― 柒 ―
煌々とした明かりに照らされた部屋の中で、準は謎の女と対峙していた。
裸の女が、ゆっくりとこちらに振り返る。油断なく拳銃を構える準だが、緊張は隠しきれない。
「お前は……」
女と視線が合ったところで、準は思わず手帳と拳銃を落としそうになった。
「あら……連絡もなく他人の領域に踏み込むのが、最近の警察の流行りなのかしら?」
そこにいたのは、橋田だった。奈々の通っている、立花学園高校の理事長を務めている女だ。昨日、学園を訪れた際に、彼女に追い払われたのは記憶に新しい。
「う、動くな! 両手を挙げて、大人しくしろ!」
あまりに予想外の展開に、叫ぶ声が震えていた。それでも、こちらには拳銃がある。そのことが、辛うじて準に冷静な判断力を失わせずに済んでいた。
橋田の口元が、にやりと歪む。裸体を晒しているにも関わらず、恥ずかしがる様子は微塵も見せない。
これが、本当にあの神経質な、女子高の理事長なのだろうか。胸元まで伸びる髪を降ろした姿は、あらゆる者を魅了する妖艶な美しさを放っている。
部屋に置かれていた蝋燭が、風もないのに一斉に揺れた。奥の壁に飾られているのは、貴婦人の肖像画だろうか。描かれた貴婦人の姿と橋田の身体が重なったところで、ぬるい風が準の頬を舐めるように撫でた。
「……っ!?」
次の瞬間、準は右肩に鋭い痛みを覚え、思わず拳銃を取り落とした。慌てて腕を左手で抑えると、生温かい何かが指と指の隙間から溢れ出しているのが見えた。
(馬鹿な! 左腕を……斬られた!?)
自分の知らないところに伏兵が潜んでいたのではあるまいか。慌てて辺りを確認しようとしたところで、今度は太腿に痛みが走った。
「……ぐぁっ!」
今度は堪えることができず、本当に悲鳴を上げた。左脚が何かで濡れて行くのが判る。確かめるまでもない。これは自分の血であると、膝を突きながら準は思った。
「うふふ……。昨日、あれだけ忠告したのに、馬鹿な刑事さんだこと」
薄笑いを浮かべつつ、ゆっくりとした足取りで橋田が近づいて来る。しかし、相手はカタツムリほどの速度しかないにも関わらず、準はその場から動くことができなかった。
腕と脚を切られていたからといえば、それは確かにそうだろう。だが、それ以上に、相手の発する言い表しようもない不気味な気魄に、完全に飲み込まれてしまっていた。
正に、蛇に睨まれた蛙だ。目の前にいるのは、丸腰の女がただ一人。新宿や渋谷を闊歩するヤンキーと比べても、腕っ節は格段に劣るはず。まともにやり合えば、力で抑え込むことも可能だと。そう、頭では解っていても、身体がいうことを利かなかった。
「まあ、それでも、ここを突き止めたことは誉めてあげるわ。どうやって嗅ぎ付けたかは知らないけど……そんなこと、どうでもいいことかしらね?」
なぜなら、お前は今、ここで死ぬのだから。そう結んで、橋田はスッと右手を掲げた。細く、しなやかな指の先にある物を見て、準は思わず自分の目を疑った。
牛刀が浮いている。冗談でも、ましてやトリックでもなんでもない。何の支えもない空間に、まるで糸で操られているかのように、刃先を紅い鮮血で濡らして漂っている。
先程、自分の腕と脚を斬ったのはあれか。痛みの原因を理解した準だったが、それで現状がどうにかなる訳でもなかった。
念力、魔術、超能力。およそ、非科学的な言葉ばかりが、彼の頭の中に浮かんでは消えて行く。手も触れずに足下に転がっていた刃物を飛ばし、操って相手を斬る。そんな芸当に理由を付けようとすれば、それは即ち、荒唐無稽な発想に頼らざるを得なかったから。
「それにしても、汚い血ね。男の血を浴びるのは、趣味じゃないわ」
刃の先から滴り落ちる雫を見て、橋田が少しばかり眉間に皺を寄せた。狂った女の、狂った考えなど解らない。しかし、橋田が飛翔する牛刀を使って、こちらに手を触れずに殺そうとしているということだけは、今の言葉から嫌でも解った。
殺される。傍らに転がっている拳銃に目を向けながらも、準は心の中で覚悟を決めた。
自分が銃を取った瞬間、あの牛刀もまた飛んで来る。身体を捻って急所に当たるのを避けたところで、それでも完全に刃を避けられるわけではない。重傷を負った身体で、果たして銃が握れるか。そんなことは、今さら自問自答するまでもないだろう。
橋田の指が、何かを押し出すようにして揺れた。その瞬間、宙に浮いていた牛刀が、音もなくこちらに飛んできた。
(駄目だ……! 殺られる!!)
血に染まった切っ先が向かってきたところで、準は思わず両目を瞑った。願わくは、急所を一撃で貫かれ、楽に死なせて欲しいものだ。最後に、そう考えて両の拳を握り締めたが……果たして、飛来した牛刀は、彼の身体を貫かなかった。
「……え?」
痛みのないことを訝しく思い、準がそっと目を開ける。そこに立っていた者の姿に、彼は再び両目を丸くして言葉を失った。
「き、君は……」
両手を大きく広げ、準を庇うようにして、水織奈々の名を騙った少女が立っていた。牛刀は彼女の腹に突き刺さっていたが、しかし一滴の血も流れてはいない。まるで、作り物の人形でも刺したかのように、彼女の身体にめり込んでいた。
「おのれ……よくも邪魔を!」
憤怒の形相となり、橋田が吠えた。それでも、少女は怯む素振りさえ見せない。そのまま静かに準の方へと向き直ると、初めて出会ったときと同じように、屈託のない笑みを浮かべて来た。
「大丈夫……刑事さん?」
腹に突き刺さった刃はそのままに、少女は準に尋ねた。準はそれに答えられなかったが、それでも彼の無事が確認されたからだろうか。
「殺させないよ……もう……誰も……。『ナナ』も……それに……刑事さんも……」
再び橋田と対峙する少女。その声は徐々に弱々しくなって行くが、しかし全身から発せられる気魄は消えていない。
「愚かな子ね。お前の力など、私の魔女様の前ではゴミ屑同然だというのに……やっぱり、劣等生はどこまで行っても、劣等生ということかしら?」
少女の言葉を鼻で笑い、橋田が何かを引くような素振りを見せた。牛刀が少女の腹から抜けて、橋田の手に戻る。その切っ先は紅く濡れたままだったが、何故か少女の腹からは、やはり血が流れ出ていなかった。
いったい、これはどういうことだろう。自分の目の前で立て続けに起きた様々なことに、準は頭の整理が追い付かなかった。
もしかすると、これは何かの悪い夢ではないのか。そうでなければ、きっと幻覚を見ているのだ。そう、考えねばやっていられない気持ちにさせられたが……次の瞬間、逃避しかけた彼の意識は、一発の銃声と何かが床に落ちる音によって現実へと引き戻された。
「やれやれ……どうやら、先客がいたようだな」
ソフト帽を被った男が、拳銃を構えて立っていた。硝煙を上げている銃口は、一般の警察官達が用いるニューナンブのものではない。9mm軍用弾も発射可能な、自動式拳銃のそれだ。
橋田の後ろで、縛られていた奈々が呻いた。先の銃撃が、彼女を吊っていた縄を切ったらしい。ドラマや映画でしか見たことのない芸当に、準は我を忘れて見惚れることしかできなかった。
「そこのお前……」
拳銃を構えたまま、その男、香取雄作は準に言った。視線は橋田に向けたまま、忠告とも脅しとも取れるような低い声で。
「死にたくなければ、そこから動くな。くれぐれも、俺達の邪魔をするなよ」
それだけ言って、後は何も言わなかった。代わりに口を開いたのは、香取より少し遅れて飛び込んで来た律だ。
「見つけたで、絵画の魔女! 今度こそ、ウチら零係が検挙しちゃる!」
先端に小さな刃の付いたワイヤーを持ち、律は油断なく橋田と対峙した。視線を合わせることはしない。橋田の中にいる存在が、自分に憑依の矛先を向けて来る可能性を考慮して。
「さすがの魔女も、聖別された土地……キリスト教系の学園の中では、悪さできへんかったらしいな。それで、この廃ビルを隠れ家にしようとしたんやろうけど……お陰で、見つけるのも簡単やったで。ビルの側に、あんな場違いな高級車を停めとったら、嫌でも解るわ!」
そちらの逃げ場は、既に封じた。諦めて、大人しく地獄へ帰るがいい。強気で言い放つ律だったが、橋田はそれに答えなかった。
「下がっていろ、印藤。まずは、俺が隙を作る」
牛刀が再び宙を舞ったところで、香取が同時に動いた。真正面から飛んで来る刃を軽く避け、代わりに銃弾を発射した。
硝子の割れるような音がして、橋田の前で火花が散る。放たれた銃弾は、彼女の身体を傷つけない。まるで、彼女の前に見えない壁でもあるかのように、何もない空間で制止して落下する。
牛刀を操っていた力と同じだ。目の前で起きている戦いに釘付けになりながらも、なぜか準は冷静に状況を分析していた。自分が蚊帳の外にされたことで、混乱が鎮まったのかもしれなかった。
「ふん……下らない。そんな玩具で、魔女様の力に敵うと思って?」
嘲笑する橋田。牛刀が、再び香取目掛けて飛来する。が、今度は避けることをせずに、香取は被っていた帽子を脱ぐと、それで掬い取るようにして飛翔する刃を受け止めた。
「……なにっ!?」
これには橋田も驚愕した。こちらの能力に対して何一つ驚かないばかりか、果ては数秒で動きを見切り、いとも容易く武器の動きを封じられたこと。それらのことで、彼女もようやく香取が並の人間ではないことを理解したが、既に遅かった。
「今やで、氷川クン! 魔女の本体に、一発かましたれ!」
そう、律が叫んだところで、橋田は後ろに何者かの気配を感じて振り返った。
「なかなか綺麗な背中ですね、魔女さん」
先程まで、誰もいなかったはずの場所に、細身の男が立っていた。眼鏡を掛けた、整った顔立ちの青年。香取達と同じ、零係に所属する氷川英二だ。
「貴様……いつの間に、後ろに!?」
「あなたが香取さん達に気を取られている間ですよ。確かに、あなたの力は凄まじい。しかし、戦いに関しては随分と素人のようですね」
何ら臆することなく、氷川は淡々とした口調で橋田に告げた。気配を消し、相手の隙を突いて後ろを取る。悪霊とはいえ、元は生きた人間に過ぎない。どれだけ優れた超能力を持っていたとしても、反応は人のそれと大差はない。
「年貢の納め時ですよ。あなたに殺された方の無念、晴らさせてもらいますね」
そう言いながら、氷川は胸元から取り出した瓶の中身を、壁に飾られていた肖像画にブチ撒けた。慌てて止める橋田だったが、彼女の手が届くよりも先に、瓶の中身は肖像画の中の貴婦人を直撃した。
「ぎゃぁぁぁぁっ!!」
両手で顔面を抑え、橋田が叫ぶ。髪の毛の間から黒い煙のような物が溢れ出し、それらは絵画の前に集まって、不定形な塊となって行く。
「思った通りやね。どや、依代んなってるもんを壊された気分は?」
ここに来て、律がようやく動いた。ワイヤーの先に付いた刃が、ふらふらと振り子のように揺れている。
氷川が投げた瓶の中身。それは、油絵具を溶かす有機溶剤だった。
古来より、人の姿形を似せた物は、人の魂が宿り易い。絵画の魔女とて、それは例外でなかったのだろう。生前の自分の姿を描いた肖像画。それ、そのものが、魔女の本体であり、肉体の代わりと言っても過言ではない。
「お……の……れ……」
だんだんと、黒い塊が人の形を成して行った。既に、橋田の身体に魔女は残っていないのだろうか。先程まで発していた妖艶な空気を失って、橋田は静かに気を失い倒れた。
「来るで……。雄作ちゃん、氷川クン、準備はええか?」
律の表情が、普段とは異なる真剣なそれに代わる。黒い塊に拳銃を向けたまま、香取は何も言わず動かない。氷川も手早く奈々に施されていた戒めを解くと、裸の彼女に自分の着ていた上着を被せて下がらせた。
「よくも……私の……美しい顔を……。許さぬ……許さぬぞ……貴様達……!」
蝋燭の炎が不自然な形に歪み、漆黒の塊が魔女の姿へと変わって行く。だが、そこに現れたのは肖像画の中の貴婦人ではなく、身体と顔が醜く溶けた、醜悪な化け物に他ならなかった。
「こ……ろ……し……て……や……る……!」
既に原型さえ留めていない身体で、それでも魔女は、両手を大きく掲げて力を放った。瞬間、部屋中に硫黄のような匂いの風が吹き荒れて、律や香取達を容赦なく襲った。
「……まやかしか。だが、その程度で怯むと思ったか?」
風に吹き飛ばされそうになりながらも、香取は何ら動じることなく魔女に言ってのける。同じく律も、対峙する姿勢を崩さない。脅える奈々を庇うようにして、氷川もまた油断なく魔女の動きを見定めている。
「死……ね!」
そう、魔女が叫ぶと同時に、再び部屋の中を風が吹き荒れた。しかも、今度はただの風ではない。あの、牛刀を操って、準や香取を殺そうとしたのと同じ力だ。
橋田が使っていた牛刀は、既に香取が確保していた。それでも、往生際の悪い魔女は、その辺に転がっていたコンクリート片を操って、律や香取に差し向けて来た。
巨大な塊が、その場にいる者達の頭を砕かんと迫る。身を屈め、危ういところで難を逃れる律。その一方で、香取は微動だにせずに石を手で払うと、溶け落ちた肖像画に向かって容赦なく発砲した。
「ひっ……!? うぎゃぁぁぁっ!!」
鳴り響く銃声。そして、再び轟く魔女の悲鳴。
銃弾を喰らったことで、有機溶剤に引火したのだろう。肖像画が、中心から音を立てて燃えて行く。一度、炎が広がり始めると、それを止める術はない。
「あぁ……あぁぁぁぁっ!!」
髪を振り乱し、魔女の悪霊は今度こそ身を捩って悶絶した。いかに強大な魔力を持ってしても、己の依代を破壊されれば痛みを伴う。その物体に強く結び付いていればいるほど、それは現世に霊魂を留める役割を果たすと同時に、絶対的な弱点ともなる。
「終わりやで、この性悪女。確かに、永遠の美貌っちゅうやつは、女にとっては憧れや。けどな……」
律が、持っていたワイヤーを魔女に向かって投げつけた。先端に付けられた刃が、蛇の頭を思わせる動きで宙を舞う。
「そのために、自分よりも若い娘を狩るっちゅうんは、どうしても許せへん。おまけに、他人の身体まで乗っ取って、欲望を満たすための道具にしよってからに!」
怒りのままに、律は叫ぶ。その声に合わせ、ワイヤーもまた、その動きを激しくさせて行く。
普通に投げたところで、あのような動きをさせることは不可能。刃と縄に仕込まれた特殊な印に、彼女の念の力が合わさって故のこと。
それは、古代中国で使われる、縄鏢と呼ばれる武器にも似ていた。縄や鎖の先に、鏢と呼ばれる刃物を付けた暗器。扱いだけでも難しいはずだったが、律の投げたそれは、まるで生き物の如く自由自在に動き回り、瞬く間に魔女の身体を縛り上げた。
「チェックメイトや。もう、どこにも逃げられへんで」
魔女の胸元に刃が突き刺さったところで、律は己の中に流れる力を、ワイヤーを通して注ぎ込む。その間にも、魔女の後ろでは肖像画が紅い炎に包まれて、無残にも灰に変わって行く。
拘束された魔女は、既に人の形を失っていた。それでも律は表情一つ変えることなく、むしろ力を強めて行き。
「成仏なんて、生易しい仕置きで済むと思ったら大間違いや。難波の呪縛師、印藤律を舐めたらあかんで!」
次の瞬間、律が懐から取り出した護符のような物を掲げると同時に、魔女の身体は瞬く間にそれに吸い込まれてしまった。後に残されたのは、黒ずんだ肖像画の燃えカスと、律の手の中にある奇妙な護符のみ。
「絵画の魔女、確保完了や。後の始末は、雄作ちゃん達に任せるわ」
静寂に包まれた部屋の中で、律は護符を小さな木箱に入れて封をした。よくよく見ると、箱を縛る紙紐にも、小さな文字で経文のようなものが施されている。
現代に蘇りし、乙女の生血を求める魔性の女。その霊魂は、天国へも地獄へも行くことはできない。永遠の暗闇の中、この世の終わりが訪れるまで、狭い木箱の中に封じられ続けるのだ。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
「お……終わった……のか……?」
部屋の空気が、一瞬にして軽くなった。憑き物が落ちたような顔をして、今まで事の成り行きを見守るだけだった準が、ようやく口を開いた。
「……っ! そうだ、あの子は!?」
突然、思い出したようにして立ち上がったところで、手足に走る激しい痛みに準は呻いた。
そういえば、最初に橋田と対峙した際、牛刀で斬り付けられていたのだ。今更になって痛みが蘇り、貧血で思わず倒れそうになった。
それでも、辛うじて踏み止まると、準は改めて部屋の隅を見た。
「あ……」
そこには、あの水織奈々の名を騙った少女が立っていた。牛刀で刺されたにも関わらず、やはり腹部からは血の一滴も流れてはいない。そればかりか、傷跡さえも見えなかったが、しかしその身体はどこか色身が薄かった。
少しだけ寂しそうな表情を浮かべ、少女は無言のまま部屋の傍らに転がされている、布に包まれた塊を指差した。痛みの残る脚を引き摺って準が近づき、布をめくると……その中から顔を覗かせたものを見て、準は言葉を失った。
「そ、そんな……」
そこにあったのは、あの少女の顔だった。彼女は既に、橋田の手によって殺されていたのだ。では、自分が街で出会った彼女は……そして、自分を橋田の凶刃から庇ってくれた彼女は、いったい何者なのだろうか。
謎の答えは、なんとなくだが準にも予想が付いていた。ただ、それを信じたくない、認めたくない一心で、彼は少女の立っていた場所へと顔を向けた。
「……いない」
先程まで少女が立っていた場所には、誰も立ってなどいなかった。代わりに、液晶の砕け散ったスマートフォンが、音もなく鎮座しているだけで。
叩き割られたというよりも、鋭利な何かを突き立てられたような壊れ方だった。それが、あの牛刀の一撃を防いだ際のものだと解り、準は自分の身体が戦慄するのを感じていた。
「なあ、あんた……」
呆然と座り込むだけの準に、律が唐突に声を掛けた。聞こえているのか、いないのか。準は返事をしなかったが、律は気にせず言葉を続けた。
「今の娘……あんたも見えたんかいな?」
その問いは、果たして何を意味するものなのか。答えを考えるだけの心の余裕は、残念ながら、今の準には残されてなどいなかった。