漆 青に緑に……
翌日、火曜日。
身支度を済ませて家の外に出た俺は、とりあえず周囲を見回してみた。妹が言うには、昨日俺はカラスに追い駆けられていたらしい。しかし、見える範囲にそれらしき姿は見えない。昨日のことは偶然か妹の見間違いか……。
「いってきます」
家の奥から母のいってらっしゃいが聞こえた。
学校の前までやって来たところで、ちょうどバスから日和が降りてきた。
「お。朝日君、おはよー」
「おはよ」
出会ったのだから、俺達は連れ立って歩き出す。
「そういえば昨日、大慌てで帰ってたけど何かあったの? 大丈夫だった?」
「一応」
「そう」
校門を抜け、玄関、下駄箱、廊下、階段……。
並んで歩いてはいるものの、会話は途切れてしまっていた。栄斗や美幸みたいにべらべらしゃべってくれればこっちだって反応くらいする。けれど日和には今、これといって話しかけようという話題がないらしい。
と、日和が踊り場で足を止める。明かり取りの窓を見上げて、ぽかんとした顔になる。
つられて俺もそちらを見る。
窓から見える木の枝にカラスが一羽留まっていた。少し汚れた窓ガラス越しでも分かるくらい綺麗なカラスだった。青に緑に煌めく羽が美しい。
「夕立……」
「え、それっておまえの家に来る?」
「正確にはお隣のおじいちゃんの家にだけどね。でも、どうして学校に……」
「別のカラスじゃないのか」
日和は首を振る。窓を見上げる俺達のことを不思議そうに見ながら何人かの生徒が階段を上って行った。
「見間違えるはずないよ。あんなに綺麗なカラス、他に見たことないから」
「ふうん」
夕立だと思われるカラスはしばらく俺達のことを眺めていたが、気が済んだのか一声鳴いて飛び立って行った。
「学校の近くですら見たことないのに、今日はどうしたんだろうね」
「鳥の気まぐれじゃないのか」
「うーん……」
鳥がどこにいようと自由だと思うが、そんなに気になるのか。と思ったが、俺にも気になるところはあった。昨日俺の後をつけていたのももしかすると夕立なのではないだろうか。そうだとしたら……いやあ、まさかなあ……。
「晃一ぃー! おっはよー!」
その声に振り向くと、栄斗と美幸が並んで階段を上って来ていた。
「なんだよなんだよー、東雲ちゃんと一緒かよー。朝から何してたんだこんな所に立ち止まって」
「こーちゃん、日和ちゃん、おはよ」
「おはよう。鳥を見ていただけだ」
「おはよう、美幸、小暮君」
駆け寄ってきた栄斗が「隠すこたぁないんだぜ」と言ってにやにやしているが、こいつはどうやらあの旧鼠騒動以来勘違いをしているようだった。何度も言うが捲ろうとしてスカートを掴んだわけではない。いや、それとも、勘違いとかではなくてただ単にからかいたいだけなのかもしれないな。
「かあ」
帰宅部員の俺は放課後早々帰路に着く。朝はバラバラな俺達だが、部活のない時は一緒に帰ることが多い。栄斗は弓道部、美幸は料理研究会、日和は放送局。一見予定の合わなさそうな面子だが、栄斗はノートと鉛筆の扱いよりも弓矢の扱いの方が得意で、昔からちょこちょこ弓道に手をつけていたために非常に上手い、それ故に練習はサボりがちだ。美幸の部活は一昨年できたばかりだそうで部員が少なく、活動日も少ない。日和に至っては放課後の仕事があまりないらしい。だから帰りは一緒になることが多い。
そうは言っても今は学校祭準備期間。七月初めの本番に向けて文化部は仕上げにかかり、外局はとにかく準備だ。栄斗は今日は掃除当番だったから置いてきた。装飾班Bとしての仕事を今日はできなさそうだったから、俺は一人黄昏を歩いている。
「かあー」
羽音と鳴き声が時折聞こえる。やっぱりつけられている。
家の近くまで来たところで異様なほど綺麗なカラスに追い越された。日和の言う通り、俺もあれほど綺麗なカラスは他に見たことがない。俺は夕立に後をつけられている。
「おかえりなさい、晃一さん。今日は何も連れていませんね」
家の前に紫苑が立っていた。深い深い漆黒の瞳が薄く笑う。
「あのさ、紫苑様」
「何です?」
黒ずくめの神様は夕日を受けていて何だか神々しい。ロングジャケットの裏地が青に緑に煌めいている。
「紫苑様って、もしかしてカラスなのか」