第6話・水葉の真
第6話・水葉の真
さすがに限界近くまで真威を使った真と稔。
続いていた雨で見た目こそ治っていたが、それも晴れた結果二人は座り込んでいた。
真は周囲を見渡したが、水葉と大和の姿は無かった。
「氷野さんはあのダメージ、船祈も私達を回復させるような祈りを捧げていたんだ、無事戻れていればいいが…」
「戻る事は稔が真っ先に教えたからきっと大丈夫だよ。」
心配する稔の優しさに微笑む真。
照れた稔は、そんな真から顔を逸らし…
カラスが、ゆっくりと立ち上がった。
「っ…くっ!!」
飛び起きるだけの意志力も残ってなかった二人だが、カラスに気づいてふらつきながらでも立ち上がる。
そんな二人を前に、カラスはゆっくりと首を横に振った。
「警戒せずともよい、スサノオ様の弟子達よ。」
「何を…」
怒ろうとした真の顔の前に手を翳す稔。
「ちゃんと見ろ。」
「え?えーっと…あ。」
短く言う稔の言葉通りに、カラスをよく見る真。
纏っているのが青い、完全な神威になっていた。
「話が通じるなら死闘気味にかかってくるのは遠慮願いたかったのですが。初めから一試合程度なら惑意も消費させられたでしょうに。」
「かかってきたのは主らだろうが、下山を促したと言うのに。」
互いに肩をすくめる稔とカラス。
言うだけ言った後睨み合いのようになり、さすがに慌てた真が割ってはいる。
「それでえっと…どうしてそこまでの激変を?」
「普段から人の住まう地ではない山中は惑意を晴らす人々自体がいない。我らもそれで回ってはいるのだが…」
真からの質問に俯いたカラスは、錫杖を握る手に再び力を込め、思い出したように怒りを顕わにする。
「観光だ遺産だと自然を道具扱いして金銭を回そうとする不心得者が増えた挙句山中に…しかも日の本の象徴たる富士ですらゴミを散らしていき、そのくせ災害には度々怒り悲しむ挙句恩恵に感謝も無く…」
「あー…色々すみません。」
真と稔のせいでこそ無いものの、どう考えても人間のせいかつ巻き込まれた惨状で惑意を引き受け続けた山の神様たるカラスの怒りを前に、申し訳なくなる真。
謝罪を聞いて顔を上げたカラスは真を見る。
「加えて、練想空間に到る人間が四人ここに来たからか、惑意をここに集めたらしくな。」
「紫色だったのはむしろ堪えていたほうだったんですね、完全に飲まれず何よりでした。」
惑意になりきらずに堪えるだけの信仰の対象足りえた天狗だからこそ暴走せずにすんでいたが、それでも山まで来て無遠慮な人間を見て黙ってもいられなかったのだろう。
まして、同属の子供を片付けるように倒された後では。
「とりあえず事態は分かりました。ここにいる間は私達は夜練想空間に来るつもりですから、無理に惑意を集めず任せてください。」
「ですね、元々修行に来てるんですから、引き受けます。」
挨拶もそこそこに、二人は練想空間を離れた。
慣れない水葉や貫かれた大和が先に離脱したとは言え、二人以上に限界まで真威を搾り出したのは間違いなく、これ以上話していられなかったのだ。
消えた二人を見送ったカラスは、自身も引き上げようとして…
肩を掴まれた。
「いよぉ…大天狗様のカ・ラ・ス・ちゃん。」
アレだけの力を誇った大天狗であるカラスがぞっとするほど恐ろしい声。
ぎりぎりと錆びた機械のように振り返ったカラスが見たものは、目元を引きつらせて無理やり笑顔にしているようなスサノオの顔だった。
「え?あ、ス、スサノオ…様?」
「妾もおるぞ、カラスちゃん?」
ひょっこりとスサノオの背後から顔を見せるアマテラス。
ニコニコと、貼り付けたような笑顔。
明らかな怒りを感じる、等と言うレベルでおさまらない二神を前に、身を震わせる。
「あ、あの…何故?」
「何故ってそりゃあ…この俺の大事な大事な弟子二人を『愚者』とか言って殺しかけてくれやがったお礼に決まってんだろ?」
「無手の大和をオマケ扱いした挙句片手間に片付けようとしおった礼に決まっておる。」
私刑宣告。お礼と言う言葉がこれほど残酷に聞こえることはそう無いだろうとカラスは思った。
いかに惑意に飲まれた身だったとは言え、神の身として人間への発言に間違いが無かったとして…
天津神であるアマテラスと追われたとは言えその弟のスサノオの縁者を相手に地上の山の神がした対応としては、どう考えてもカラスのほうが無謀だった。
なまじ消滅するわけでもない信仰により成り立つ身のカラス。
このままこの二神相手に罰でも受ける羽目になったらどうなるか…想像すらしたくない末路に、カラスはこの世の終わりのような表情で硬直して…
「まぁまぁお二人とも。肝を冷やしましたが皆にいい経験になった上でカラスさんの溜め込んでいた惑意も晴らせたのです。あまり虐めないであげましょう?」
ゆらりと現れたミズハノメがカラスを庇った。
四人が集中していたからとこの地域に惑意を集めたのも彼を怒らせた原因の一端を担っている。
さすがにそれは分かっているスサノオはつまらなそうに掴んでいたカラスの肩を離した。
「…ま、そうなんだけどな。」
スサノオから解放されたカラスは、ミズハノメに向かって深々と頭を下げる。
「す、すみませんミズハノメ様…」
「惑意に晒されても一応水葉にも大和さんにも進んで手を出しはしませんでしたし、お二人には信仰心も無いので仕方ないです。」
改めてミズハノメに慰められ、心底怯えていたカラスは深く感謝しつつ肩を落として落ち着こうとする。
だが…
「ま、しょうがねぇ。めでたいのはめでたいし、今日の所は酒盛りで許してやっか。」
「それは許しになるのか?主は飲んだら荒れるからのぉ…」
続けられた惨事が予想される宣言に、カラスは再び動かなくなった。
「まぁ…宴会なら私も賛成ですね。水葉も練想空間に来て、私を呼んでくれましたし。」
「だな、今回はあいつらも二人だけじゃやばかったし、健闘記念って事でお前らのお抱えのお祝いといくか。」
「むぅ…真と稔の奴が強いからと主役顔しおって。」
今度はミズハノメも乗り気になっている。
スサノオが荒れ易いことは周知の事実であり、当然だがカラスも把握している。
こんな中で『許してやる』宴会などと言われて嬉々として頷けるわけもない。
「はやや…頑張ってください。撫ぜ撫ぜ…」
最後にやってきたクシナダが、伸ばして背中までしか届かない手で励ますようにカラスの背を撫でる。
励ましがカラスの心に痛かった。
夕方、鈍い意識を振り切るようにして大和が起きると、武闘派男子勢で揃えたとは思いがたい豪華な料理が並んでいた。
「こ、これは一体…?」
「麓で聞いてきたんすよ、山でなんかあったら奉納とかの意味で祝い事するって。」
「元々大和さんから神道に特に食べ物に規定ないって聞いてましたし、今日分ちょっと奮発しました。」
最初は驚いていた大和だったが、信仰しないなりに用意してくれたらしいそれらの料理に素直に感謝する大和。
一方、同じく起きられたものの調子の戻らない水葉は、稔に連れられるようにして食卓についていた。
「なんだか…ぼーっとします…」
「真威を使いすぎたんだ、食べて休んでおけ。」
「すみません…世話になりっぱなしで…」
体力的なものから始まって数日、今度は真威を絞りつくしてふらついている水葉。
申し訳なさから謝ったものの、稔は首を横に振った。
「今回は船祈と氷野さんがいなかったら私達も消えていた。慣れない中でミズハノメ様の力まで使ってくれて助かった、ありがとう。」
「そ、そんな!お二人とも私達のことで怒ってあんなになるまで戦ってくださったのに殆ど見てるだけで…それに、惑意を晴らすは神様への助けになるって聞いていたのに…」
人の域に収まっていないように見える稔相手に礼を言われ、驚いた様子で慌てる水葉。だが、慌てるのもそこそこでとまり、力が抜けたように肩を落とす。
真威の消耗に慣れていない上で稔と真を回復させるような力を発揮したのは今の水葉には限度が過ぎた。
「…食べるか。」
「そうですね。」
先に自分で提案したとおり、早めに食事を済ませて水葉を休ませる為、話を切り上げて食事に箸を伸ばすことにした。
ひとしきり豪華な食事を堪能した上で、酒盛りに入った成人勢から抜けてきた稔と真は、外へ出て練想空間に入っていた。
「いくら多少は資金のある大学サークルの方々とはいえ、いきなりお祭り騒ぎを計画しだしたから、いくらなんでも不自然だと思いましたが…そういうことですか…」
「あはははは…」
呆れる稔の横で頬を引きつらせる真。
二人の前には、酒を煽っている神々の姿があった。
惑意集うホラースポットが恐怖を煽るように、神々が宴会騒ぎになっていればつられるのも無理は無い。
二人の姿に気づいたスサノオが、すさまじく機嫌よさそうに腕を上げて笑う。
「よー!三下とは言え惑意まで溜め込んで暴れたコイツをよく倒したじゃねぇか!!」
「す、スサノオ様…あまりゆら…うぶっ…」
スサノオの隣でがっちり肩を組まれたカラスは動くに動けず、そのまま揺さぶられて口元を押さえた。
「こんなに集合してて大丈夫なんですか?」
「それはもう。集めた惑意を全部真っ向から掃ってもらいましたから。今日一日くらい問題ないでしょう。」
各地から神様が離れている事になって加護も薄れないかと心配する真。
比較的落ち着いているように見えるミズハノメが笑顔でそう言うが、逆にそんな代物の相手をした結果死に掛けた事を考えると、さすがの真も笑えなかった。
練想空間で消えれば意思の消滅と同じで、最悪植物状態と化す事になるのだ。一応離脱も出来たとは言え、連日綱渡りをするのはごめんだった。
「…と言うか、こんな事出来たんですね。」
「直接頂いてもいいのですが、供物と言う形でこうして嗜むこともできます。楽しいですし、無駄もでませんよ。」
練想空間…意思の力で構成された世界で飲食している事に触れる稔。
そんな稔に実演するように空になった酒瓶を手にしたミズハノメは、それを散らして青い光を吸い込んでいく。
「大和の奴ぅ…惑意と戦う為だけに鍛え始めたばかりか神と友の板ばさみを身を挺して乗り切ろうなどと…武将かお前はっ!格好つけすぎじゃろぉ…」
「はやぁ…アマテラス様ぁ…そのお話ずっと言ってますよぉ…」
ふらふらしながら話しているアマテラスとクシナダ。
一応状況は把握しているらしいクシナダだったが、その口調も怪しかった。
「あはは…酔いも回るんですね。」
「それはもう。私はそもそも水神なのであんまり変わりませんけど。」
苦笑する真に、唯一余裕があるらしいミズハノメが微笑みかける。
と、そのまま立ち上がったミズハノメは、真と稔に向かって一礼した。
「あ、あの、何でしょう?」
「水葉と…彼女があの有様なので変わりに大和さんの分も、私達を敬愛してくれている二人のためにあれほど怒ってくださってありがとうございます。」
カラスには怒った真だったが、基本的には神様相手に大きく出ることは無い為、殊勝にされてあたふたと慌てふためく。
まして、お礼の内容を聞いてますますどうしていいか分からなくなった。
「…一応、人間風情の分際で神様のお一方に喧嘩を売った形になるのですが。」
「何の為に怒ってくれたのか…それが易いことでないのは、水葉を間近で見ていた私はよく知っています。お二人の道のりが易いもので無い事は、そのお力と、彼が。」
稔も理由もないのに大きく出るつもりは無かった為、怒らないのかとへりくだって確認したが、変わらず微笑むミズハノメは、そのままスサノオを指し示す。
カラスを逃がさないよう抱えたまま、枡を持つ手を上げて振ってくるスサノオ。
「お二人の道にとっては…余計な縁となりかねないかもしれませんが、よければ…」
「水葉がよかったら、仲よくしたいです。僕を笑わない人も珍しいですし。あはは…」
「私はむしろ此方が迷惑になると思いますが、彼女を余計とは思いません。」
「…ありがとうございます。」
即答。所か言い切る前にその意を汲んで承諾する真と稔。
神様は下手に好き勝手人の道を決めるような真似をしないようにとなっている。
だからこそ、全てを言う前にと二人は汲んで答えを返した。
水葉や大和のような信仰としてではないものの、そんな所まで大事にしてくれる二人に、ミズハノメは改めて御礼を告げた。
朝、礼によって祈りを終えた水葉に、稔は提案を持ちかけた。
「折角だから、鍛錬にも神降ろしをしてみたらどうだ?」
真威については、初回で消滅しかけるほどの消耗をしたとは言え、逆にそれが出来るだけ…初めて練想空間に来た真と同じくらい真威を扱える水葉。
焦るほどの日数は経っていないのかもしれないが、その割に走りこみの成果は感じていなかった。
先日ミズハノメに直接頼まれた事もあって改めて持ち出した話だったが、予想通り水葉は暗い表情を見せる。
「でもそれは…」
「安い頼り方、と思うのかもしれないが、受験合格の勉強にお守り買う学生はどうなんだ?手抜きするわけじゃないならいいんじゃないか?」
予想通り。
だから、続ける言葉も予定してあった。
信仰に篤い人だけじゃなく、普通の人にも神様の加護は贈られる。つい最近水葉自身で思ったことであるが故に否定はできなかった。
「えーっと…走るなら韋駄天…だっけ?日本の神様。速い人。」
稔に続ける形で、真は走り絡みの事を思い出して捻り出す。
水葉は、そんな真に向かって、少しだけ目を逸らして恐る恐る口を開く。
「あの…韋駄天様は仏教の神様で、神道とは…」
「あ、ご、ごめん。あんまり詳しいこと知らなくて。」
地雷を踏んだ。
そう思った真は、申し訳なさそうな水葉に慌てて謝る。
普通はそんなものだろうから仕方ないとフォローしたい反面、巫女である自身が神々に関していい加減な事を言うわけにも行かずどう言おうか考えていると、稔が溜息を吐いた。
「そもそもインキュバス、ウンディーネ、呂布とごった煮で相手にしてきたんだ、私達が今更神様の出展の区別をつけろと言われても無理があるだろ。」
「まぁそうなんだけど…僕が知ってるのも大本の話じゃなくてちょっとした小話くらいだし。」
「天狗様と戦った後で言うのもどうかとは思うんですが…二人とも本当に何してきたんですか?」
当然の様に羅列される伝説伝承の存在。
つい先日山の神である天狗との一戦を目の当たりにした水葉ですら、それを把握した上で尚余りある二人の経歴に呆然としたまま少し引いた。
とはいえ、神様に貸す身体を作ると言う目標に沿う為には軽い事など言ってはいられない。
まして、神域を目指していると認められる二人が薦めて来た話。
ある意味後輩のような立場の水葉は、とりあえず頼むまではしてみる事にした。
練想空間にて、小さいとは言え門の役割を果たす鳥居の飾られている神棚の前で韋駄天を呼ぶ三人。
仏教に疎い三人が呼んで、来るのかという懸念もあったが、割と簡単に顔を出した韋駄天は…
「うむ、よかろう。」
力を借りる旨を聞いて、即答で承諾した。
正座で返事を待っていた水葉は、一瞬硬直した後でそのまま両手を突き頭を下げる。
「あ、ありがとう…ございます。」
「簡単に承諾されたと戸惑っておるのか?これでも男児用の履物にも加護を授けておる。少女とて神道の神が認める巫女の頼みとあらば加護を授けるに不足は無い。」
(あはは…確かにそんな靴あるなぁ…)
カラスの時のように怒りを買ったらと一応傍についていた真と稔だったが、強面の顔から想像するのは難しい軽い台詞に苦笑する真。
だが、朗らかな空気はそこまでで、水葉を真っ直ぐに見下ろす韋駄天。
「だが、どこまで使いきれるかは話が別だ。」
「え?」
「真威の使い方の一つであることは知っていよう。我が加護としてその身を過度に超える形で力を貸せば…鳥を抜き去る速度で走った後で心の臓が止まるだろう。」
「あぅ…」
想像してしまったのか、水葉がそっと自身の胸に手を当てる。
「ふ…望みのままに我が加護を使いこなして見せるがよい。」
言うだけ言うと、早々に引き上げる韋駄天。
「…簡単だったが難しそうだな。」
ある意味簡単には済んだが、それがかえって問題のようになってしまった。
最悪のケースではあるが、命の危機まで持ち出された水葉の肩を軽く叩く稔。
「どの道真威の使いすぎで消えても危険なんだ、扱いを覚えるなら多少綱渡りも必要だろう。」
「えっと…十分気をつけてね。」
「は、はい、頑張ります。」
笑顔で励ます稔と真だったが、つい最近死闘を演じた二人に多少の綱渡りなどと言われては、巫女である以外ほぼただの中学生だった水葉は緊張せざるを得なかった。
そして、早速…
集中し、ミズハノメを降ろすのと同様に韋駄天を降ろす水葉。
全身に真威が満ちるのを感じつつ、今回の場合はそれを維持しながら動かなければならない。
多少失敗したがそこまではすぐに慣れ、そして…
「いき…ますっ!!」
駆け出した。
見違える速度で山を駆け下り始める水葉。
(速い…)
「うわ凄い!急いで追おう!!」
さすがに二人を上回るとはいかないものの、それまで裂岩流の他の面々にすらついていけてなかった段階からは見違える速さだった。
いつまでも見送っていたら追いつけなくなる。咄嗟に反応した二人はすぐさまその後を追って…
そんな事にはならなかった。
下り坂。
ただの人間でさえ全力疾走などすれば、膝は勿論ダメージもバランスも人の器で制御するのに怪しい代物。
曲がらなければならない場所で足を滑らせた水葉は、思いっきり吹っ飛んで…
「くっ!!」
「あ、おい!」
同等以上の速度で駆け下りていた真が全く勢いを弱めることなく飛んで空中で水葉を抱えた。
変に衝突すれば簡単に骨が折れるだろう勢いで木の一本に迫っていった真は、その木を足場にするように両足で着地した。
木に向かう勢いがゼロになると、今度は落下を始めるが、僅かに斜めになっている木に身体を滑らせるようにして降りた真は、そのまま着地して座り込んだ。
「…っ…はぁ…練想空間ででたらめな戦闘やってなかったらこんな器用な真似絶対出来なかったな…」
身体能力の有無はさておき、垂直やそれに近い場所に着地するような勢いで飛んだり突っ込んだりする事は日常生活や通常戦闘ではありえない。
鞠のように吹き飛ばされる事も少なくない練想空間での異常な戦闘経験が無かったらこんな真似できなかったろうと、一息つく真。
「お前も無茶するな、足は大丈夫か?」
「え、あ、うん。っと、水葉は…」
追いついてきた稔の心配にしたがって足を軽く動かしてみた真は、動かした足を見ようと俯いたところで視線に入った水葉を心配する。
パッチリ目を見開いて動かない水葉。
「ちょ、み、水葉!?大丈夫!?」
真がそっと降ろした水葉に何も出来ずにいると、割って入るようにして水葉の顔を覗き込んだ稔は、その頬をぱちぱちと軽く叩く。
「…は、あ、え?」
「大丈夫か?」
「稔…さん?あ、はい。大丈…夫?」
目を瞬かせて立ち上がろうとした水葉だったが、へたり込んだ。
そのまま荒い息を吐く水葉。その顔は若干青ざめていた。
「…ある意味すさまじいな、自分の限界値をあっさり超えたせいでダメージが大きいんだろう。」
言いつつ屈み込んだ稔は、そのまま水葉をおぶる。
「制御できるまでは道場内で走ったほうがいいな、屋内なら突っ込んでも壁だ。」
「す、すみません…」
「あはは、気にしないで。いきなりだったんだし。」
消耗しきった水葉をつれて、二人は軽やかに帰り道を駆け上がる。
稔は水葉をおぶっていて、真は無理な衝撃を受けているはずなのに。
(…本当に凄いな、二人とも。)
水葉は散々渋っていた神降ろしをやった結果二人に手間をかけてしまった事に落ち込みつつ、早めに何とかしようと思い直した。
練想空間での活動のほうに慣れればあるいは真威も加減が効くだろうと言う事で、練想空間に行ってみることにした水葉。
元々大和と鍛錬する予定で誘われた上、真が無茶をして怪我と言うほどでもないが足に負担を負ったため、稔は大和と打ち合う事にして、真は水葉と練想空間での鍛錬に付き添う事にした。
そうして外に出た二人は、少しして惑意に遭遇した。
「え、えっと…これは?」
「人魂。妖怪としての天狗様に惑意が集まってたのとおんなじ。こういうのはたくさんいるから雑魚惑意って言ってる。」
ふわふわと漂うそれを眺める水葉。
少しして、ゆっくり近づいてきた人魂は、水葉に体当たりした。
「い…痛っ!!」
「あ、大丈夫?」
稔といるときのように何の気なしに眺めていた真は、なにもしないまま分かりやすい体当たりを直撃して尻餅をついた水葉を見て、慌てて人魂を掌底で消滅させる。
水葉は、自分の胸元に手を当てて、ゆっくりと撫でる。
「痛む?人魂って言ってもあのサイズで体当たりしてきたら砂袋みたいなのをぶつけられるのと変わらないし。」
「はい、痛かったです。」
言いつつ立ち上がる水葉。
練想空間での痛みは軽いダメージなら長く続くものではない。だが、短いだけで痛み自体は生々しく、また、意思力を直接消耗する。
それを実感しながら、消えた痛みを大事にするように自分の体を撫でた水葉は、真に近付き、その左腕をそっと撫でた。
「痛い…です、痛かったはずなんです。」
「えっと…まぁ、そうだね。あはは。」
「どうしてですか?稔さんは初めから怒ってましたけど、真さんはまるで…」
まるで私と大和さんの為に怒っていたようだった。そこまで、水葉は口にできなかった。
すでに一度、雨乞いを渋る自分の代わりと言わんばかりに真が駆け出す姿を見ている。
この上そんなことまで言われたらと考えると、水葉はどうしていいかわからなくなりそうだった。だから聞ききれなかった。
けれど…
「蛟の騒ぎ含めていっつもこんな感じだし、あんまり気にしてないかな。」
ただでさえ消耗激しい魔法剣と言う形で真威を成している真にとって、限界近い消耗と言うのはいつもの事だったため、すでに全く気にしていなかった。
傷付いた真当人との温度差に戸惑う水葉。
さすがに気にやんでいる事を察した真は、笑顔で水葉の頭を撫でた。
「気にしないで。怒ってたのは…二人の事だけど僕の為だし。」
「真さんの…ため?」
謎かけのような真の言葉に首をかしげる水葉。
そんな彼女に、真は自身が練想空間に至った全てを話すことにした。
一方同じ頃、一試合終えた休憩時間に大和も水葉と同じ問いを稔に投げかけていた。
「宝の価値を下げない為?」
「はい。」
大和は、稔よりも自分を見ずに無茶をしている印象があった真について、稔に問いただしていた。
興味本意なら本人に聞けと一蹴しただろうが、真を捨て身で庇った大和の心配とあっては断る気になれず、稔は問いに答えていた。
「誰もがずっと自分の綺麗な理想の姿を追い続けてはいられない。ただでさえ大変ですし、何かの一位等に至っては定員一名ですから。」
「それは…そうですね。」
一位の定員は一名。
否定のしようもない言葉にひきつった笑みで頷く大和。
「真は、『それだけ』なら諦めていたかもしれないそうです。何しろ魔法剣士ですからね、今日日小学生でも指差して笑うでしょう。」
軽くバカにしたように笑う稔。だが、大和は声の一つも漏らさずに続きを待った。
稔が真の真威をまるで自分の事のように大事にしている事くらい、大和も今更聞かなくても察せていた。
「けれど、それに伴った回りの人間の諦めかたに問題があったんです。」
「諦めかた?」
「『仕方ない』『無理だ』『どうでもいい』と…自分にとってそれは価値の無いものだと、目を輝かせて眺めていた宝物に泥をかけ目を閉じて見ないようにして、死んだ目で薄笑いを浮かべるようになった集団。真はそれにだけは絶対になるまいと思ったそうです。」
大和は何も言えなかった。
多人数でへらへらとしているようなグループには特に顕著…とは言え、大なり小なりであれば誰だってあることだ。
大和自身、カラスに挑まなかった事は勿論として、近づきたいと思っている真と稔相手にも今回で迫るのは無理があるのではと既に思い始めている位なのだ。
大切なもののままで諦められないのなら…大切でなければいい。
少し物悲しさを感じる発想ではあるものの、それを咎める気にはなれない大和。
逆に、それを拒んだ結果が、優しい中学生にしか見えない真の死闘の原因だと言うのなら、捨ててしまうのも身の為…
「捨てるのが身の為…などと、一瞬でも考えてしまう時点で、決定的な差なんでしょうね。」
「否定は出来ません。けど、それがおかしいとは思えませんが。」
普通に考えて、死ぬ気で頑張れを比喩でもなく地で行く人間なんて何か壊れてるとしか言いようが無い。それ故に普通でない彼らだけが逆にこうして練想空間にまで到っているのだが。
普段の緩い笑みの割に自分以上の無茶を幾度と無く繰り返す真を心配してきた稔は、心配なのか敗北感なのか決めきれない大和の心境を理解できた為、弱気だと責めるような事はしなかった。
真から理由の全てを聞いた水葉は、自分の胸元に手を当てる。
「届かない宝物…」
「って、神様達と話せるようになった今となっては水葉も結構届いてるのかもしれないけど。」
自らも練想空間に辿り着いた結果魔法剣を震えるようになった真は、今更になって届かないと言う表現をする事に少しおかしく感じた。
「真さんは…どうして魔法剣士になるのが宝物になったんですか?」
「格好よかったから。あはは…今振り返れば我ながら幼稚で単純な理由だとは思うんだけどね。」
それだけ。
照れたように笑って話す真の言葉を聴いた水葉は、たったそれだけなのかと思った。
ただし、侮辱するのではなく…
「それだけの為にここまで…私を助けたのも、山火事に飛び込んだのも、それだけで…なんですか?」
水葉が抱いたのは、敬意と畏怖だった。
一人孤独になったとしても神社勤めを続けてきた水葉でも、さすがに神社の為に命をかけろと言われて二つ返事で頷ける自信は無かったのだ。
練想空間での痛みも今その身で味わったし、そもそも山火事の時は生身だったのに、命をかけた真。
その理由が、格好いいからなんて簡単な代物だった事に、水葉は余計に心を揺すられる気分だった。
「真威に『威』の文字を当てるのは、侵し難き真の意志って意味を込めたからなんだって。」
「侵し難き真の意志…」
「うん。だから…その…懲りずに大事にはしてあげて欲しいかな…」
顔を逸らして言いづらそうにする真を前に、何でそんな態度なのか一瞬分からなかった水葉。
だが、すぐに気づく。
水葉が抱いた敬意と…畏怖。
自分を怖がられていると気づいたなら、真がその原因の話を強く言うわけがない。
「あ、ち、違います!私も自分なりに頑張るつもりは…ただ…稔さんもですけど、同学年でする事と思えないと言うか…」
「あはは…もし違うとしたらそれだけだよ。」
「え?」
「同じ中学生の女の子相手に引いてたら、格好いいから目指すなんて言えないでしょ?それで無理してでも稔についてこうって決めたんだ。」
そこまで言うと、真は一歩離れる。
「真威を使ってみるって言っても、水葉は戦うって感じじゃないよね。色々試してみるといいよ、近場の惑意は僕が相手するから何かあったら呼んで。」
片腕を上げて笑顔で離れる真。
少しして、魔法剣の光と音が練想空間に響いた。
到底出来るようになるとは思えない、天狗と二人の戦いを思い出す水葉。
両手で振り上げた双馬の御串を、近場の木に向かって思いっきり振り下ろ…そうとして、止めた。
「戦うって感じじゃない…か。わかっては…いるけど…」
練想空間内とは言え神具を乱暴に使えず、かと言って素手で殴りかかる自分の姿も想像出来ない水葉は、手にした串を見て肩を落とした。その後、消極的な考えを捨てるように頭を振る。
「色々試す…って言うなら、もう一度…」
思い直した水葉は、練想空間でなら消滅しきらないうちなら何かあっても大丈夫と聞いていたため、再度韋駄天の力を借りてみる事にする。
現実同様に丁寧に祈り、その身に降ろして、駆け出して…
意識が速さについていかず足を滑らせ木にぶつかった。
「い…痛い…っ…」
現実同様の…発揮できる力が大きい為、それ以上の激痛。
強風に吹き飛ばされたり殴られたりで木にぶつかったのを簡単に済ませていた真と稔の姿を思い返しながら水葉は改めて思う。
(おんなじ中学生のはずなのに…なんでこんなの普通に耐えられるの?二人とも…)
急ブレーキをかけた車から放り出されて木にぶつかったような、そんな日常でありえない衝撃にのたうち回りながら、水葉の頭では訳が分からず思考がぐるぐると空回りしていた。
その日の夜、真と稔が早々に練想空間に入った頃、夜の祈祷を済ませた大和と水葉は揃って息を吐いていた。
互いにちょうど真の理由について聞いていた事を食事時に稔が話したため知っていた。
その上で、水葉は今日早々の暴走を、大和はただの一撃も稔に触れられなかった事を思い返して
しまっていた。
「二人とも…自身を磨く為なんですよね。」
「そうですね。その入りもそうですが、目指す先も遠いですし。見事なものです。」
心底感心する大和。
その傍で、水葉は再び俯いてしまう。
「…どうかしましたか?失敗なら私の戦跡も似たようなもので」
「あ、いえ…そうじゃなく理由が…」
「理由…ですか?」
水葉の呟きの訳が分からず聞き返す大和。
一人大学生の大和を前に、水葉はまるで懺悔のように重々しく口を開いた。
「お二人の強さは勿論、私と同じように信仰から練想空間に到った大和さんは、惑意を掃う力となる為にとわざわざ鍛え直した程志の高い方です。」
「恐縮です。」
褒められた形になる大和は礼を返したものの、今は水葉の独白を聞き届けるべきとあれこれとは言わず彼女の言葉を待った。
「けれど、私は神様を…ミズハノメ様を敬愛していて、目の当たりにすることまで出来てしまって、それまでの孤独もお二人や大和さんと会えた事で薄れて…」
そこまで聞いて、影を落とす水葉の独白の理由を察した大和。
理由が弱い、下手をすると無い。
神様に会えた上でまだ鍛錬をして、惑意と戦うほどの強い理由がないのだ。
そしてそれは…
「真君が、察していました。」
「え?」
「私は神の奇跡たる神降ろしを実際に行える程の巫女と聞いて、さぞ素晴らしい方だろうと少々浮かれ気味でした。ですが、一概にそれだけではないのでは…と。」
この段になって悩んでいる水葉の姿に、合宿に出る前に既に真が話していた事を思い出した大和は、その時の勘違いとそれに勘づいていた真の配慮に応える為にも、水葉を見る。
「各々大事にしている事も、その度合いも違います。だから、無理してまでお二人のようになろうとする必要はありませんよ、きっと。」
「そうですか…きっと、そうなんでしょうね。」
あくまでも自分の宝物を大切にと言う真と稔の言葉を思い返す水葉。
「明日から訓練…どうしますか?心身を痛めつけて望んでいない事をするのは違うと思いますが。」
武術所か運動ですら主とする人間でもなさそうな水葉に、ここでずっと真や稔の姿を見ながら真似事を続けるのは大変だ。
理由が定まっていないのなら無理をする必要は無いと思い、改めて問いかける大和。
「…やれるだけやってみようと思います。」
少しの間を置いて、水葉はそう答えた。
直接真と稔を追えるとはとても言えない水葉だったが、それでも大和が鍛えるのと同じ理由はあった。
「大和さんと同じ理由です。戦う理由と言われると困るのは確かですけど、お参りに来た方々のお払いや祝福も巫女として必要な事で、惑意が人の負の感情の集合体だと言うなら、放っては置けませんから。」
「分かりました。何かあればいつでも言って下さい。」
人々に加護を授けてくれる神々の徒として少しでも力に。
少女の身では戦うと言うのは大変ではないかと心配する大和だったが、それでも惑意を放置できないと言う理由はよく分かったため、自信なさげに宣言する水葉に対して手を差し出し、二人は握手を交わした。
各種メーカーにポンポン名前出されても天罰とか無い辺りきっととっても懐広いんだろうなぁ…とか思ったりしてます(笑)…怒られるでしょうか(汗)