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7/23

― 陸 ―

 いつも通り、何の代わり映えもしない街に、準は今日も見回りに出ていた。


 警邏など、その辺の交番勤務にでもやらせておけという声もある。確かに、何の事件も起きていない以上、無駄にほっつき歩くよりは書類仕事でもした方が効率的だ。


 もっとも、それはあくまで平時の話。ここ数日、あの奇妙な少女に出会ってから、どうにも納得の行かないことが多過ぎた。


 建前は、捜索願の出されている行方不明者を探すということで報告している。それ以外に、準自身も説明のしようがない。なんとなく、キナ臭いものを感じるから捜査をさせて欲しいなどといった気紛れは、組織の中では決して許されることではないと知っていたから。


「はぁ……。それにしても……」


 公園のベンチに腰掛けて、今しがた買ったばかりの缶コーヒーを口にした。程良い苦さと酸味で頭を覚醒させたところで、今日までの出来事を改めて頭の中で整理した。


 最初のきっかけは、街で会った水織奈々を名乗る少女だ。彼女曰く、こちらに接触して来た目的は、行方不明になった友人を探して欲しいとのこと。実際、奈々を名乗る少女の話にあった通り、同じ学校に通う戸川恵子という少女は、捜索願が出されていた。


 だが、こちらが電話に出た一瞬の隙を突いて、奈々は準の前から姿を消した。もらった連絡先に何度も電話をしてみたが、一度たりとも通じない。折り返して連絡があるわけでもなく、仕方なしに彼女の通っているという学校へ訪れてみれば、そこにいたのは水織奈々を名乗る別の少女。メールに添付されていた、戸川恵子とされる人間だったのだから。


 あの、水織奈々を名乗った少女は、なぜ自分に嘘を吐いたのか。それも、調べれば直ぐにバレる上に、ともすれば余計な誤解を招きかねないような嘘を。


「もしかして、捜査の撹乱が目的なのか……? いや、それにしても……」


 そんなことを、あの少女がするとは思えない。否、思いたくないといった方が正しかったのかもしれない。


 最近は、未成年者でも信じられないほどに残虐な事件を起こすことが珍しくない。もしも、本物の戸川恵子が既に殺されており、その事件にあの少女が関わっているのだとすれば。そして、捜査を撹乱する目的で、敢えて警察官である自分に近づいたのだとしたら。


「……馬鹿馬鹿しい。いくらなんでも、テレビの見過ぎだ」


 最悪の方向へ結論が導かれようとしたところで、準は頭を軽く振って、すぐさまそれを否定した。


 あの日、水織奈々を名乗った少女が友人を心配した際の様子。それが演技だったとは、どうしても考えられなかった。自分とて、腐っても刑事だ。相手が嘘を言っているか否か、目を見れば絶対に判る……わけではないが、少なくとも微妙な空気を感じ取るくらいはできるつもりでいる。


 しかし、それでは、あの少女が自分に近づいた本当の目的は何だろう。彼女が自分の前から消えた理由。そして、同じ学園に通っていた、恐らくは友人であろう少女の名を騙った理由とは。


 駄目だ。このまま独りで考えていても、まったく解決の糸口が掴めない。やはりここは、昨日の捜査で偶然に会った、本物の水織奈々に会ってみるべきか。そう、準が思ったときだった。


 突然、準の持っていた携帯電話が音を立てて鳴り出した。着信を確認すると、果たしてそれは他でもない、水織奈々の名を騙る少女からの連絡だった。


 今までまったく電話に出ることもなかったのに、このタイミングで何故。訝しげに思いつつも、準は少女からの電話に出ようと携帯電話を開いて耳元に当てた。だが、こちらが名乗ろうとするよりも先に、電話の向こうから彼女の叫ぶ声が飛んで来た。


「もしもし、寺沢で……」


『あっ、刑事さん! 悪いんだけど、今すぐ助けに来て欲しいの!』


「た、助けにって……。それよりも、こっちも君に聞きたいことが……」


『そんなこと言ってる場合じゃないんだってば! 早くしないと、女の子が殺されちゃうんだから!』


 電話の向こうから、少女の必死に叫ぶ声がする。しかし、色々と言いたいことがあるのはこちらも同じだ。


「悪いけど、悪戯なら勘弁してくれないか? そもそも、なんで君は、僕に断りもなく姿を消したんだ? それに……」


『あーっ、なにそれ! もしかして、私が嘘吐いてるって思ってるわけ!? ちょームカツクんですけど!』


 準の質問を遮って、少女の怒鳴る声がする。とてもではないが、こちらから質問ができる様子ではない。溜息交じりに携帯電話を耳元から話そうとした準だったが、そのとき、電話の向こうから聞こえていた少女の声に変化があった。


『刑事さん……前、言ってくれたよね。ケイが誰かに殺されちゃってたりしたら、その犯人をやっつけてくれるって。全力出すから、安心していいって……』


 先程とは違う、泣き細ったような声だった。電話越しではあったが、嘘泣きにしては妙にリアリティのある喋り方と共に。


『もう……いいよ……。刑事さんだったら、もしかしたらって思ったけど……』


 だんだんと、電話の声が遠くなって来た。嫌な予感がどんどん準の中で膨らんで行く。ここで彼女の声を無視したら、それは取り返しのつかないことになるような気がして。


『私……行くよ。刑事さんが行かないなら、私だけでも……』


「ま、待て! 行くって、どこにだよ!?」


『そんなの、決まってるじゃん……。女の子が殺されるところに行って……助けるんだよ……』


 その言葉が決定打だった。


 彼女は自ら危険に身を晒そうとしている。その危険が何か、具体的なことまでは準にも想像できなかったが、それでも大体の予想は付く。


 女の子が殺されるのを助ける。それは即ち、彼女が凶悪な殺人犯の手から誰かを救うということ。悪戯にしては、あまりに稚拙な設定。しかし、だからこそ、万が一ということもある。


「おい! 勝手なことをするな!」


 携帯電話に縋るようにして叫び、準は懸命に少女を引き留めた。もう、冷やかしがどうの、演技がどうのと言ってはいられない状況だった。


 彼女の言葉が嘘か、それとも本当か。そんなことは、どうでもいい。このまま彼女を放っておけば、何をしでかすか判らない。もし、このまま彼女からの通報を無視して、彼女が遺体で発見されるようなことになれば……そのときこそ、自分は取り返しのつかないことをしてしまったことになる。


「君のいる場所を教えるんだ! 今、僕もそっちへ行く!」


 そういうが早いか、準は走り始めていた。お人好しと笑われてもいい。偽善者と、後ろ指を差されても構わない。


(相手を信じなきゃ、向こうだって心を開いてくれない……。そうだよな!)


 たとえ、何十回と裏切られようと、常に相手の立場に立って、話を聞こうとする姿勢を忘れないこと。何かの漫画かテレビドラマで知ったような台詞を思い出し、準は日没間際の公園を駆け抜けた。



※ ※ ※ ※ ※ ※ ※



「どや、氷川クン? なんや、新しい情報見つかったか?」


 薄暗い、死霊管理室の一角で、パソコンと格闘を続ける氷川に律が尋ねた。


 片手には、コーヒーの入ったマグカップが握られている。どうやら、徹夜で仕事をしていた氷川への、せめてもの差し入れのつもりらしい。


「ありがとうございます、印藤さん。家族関係が厄介だったので、少々手こずりましたけどね」


 そう言って、氷川は律からコーヒーを受け取った。本来であれば非合法とされる手段も用いたが、そこは零係の仕事。超法規的措置といえば、ある程度の無茶は、どうとでもなる。


 受け取ったコーヒーを口に含んでみると……甘い。なんというか、水飴の塊でも入れたのではないかという程の甘さに、思わず眉間に皺を寄せた。


 そういえば、律は恐ろしいまでの甘党だった。コーヒーはミルクと砂糖を大量に入れねば飲むことができず、寿司もワサビを抜かないと食べられない。


 男勝りな見た目に寄らず、変なところで子どもなのだ。それは別に構わないのだが、全てを自分の基準で考え、それに合わせてコーヒーを淹れることは勘弁して欲しい。


「絵画を持ち逃げした鑑識の女性ですが、東京及び関東圏において、繋がりのありそうな人間は見当たりませんでした。それは、現在の血縁者も同様ですね。ただ、唯一の例外を除いては……ですが」


 気を取り直し、氷川は自分の調べ上げた情報を淡々と語って聞かせた。一瞬、徒労に終わったように思わせておいて、重要な情報の存在を最後に暗示するような口ぶりで。


「彼女の母親ですが、彼女が産まれて直ぐに夫と離婚しています。その際、親権を得た母親は、東京を離れて関西方面に引っ越したようですね」


 他に行く宛てもなく、親戚を頼ってのことだと氷川は付け加えた。今でこそ、シングルマザーにも多少の理解はある社会だが、それが三十年近くも前となれば話は別だ。世間の風当たりも今以上に冷たく、子を抱えた女性がたった独りで生きて行くには、厳しい社会だったことは想像に難くない。


「その後、彼女の父親は別の女性と再婚しています。二人の間には新しく娘が生まれたようですが……それとは別に、前妻への養育費も支払い続けていたようです」


「なるほど。では、鑑識の女の父親と、その再婚相手との間にできた娘が怪しいと?」


 そこまで聞いて、香取が口を挟んだ。氷川はその問いに、軽く頷いて話を続けた。


「まず、間違いないでしょう。父親の再婚相手の方は、既に鬼籍に入っているようですからね。晩年は入院生活を続けていたとの情報もありますから、恐らくは癌か何かで亡くなったのでしょうが……」


 詳しいところは、さすがの自分にも調べられなかった。ただ、これで鑑識の女と繋がりのある、東京在住の女性は絞られると氷川は告げた。


 父親と後妻の間に生まれた娘に、鑑識の女がどのような理由で会っていたのかは判らない。離婚はしても、子どもにとって親はそれぞれ一人だけ。そんな心情を配慮して、面会を許可されることもあるそうだが……複雑な家庭の事情など、今はどうでもよいことだ。


「これで、糸が繋がりよったな。氷川クン、その再婚相手との間にできた娘は、東京で何しとるん? 早めに居場所を突き止めて、確保せえへんと拙いことになるで」


「ええ、解っていますよ、それは。ですから、そちらの方も既に調べ済みです」


 こちらの仕事にぬかりはない。眼鏡の位置を軽く直し、氷川はパソコンの画面を切り替えた。


 モニターに映し出される、都心部の地図と学校のような写真。見覚えのある光景に、香取は自分の中で、断片と化した情報が恐ろしいまでの速度で繋がって行くのを感じていた。


「これは……」


「ええ、そうですよ。私立立花学園高等学校。印藤さんがこちらに来る直前に、香取さんと一緒に追い掛けていた……例の、少女失踪事件が起きた学園です」



※ ※ ※ ※ ※ ※ ※



 据えた臭いのする路地裏を抜けると、そこにあったのは古びた廃ビルだった。


「こんなところに、まだ改修もされてないビルなんてあったのか……」


 一瞬、建物を見上げたまま、準はしばし呆然とした表情で呟いた。あれから水織奈々の名を騙る少女の言葉に従って、言われるままにやってきた場所。それが、こんな薄汚れた廃墟だとは、思ってもみなかったのだから。


「ありがと、刑事さん。やっぱり、ちゃ~んと来てくれたんだね」


 隣で少女がにっこりと笑っている。本当の名前は何かと聞いてやろうと思ったが、それよりも先に準の口から出て来たのは別の言葉だった。


「それで……殺されそうな女の子がいるのは、この中で間違いないのかい?」


「うん、そうだよ。たぶん、まだ大丈夫だと思うけど……でも、急いでね、刑事さん」


「ああ、任せてくれよ。本当は、一課の人達にも応援を頼みたいところなんだけど……」


 そこまで言って、言葉を切る。実際、そんな暇などないし、そもそも少女の証言だけで捜査一課を動かせはしないということも、準は十分に承知している。


 とりあえず、ここで待っていろ。それだけ言って、準は廃ビルの中へと足を踏み入れた。


 いったい、自分は何をしているのだろう。たかだか高校生の少女一人に、こうまでして振り回されなければならない理由は何だ。


 再び、灰色の考えが頭の片隅から蘇ってきた。これが悪戯だった場合、ビルから出れば少女は再び姿を消していることだろう。


 しかし、それでも良いと準は思った。とことん信じて、騙されて、お人好しと馬鹿にされて。そんな刑事が、一人くらいはいたっていいだろうと。それに、人を疑い、裏切られることが日常茶飯事なこの仕事で、子どもの悪戯に、いちいち目くじらも立てていられないとも。


 静寂の中、自分の呼吸音だけが聞こえて来る。足音を殺して辺りの様子を窺いながら進むと、廊下の奥から微かに光が漏れているのに気が付いた。


 外からの光ではない。ぼんやりとした橙色の光が、廃ビルの一角にある部屋から廊下へと溢れ出ている。外はまだ明るい時間だったが、それにしても薄暗い。恐らく、窓をベニヤ板か何かで塞いでいるのだろう。


 足音を忍ばせたまま、準は明かりが漏れている部屋へと近づいた。中に誰かがいるのは間違いない。少女の話が本当ならば、相手は恐ろしい殺人犯かもしれない。


 そっと、足音を忍ばせて、準は胸元の警察手帳に手を伸ばした。同時に、拳銃のロックも外して片手に握る。練習以外では実弾を発射した経験などないだけに、グリップを握る指先が、汗でじっとりと濡れて来る。


 明かりの洩れている部屋には、幸いなことに扉はなかった。油断なく部屋の入口に近づいて、準は首だけを動かし中の様子を窺った。


(あれは……)


 そこにいたのは、女だった。後ろ姿なので、顔までは判らない。部屋のあちこちに置かれた蝋燭の明かりに照らされた身体は、一糸纏わぬ生まれたままの姿だった。


 黒子一つない、均整の取れた肢体。しかし、何故かそれを目の前にしても、準の心に欲情の念は浮かんで来ない。


 それは、この部屋を包み込んでいる、異様な空気のせいだったのか。いや、そればかりではないだろう。


 部屋の中から溢れ出す生温かい空気。蝋燭に、何か香のようなものが混ぜられているのだろうか。甘酸っぱく胸を焼くような匂いに混ざって、生臭い血の臭いが準の鼻腔をくすぐっている。


 だが、それ以上に準を驚かせたのは、他でもない部屋の天井から吊るされた少女の姿だった。


(水織奈々さんか!? でも、いったい、なんで……)


 昨日、学園で出会った本物の水織奈々。彼女が両手を縛られた状態で、部屋に拘束されていたのだ。両手を縛った縄は、そのまま天井に備え付けられた何かへと伸びている。元は、電灯を付けるための器具だったのだろうか。ここからでは、詳しいことは判らない。


 吊るされた奈々は、女と同じく何も着ていなかった。口には猿轡を咬まされ、両目も目隠しをされている。両手と同じく縛られた両脚は床に着いておらず、下には洗面器のような器が置かれていた。身体を捩って暴れようにも、手足の自由が利かない状態では、それもできないようだった。


「ふふ……。思った通り、綺麗な身体ね……」


 裸の女が、奈々の身体を指で撫でた。どこかで聞き覚えのある声だと思ったが、それが誰のものか、準には直ぐには思い出せなかった。


「でも、そんなあなたの美貌も、直ぐに衰えて過去のものになってしまうのよ。だから、私が貰ってあげる。そうすれば……」


 その美しさは、私の中で永遠のものとなって生き続ける。そう語って、女は指を奈々の胸元で静かに止めた。


 女の足下に置かれている、牛刀のような刃物が鈍く光る。それが何に使われるのかを察したところで、準の背中に冷たいものが走った。


(……っ! 拙いぞ、これは!)


 心臓の鼓動が一気に高まるのを準は感じた。女の目的や、水織奈々が捕まっている理由は判らなかったが、そんなものは後回しだ。


 このままでは、奈々が謎の女に殺される。素人目に見ても、それは明らか。ましてや、警察官たる自分がここで飛び出さなくてどうするというのだ。


 気が付くと、反射的に身体が動いていた。足音を殺すような配慮は、もう要らない。片手に拳銃、片手に警察手帳を構え、準はそれらを謎の女の前に突き付けて叫んだ。


「警察だ! 誘拐及び、殺人未遂の現行犯で逮捕する!」

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