第5話・天狗の説教
第5話・天狗の説教
朝から晩まで殆ど動き、朝晩必ず禊と祈祷を行う。
そんな日々が3日程過ぎ…
「ふわぁ…」
元々真威の使い手としてかなりの腕だった水葉は、練想空間にたどり着く事が出来た。
「本当に私が寝てる…」
布団を被り、眠りについている自身の姿を眺めながら、水葉は驚きを隠せず素直に呟いていた。
そんな、普通に動けている水葉を見て、稔は頭を抑えた。
「私としては誰も彼も一瞬で普通に動けているほうが疑問なんだがな。」
稔は練想空間に初めてたどり着いた時、イメージが幽体離脱だったせいでふわふわと漂う微妙な存在としてしかその場にいることが出来なかったのだ。
自身がそんな状態だったにも拘らず、初めて会った真から、信仰により到った大和と水葉の二人もそんな事は無かった為、自分の苦労を思い返した稔は何でそうならないのか心底疑問だった。
「稔さんと違って私達は神代の国へ行く、と言う見方が出来ますから。恐れ多い話ではありますがね。」
稔の疑問に大和が神職としての認識を語る。
高天原と地上、それから黄泉の国などの認識がある中、異なる世界での活動という点において、わざわざ体から離れるという認識を持つ必要が無かったのだ。
一方、神職の大和達とはまったく別の理由だが、ファンタジーの塊みたいな魔法剣なんて代物を扱えるようになってしまった真は、異世界という言葉がすんなり入るほどに非常識の塊であった為、意識だけと聞いて普通思いつく幽体離脱や生霊などからはかけ離れていた。
「最初のイメージが幽体離脱の稔は大変だよね。」
「悪かったな、どうせ空が使えるのも遅かった身だ。」
生身の剣士としては一人で桁はずれている稔が練想空間でも普通以上に動けるようになっている事を讃えたつもりだった真だが、先んじて蛟を倒すまでに到った真にそれを言われた稔は少しばかり拗ねたように顔を逸らす。
今となっては現実はもとより練想空間でも桁外れに強い稔だが、真と出会った当初は大和の扱う符術や真の剣より余程まともな『刃を飛ばす』という程度すら扱えなかった為、そういう面では向いてないという苦手意識があった。
それ以上をあっさり次々に扱うようになっていった真に意地を張ってずっと名前で呼ばなかったのだが…
(尾を引いてまた別の方に複雑なことになるなんてな…自業自得だが。)
水葉の小さな願いを思い出した稔は、新たに練想空間で知り合った間柄で自分だけ堅苦しい対応をするか真の死に物狂いの道のりをばっさり必要なかった事にするかの二択を作ってしまった自身の意固地に少しばかり後悔しつつ、真が大事だから二人を名前で呼ぶのもそれなりに認めてからで…
そこまで考えた所で、稔は頭を振った。
(違う違う、認めている、だ。これじゃ本気で須佐や穂波の冷やかしを笑えないじゃないか。)
いきなり頭を振った事を突っ込まれないよう、そのまま周囲を見る稔。
「しかし…やけに惑意が見当たらないな。」
改めて山を見回し、その静けさに疑問を持つ稔。
「災害等に関わっていなければ、自然は敬意と恵みの象徴ですからね。」
「そうですね、真威は青く映るという事でしたけど、凄い澄んでいるように感じます。」
山中の…近辺の真威に満ちた空間を受け入れ、笑みを浮かべる大和と水葉。
特に練想空間自体が初めての水葉は、真威に満ちた空間に心底安らいでいた。
(そう…なのかな?)
そんな中、真は何かに違和感を覚えた。
ただ…感覚的にはともかく勉強含めて頭が回るタイプではない真は違和感の原因に気づくことはなかった。
翌朝、水葉と大和がいつも通りに武道場で神棚に向かって祈っていると、いつもより早く起きてきた真と稔が鉢合わせになった。
「お二人も祈りませんか?」
水葉は二人を見てそう声をかける。
祈祷や自然への感謝を捧げるのに、別に神職云々は関係ない。
事実、誓いの言葉等を述べること自体はあくまで神社などに来た当人達だ。
水葉に強要する気も無かったが、精神鍛錬みたいな所がある以上感謝や祈りを捧げて無駄という事はないと思ったのだ。
「やめておこう。」
だが、稔は微笑んで首を横に振った。
「稔は仮にもスサノオ様が目標とか言ってる位だからね、礼儀って程度ならともかく、あんまりヘコヘコしても変だし。」
「そうですね、お二人はそれでも自然かもしれません。」
真の補足に、大和が納得したように頷く。
敵に、と言うと言葉が過ぎるかもしれないが、これから試合をしようという相手にどうか負けてくださいお願いします、と言うのは奇妙なものがあった。
感謝が無いという訳ではなかったが、二人としては仰々しすぎるほど祈るのは違う気がしていた。
外に出る真達の背を見送りつつ、水葉は少し恐る恐る呟く。
「本当に…冗談でもなんでもなく目指しているんですよね、スサノオ様…」
「人が口にするにはそれだけで思い上がりと言えるのでしょうが、お二人を見ているとそう咎めるのは憚られますね。」
ほんの数日だったが十二分に思い知っている二人の異常な鍛錬。
その願いが人の度を過ぎたものだとしても、目の当たりにしている二人には咎める事など出来なかった。
昼食を終え、道場で裂岩流の一同が鍛錬していると、突然道場ががたがたと大きな音を立てた。
「突風?」
山中とは言え、古民家などではないしっかりとしたつくりの道場がこれほどの音を立てる風が吹くのは稀で、大和は首を傾げる。
「酷い風だな…わっ!」
「皿が一人でに割れた?どうなってんだ?」
一方、台所でも騒がしいことになっていた。
洗い終えた皿を片付けていた青年の手元で、いきなり皿が割れたのだ。
「これは…」
何がおきているのか分からず皆が戸惑う中…
稔が唐突に中空を薙ぐように木刀を振りぬいた。
「ひっ…あ、あのぉ…白兎…さん?」
いきなり、それも稔に剣を振るわれたため、間合いの外とは言え近くに立っていた青年の一人が身を竦める。
それを意にも介さず、稔は部屋に戻る。
「あ、ごめん水葉。僕もお邪魔するね。」
「え、あ、は、はい。」
女性用…水葉と稔にあてがわれた部屋に入るのに、真は水葉に一言謝罪して稔の後に続いた。
「お前が来るとそうでもないかもしれないが、一番目立たないからな。」
「あはは…まぁしょうがないよね。」
示し合わせたように話した二人は、座って目を閉じ、練想空間に入る。
と、少しして大和と水葉も同じように二人のいる部屋に入ってきた。
「まさか…とは思いましたが。」
「はい、ここに来て私にもはっきり分かります。」
練想空間に入ると、大和と水葉も気づく。
強大な力。
練想空間に到るほどであれば強い真威や惑意を感じられる。
二人も感じたとおり、道場に出るとそこには黒い翼を生やした小さな女の子の姿があった。
「もー!聞いてない!現実からこっちを斬れる奴がいるなんて!」
頬を膨らませて叫ぶ女の子。その服が少し裂けていた。
怒った様子のままで外に出て行く彼女を歩いて追う稔。
「真剣に見れば位置もわかるかも知れないけど、よく現実から攻撃できるなぁ…」
「真さんも出来ないんですか?」
「ちょっと自信ない。って、言ってる場合じゃないんだけどね。」
話しながら稔の後を追って三人も外に出る。
すると、近場の木に先ほどの女の子と、白い耳を生やした男の子が木に立っていた。
「あたしコノハ!」
「僕グヒン!」
「「二人合わせて」」
「聞いてない。」
「…いや、聞いてあげようよ。」
ぴょこぴょこと撥ねながらポーズをとろうとしていた二人に向かって冷たい言葉を投げる稔。
稔は惑意であるのなら問答無用で掃うのが常の為、子供の見かけだろうと普段から容赦が無い。
人の惑意の場合、秘密等を覗いてしまうことにも繋がるので、大抵の場合は親切なのだが、真は一応惑意でも形成されているのが神々や精霊などの場合には話をして来た。
その上、今回は…
「で、お前達は何故『紫色の光』を纏っているんだ?」
真に乗る形で稔が投げかけたその疑問の通り、コノハとグヒンを名乗る二人は紫色の光を纏っていた。
幾度と無く惑意と戦っている二人だったが、こんな状態は見たことが無かった。
「天狗は山の妖怪で!」
「天狗は山の神様!」
「畏怖と敬意…神々に抱くものとして正しいものですね。」
「要は惑意と真威が混ざってそれか。」
神職の身として天狗について知っていた大和と水葉の二人は若干及び腰だったが、そんな二人を他所に稔は断ち切るような一言で片付ける。
「結構な力みたいだが何でいたずらなんてくだらない真似を?」
「けいこくー!」
「ケーコクー!」
神話や伝説には、教訓や戒めの意味を以って地域に伝えられるものもある。
自然を無視して山中で騒ぐものに対しての警告がいたずらとして発揮されたのだった。
「えっと…どうしよう?悪気…あるような無いような…」
「どうもこうも…畏怖のほうは多分山の自然災害だろう。雑魚惑意が見当たらなかったのはこっちに集まってたからなんだろうな。」
単純な惑意ではない為少し躊躇う真を他所に、稔は躊躇い無く剣を抜き放つ。
「惑意を散らす必要はあるんだし、警告と現れてくれたんだ。一手相手して消耗させるまでだ。」
「ま、待ってください!」
「ほ、本当に神々と」
「戦うさ。私は誰が相手だろうとな。」
背後で止めたがる二人を無視して、きっぱりと戦闘を宣言する稔。
そして、横目で隣に立つ真を見る。
「えっと…それじゃよろしく!」
真は、軽く会釈して稔と同じく構えた。
蛟も一応は水神の象徴である蛇の暴走だったし、母の不安からやってきた貧乏神を掃ったこともある真。
敵と言うつもりが無くとも、戦う必要がある時に戦うことは選択できた。
「いっくよー!」
明るく言うと、手に持つ大きな葉を振るい風を巻き起こしたコノハ。
狙われていない大和達も体勢を崩すような強風に巻き上げられる稔。
「っ…」
「空じゃ何にも出来ない人間ちゃん!このまま風の中でバラバラになっちゃえ!!」
そして、コノハは空に浮く稔に向かって、次々と刃…カマイタチを伴う風を巻き起こした。
強風で空に飛ばしながらその全身を刻むつもりのコノハ。
空中で移動できるわけでもない稔は攻撃に出られず…
「ち…」
体を捻る事で向きを変えながら、剣で風の刃を防ぐ。
風そのものの勢いはともかく、カマイタチの刃のみならば止める事は出来る。
出来るが…飛べるわけでもない人の所業としては、たとえ練想空間内だろうと神業と言う他なかった。
「むー、しぶといなぁっ!」
まるでダメージにならない様子に業を煮やしたコノハは、一本の木に向かって稔に強風を叩きつける。
そして、そのまま自身は体当たり気味に吹き飛んだ稔めがけて突撃した。
木に叩きつけたところにとどめの一撃を加えるつもりだったコノハ。
だが…
「へ?」
叩きつけられる筈の木に、着地するように両足をついた稔を見て素っ頓狂な声を漏らす。
いくら空を自在に動けても突進中の方向転換など出来るはずも無く、剣の峰で殴られたコノハは稔の下方に折れ曲がるように方向を変えて木に顔面から突っ込んだ挙句地上に向かって墜落した。
「あつつつ…ひっ!」
頭を叩かれた上に木にぶつかった状態から身を起こそうとしていたコノハ。
だが、そんな呑気な空気は、耳横の地面に突き立てられた剣とその風切り音で一瞬で無くなった。
「舐めるな。」
ピクリとも動けなくなったコノハの様子を見ながら、稔は静かに剣を鞘に収めた。
一方、木を地面のようにして四足で蹴りながら降りてきたグヒンは、飛び掛るようにして真に襲い掛かりながら爪を振るっていた。
「変なの書けなかったら剣出せないんだろ!見てたんだからな!」
「魔法陣。まぁ確かにそうなんだけどね。」
白銀の髪に白一色の衣装で四足になって地を駆けるグヒンの姿は、白い狼を思わせた。
飛び掛った先から地を木を蹴って襲い掛かるその速さを前に指先で陣を描くまもなく、真の体の節々に爪痕が刻まれていき…
「ほらほらほみぎゃん!!!」
再三の突進から伸ばしたグヒンの爪は届かず、真の掌底が彼の顔面に張り付くように放り込まれていた。
「一応生身でもあの稔と立ち会ってる身だから。魔法陣がかけないようにって全部僕に向かって突進してればさすがにバレバレだよ。」
「う、うー!でもそんなぷにぷにの手で倒れると思うなよっ!剣がなきゃお前なんか!」
鼻を押さえてごろごろ転がっていたグヒンは、そのまま身を起こして…
「ライズ、フェザーブレード。」
「あ。」
そんな事をやっている間に風の剣を手にした真を見て硬直した。
「魔空刃!」
「わぷ、あぎゃあぁっ!!」
そして、遠方から真が剣を振るうと、放たれた風が一瞬グヒンの動きを止め、ついで届いた刃が彼の体を裂いた。
魔空刃と名づけたそれは、空による遠当てに展開中の魔法剣の力を乗せて放つ真の新技。
逐一魔法剣自体を使っていたら再展開までに間が出来る為に手軽に使えるものとして考えたものであり…同時に、手加減したので傷つきこそしたもののそれほど深いダメージと言うわけでもなかった。
「ごめん、稔を飛ばしてた彼女みたいに沢山力を使ってればよかったのかもしれないけど、惑意を消耗させないといけないから切っちゃった。加減はしたけど…大丈夫?」
「い、痛いに決まってるだろ馬鹿ー!!」
「あはは…ごめんごめん、でも大丈夫そうだね。」
斬られたので当然だが痛がるグヒン。
そんな彼に軽い感じで謝る真。
(本当に消えるほどのダメージを受けた時なら惑意でもスサノオ様たちでも見てるから、そんな感じはなさそうだし、大丈夫だよね。)
とりあえずは問題なさそうなグヒンを見て、ほっとする真。
思ったとおり、少ししてグヒンは立ち直る。
と、ちょうどそこにコノハの服の襟を掴んで持ってきた稔。
つままれているコノハは抵抗する気こそ無いらしいが、首だけ後ろに向けて自分を掴みあげている稔に向かって文句を言っていた。
「こらー!猫じゃないんだぞー!天狗様だぞー!!」
「いたずらを趣味にしている子供相手に様も何も無いだろう。自然の警告なのは聞いたから、惑意を晴らす程度に付き合うだけにしたんだ。」
言いつつも、稔は手を離す。
別に悪意があったわけではないが、幼い頃から剣道だけやってるような生活だった稔は人にいたずらを仕掛けてはしゃぐような子供に慣れていなかった。
更に言えば、神様の啓示であることも理解はしていた為説教もできず、扱いあぐねていた。
「僕は斬られたー!」
「それは真に言え。」
「ごめんなさい…」
座って拗ねるグヒンの言葉に俯いて謝る真。
しょうがなく斬ったつもりだった真だったが、見かけだけとは言え無傷のコノハをつれてきた稔を見ると少し殊勝にならざるを得なかった。
「す、ごい…お二人とも、こんな…」
おとなしくなった二人の天狗の子を見て、水葉が軽く震えながら戦慄していた。
一応練想空間に来ることは出来た水葉だったが、子供とは言えしっかり超常の力を発揮していた八百万の神々相手にあっさりと勝利した二人を目の当たりにし、心底驚いていたのだ。
「天狗様が山の神様なら、この子達の惑意を散らしたからこれで色々落ち着くと思います。」
「そうだな、溜まるだろうからまた夜にでも修行に付き合って貰うついでにでも戦うか。」
「「や、やだっ!!!」」
真と稔の会話に肩を震わせた天狗の二人は、立ち上がると一目散に飛んで消えた。
微笑ましい光景を見送るつもりで眺めている三人。
そんな中、大和が一人難しい顔で何かを考えていた。
「どうかしましたか?」
大和の様子に気づいた稔が声をかける。
「天狗様についてはいくらか種類や逸話があったはずです。妖怪と神様と言っていたのもそうですし、それだけでなく鳥、狼、修行僧の死後等。それに…」
「強き神通力を持つ者を、大天狗と証する…か?」
唐突に、本当に唐突に現れたその存在感に、反射的に水葉と大和を庇うように構える真と稔。
二人の前に、金色の嘴と翼を持ち、長い錫杖を手にした男が立っていた。
細身ではあるが、背の高い男。
「貴方は?」
「カラスだ、先はコノハとグヒンが世話になったようだな。スサノオ様に付く愚者共よ。」
睨み返している稔だが、若干腕に力が篭っていた。
カラスが纏う紫色の光。それ自体は先の天狗達と同じだったが、その力の規模は桁外れだった。
「僕達のこと知ってるんですか?」
「ああ。たかが蛟を一体葬った程度で神様気分で自惚れている愚か者どもの事はな。」
カラスの物言いに目を細める稔。
傍らにいた真は、カラスを睨むのではなく、稔の様子を恐る恐るうかがった。
「たかが…と評するのは勝手だが、自惚れているかは貴方の知った事じゃない。」
(うわぁ…やっぱり怒ってる…)
信仰心こそ大して無い真だが、少なくとも神様やそれに類するものが此方の上から言うものだと受け入れてはいる真。
対して、稔はともすれば討ち倒す気ですらいる為、あまり無遠慮に心中に踏み込むような事をすれば怒る。
想像通りの稔を見てどういさめたものか考えていると…
「それが自惚れだと言うのだっ!!」
山を鳴らすかのようなカラスの一喝に、真は肩を震わせた。
神威と惑意の入り交じった強大な力の奔流。
強さこそ蛟程ではなかったが、暴走していたそれと違い、狙って向けられたそれは並大抵の意思で耐えられる代物ではなかった。
そう…並大抵では。
ドサリと崩れ落ちるような音が聞こえ、真は音の方向を見る。
そこには、震えて微動だに出来なくなっている大和と、尻餅をついている水葉がいた。
「水葉!大和さん!!」
「神の子らよ、汝らは見逃そう、早々に引き払うがよい。」
「見逃す?」
神への信仰もなく天狗と戦った自分と真だけならまだしも、神事を尊んでいる大和達にすら辛辣なカラスの言葉に、稔は怒りを隠そうともせず眉をつり上げる。
「貴様らのような愚か者を連れてきた挙げ句放置した罪架はあるが、見逃そうと言うのだ。早々に」
カラスが言葉を告げられたのはそこまでだった。
空。
稔の振るった遠当ての刃が、話していたカラスの首めがけて放たれたのだ。
事も無げにその一撃を錫杖で防いだカラスに対して、臆することなく真っ直ぐに向かい合う稔。
「貴様…」
「見逃して船祈と氷野さんまでの予定だった癖に不敬者とか言い出すなよ、山鳥。」
稔は一瞬目を閉じ、思い返す。
それまで人並みの少女だった癖に顔色が変わるほどに走った水葉と、ただの敬愛から自分と真についてこようとあがいている大和。
それは全て、神々への信仰からのもの。
信仰とは見返りを求めるべきでない為、大和達にしてみれば直ぐ様従う事に躊躇いなど無かっただろうが、まるで献上した貢ぎ物に対して『好みじゃない』の一言で踏み潰すような様を眼前で見せられた稔は完全に…『キレて』いた。
もう一人の、宝物を棄てない事を選んだ少年と同じくらいに。
「ライズ…リビングエッジ!!」
怒りを孕んだ叫びと共に、木の剣を手にする真。
大和と水葉は、力の無い笑みと優しい姿しか見たことの無かった。
修業中でも怪我をしてても怒られてもそんな調子の姫野真。
そんな彼の、背中しか見ていないのに伝わってくる強大な怒りと…
「…んか。」
「何…」
「アマテラス様もミズハノメ様も、よりにもよって二人を罰するもんかっ!!!」
涙。
練想空間で流れたそれは、融けるように青い光に変わって散っていく。
真は、茨のような道のりに自分の宝物を諦めたばかりか、自らその価値を笑うようになっていく姿が嫌で、子供じみた夢をずっと言い張ってきた。
途中の茨に傷付いて殺されるのはいい。けれど…
信仰の果てに神々に罵倒される…手を伸ばした宝箱に食い殺されるような、そんな有り様には耐えられなかった。耐える気も無かった。
「「ふざけるのもいい加減にしろっ!!!」」
天に唾吐く二人の愚者は、叫びと共に地を蹴った。
錫杖を手に立つカラスに一気に踏み込んで斬りかかる稔と真。
左右から同時に仕掛けたが、カラスは長い錫杖の中央を持ち、二人の剣を同時に止める。
「ふんっ!!」
「わっ!」
「ち…」
受けたまま、力任せに二人を押し返し崩すカラス。
まともに転んだ真と異なり、押し返されたまま稔は体勢を整え…
「遅いっ!!」
「っ!!」
整え切る前に、横薙ぎに錫杖を振り抜かれた。
剣で受けた稔だったが、真と二人で止まった状態からすら押し返された力の差なのに崩れた姿勢で振るわれた一撃を止められるはずもなく、そのまま脇腹まで食い込んだ上で吹き飛ばされた。
「稔!くっ…はあぁっ!!!」
真はその場から動かずに剣を突きだし…
剣が伸びた。
リビングエッジの効果は伸縮としなり。
変幻自在とまではならないが、伸び縮みする生きた剣だった。
だが…
「あ…」
ただ伸びただけの剣は簡単に逸らされ、挙げ句伸びた分真の姿勢も大きく崩れ…
踏み込んできたカラスの一蹴りで木に叩きつけられた。
「あ…ぁ…」
圧倒的。
差と言う表現ですまない力の差に、倒された二人の名を呼ぶこともできずに震える大和と水葉。
「早々に引け、今ならば」
「自惚れているなよ。」
畏れを抱いている二人に下山を促すカラス。その声は途中で断ち切られた。
稔が立ち上がっていた。
「轟牙っ!!」
踏み込みからの強力な突きを跳躍でかわすカラス。
有翼の天狗らしく宙で動きを止め、稔を見据える。
「森羅縛縄!!!」
「なにっ!?」
と、ちょうどそこで真は木の剣を解放した。
木々による対象の拘束術。
全身を絡めとられたカラスに対して、稔は何を聞く間もなく跳躍していた。
「ちっ!!」
「はあっ!!!」
空中でのうち下ろし気味の一閃を咄嗟に錫杖を握る手を力任せに動かして防ぎ、次いで風の刃を周囲に撒く事で拘束をたちきった。
風の刃の巻き添えを喰らい墜落する稔。
「稔!」
「他者を気遣う場合かっ!!」
剣を解放したばかりで無手のままだった真に向かって容赦なく錫杖を振り下ろすカラス。
咄嗟に回避しようとした真だったが遅く…
左腕が吹き飛んだ。
「が…ぁっ…」
「無駄だ、身の程を」
「乱っ!!」
真に意識が向いている間に体勢を整えた稔が、高速の乱撃を放つ。
触れることを優先した、軽いが雨のごとき斬撃は、それでも一撃もカラスに届かなかった。
「轟!!!」
乱から最後に轟に繋ぐ稔の基本連繋。
だが、重さを優先したその一撃すら、カラスは涼しい顔で止める。
「二人がかりとは言え、届かせたのは称賛に値しよう。」
言いつつカラスは自身の左肩を…僅かに裂けた服を見る。
宙に捕らわれ不自然な体勢で受けた稔の一撃が、僅かにカラスの肩まで届いていたのだ。
「だが…その上でっ!!!」
「っ…うあぁぁぁぁっ!!!」
止めていた剣を弾くようにして稔の体勢を崩させたカラスは、そのまま左腕を振るい風の刃を伴った暴風を叩きつけて稔を吹き飛ばした。
全身を刻まれながら吹き飛んだ稔はその勢いのまま木に衝突して前のめりに落ちた。
稔の全身の傷から青い光が散り、その姿がぶれる。
そんな稔を眺めながらそれが当然であるように、カラスは怒りのままに続ける。
「自惚れだと言うのだっ!!理に従い世に生を受けた神の子がそれらに勝とうなどと言うことそのものがっ!!!」
「ライズ!フローズンダガー!!!」
カラスの言葉をたちきるように、真の声が響く。
真は、左腕から光を散らしながら右手に氷の短剣を握っていた。
「それでもっ!!!」
氷の短剣を手に片手のまま斬りかかってくる真。
その気勢に押され、咄嗟に宙に下がるカラス。
「っ…貴様!!!」
気圧された。
一瞬でもそう思ってしまった事に激昂したカラスは、左手を翳し、全力で風刃を放つ。
稔を吹き飛ばした刃を伴う風は、真の姿を飲み込んで…
おさまると、罅だらけになった巨大な氷塊が砕けて散った。
フローズンケイジ。
氷剣を開放することによる、空間氷結術。
錫杖だけならいざ知らず、自然の理を示すつもりで放った風を防ぎきられたカラスは顔をしかめた。
「それでも…引かないと決めたんだ…稔は…僕だって!」
千切れて光を漏らす左腕のまま、右手を翳して立つ真。
出来るから、では無い。だからこそここにいる真と稔。
あからさまに限界だろうと人の範疇に納まらない奇行扱いだろうとその末に孤独になろうと…それでもとここにいる。
だから、自惚れだと…『叶う前提』だと安い思いを抱いていると勝手に決めるのは、たとえ神様だろうと許さないと稔は怒り、真は自身の宝物を大事にする気持ちで動いているから、捨てるのが正解だという物言いに頷く訳がなかった。
「ならば散れ!!器に過ぎた理想と共に!!!」
無手の真に向かって突撃しながら錫杖を突き出すカラス。
空を風の如く移動できる上に力も生半可ではないカラスの突進からの突き。そんなものを無手で受けて耐えられるはずは無く…
大和は、交差させた両腕ごと錫杖で貫かれていた。
「大和…さん?」
「ぐ…ぁ…っ…」
槍を手放した状態で真の前に割り入った大和。
その姿を背中から、突き出た錫杖の先端を見ながら真は小さくその名を呼んだ。
「神に仇成す身にはなれませんが…それでも…」
天狗も所により神々とされるもの。
まして、山に来ている身で怒らせている彼らに武器を向ける事等出来なかった大和。
「私達と…私が祈る神の為に涙して立つ彼等を…見捨ては…」
それでも…アマテラスやミズハノメが大和や水葉を傷つける訳が無いと、そう怒った真。
離脱するなら意思すれば練想空間から自力で戻ることも出来るのに、こうまでなってもまだそれを選ばない真を見捨てることは、出来なかった。
武器があっても稔と真がまともな戦闘になっていないのに、彼等より弱い大和が無手で飛び出せばどうなるか…分かっていないはずが無い。
庇い立てするために武器を振るったならいざ知らず、捨て石になりに飛び込んだような大和に、カラスは動く気になれなかった。
そんな中…ポツリと、何かがカラスの頬に落ちた。
「雨…しかもこれは…」
神威の込められた恵みの雨。
それに気づいたカラスが視線を移すと、その先で、水葉が双馬の御串を振るい必死に祈りを捧げていた。
『ミズハノメ様に声をかけて頼んでみたら?』
『いや、いい考えだと思うぞ。水は流れや体内正常化の意味も持ってたはずだしな。』
(ミズハノメ様は…お二人が傷つく事を望んでない…そんな事…ない。)
瞑想の時に真と稔から受けたアドバイス。
自身の都合では祈る気になれなかった水葉だが、二人が本当の意味で神域を目指しているのを実感した上、その怒りが自分達の為のものでもあると知っている今、少なくとも二人が傷つくのを黙ってみていることは出来なかった。
直接的に敵対したわけではない二人。だが、結局の所無礼だから連れて帰る様にと指示していたにも拘らず真と稔の味方に付いた二人の姿に、カラスは溜息を吐いた。
「…ここまできて未だ彼らに助力しようと言うか、愚かな事」
「黙れええぇっ!!!」
「っ…ぐっ…」
恐るべき力を持つカラス。
武器の有無に関わらず散々な結果になるのは目に見えているにも拘らず、あえて無手で飛び込んでその身を晒して盾にした大和。
想像しか出来ない信仰心と自身を助けたいと願う気持ちの摩擦の結果、『自分を潰す』事を選んだ彼の気持ちをまだ尚嘲るその姿に、真は激昂した。
祈りの雨により力を取り戻した左腕で、飛び掛りながら殴りかかる真。
それが、カラスに今日初めての一撃として届く。
後も先も無く飛び込んだため、そのまま前方に転がる真。
右頬を殴られたカラスはその勢いのまま視線を変え、転がる真を見ながら大和から錫杖を引き抜く。
「させるか!」
「ち…」
と、雨のお陰か当に立ち直っていた稔が、空を放つ。
錫杖で掃う様にかき消すカラス。直後…
「空牙っ!!」
「っ!」
空を放った左薙ぎの一閃を以って作った溜めから突きに繋げる稔。
錫杖を振るった直後にいきなりの踏み込みからの刺突にカラスは、咄嗟に宙に舞うことでそれを凌ぐ。
「小賢しい!!!」
空に逃げる羽目になったカラスは、怒りのままに風の刃を稔に向けて放つ。
稔は、それを両腕を頭上に交差させてまともに受けた。
やがて、風が収まり稔は膝を折り…
跳躍した。
「旋月!!」
「なに…がっ!!」
宙返りと共に放たれた稔の斬撃は、片手で持つ錫杖でとめようとしたカラスの防御を押し切るように、その刃をカラスの体に届かせる。
着地した稔は、その勢いのまま尻餅をついた。
「見事だが…浅い!」
「生憎、私はトドメ向きじゃない。任せたぞ、魔法剣士。」
胸元の傷に賞賛をながらも稔に向かおうとしたカラスだが、稔の言葉に傍らに立つ真に視線を移す。
「ライズ…スパイラルフルーレ!」
真は叫びと共に、水の剣を作り出した。
刺突用の剣の周囲にドリルを思わせる螺旋水流を纏った、フローズンダガーと違う生きた水の剣。
「今更…二人纏めて消し飛ばしてくれる!!」
きりのない二人に業を煮やしたのか、カラスが地に立つ二人に両腕を向ける。
対して今から届くとすれば、真の魔法剣の開放位。
それごと吹き飛ばすつもりで風を放とうとするカラス。
「リバースタッブ!!!」
カラスの予想通りに水の剣を開放した真。
直後、両手ごとカラスの体に風穴が開いた。
銃のように高速旋回しながら放たれる直射螺旋水流攻撃。
広域にこそ効果は無いが、貫通と言う意味では二属性剣すら届かないほどの一撃は、今度こそカラスを沈黙させた。
墜落して、動かなくなるカラス。
そこまで眺めた所で、並んで座り込んだ真と稔は、静かに互いの腕を打ち合わせた。
天狗になった人間への天狗の説教対天狗への天狗になった人間の…上手いというよりはややこしい感じですね(苦笑)