
大きい前ポケットがついて撥水加工もしてあるエプロンはとても機能的。常時、ペンや電卓、ステープラーなどの文房具を入れている。
それを見た小山田さんが、「便利そうですね」と、ようやく顔をほころばせてくれた。
「それでは作業が終わりましたら、秘書室に寄ってくださいね。完了報告をお願いします」
「はい、わかりました」
にこりとされ、わたしも笑みを返す。
それから小山田さんが社長室を出ていき、ドアが閉められた。
ドアが閉まり、そこでようやく重大なことに気がついた。
小山田さんがいなくなった今、この部屋にいるのは冴島社長とわたしだけ。社長室の隣は秘書室ではあるけれど、壁に囲まれた空間でふたりきりというのは緊張する。
「生け込みの作業は三十分以上かかってしまうのですが……」
恐れ多くて語尾が小さくなっていく。
最初の懸念通り、やはり冴島社長のいる前で作業をすることになるのだろうか。わたしはぜんぜんかまわないのだけれど、目の前で作業をされたら冴島社長の仕事のじゃまになるのではないかと心配になる。
しかしわたしの心配をよそに冴島社長は、「かまわないよ」と平然と答えた。
「よろしいんですか?」
「もちろん。それとも僕がいるとじゃまかな?」
「いいえ、そんなことありません! むしろ逆ですから!」
失礼なことを言ってしまったような気がして、強く否定した。
生け込みの作業をしているときはかなり集中しているので、周囲にいる人をじゃまに思うことはない。
「なら気にしなくていいよ。せっかくだし、花を生けているところを見たいなと思ったから」
「そんなにおもしろいものではないと思いますけど」
「お店で見たとき、おもしろかったよ。バラバラの種類の花を器用にまとめるなあと思って。実は自分で花を買うのはあのときが初めてだったんだ。仕事関係はすべて小山田さんが手配してくれるから」
冴島社長は楽しげに語ってくれた。
「そうだったんですね」
だから店では居心地の悪そうな感じだったのか。
「立場上、花をもらったり贈ったりすることは多いのに、アレンジメントする花屋さんのことを考えたことがなかったから、僕にとってはちょっとした衝撃だった」
「普通は花屋のことは考えませんよ。大切なのは、花を買い求めるお客様や贈られる側の人の気持ちですから。自分のため、誰かのため……。わたしは花を手に取った方が喜んでくださったり、贈り主の想いを伝えたりする手助けになればいいと思っています」
「きっとみんな喜んでるし、想いも届いてるよ。でもそれは春名さんが心を込めてアレンジメントしてくれるからこそだと思う」
「そんな、言いすぎです」
「本当だよ。母がすごく喜んでた。あのアレンジも気に入ってたみたいで、『いいセンスね』って言って、大事そうに抱えてしばらく眺めてた。そんな母を見て、僕自身も癒やされたよ」
冴島社長の真摯な言葉がじんわりと胸にしみてくる。
掴みどころのない人のようで、時々まじめなことを言うのものだから、余計にドキッとしてしまう。
わたしが花を生けている間、冴島社長はパソコンを操作し、たまに電話で誰かと話をしていた。わたしは電話の内容を聞かないようにしながら、黙々と作業を続けた……のだけれど。
なんなのだろう、この緊張感は。周囲に人がいても、いつもは作業に差し支えないのに、さっきからうしろが気になって仕方がない。強い視線を感じて、やりにくいことこの上ない。
そう思っていたら、ふいに声をかけられた。
「その花、なんて言うの?」
手を止めて振り向くと、仕事そっちのけで前のめりになって見ている。
「こちらの大ぶりの花はユリ科のカサブランカで、小ぶりなのがホワイトデンファレといって、ラン科の花です」
小山田さんがおまかせでというので、部屋の雰囲気に合いやすい白い花にしてみた。花器も白にした。そうすることで、カサブランカやホワイトデンファレのグリーンの葉が映えるのだ。
「へえ、白い花もいいものだね。高貴な感じがする」
冴島社長は感心したように言うと、椅子から立ち上がってこちらに近づいてきた。
離れたところからじっと見られるのも困るのに、そばに寄られたらさらに気が散って集中できない。
だけど冴島社長の目的は違うところにあった。
「いい匂いだね」
顔を近づけて香りを嗅いでいるのを見て、なんだそういうことかと安堵する。
「匂い、平気ですか? 人によってはだめという方もいらっしゃるんです」
「平気。きつい香水の匂いより、こっちのほうがずっといい」
それには思わずふき出してしまった。
きっと冴島社長のまわりには常に女性がいらっしゃって、そこそこ遊び慣れているのだろう。容姿もそうだし、わたしに接する態度からもそれはうかがえた。
そういうことを悟られるのを気にすることなく、ましてや単なる花屋のわたしの前で言えてしまうなんて、正直な人だと思った。
そして、その奔放さはさっそく遺憾なく発揮された。
「このあと一緒に昼食はどうかな?」
いきなり、なにかのスイッチが入ったかのようだった。冴島社長がカサブランカの花びらを指でなぞりながら甘く見つめてくる。
そして、その甘さの奥に宿るのは貪欲な強い意志。興味を持ったものを試したがっている。
この人はとことん自分に正直だ。
だけど、こういうのは慣れていないので、うまくかわす方法がわからない。
どうして誘う相手がわたしなのだろう。
社交辞令? それともただの気まぐれ? それとも癖みたいなもの?
女の人を見ると、とりあえず声をかけておこうという感じで、いつもの調子で誘ってしまったのだろうか。
「このあとは……」
「お店も忙しいだろうから近場の店にしようと思ってるんだけど、だめかな?」
「えっと、今日はちょっと……」
その目を見ていると、了承してしまいそうになる。
でもよく考えたら天下の冴島物産のグループ企業で、かの有名な冴島テクニカルシステムズの社長だ。冴島の姓ということはおそらく親戚関係なのだろう。
いやいや、さすがに住む世界が違いすぎるでしょう。
「絶対に無理です!」
ついムキになってしまった。
彼の隣を歩くことすら不釣り合いなのに、食事なんてめっそうもない。
「そんなふうに拒絶されたのは初めてなんだけど。なんかショックだな」
「すみません。でも……」
どう見ても落ち込んでいるふうではないけれど、わたしの言い方もひどかったので、素直に謝罪する。だからといって気軽に行こうという気にはなれない。
「このあと予定あるの? 配達とか、アポイントとか?」
「いいえ、そういうのはないんですが。なるべく早く店に戻らないとならないんで」
「そっか、そうだよね。だけどこう考えられない? たとえばクライアントへの接待とか情報収集とか」
「情報収集……ですか?」
「そうだよ。仕事相手のことを知るいい機会だと思わない?」
やんわりと断ってもグイグイ押してくる。さすが人の上に立つ人。駆け引きがうまい。わたしの逃げ道を作るフリをして、しっかりと包囲している。
「情報収集はいいとして。接待と言われても、そんなたいそうなことはできませんし……」
「お昼ごはんを一緒に食べてくれるだけでいいんだよ。なにも難しいことなんてないだろう?」
「でも……」
「もしつき合ってくれたら、今回の仕事を長期プランに変更してあげるよ」
「はい?」
「とりあえず一年契約でどう?」
なにそれ……。
交換条件を突きつけられ、唖然とする。わたしごときとのランチのために、そこまで躍起になるなんて。
「花代プラス出張料と技術料と花器レンタル料。しめて一回二万円。週一で訪問してもらおうかと思っているんだけど」
「えっ、そんなに高いプランですか?」
それだと一回エントランスと同じプランだ。
エントランスは大きめのアレンジメントだから一式で二万円でもおかしくないけれど。この社長室の場合、エントランスと同価格を頂くわけにいかない。
でも今後も仕事をさせてもらえるのなら、ぜひ受けたいところ。
ランチぐらいかまわないじゃないか。店の経営のためなら喜んでおつき合いしよう。
「その気になった?」
わたしの考えを読み取っているのか、余裕綽々《よゆうしゃくしゃく》なのが悔しい。
「はい。でも料金プランは適正価格に訂正させてください。一回の訪問で二万円も頂けませんから」
「まじめだね。ならこうしよう。このフロアにある役員会議室も一緒に頼むよ」
「そういうことなら……」
「色気のない部屋でね。だから華やかにしたいんだけど、だからといって派手にもしたくない。できる?」
「もちろん、できます」
「決まりだな」
もしかして……?
ポーカーフェイスで単調なもの言いに、最初からこの展開は彼の筋書き通りなのかもしれないと思った。
相変わらず、なぜわたしのような庶民に興味を持ったのかわからない。
もしかすると興味があるわけでもないのかもしれない。ただわたしを従わせたいだけなのかも。若くして社長になられた人だし、支配欲が強い人なのだろう。
冴島社長に連れていってもらった店は意外にも庶民的な店。うちの店から徒歩五分もかからないそこは、わたしもよく知る馴染みの定食屋だった。
店主の武藤さんは来年還暦を迎える年代。明るくて気さくなおじさんで、子どもの頃から可愛がってもらっている。
だけどその気さくさがたまにアダになるときもある。
定食屋に入るなり、厨房にいた武藤さんに「ようやく彼氏ができたのかい!?」と輝いた目で言われ、わたしは小さく「いいえ」と答えるので精いっぱい。彼氏に間違われた冴島社長にも申し訳ない気持ちになって、いたたまれなかった。
そんなわたしを冴島社長はわざとプレッシャーを与えるみたいに真顔で見ていた。
この人はこの状況をきっとおもしろがっている。テーブルについた今も目の奥が笑っていた。
「なにがおかしいんですか?」
「おかしくないよ。で、どれくらい彼氏がいないの?」
「……三年以上いません」
素直に答えているわたしもわたしだけれど、このことは塔子さんも榎本くんも知っているし、ごまかしてもしょうがない。
「フローリストとして一人前になるために必死でしたから」
「へえ、仕事一筋ってことか。ほんと、まじめなんだな」
「花屋をしていた父が病気になってからはそれどころじゃありませんでしたから。わたしは会社勤めしながら花屋を手伝って、父が亡くなってからは会社を辞めて、花屋を継ぐために専門学校に通っていました」
自分で選んだ道だけれど、つらかった。花屋の仕事の大変さは知っていたのに、まさかこのわたしが店の経営に携わるなんて思ってもみなかった。
「ごめん、茶化すみたいな言い方して。お父さん、お亡くなりになっていたんだね」
目の奥の輝きが一瞬にして曇り、愉快そうに上がっていた口角も一気に下がる。
人の感情の変化に間近に触れ、我に返った。
今まで誰かにこんな話をしたことなんてなかった。もしかしてわたしは、自分がどれだけ苦労してきたかを誰かに聞いてもらいたかったのだろうか。
「わたしのほうこそ、ごめんなさい。なんだかムキになってしまって……」
「大変だったんだね。きっと言葉では表せないくらいに」
「……はい」
「それでもフローリストを目指したのは、お父さんを尊敬していたからなのかな?」
「えっ?」
「だからお店を継ごうと思ったんだよね?」
まさかそんなふうに返されるとは思わず、ぼう然として冴島社長を見つめる。するとその表情がふっとゆるまって、わたしの心がゆるやかに静まっていった。
「尊敬……。そうかもしれません。父は愚痴を言わず、弱手も吐かずにひたすら花を愛してきた人でした」
「いいお店だよね。春名さんはお父さんの意志をしっかりと受け継いでいるように見えるよ」
「さあ、それはどうでしょうか。ちゃんとやれているか、自信ないです」
「無機質な雑居ビルの多い通りだから、春名さんのお店の前を通るたびに、なんだかほっとするんだ。それって、いいお店ってことだと思うよ」
「うちの店の前をよく通るんですか?」
「よくってほどではないんだけど。ここに食事をしに来るときに、お店の前を通るから」
そういうことか。うちの店は冴島WESTビルからだと通り道になる。
「うちの店を知っていたから、花を買いにいらしてくださったんですね」
「まあ、そういうことになるのかな。駅前にも花屋はあるけど、あの店って洗練されすぎてなんだか入りにくいんだよね」
「そんなふうに感じる方もいらっしゃるんですね」
駅前の花屋はうちと違って敷地面積が広い。その上、道路側が全面ガラス張りになっていて壮観だ。
「好みの問題なのかな。春名さんのお店はパリの街角にあるような、親しみやすい雰囲気があるから好きだよ」
「よくわかりましたね。父が若い頃にヨーロッパ旅行をしたとき、パリでたまたま見つけた花屋の雰囲気に魅了されたらしくて」
「それでか。僕も好きなんだ。マルシェとかオープンテラスとか、なんか自由で気楽な感じがいいよね。日本のお店のほうがきれいで清潔なのに、なんでか惹かれる」
冴島社長は楽しげに語った。ふたりで頼んだ日替わり定食が運ばれてからも、それは続いた。
セレブ生活にどっぷりつかっているのかと思いきや、小中高は一般の人も通う普通の学校の出身だというし、大学時代にはファミリーレストランやコンビニでアルバイトもしていたという。子どものころに海外に行った際も、両親はファーストクラスで、冴島社長は弟さんと一緒にエコノミークラスに座らされたとか。
「ひとりのときは牛丼屋にも行くよ。たまに無性に食べたくなるんだよな」
そう思わない? と尋ねられたけれど、思ったことがないので首を傾げた。
「わたし、牛丼屋さんに行ったことがないので」
「嘘!? なんで!?」
これでもかというくらい目を見開いて、前のめりになる。
「とくに理由はないんですけど、たまたま行く機会がなかっただけで」
だけど冴島社長は納得いかないらしく、しきりに疑いの目を向けていた。
こうして世間話をしていると、普通のサラリーマンに思えてくる。でもワイシャツの袖からちらちら見える腕時計は高級感が漂っている。榎本くんが言っていた通りだ。
食事を終え、店に戻る途中、冴島社長が急にうちの店に寄りたいというので連れていくことになった。
「プレゼントですか?」
「いや、自宅用の観葉植物をと思って。小さいのでいいんだ」
店に着くと、塔子さんが目を丸くし、仰天していた。冴島社長のところで仕事を終えたあと、いったん店に戻ったのだが、昼休憩を冴島社長ととることを伝えていなかったからだ。
「塔子さん、冴島テクニカルさんから、生け込みの長期プランのお仕事を頂いたの」
「まあ、それはありがとうございます! 今後ともよろしくお願いいたします」
塔子さんの顔がぱあっと明るくなって、何度も頭を下げていた。
「あのエントランスの生け込み、お客様にも好評だそうですよ。もちろん、依頼した母もとても気に入っています」
「えっ? お母様?」
びっくりして、思わず声に出してしまった。
「春名さんは面識あるよね?」
「ええ。ということは、冴島社長は小百合社長の息子さんなんですか?」
小百合社長はエントランスの生け込みの仕事を依頼してくださった方。冴島WESTビルの管理会社を経営していて、先月初めてビルに伺った際、ご挨拶と詳細な打ち合わせをさせていただいた。
小百合社長が冴島物産社長の奥様だということは、この界隈では有名なので知っていた。けれど冴島社長のお母様だなんて。
つまり目の前にいる人は冴島物産の御曹司……。
よくよく考えたら、ビルの最上階に社長室をかまえているのだから、親戚のなかでもとくに近い関係なのは明白なわけで、そのことにたった今気がつき、言葉が出ない。
「もしかして驚かせちゃった? みんな知ってることだから、てっきり春名さんもそうなのかと」
「いいえ、初耳です。小百合社長が冴島物産さんの社長夫人なのは知っていたんですが」
「そっか。同じ業界じゃないから知らなくて当然か。それに数年前まで父に勘当されていて、冴島物産とは無関係だったから」
小さな花屋を細々と経営している身としては、冴島物産の経営陣の家族構成なんて考えたことはないし、ましてやお家事情なんて知るはずもない。
「勘当……って、それも業界では有名な話なんですか?」
「まさか。表向きは親に頼らず、自分の力を試すために健気にがんばってる長男で通ってるよ」
「でも今は冴島WESTビルに会社をかまえていますよね?」
「信用が大事だからね。銀行から融資してもらったり、仕事の契約書に判を押してもらったりするために冴島ブランドを利用させてもらった。つまり会社を維持していくためには、親の七光りを受けるのが手っ取り早かったんだよ」
なんだか、かなりすごいことをさらりと言っているような気がするのだけれど。当の冴島社長はどこ吹く風で、言い終わるや否や、店内をきょろきょろしはじめた。
そうだった。冴島社長の目的は身の上話をすることじゃなかった。
「観葉植物でしたよね。定番なのは、パキラやポトスです。窓辺に置くなら、日光を好むオリーブの木もおしゃれですよ」
「へえ、オリーブの木か。大きいものしか想像してなかったけど、部屋にも置けるサイズで売ってるんだね」
「はい、とても人気があるんですよ。それからこちらのシャコバサボテンは冬になるとピンク色の花が楽しめます」
小さめのものがいいということだったので、卓上タイプで部屋のアクセントになり、かつ育てやすいものを四種類ピックアップした。
「じゃあ、それ全部ちょうだい」
「はい?」
「おすすめなんだろう?」
なぜか、してやったりの顔をする。
なんて自由人なんだろう。こういうところを見せつけられると、IT業界トップクラスの会社の経営者であることを忘れてしまいそうになる。ましてや冴島物産の御曹司だなんて……。
食事のときに尋ねたら、わたしよりも二歳上で、今月二十八歳になるそうだ。年の差がそれほどないため、余計に親近感を覚えてしまい、年齢の近い友達のような錯覚すらしてしまいそうになる。
「では四点のお買い上げということですね」
レジカウンターに鉢植えを並べ、先に会計を済ませる。けれど持ち帰るのはちょっと大変かもしれない。あとで会社にお届けしたほうがいいかなと思い、提案しようとしたら目が合った。
「配達してくれるかな?」
「かしこまりました。本日中の配達でよろしいですか?」
「ごめん、日時指定してもいいかな? 今日はこれから出張なんだ。それから配達先は……」
そう言うと、冴島社長はスラックスのポケットから名刺入れを出し、一枚を手に取るとペンでなにかを書き込んでいた。
「ここに頼むよ」
名刺を差し出され、受け取る。そこには都内の住所とマンションの部屋番号が記されていた。
「今度の日曜日の十一時でいいかな?」
「日曜日は定休日なんですが」
「予定あるの?」
「とくにないですけど」
そういう問題じゃないんですが、という言葉を飲み込む。
場合によっては配達をお受けすることもあるので、そのこと自体は別にかまわない。だけど普通、定休日だと言ったら、日にちをずらすものだと思ったんだけれど。
「じゃあ、よろしく」
半ば強引に決めて、ちっとも遠慮がない。
でも無理もない。彼は生まれながらにしてヒエラルキーの上位に立つ者。要するに人を使う側なのだ。
あくまでもわたしはお金を頂く立場。わたしは自分にそう言い聞かせた。
冴島社長が帰ると、塔子さんがにこにこ顔で声を弾ませた。
「なかなかのイケメンね。気品もあって、さすが冴島物産の御曹司。わたしが若かったら立候補したいくらい」
なにを勘違いしているのか、塔子さんが「がんばりなさいよ」とわたしの背中をたたいてくる。
若くして結婚した塔子さんは、二十歳そこそこでわたしを産んでいるので、まだ四十代半ば。娘の目から見ても実年齢より若く見え、ごくたまに「姉妹かと思った」と言われることもある。
といっても、「姉妹」というのはすべて相手のリップサービス。だけど塔子さんはそれを真に受けてしまう性格。
つまり、思い込みの激しいポジティブ人間なので、困ることもしばしばだ。
「違うから。お金持ちの人の単なる気まぐれだよ」
「そうかしら? 会社の社長さんなんだから相当忙しいはずよ。それなのに気まぐれでわざわざランチに誘うかしら?」
「暇だったのかもよ。社長室でもたいして仕事をしていなかったみたいだし」
「あら、昼間だから仕事しなくちゃいけないってことないのよ。役員にはタイムカードはないんだから」
「それくらい知ってる」
塔子さんが妙にはしゃいでいるので、落ち着かせようとして言ったのだけれど、悪口みたいになってしまった。
そうじゃなくて。ただ詮索されたくないだけなのに。
こんなことを言うつもりはなかったのにと反省しつつ、相変わらず塔子さんが干渉しようとしてくるので引くに引けない。
「成果を出してるのも知ってるし、すごい人だって思ってるよ。だからこそ、気まぐれにしか思えないの」
「もっと自信を持ちなさいよ、咲都。なんなら、自分からアピールしちゃいなさい」
「塔子さん、いい加減にして。アピールなんて無理だから。そんな失礼なことできないよ」
冴島物産や冴島テクニカルシステムズがどれだけの会社かわかっていないのかな。わたしのような身分の人間はかかわっちゃいけないんだよ。
「もったいないなあ。あんな格好いい人はそうそういないわよ。それに死んだお父さんにも似てる気がするのよ」
「そう? ぜんぜん似てないと思うけど」
「一見、笑顔で人あたりはいいんだけど、世の中の酸いも甘いも吸いつくしたみたいな、ちょっと冷めた目をしてるのよね。でもその余裕がいいのよ」
「顔じゃなくて、そっちね。でもお父さんってそんなだった?」
塔子さんよりひとまわり年上だった父はその辺にいるおじさんとなんら変わらなくて、格好いいと思ったこともない。家では口数は多いほうではなかったけれど、無口でもなくて、ごくごく普通のお父さんだった。
「出会った頃はそうだったの。お店に遊びに行くと愛想よく対応してくれるんだけど、常に一線は引かれてたわ」
「塔子さん、しつこかったからね。お父さんが言ってたもん。変な女子高生に好かれて困ってたって」
父がここで花屋を開業して間もない頃、当時高校生だった塔子さんが客として訪れた。それが両親の出会いだった。
父にひと目惚れした塔子さんは、それ以来ストーカーのようにつきまとったそうだ。花を買わないのに週に何度か、放課後になると店に来ては閉店まで入り浸り、ひとりでしゃべり続け、そして帰っていく。
昔、父からその話を聞いたとき、父は塔子さんのどんなところを好きになって結婚したのだろうと、子どもながらに不思議に思ったものだった。
「とにかく失礼のないようにね」
「塔子さんに言われたくないよ」
午後一時になり、榎本くんが出勤してくると、塔子さんはさっさと休憩に入った。
「なんの話をしていたんですか?」
ハイテンションだった塔子さんのせいで、榎本くんが興味津々に聞いてくる。
「冴島テクニカルさんの生け込みなんだけど、長期プランでやらせてもらえることになったの。これから毎週火曜日の午前中に社長室と役員会議室に伺うことになるから」
「すごいじゃないですか! 咲都さんの仕事が認められたってことですよね」
興奮しながら喜んでくれて、それは榎本くんの純粋な気持ちでうれしい。けれど果たして冴島社長の本音はどうなのだろうと考え、複雑な気持ちだった。
「どうかしました?」
「ううん、なんでもない。ということだから、榎本くんの時給も少しだけど上げられると思う」
「やった! ありがとうございます。俺、これからもこの店でがんばりますね」
榎本くんの笑顔を見ながら、経営者として気が引きしまる思いがした。
将来的には企業との専属契約を増やし、また付加価値を持たせたオリジナル商品を作るなど今まで以上に力を入れたいなと思っている。けれどまずは今頂ける仕事を確実にこなしていき、店の経営を安定させることが先決だ。
今回のように頂いた仕事をしっかりやれば、また次につなげられるかもしれない。これからは出張の仕事をどんどん増やしたい。わたしが店を留守にしても安心して塔子さんにまかせることができるので、それも可能なのだ。




