71.お手本
舐めたらアッカン~♪
「レオ、気ぃ抜くなよ。油断したらこっちから━━」
━━カミ殺すぜ?━━━
「ふっ・・・」
キューレの態度にレオは口元を不満げに歪ませながら考える。
つくづくキューレには手を焼かされると、こいつが楽しそうな時に限ってこちらは要らぬ覚悟を強いられると。
だが、そんなレオの不満げな口元が次第に不敵な笑みへと変わっているのに本人は気づいてはいない。それに気づくのはいつも向かい合い、手合わせするキューレやレイだけである。
「(ホントに気づいてないのか、レオ? おめぇは今笑ってるんだぜ?)」
キューレにとっても今は何よりも楽しい時間。神としての地位と自身の体質のことで戦うに戦えない戦闘狂が【対等】の立場で負けた相手、そんな相手と何時でも手合わせを出来るのだから。
「これで滾らない訳がないよな! 」
「ほどほどにしてくれよ?」
キューレから獣が牙をむくような笑みが生まれたと同時にレオはすぐさま臨戦態勢に入る。
「そんなの無理に決まってんだろ? 《魔王君臨》」
スキルの発動に伴い身体中からねっとりと邪気が溢れだす。そして一瞬にして膨れ上がった邪気が次第にその密度を高める。
新鮮な空気が邪気の高まりに比例するように、濁り、重く苦しいものに変わっていく。
激しい音など響いているわけではない。だが道場特有の神聖な静けさは消え去り、気を抜けば意識を持っていかれそうなほど冷たく死の静寂が生まれている。
「うぅ、んぐ・・・」
小さな呻き声をあげたのはクレイだ。
意図した行為ではない。心の奥底、体の奥底から鳴り出す警鐘。クレイにとって初めてとなる経験。本能からの危険信号。
逃げろと、殺られる前に殺れと、心臓が手足が勝手に動き出す。
「(うるさい、黙れ)」
自問自答のように心の中で吐き捨て、自身の体を押さえつける。
決して自分に向けられた訳ではないにも関わらずここまでの畏怖を与える力に恐怖と共にクレイには何処か引かれるものを感じていた。
「姉御の《魔人の覚醒》は見せていただいたことも、手合わせをしていただいたこともある。だがその時にはここまでの恐怖はなかった」
たった一つ段階を上げるだけで全く別次元の力に変わっていることがさらに心を引き付ける。
膨大な邪気は既に道場すべてに行き渡り、侵食を開始していた。
クレイの精神はもちろん、道場に張られた結界すら例外ではない。四方に這いずり回る邪気が道場に充満しきったタイミングで新たな動きが生まれる。
「はぁっ!」
漂うように駄々漏れになっている邪気が一気に巻き上げられるようにキューレを中心に収束していく。
漂っていただけでも死の気配を撒き散らした邪気がより一層密度を増す。精神汚染もレベルが上がり、座っているだけでも吐き気を催し目眩や頭痛すら出始める。
まだまだ濃度が上がり視界すら定まらないほどに悪化する中、どこからかカチャカチャと音が響く。
悪くなる視界の中でクレイが見たのは、据わったような、血走ったような、そんな狂った目でキューレを射ぬくほどに見つめるエリカだった。
「・・・エリカ嬢?」
エリカの左手は鞘を、右手は柄を掴み、今にも剣を抜かんと構えている。だがおそらくはそれはクレイ同様に意識しての行動ではないのだろう。
その証拠にカチャカチャという音はエリカ自身が必死に剣を抜かまいと抵抗しているからこそ起きているのだから。
「『陽天』」
邪気が空間すべてを支配する中に二つの暖かな光が差す。円形に上から下まで貫くように発生したそれはエリカとクレイをピンポイントで包む。
魔を払い、精神を安定させ肉体回復を促す『陽天』により二人とも少しずつ表情が柔らかくなる。
クレイは目線をキューレから我が身を案じてくれた大切な人物へと移す。
「もう大丈夫そうだな」
いつもと変わらぬ表情で二人を見渡すレオの姿があった。
未だ精神汚染の影響か上手く声が出せないクレイは頭を下げることで精一杯の感謝を示す。
もう大丈夫と安心し、同じく危険に晒されたエリカを見ればエリカはまだ剣に手を添え真っ直ぐ前を見据えていた。
まだ冷や汗のようなものは見えるが表情は先ほどよりも良く、今にも飛びかかろうとする段階は越えたようだ。
「キューレ、だからほどほどにしてくれって・・・?」
いつもならすぐさま噛みついて来そうなキューレが一切声を上げない。レオは嫌な気がして目の前のキューレに視線を戻せば、そこには感情を削ぎ落としたように無感情な表情を浮かべながらも眼だけはレオを捉えるように見つめ続ける。
姿勢もいつもの格闘家のような構えを解き、両手をだらんと下げたまま肩幅より少し広めに足を開き、軽く腰を落とすような姿勢へと変わっている。まるで自然体な構え、動物のそれに似た構えだ。
「おいおい・・・」
小さく呟きながらもレオは細かく体を動かす。右ストレートへのモーション、突進へのモーション、ナイフへの手伸ばしモーション、どれも初動だけの小さ過ぎて一般人では理解できないようなモーションの数々だ。
そんな動きをキューレは表情を変えず大きな姿勢の変化もないまま、それでも確かにモーションに合わせ体をピクピクと小刻みに動かす。
「(勘弁しろよ。なんでここで【集の極地】なんだよぉ)」
レオは心の中で溜め息をつきながらもキューレが本気なのを理解する。つまりこちらも手を抜けば痛い目を見ることになる、と。
故にリミッターを外す。
「頼むから【手本】になるようにしてくれよ?」
そんなレオの声にすら無言を貫くキューレに再度溜め息をつくのだった。
集の極致=(スポーツでいう)ゾーン 的な何か




