観察と誘導
さてと、職員室の全体を一通り観察してみる。向かい合うように並べられた教職の机が三列綺麗に並べられて置かれている。それと反するようにごちゃっとしている机の上。そのせいか何処までがその先生の机なのかわからない。
そんな印象の机がちらほら視界へと映し出される。もしかするとそんなパーソナルスペースを排斥するほどに教職員は仲がいいのかもしれない。
職員室に入った時、僕と同じように職員室の中を見回した天草さんであったが、先生方の机の上のくだらない事情に熱心な思考をする僕とは対照的に天草さんは自分の目的をしっかりと見据え行動に移していた。
迷う事なく今居る先生の所へと足を運ぶ天草さん。それに僕も置いてかれまいとついていく。机の列としては一番手前、奥の席には見知った顔の先生方が見えているからきっと、担当は一年生の先生方を狙っているのだろう事は僕にも察しがついた。
それとは別に僕が勝手に気になっていると言う点がある。それは、教科書やファイルなどの物が置かれていない机が一組あるのだ。それが端っこならば、それほど気にはならなかったのだが、真ん中の列の中あたり。つまり、この職員室の真ん中にあるのだから僕の気もそちらに注がれる。
「ーーと言うお願いなのですが」
予備の机なのかと思えば納得行くが、そう言った教職に必要な物が置かれていないにも関わらず、ただ一つ可愛らしいピンクの袋に入れられた弁当箱だけが置いてあるのだ。
気にならない方がどうかしている。
「……そうですか、ありがとうございました」
気がつけば申し訳なさそうに言う天草さんの言葉を耳にした。僕は会話をしていた先生と天草さんの顔を見て交渉が失敗に終わった事を悟り、とぼとぼと入り口へと向かう天草さんの後ろをついていく。
交渉に失敗する天草さんを初めから見ていなかった事に後悔する。こう言うと人が悪いとみんなに言われるがそうではない。純粋に失敗を知らない人の失敗は万人の学びに繋がるのだ。それをくだらない興味で見逃したと言うのが自分には辛かった。
職員室の入り口。出る前に僕は天草さんに聞く。
「天草さん。あの真ん中の列の弁当箱しか置いてない机って誰の机?」
「あそこは、黛先生の席だった気がするわ」
「ありがとう」
そんな短い会話をして僕と天草さんは職員室を後にした。とぼとぼと歩きながら天草さんは僕に申し訳なさそうに言う。
「なにも出来なくてきょーちゃんに申し訳ないわ」
確かに今の彼女には宿直室を出る時に纏っていたやる気は見当たらない。
「そこまで気にする事は無い気がするけど。大体今日中に顧問を決める事自体が難題だろ」
僕だったら真っ先に断る案件である。
「……その難題も、軽く吹き飛ばせると思っていた10分前の私を諭してあげたいわ」
天草さんが珍しく反省モードである。両肩をがっくりと落としたかのような調子で言う彼女を見ていると今度はこちらも何かしなくてはいけない様な気がする。
「まあ、慢心はいけないけれど、それに気づいただけ天草さんはマシじゃ無いかな」
「フォローしてくれてありがとう禊くん」
普段は悪態や、捻くれた事ばっかり言っている僕だが人の心がわからないわけではない。素直に天草さんを慰め、そしてこれ以上彼女が顧問探しにうつらないと知った僕は思い立った様に言った。
「あーー、ちょっとトイレ行ってくるから宿直室に先に戻ってくれ」
天草さんは、わかったわと覇気なく答えとぼとぼと歩いていく。その様子をみてよっぽど堪えているのだという事を視認した僕は踵を返しきた道を戻る。
宿直室は校舎端に位置しており普段生徒が利用する教室もない事から生徒用のトイレが設置されていない。トイレ自体は近くにあるのだが、それに対してすら天草さんからのツッコミがなかったのだよっぽどショックだったことが伺えた。
それはそれとして置いておいて、僕がこうして天草さんと別れたのはトイレのためではない。一緒に居たくないと言うのもあったが、僕ができうることをしようではないかと思ったからだ。
天草さんのあの調子ならば逃げ帰る事も可能なのだが、生憎妹の葵がいるあの場で逃げるのは愚策にも程があるのである。それは学校と違い住まいを共有する家族に対して食事中からゲームをするパーソナルタイムに愚痴を言われる様な行動をとるのは自分の首を絞めるほかない行動だ。
「再びすみません。黛先生はどちらにいらっしゃるかご存知でしょうか?」
「あ、あぁ。お前さっきの天草の後ろにいた」
職員室へ戻り、先ほど交渉した男性教師へと僕は話しかけた。
「秋月禊です」
「お前秋月の兄か?」
兄か?と聞かれびっくりする。
「ええ、秋月葵は僕の妹です」
「へえ!そうなのか、お前の妹は手がかからない生徒だと思ったがこんな兄がいればそりゃああ育つわな!」
はっはっはっと朗らかに笑う教師。
葵は無鉄砲な元気を振りまく所があるから、それこそクラスで浮いていないだろうか兄としては心配ではある。僕がクラスで沈んでいるだけに。
この教師、僕に対しても葵に対しても見当違いの評価をしている。人を見る目がないのだろうかと、純粋に思ったがここはお世辞として受け取る事にした。
落ち着くと男性教師は矢継ぎ早に付け加えた。
「あそこに弁当箱だけ置かれた机あるだろ?あそこが黛先生の机なんだが、あの弁当箱が無くなったら帰ってるって考えていいと思うがーー」
そう言って僕は目線を再び黛先生の机へと移す。そこには先ほど見たときと変わらない机の様子が瞳に映される。
「まだいますね」
「そうなるな」
小難しい返しに僕は小首をかしげる。
「まあ、居るのは間違いないんだが。何処にいるかはならちょっと俺らでもわからんのだ」
この教師人を見る目も役にも立たないらしい。
「そうですか……」
「黛先生、音楽教師だからその兼ね合いで吹奏楽部の顧問をやらされてるから吹奏楽部によるのもありだね」
そう一言付け加える様に言った彼にお礼を言い一礼すると僕は職員室を立ち去った。