第4話・休まない夏の始まり
第4話・休まない夏の始まり
「強化合宿?」
車でやって来た大和による誘いに、修行を終えた稔は汗を拭いながら大和に聞き返す。
大和は頷き、説明を続ける。
「はい、実はアマテラス様が神前武闘を予定しているのです。」
「神前武闘…ですか?」
「えぇ、一重に私の未熟が要因なのですが、先日御二人に大敗しまして練想空間で教授を賜っている私に活躍して欲しいと…」
俯く大和。
その試合で完勝している稔としては言葉に困った。
「大敗って…生身で…試合してませんし…」
と、そこでようやく顔を見せる真。
今の今まで疲れきって倒れていたのだ。
姿を整える余裕もない真の姿を見て溜息を吐く稔。
(こいつに助けられた…なんて、つくづく繋がらないな。)
真に山から救われた結果、情けなさから訓練強度を上げた稔。
結果真は疲れきっているのだが、ただただついていっているだけの真は知るよしもなかった。
「まぁ私への贔屓もですが、御二人への関心も強く、練想空間へ辿り着いたものから望む者を募り武闘大会を開くことで散見している方々の交流の場ともしようと。」
神前武闘についての話を理解したことを頷きで示す稔。
「それで…強化合宿って何ですか?」
「私への贔屓目で賜ったこの機会によもや再び情けない姿は晒せません。そこで、事前に御二人と鍛練をと思い、こうして窺った次第です。」
恐縮するほど丁寧な大和を前に、真は稔を見る。
普段の鍛錬をどうするかを決めているのは稔なので、この誘いにどう答えるかで困ったのだ。
「完全に敗北した身で恐縮なのですが、お付き合い願えないでしょうか?」
「具体的に何をするつもりですか?裂岩流の彼らに合わせるとなると流石に…」
足手まといと明言することはさすがの稔も出来なかったが、意図は察した大和が首を横に振る。
「身内が保有している山と道場を予定していますので、人目にはつきません。私達も非公式な集団ですから。その上で私達と同じことをする必要はありませんし、時折試合形式で私と打ち合っていただければそれで…」
「それくらいならそこは問題ないんですが…その…」
他のメンバーの件が問題ないことを嬉々として語る大和を前に言い淀む稔。
「僕達中学生だからお金なくって。食事に木刀、家から離れて持ち回れないのについていっても…」
稔の方の家族状況の話だろうと感づいた真は、必要のない部分をぼかして苦笑しながら先に言ってしまう。
と、大和は微笑んで頷いた。
「私からの嘆願ですからそれくらいは当然私が引き受けます。遠慮するよりは引き受けて試合って頂けた方がありがたいのですが…やはり、都合等ありますか?」
あまりに承諾が貰えずに迷惑になっているかと考える大和を前に、稔はようやく首を横に振る。
「そこまで言われれば私は問題ありません。真はどうだ?御両親…特に母君は心配しそうだが。」
「帰って話せば多分大丈夫じゃないかな。…氷野さんとどういう知り合いか聞かれて返答に困るくらいで。」
武術畑の神職予定の大学生と普通の中学生。
友達と言うのも変な知り合いをどう紹介するか、非日常の仲である彼らは問題ばかりが付き纏う。
「ならこのまま真の家に寄って、許可が出ればそれで行けばいい。氷野さんもそれでいいですか?」
「はい、よろしくお願いします。」
大和は誘った本人の上裂岩流の長でもある身として、保護者への説明は覚悟していた為、稔の提案に表情を引き締めて頷いた。
そして、真の家に着いて、大和が強者として武術合宿に誘いに来たと伝えると…
「いいんじゃないかしら。」
真の母はあっさりと、笑顔で即答した。
さすがにもう少し色々警戒されたり問題になりそうだと思っていた大和は毒気を抜かれたように口を開いて呆然とする。
「あはは、随分あっさりしてるね。」
「毎日連絡を入れてくれるならいいわよ。ずうっと家の近所にいるよりはいろんな人と一緒に過ごせたほうがいいもの。」
大和の誘いが無ければ、稔と二人、延々と日常の延長上のような鍛錬が繰り返されるばかりなのは真と稔の生活を知る者なら誰でも予想がつく事だった。
夏休みの中学生。
たった三年しかなく、多感な思春期の時間。
どうせやることが物騒な武術鍛錬なのは稔と二人きりでも変わらないのだから、色々と出来たほうがいいと言うのが母の心境だった。
「でも、明日出発でいいかしら?今日今すぐはさすがに急だもの。」
「はい、では私は明日此方に」
「あらあら、泊まっていってくださいな。大丈夫とは思うけど、お父さんにも氷野さんから話していただいたほうがいいし。」
「それは…そうですね、分かりました。」
ただの宿泊の誘いならともかく、真の父親への報告も持ち出された為断れずに頷く大和。
とりあえず順調に話が進んでいることだけ確認した稔は、今日の所は帰っておくことにして、一人玄関から下がり…
「氷野さん、もう一ついいですか?」
ふと思いついて、大和に声をかけた。
きちんと体ごと振り返って稔と向かい合う大和。
「はい、なんでしょう?」
「もしよければ、もう一人同行させたい人がいるんですが。」
大和が費用を持つ予定である為若干恐る恐るではあったが、大和はむしろ、このタイミングで誘われる別の人間と言う事で興味を持った。
「どなたですか?」
「船祈水葉、雨乞いの巫女です。」
水葉の同行には二つ返事で頷いた大和だったが、当の水葉本人には何も伝えていないわけで、電話番号を知っている真が連絡を取る事になった。
『はい、船祈ですけど…』
「あ、姫野真です。よかった、仕事終わっててくれたんだ。」
『え、あ、真さん?』
神社で仕事をしていたら通じないかもしれないと思っていた真はとりあえずほっとする。
つい先日会ったばかりの相手から、それも、番号を交換した携帯ではなく家の電話を使った為、水葉のほうは番号も表示されず戸惑っていた。
水葉の戸惑いからそれを察した真は小さく謝って続ける。
「家から電話かけてて、この間はご馳走までして貰ってありがとう。」
『いえ、私のほうも貴重なお話を…それより何の御用ですか?』
「武術鍛錬の合宿によかったら一緒に来ないかってお誘い。」
『ぶ、武術鍛錬…ですか?』
突拍子も無い内容に戸惑う水葉。
真も稔も動ける人間だと言うことは水葉も知ってはいたが、水葉自身はただの巫女である為全く縁のない話だったので戸惑いしかなかった。
「うん。惑意の事は話したと思うけど、その関係で鍛えておいたほうがいいって神道関係者の氷野大和さんが武術団体をやっててね。武芸のほうはともかく真威の扱いについては色々話せるし試せるかなって。どう?」
元々水葉の事を持ち出した稔も、彼女に戦闘訓練をさせようと明確に考えている訳ではなかった。
ただ、一晩にも満たない時間話しただけの練想空間とそこでの活動に関して先人として伝えるのにいい機会だと考えただけだったのだ。
雨乞いを頼むつもりこそ無いが、アマテラスが紹介する巫女と言うだけで十分大和にとっても悪い話ではないと考えていたのだが、武術鍛錬と言われては水葉も返答に困っていた。
「やっぱり気乗りしないかな?それとも、神社のお仕事?」
『聞いてみます。』
重ねて問いかけた真に断りを入れて、真の受話器から声がしなくなる。
傍らで真の声しか聞いていなかった大和も、いつものやわらかい笑みのままで小さく頷く。
「何も知らなければどう考えても縁の無い話ですからね。」
「あはは…氷野さんも大変だったんですか?」
「慣れない、と言う意味で大変でしたが、やはり神々の加護を授かる身として惑意を無視はできませんでしたから。」
信仰で練想空間に到った大和らしく、あくまでも神様への負担を何もせず放置していたという方面で苦い表情をする彼に、改めて神様を大事にしているんだなと真は感じた。
と、耳を当てている受話器から声が聞こえ、真はそっちに耳を傾けた。
『両親から許可が出たので、私もぜひ。』
「よかった、それじゃ明日行くから。よろしくね。」
『はい、おまちしています。』
途中返答に詰まっているようだったが、承諾を得られたと言う水葉の返事は明るい声だった為、真は電話を切った後でほっと一息ついた。
夕食に際して真の父からも承諾を得た所で、とりあえず今日泊まる所として真の部屋に来た大和。
「それにしても…雨乞いを実際に成せる巫女の方ですか。わざわざアマテラス様が個人で紹介されるとなると、余程珍しい事なのは間違いないでしょう。素晴らしい方なのですね。」
であった事の無い水葉を褒める大和。
一見問題ない賛辞のようだが、真はそれに考え込むような様子を見せる。
「んー…」
「どうかしましたか?」
「素晴らしい人って、あんまり一概にも言えないのかな…って。」
当然水葉を馬鹿にしているわけではない、と念を押した上で真は続ける。
「氷野さんには話してなかったけど、僕が練想空間に初めて到った時は、担任の先生に進路で魔法剣士って書いて呼び出されて説教された日なんです。」
「それはまた…凄い進路ですね…」
どう聞いても異常な進路に、さすがの大和も頬を引きつらせる。
誰も彼もそう反応する事はわかっている真は、仕方ないとばかりに乾いた笑いを返して続けた。
「小学生の終わり位には普通の皆はそう言うって分かってたんです。でも、それでもってずっと通してきて、抗って、気づいたら一人になってました。」
「そう…ですね、幼い頃は輪から外れた方に対して無邪気なまま害をなす方が多いですから。」
傾向、と言うべきなのか否か、一度輪から外れた者に対しての扱いは邪気の有無に関わらず惨い。
まして、傍目にどう見ても『普通』でなければ自然外し易くなる。
真がどういう状況だったか、少ししか聞いていない大和でも察する事ができた。
自分の話に悲しげな顔を見せる大和の前で慌てて手を振って否定を示した後で続ける。
「昔の人の話…えっと、刀鍛冶さんとか陶芸家さんとか…なのかな?山とか篭って一人で頑張ってる人。何か突き詰めた人ってそんな感じになっちゃうのかな…って。孤独…じゃなくて…」
かわいそう、とかではなく、でも明るい話でもなく、そうなるもの。
それを伝えようとしたものの、当てはまる言葉を把握していなかった真。
補足するように大和が続ける。
「孤高ですね。人と足並みを揃えたり、誰かと共有、共感しようとするとどうしてもその為に調整する必要がある部分が出てきます。寂しさを感じる孤独は避けたがる人が多いですが、究極の一を目指す為にあえてその孤独を選んで手にしてでも進もうと言う人です。」
「うわ…稔だ。そのまま辞書に書ける位。」
大学生の大和に孤高の説明を受けた真は、友人を叩き伏せ、両親と袂をわかってでも剣を極めようとしている稔の姿を思い出して苦笑する。
「と、とにかく…素晴らしい人、って言うか、傍の普通の人の言葉や評価よりも大事で苦労したり悲しんだりすることがあったんじゃないのかな…って。礼儀正しい素晴らしい人って言う意味でなら僕や稔にまで敬語で応対してる氷野さん僕が知ってる中で一番ですし。」
「そう言っていただけるとありがたいです。…姫野君は凄く優しいのですね。」
「へっ?」
いきなり褒められて首を傾げる真。だが、大和は何も言わずに静かに微笑み返した。
単に凄い少女だから練想空間に辿り着いたと称した大和。
真は水葉が神様の扱いと町の人の反応に苦悩していたことを知っていたため、単に素晴らしいと明るく言うのがかえって辛くならないかと、何の気なしに考えて言ったのだが、優しいと言われて気づく程気は使っていなかった。
逆に言うと、素でそういう事が出来る真を見て、大和は優しいと言ったのだが…
(意識してすることじゃないから彼らしいのかもしれませんし…これ以上言うものでもないですね。)
首を傾げる全く分かってない真にこそ感じた美徳を崩さないよう、大和はそれ以上何も言わなかった。
翌朝、朝食を済ませた頃に稔が真の家に姿を見せた。
「そう言えば、白兎さんのほうには連絡は?」
「あぁ、私のほうは問題ありません。」
稔の家には顔も出していない大和は挨拶に行かなくていいのか問いかけたが、家庭内絶縁近い稔は一言で切って捨てた。
何かある感じは察した大和は、それ以上何も言わずに出発する事にする。
「では行きましょうか。」
「気をつけてね。」
「うん、行ってきます。」
真の母への挨拶を最後に、一同は大和の車に乗り込んで出発した。
「船祈さんを乗せてからとなると、現地につく頃には昼過ぎごろになるでしょうか。まだ若輩の身なので運転も下手ですが、それまで済みませんが…」
「大丈夫です。私も真もそうやわではないですし、運転も上手だと思います。」
「家の車古いしなぁ…」
運転が上手いと言う稔にとっての比較対象が自身の父しかいない事を察した真は苦笑して頬を掻く。
稔も失言だったかと黙り、それで車内は静かになった。
(うーん…あまりに品が無く騒がしいのもどうかと思いますが、車内ですらこう重い空気なのも…)
普段車を使うときは裂岩流の面々との移動で、大和のような神職とは縁の無い完全な武闘派も多く、成人男子として騒がしい為、品の無い話題も上がる。
神職としてその場に混ざるのも困っていた大和だったが、逆にもう少し元気な年代のはずの真達に重々しい空気で居られるとそれはそれで喜べず、とは言え『何か喋れ』等と言う性格でもない為、しばらく無言の状態が続いた。
水葉を拾い、目的としていた山の麓についた真達は、階段を見上げる。
「ふわぁ…」
それほど運動が得意と言うわけではない水葉は、先の見えない木の杭を打ち込んで作っただけの階段を見て呆然とする。
運動着にと準備したジャージ姿の水葉は、胴着の一団の中では結構異質だったが、私服の真と稔よりはまだまともだった。
「私達との試合の時もそうでしたが、二人はずっと私服なんですね?」
「いつ何処で戦闘になっても関係ないように…って。」
「どうせ私の服は安物ですし、破けて捨てるにも学校指定のものより安い可能性すらありますから。」
一応学校指定のジャージも荷物に入れてはいるが、取り立ててものを要求しない二人は両親が適当に買っている服を着ていた。
普段からジャージを山中で多用していてはあっさりと使い物にならなくなる為、気に留めてない私服のほうを使っているのだ。
「それで、施設の場所は?」
「山頂付近です。」
「それだけ分かればいい、後で行きます。」
短く告げる稔。
他のメンバーを置き去りにいきなり階段に歩を進める彼女に、真も自然に並ぶ。
「真、行くぞ。」
「あぁうん。それじゃ船祈さん、また後で。」
返事を聞く間もなく、二人はダッシュで階段を駆け上がりだした。
ペース配分も何も無いただの全力疾走。
一見すると無理しかないが、当たり前のように躊躇いも無くそれを選んだ二人がどういう者かよく知っていて、それを参考にするつもりで呼んだ大和は他の裂岩流の面々を見る。
「山頂まではいつも通り各自駆け足で!私は彼らを追います!船祈さんは自分のペースで向かってください。」
「え、あ…」
水葉の返事を聞かず、大和も二人を追って全力で駆け出す。
と、山頂で使う荷物を持った他のメンバーは、同じ道を軽めの駆け足で進む。
自分の荷物を自然に持たれた水葉は一人、後に残されて…慌てて後を追って階段を上り始めた。
山の階段を駆け上がる男たち。
彼らとすれ違うように稔と真が駆け降り、大和が二人の後を追うように降りてくる。
(くっ…本当に加減も何もない…)
既に三人は施設のある山頂に一度着いて、荷物を投げるように置いた上で往復に入っていた。
裂岩流の他の面々とすれ違った時点で大体中間地点。一度それを踏破しきって下っているので倍以上の差が出ていることになる。
真威による身体能力強化に加え、回復まで早めてきた稔と真は、完全に生身の人間の域を逸脱していた。辛うじてとは言え、ついていく事が出来ている大和も十分並外れていると言えた。
そして…
「は…はぁっ…」
大和が更に下方に来ると、とぼとぼと階段を登る水葉の姿が目に入る。
身体的に完全にただの中学生の女の子。
山を駆け上がる大学の男性陣を追わせるのは無理難題だったかと、大和は足を止めて声をかけた。
「だ、大丈夫ですか?」
「は…はい…その…私…ついてきてよかったんでしょうか…」
惑意の事とそれを祓う神様の事は既に聞いている水葉としては、練想空間について聞く以外にも、鍛えることに異論はなかった。
だが、人並みの体育の成績でいきなり武芸者集団に呼ばれてこの結果では足を引っ張っているのではないかと言う引け目があった。
「いきなり無理はせず慣らして」
「自分の限界と戦え。」
焦らないよう止めようとした大和。
だが、それに割って入る形で既に一往復を終えて再び上がってきた稔が声をかける。
「回りの心配はいらない、だが自分の限界値とは戦え。神様に貸す体を作るつもりでな。」
「っ…」
神に貸す体と言われ、疲れきっていた水葉の瞳に光が戻る。
稔が水葉の自室で見せた神業は、冗談でも比喩でもなくその領域を目指しているから。山火事にためらいなく駆け出したその背を見送った時から、何となくでも感じていた。
水葉が言葉を返す前に稔は駆け出し、後を追うように真がかけ上がってくる。
「話してる場合じゃ…無いですね。」
「そのようですね、では、お気をつけて。」
それ以上呑気に話してはいられない。
神の名を挙げられた神職者二人は、上がった息を振りきるようにそれぞれの方へ足を進めた。
そして、日も暮れてきた頃…
「はっ…はぁ…っ…」
山頂までの往復を1度終え、再び上りきった時点で、水葉は道場前で倒れて青ざめた顔で浅い呼吸を繰り返していた。
「夕食に…しましょう…じゅ、準備は…」
一方、真と稔と同じ数だけ繰り返そうと10往復した大和も、同じく喋るのも億劫と言った様子になっていた。
「俺らでやっときますから大和さんは休んどいてください。」
「さすがに無茶がすぎますって。」
「す、すみません…」
普通に山頂に着いた時点で道場で鍛錬していた裂岩流の他の面々が大和の様子を見かねて食事、風呂の類の準備を引き受け、声をかける。
合宿に率いてきたはずだったのに自身は何も出来ない状態になってしまったことに頭を下げようとした大和だったが、走りすぎてそれもまともにかなわず、お辞儀をしたまま前のめりに崩れ地面に膝をついた。
「は…はっ…」
「ふ…うっ…」
と、大和と同じ往復を早々に済ませていつも通り木刀で打ち合っていた真と稔は、少しして山を上がってきた。
汗と土汚れが多少あったものの、それよりも…
木刀を握る稔の手と、真の額から流れる血のほうが目立っていた。
「散々みたいですね。」
「っ…さすがに…この…量は…」
平然と話しかけてきた稔を前に顔をしかめる大和。
そんな彼の様子を見て、稔は小さく首を横に振って笑みを見せた。
「いえ、むしろそれくらい消耗しきっていたほうが都合がいいです。休ませて貰えてるみたいですし、水葉と一緒に道場へ来てください。神社の衣装…のほうがいいですね、おそらく。」
「洗濯も始めてるみたいだし、先に体だけ流させてもらいますね。稔は船祈さんに手を貸してあげたほうがいいかも。」
「…みたいだな、さすがに。」
倒れてまともに話もできる状態じゃない水葉を見て心配する真と同じく、けしかけた稔も彼女の様子にさすがに顔をしかめた。
体を洗い、着替えを終えた四人は道場に揃っていた。
「まさか…ここから…何か?」
完全に覇気も何もかも失ってしまった水葉が、少し怯えたように言うのを聞いて、稔は軽く頷く。
「重要と言えば重要だが、怖がらなくていい。正座でも胡坐でも集中できるほうで。」
言いつつ座った稔に倣うように隣で座る真。
普段から神社でやる為、水葉と大和は正座で座る。
「氷野さんは出来ると思いますけど、真威を見る目で船祈を見てください。」
「あ、はい…」
分かりやすいほど消耗している水葉を見るよう薦めた稔。
それにしたがって大和が彼女を見ると、何故そう言ったのかすぐに理解した。
真威がろくに感じられないのは勿論、ぶれて崩れているように見えたのだ。
「なるほど…これを整えて通せば…」
「そういうことです。」
練想空間に到っている大和はすぐに真威を整えることで体調の回復を促せることを察する。
「船祈はまだ真威を見られないから…末端…指先足先まで問題ないように集中して意識を…巡らせると言うか…」
「瞑想…すればいいって事ですか?全身が健康だと念じながら。」
「まぁそんな感じだ。」
一通りの説明を終えた稔は、傍らの真を軽く見る。
と、真は苦笑しながら首を傾けた。
「なんかごめん、ついてきて何もできてなくて。」
「お前が説明を上手くするなんて期待してない。」
「はい…」
笑顔でばっさりと片付けてくる稔に俯く真。
だが、呑気なのはそこまでだった。
目を閉じて、深い呼吸を繰り返す稔と真。
少しして、真の額の傷と稔の掌の出血はなりを潜めていた。
勿論傷自体がいきなり綺麗さっぱり無くなるようなことは無かったが、単なる回復にしてはあまりにも早い有様に呆然とする水葉。
「雨を降らせるお前がこの程度で驚く必要も無いだろ。」
「私が降らせているわけでは…」
神様への祈祷による加護と今の超回復が繋がらずに戸惑う水葉。
「ミズハノメ様に声をかけて頼んでみたら?」
「え?そ、そんな…」
「いや、いい考えだと思うぞ。水は流れや体内正常化の意味も持ってたはずだしな。」
真の軽い提案に、恐れ多さを感じる水葉。
普段からスサノオと修行している真と稔だからこそ言える、自身のための頼みごと。
だが、それを巫女の水葉に薦めるのは少々難があった。
結局水葉は、大和がそうしているのに倣って瞑想する事にした。
一通り瞑想を終えたところで、四人だけ遅れてしまった食事をする。
そんな中、大和が足を軽く動かして今の自身の状態を確認した。
「なるほど…まさかこう変わるとは思ってませんでした。」
「私も…大分楽にはなったみたいです。」
無いとは当然言えないが、軽くなった痛みや疲れに驚く大和と水葉。
そんな二人を前に自身の初期の有様を思い出した真は笑みを漏らす。
「これが出来てないとさすがにちょっと厳しいから。」
「回復させるのもそうだが、真威を扱うって事を覚えるのにはちょうどいいからな。」
意思の力である真威。
最近では木刀に通して火災の中倒れてきた木をへし折るのにも使った稔としては、自身の体にめぐらせるのはその初期の段階になる。
神々への祈祷を主体とする神職の二人は少し認識が違ったが、それでも禊等はあるため初めての真よりも大分調子はよくなっていた。
「慣れるまでこれを繰り返す…まぁ、私達は慣れてもずっとやってるわけだが。そうすれば何れ練想空間に来れるだろう。船祈は次の話はそこからだな。」
「え、あ…は、はい…」
稔からの宣告に俯く水葉。
水葉としては神々の話に伴い練想空間について知るのが主目的だった為、いつの間にかそこに到るのに鍛錬をはさむのが絶対条件になってしまっている事に苦痛を感じていた。
いきなりでは厳しすぎる鍛錬に巻き込まれた少女を見ていられず、大和が声をかける。
「普通に祈祷を日夜行っているだけでもよいので、船祈さんならそれでもよいかもしれません。」
「では、其方も一緒に。よろしくお願いします氷野さん。」
大和自身は練想空間には神職としての活動のみで辿り着くことが出来た為、無理に鍛える必要が無い事は知っていた。
ただの巫女の彼女に鍛錬をさせるのは苦行が過ぎると思い祈祷を進めたのだが、水葉はあくまで鍛錬にも自分なりに混ざった上で祈ることにした。
「大和でいいですよ。それなりに共に過ごすことになるのですから。」
「あ、なら私も水葉と呼んでください。」
真威繋がりで鍛錬をしている共同体として名前で名乗りあった二人。
言いつつ、真と稔も見たのだが、稔は小さく微笑むと食べ終えた自身の食器を手に席を立った。
「…私は遠慮しておこう。呼ぶ分には好きに呼んでくれて構わない。ご馳走様。」
壁を感じる稔の対応に、彼女を目で追う水葉。
「えっと…稔…さん、どうしたんでしょう?」
「あー…多分僕のせいって言うかなんて言うか。」
好きに呼んでいいとは言われたので恐る恐る名前で呼んでみた水葉を前に、真は苦笑しながら肩を落とした。」
「稔、元々幼馴染の持田穂波さんとしか名前で呼び合ってなかったんだ。それで、僕の時も認めたら呼ぶって言って、蛟と当たった一件まで僕もずっと苗字で呼ばれてたんだけど…」
蛟と戦うと言うことがどれほどの事か、想像しか出来ていない二人でも、少なくとも不調とは言えスサノオが対処仕切れなかった代物と言うだけでどれだけの事かは察することが出来ていた。
「そこまでやってようやく呼ぶようになってくれたから、知り合って簡単に呼んでたら、僕がなんだったのかってなっちゃうのを気にしてるんだと思う。」
真が認められる、と言う域になるまでに辿った道のりが簡単なものではなかった事は、聞いた話だけで大和と水葉も察することが出来た。
「一見すると厳しいだけのように見えますが、義理堅く真面目で優しい方なのですね稔さんは。」
「元が上下とかある体育会系で、そこからすら離反して一人で修行してたから、かたくなな所は多いけど…やっぱり優しいですよ稔は。」
接する期間が短い内は分かり辛い稔の優しい面を間違えないよう伝えておこうとする真。
だが、なんとなく程度は分かっているのか、水葉も大和も笑顔で頷いた。
「お二人とも火事に突撃するくらいですからね。」
何の気なしに先日の一件について告げた水葉。
水葉を拾いに行った際に火事については大和も知っていたものの、真も稔も何も言わなかった為関わっていた事は大和は知らなかったのだ。
「真君も無茶をしますね…」
「あはは…子供が取り残されてるって聞いてつい…」
下手をすると、所か凌げる可能性のほうが低いような危険に生身で突っ込んだという暴挙に頬を引きつらせる大和。
「「「ご馳走様でした。」」」
話しながらも食事を終えた三人はそれぞれに食器を持って洗い場に向かう。
と、さっさと自分の食器を洗い始めた真は水場に向かったまま口を開く。
「二人の分も洗っておくよ。僕はもう稔との鍛錬なれてるし、時間あるなら回復の為に集中しておいたほうがいいし。」
言うとおり余裕のある真に対して、ましにこそなっているとは言え一時は青ざめてすら居た水葉も無理をして二人についていこうとした大和もその消耗は癒えているとは言えなかった。
二人は素直にお礼を言って洗い場を離れる。
震える足で洗い場が空くのを待っているのすら辛かった水葉は、ガチャガチャとなれない食器洗いをしている真の背を眺める。
「…あの稔さんと笑顔で一緒に居られる真君も、大概優しく強い方ですけどね。」
「です…ね。」
慣れていない分とわざわざ雑用を引き受けて貰った時間を無駄にするまいと、大和と水葉は眠る前に出来うる限り瞑想による回復に慣れておくことにした。
スペースの関係で男子勢が雑魚寝する中、最低限の気遣いか稔と水葉の二人は別室を用意された。
「さて…と、いくか。」
「え?」
布団に篭った今更になって言い出した稔の台詞は、何も知らない水葉からすると訳が分からなかった。
「あの…一体どこへ?」
「練想空間に入る。意識だけの空間だからな、体を放ったままで鍛錬できるから都合がいいんだ。」
当たり前のように…実際に稔と真にとっては当たり前の日常。
だが…
「昼からずっと修行してて寝てる時間もですか!?」
真威について聞き、体感もしている水葉にとって、それは本気で驚愕することだった。
自身も祈祷の後の精神…真威の消耗は感じる水葉。
気の休まる暇も無いと言う言葉があるが、いくら睡眠と言う状態で体を使っていなくても、真威を消耗し続ける、とてつもない苦行になるのは水葉でも分かった。
「さすがに練想空間で危険になれば引いておくがな。神域へ挑む、と言うのを冗談にしないのなら不思議な量でもないだろ。」
「それは…」
神々への信仰。
人の手の届かない代物を時に崇め、時に畏怖する。
自然や大地の成り立ち等にすら関わっているその域を本当の意味で目指しているのなら…
思い上がりという思いと、稔と真の日常の異常さ。
二つが綯交ぜになって、水葉には何も言えなかった。
「真さんも…ですか?」
「ん?あぁ。真にしてみれば練想空間のほうが主題のような所もあるからな。」
「どうしてそこまで…」
普通じゃない。
栄光も、目指すべき場所も無く、こんな量の鍛錬を当たり前に出来る理由が分からない水葉。
まして、稔と違って普段普通の少年にしか見えない真が稔と肩を並べられるのかは、分からないどころか信じられないことだった。
「私や真の理由が分かれば、自分が頑張れなくてもいい理由か、頑張れる理由が出来ると思ってるのか?」
「っ…」
稔の指摘に俯く水葉。
それをそのまま受け入れてしまえば、まるで自分が頑張りたくないと言ってしまっているようで、水葉は泣きそうな顔になる。
一言で切り捨てるような事を言った稔だったが、悲しげな水葉を前に稔は首を横に振った。
「いや、無理を言うつもりはない。そもそも船祈の場合は運動、戦闘に直接理由が無いから無理についてきて辛いのは当たり前だ。逆に祝詞を覚えろと言われたら私は紙を貰ってすぐ投げ捨てる自信がある。」
「それは…自信とは言わない気がします。」
俯いていた自身を励ましてくれた稔を前に、いつまでも暗い顔をしていられないと笑顔を作る水葉。
「氷野さんも神職としての生活だけで練想空間にまで到ったと言う話だし、真も私と会ってから鍛えだしたんだ。走っていた時にも言ったが、回りを気にしないで自分の限界と戦えばいい。」
「…はい。」
言うだけ言うと、稔は目を閉じて練想空間に入った。
水葉は唐突に静まり返った稔を眺める。
「それでも…貴女が名前で呼べるくらいには頑張りたいです。私より私を…ミズハノメ様を大事にしてくれたお二人に近づきたいですから。」
水葉が思い返したのは、真と稔の対照的な、水葉の祈りを大事にしてくれた言葉。
少しでもそんな二人に近づく為に出来うる限りは頑張ろうと決めて、水葉も目を閉じた。
「…聞こえているんだが、分かってて言ったのか?」
稔は、練想空間から目を閉ざして眠ろうとしている水葉を眺めて肩を竦めた。
練想空間は、意思で構成されている空間。
だから、現実そうだと感じている人々の意思によって、地形や人の位置などは大体同じように出来ている。
意識して発した言葉も、当然その意思に乗せられて響き、練想空間に到る者ならそれらを汲み取ることが出来る。
練想空間についての話はしてあったにも拘らず、一人で誓いを立てるような呟きをした水葉の一連の姿を眺めてしまった稔は、聞かなかったことにするのに少し困ると思いつつ鍛錬の為に部屋を出た。
鍛える気で山で走って、走れなくて歩くどころかベンチに横たわってもまるで回復しなかった事がある作者がこんなものをさらっと書いてると、人には何をやらせてると言う罪悪感のようなものが若干沸いてきたり…かと言って本当に心臓どうにかなる寸前まで走り回ってみるわけにもいきませんが(苦笑)