― 伍 ―
その日、準は日課である見回りのついでに、私立立花学園高校へと足を運んでいた。
名目上は、行方不明になった女子生徒を探すためということにしている。だが、理由はそれだけではない。昨日、街で出会った奈々とかいう少女。彼女の真意を知りたかったというのが本音だった。
(まったく……自分から連絡先を寄越しておきながら、何度連絡しても通じないなんてな……)
自分は冷やかしに遭ったのではないか。いや、どう考えても、その可能性の方が高い。あれだけ色々と準に頼る素振りを見せていながら、理由も述べずに消えるとは。
ただ、それでもなお、準は奈々の言っていたことが、気にならないといえば嘘になった。なにしろ、彼女の学校では、既に何名かの女子生徒が行方不明になっているのだ。その内の一人、戸川恵子もまた、捜索願が出されている一人。
偶然にしては、奇妙なことが多過ぎた。仮に、奈々が何かの鍵を握っている場合、それを見落とすわけにはいかなかった。どうせ、悪戯に過ぎないと高をくくり、より深刻な事態を引き起こした場合……世間は警察の怠慢だと、ここぞとばかりに叩くだろう。
都会の雑踏を潜り抜け、準は校門の前に出た。新宿の一等地に聳え立つビルとビルの間に挟まれるようにして、立派な校舎が建っていた。
(こんな学校に行かせるなんて、家はどんな金持ちなんだよ……)
私立の学校に子どもを通わせるための学費がいかほどか、準には到底分からない。しかし、少なくとも自分の給料だけでは、こんな学校に通わせるのは絶対に無理だということだけは、本能的に理解していた。それこそ、同じ公務員であっても、より高給取りな官職に就いているような者でなければと。
捜査のためとはいえ、随分と場違いなところに来てしまったと準は思った。そのまま正門から入ろうとしたが、下校中の女子生徒達の姿と視線が気になって、そそくさと退散しつつ裏手に回った。
ビル街を大きく迂回し、裏門に繋がる路地へと抜ける。建物の影になっているためか、正門と比べて随分と薄暗い。初夏にしては涼しい空気が頬を撫でるが、清々しいとは言い難かった。
「あの……すいません」
周りに生徒達がいないことを確かめて、準は遠慮がちに受付で要件を述べた。警察ということを名乗ると、事務員達は一瞬だけ驚いたような表情になったが、直ぐに奥へと引っ込んでしまった。
こちらからは見えないが、どうやら内線で誰かを呼んでいるようだ。しばらく待てと言われたので、準は近くにあった来客用のソファーに腰を降ろし、何気なく顔を上に向けてみた。
「……凄いな」
自分でも気付かない内に、思わず声が出てしまった。エントランスの中央に位置する巨大な柱。そこに飾られていた絵に、両目が釘付けになってしまったから。
「宗教画……ってやつか? でも、模写……だよな?」
生憎、美術に関して詳しいことは解らない。もしかすると、どこかで見たことがあるのかもしれないが、それさえも思い出せない。ただ、そこに描かれた人物達の姿があまりに強烈で、ある意味では本物以上にリアルに感じられた。
描かれているのは、人だろうか。それとも神だろうか。その違いなど、準には理解できなかった。学術的な部分や美術品としての素晴らしさよりも、模写とはいえ、こんな絵を堂々とエントランスに飾れるような学園の財力に、圧倒されたといった方が正しいのかもしれない。
「……お待たせしました」
突然、声を掛けられて、準はハッとした表情になり立ち上がった。
「あ、どうも……」
先程、受付で対応をしてくれた事務員の姿を見て、軽く頭を下げておく。その隣には、これは校長か教頭だろうか。眼鏡を掛けた、いかにも神経質そうな顔の女教師が、こちらを鋭い目付きで睨んでいた。
年齢は、三十代半ばだろうか。それにしては、随分と整った顔立ちと身体つきをしている。が、しかし、全身から発せられる刺々しい気が邪魔をして、色気のようなものは何も感じることができなかった。
「お忙しいところ、すみません。僕は……」
「警察の人ですね。申し訳ありませんが、お引き取り下さい」
お約束の台詞を言って、警察手帳を出す暇さえなかった。こちらの要件どころか名前さえ聞かず、女は一方的に準との会話を切ってしまった。
「私は、この学園で理事長をしている橋田という者です。どうせ、また家出した女子生徒の件について、聞き込みにいらっしゃったんでしょう?」
そちらの目的は解っているとばかりに、橋田と名乗った女は準に見下したような視線を向けて来た。棘のある言い方に、さすがの準も一瞬だけ気分を害したが、直ぐに踏み止まって反論することを止めた。
「先に申し上げておきますけど……」
準が何も言わないのをいいことに、橋田は鼻で笑いながら言葉を紡いだ。
「我が立花学園高校には、俗に言われる不良などといった生徒はおりません。ましてや、いじめ等といった、低俗な問題も抱えておりません」
「いや……別に、僕はそんなことを言いたいわけじゃ……」
「いいえ、結局はそういうことでしょう? 警察なんていうものは、疑うのがお仕事でいらっしゃるのですから……大方、うちの生徒が非行に走っていた事実はないかとか、家庭内に問題を抱えていた者はいないかとか、そういったことを探りにいらしたんでしょう?」
反論の余地さえも与えずに、橋田は一方的な口調で準に尋ねた。いや、この場合は、問い詰めたといった方が正しいか。
これは酷い決め付けだ。確かに、学校という教育機関の中に、警察という異物が入り込むことを嫌う者がいるのは解る。だが、こうも露骨に警察が低俗な悪であると言わんばかりの言い方をされれば、気分を害さない方が不思議だ。
「とにかく……」
もう、話すことは何もない。言いたいことを全て言ったのか、橋田は一度だけ咳払いをして言葉を切った。
「警察の方には、既に何度もお話を致しました。我が校には、やましい事など何もありません。これ以上は、生徒の不安を煽るだけです。お引き取りを」
その言葉が、全てを物語っていた。あまりに理不尽な扱いに怒りを覚えながらも、準は何も言うことができなかった。
ここで言い争いをしたところで、何も変わらないということは解っている。学校側にも、面子というものがあるのも知っている。
だが、反論の言葉こそ思い浮かばなかったものの、納得が行かないのも確かだった。生徒が行方不明になっているというのに、ともすれば警察に対する負のイメージだけを持ち出して協力を拒む。そんな思い込みで保身に走ることしかできない者が、果たして教育者として正しいのかと。
この女とは、話をしたところで無駄だろう。教育現場とは排他的な村社会にも似た場所だと聞いたことがあるが、それを現実のものとして見せつけられた気分だ。
せめて、あの水織奈々と名乗った少女に遭わせてもらえればとも思ったが、この女が許しはしまい。最悪の場合は公務執行妨害で押し切ることも考えたが、あまり強引な手段を用いれば、相手のガードをより固くしてしまう。
今日は、こちらが引き下がるしかないか。そう思って、準は仕方なく裏門に向かって歩き出した。下校中の女子生徒達が、こちらに怪訝そうな視線を向けて来る。刑事であるにも関わらず、自分がまるで不審者のように思われている気がして、早々に学園の敷地を立ち去ろうとしたときだった。
「あれは……」
下校中の女子生徒達の中に、準は見覚えのある顔を見つけた。似たような髪型の少女達が周りにもいたが、それでも見間違えるはずがない。
「君……もしかして、戸川恵子さんじゃないか!?」
次の瞬間、準は自分の名を名乗るのも忘れ、少女に駆け寄って尋ねていた。
見知らぬ者に声を掛けられたからだろう。辺りにいた少女達の顔に、一瞬にして不安の色が浮かぶ。しかし、その中でも準が声を掛けた少女は、周りの者に比べても、何やら別の不安を抱いているようだったが。
「えっと……すいません、何のことでしょう?」
怪訝そうな顔をして、少女は反対に準へと尋ねた。どうにも話が噛み合っていない。そんな印象を受ける尋ね方だった。
「いや……実は、君の友達の水織奈々さんから、君が行方不明になってるって聞いてね。現に、捜索願も出されていたから、こうして捜査をしていたんだけど……」
慌てて警察手帳を見せつつ、準は再び少女に尋ねた。こちらの身分を明かしたことで、少しだけ警戒を解いてくれたのだろうか。先程よりも辺りを包んでいる空気が軽くなった気もしたが、それでも少女は態度を変えることをしなかった。
「刑事さん、何か勘違いされていませんか? 水織奈々っていうのは……私の名前なんですけど?」
「……えっ?」
一瞬、自分の耳がおかしくなったのではないかと、準は思った。念のため、学生証を見せてくれないかと頼んでみると、確かにそこには水織奈々の名前が刻まれていた。
「君が……水織さん? でも、僕は確かに昨日、君の名前を名乗る子に……」
だんだんと、頭の中が混乱して来た。昨日、街で出会った少女が送って来たメールには、確かに目の前の少女が一緒に写っている写真が添付されていた。それに、戸川恵子という名の少女が行方不明になっていることも、捜索願が出されていることからして間違いはない。
(どういうことだ? ここにいるのが、本物の水織奈々だとして……それじゃ、僕が昨日会った女の子は……それに、本物の戸川恵子は……)
解らない。あまりに奇妙な展開になり過ぎて、頭の中が追い付かない。
「本当にごめんなさい。警察の人の、詳しい事情は知りませんけど……私も、ケイのことは心配なんです。だから……一刻も早く見つけてあげて下さい。お願いします」
困惑する準の様子を悟ったのか、水織奈々が申し訳なさそうに頭を下げて来た。辛うじて、それに頷いて答える準だったが、時間的にもそれが限界だった。
「ちょっと、何しているんですか! 許可なく勝手に、生徒に接触しないでください!」
こちらが生徒と話をしているのを見つけ、橋田が怒鳴り込んで来たのだ。これ以上、ここに留まっていては、色々と拙い事になりそうだ。
「最近の警察の方は、少年法もご存じない様子ですね。これ以上、無茶な捜査を続けられるのであれば、顧問弁護士を呼びますよ!」
後ろから橋田が何か吠えていたが、準は敢えて返事をせずに立ち去った。心の靄を払おうと思って訪れたのに、却って謎が増えてしまったが、今の彼にはどうすることもできなかった。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
夕刻の神田川の河川敷で、香取は珍しく所轄の刑事達に混ざっていた。隣には、同じく律の姿もある。もっとも、公安でも特殊な立場に位置する彼らが、本格的に捜査の指揮を執るようなことはないのだが。
「これか? 通報にあった仏さんというやつは……」
顔見知りの捜査員に尋ね、香取は青いシートの側に立った。捜査員の男は何も言わずに頷いて、シートの先を軽くめくって遺体の顔を見せた。
「川の端に引っ掛かっていたのを、通りがかりのご老人が発見されたようです。我々の方で、いち早く情報を得ることができたのは幸運でしたよ」
捜査員の男が淡々とした口調で語る。一般の警察官達には知られていないが、彼は零系の末端として動いている者の一人だった。霊能力の類は持ち合わせていないが、こうして捜査に必要な情報を集め、時に香取達へと報告する連絡係を担っている。
「間違いあらへんね……。魔女の絵を持ち出して、バックレよった鑑識の女や……」
香取に代わり、律が答えた。普段の軽い口調ではなく、その言葉には妙な重みがあった。
「これで、いよいよ事件は迷宮入りだな。絵を持ち出した本人が死んでしまったら、魔女の足取りを探りようがない」
醜い水死体と化した女の身体を見て、香取は大きな溜息を吐いた。心霊事件において、重要参考人が死亡することは珍しくない。が、死んだ理由や殺され方が不可解なものになればなるほど、その解決と隠蔽に苦労させられることも事実だからだ。
この大都会の中、血に飢えた魔女が解き放たれた。次に猟奇殺人が起きれば、さすがに世間へ隠しようもない。
せめて、何か少しでも魔女の足取りに繋がるものがあれば。そう思い、何気なく女の首下へ目をやったところで、香取の目が一転して鋭く輝いた。
「どないした、雄作ちゃん? なんか、おもろいもんでも見つけたか?」
茶化す律。もっとも、それが彼女なりに期待を向けているということを知っているので、敢えてまともに相手はしない。
「見ろ、印藤。こいつは溺死じゃない……絞殺だ」
首下に、微かに残った赤い痕。それを見逃さず、香取は指差しながら律に言った。
「仮に、魔女が女の血を求めているとして……」
大阪と神戸。この二つで起きた事件の話を思い出しつつ、香取は律に向かって語る。
「この殺し方は、少しばかり妙だな。あれだけ猟奇的な殺人を犯して来た魔女が、ここに来て実に綺麗な殺し方をしている」
「綺麗な殺し方? 絞殺ってことは、窒息死やろ? あれ、思ったより無残な顔で死ぬんやけど……」
「そういう意味ではない。ただ、血が流れているか否かの話だ。それに……」
先の事件では、魔女に魅入られた女ブローカーは、半ば見捨てられるような形で放置されていた。それが、今回に限っては、憑依対象そのものが殺されている。
いったい、これはどういうことだろう。しばし、思案に暮れる香取と律だったが、最初に口を開いたのは、やはり香取の方だった。
「そう言えば、印藤。お前の話では、魔女の犠牲者は全て若い女ということだったな」
「ん……まあ、そうやね。けど、それとこれに、何の関係があるん?」
「まだ、俺も確証は持てん。ただ、魔女が若い女の血を求めているなら……それ以外の血を、浴びたくなかったのではないか?」
殺された鑑識の女は、どう見ても三十路を越えた年齢だ。今までの犠牲者と比べても、明らかに年齢が高い。
魔女が少女の血を求めていると考えれば、それ以外の女性の血を浴びることを嫌悪しているのではないかと。逆説的な予想に過ぎなかったが、律も香取の話に納得したように頷いた。
「なるほどな。雄作ちゃんの、言いたいことは解ったわ。理由は解らへんけど……魔女のやつ、憑依対象を鑑識の女から別の人間に乗り換えたってわけやね」
そして、新たな憑依対象の肉体を用いて、用済みとなった鑑識の女を殺害した。その際、女が自分の求めている年齢ではなかったため、敢えて返り血を浴びないような殺害方法を選んだのではないかと。
「印藤、お前は直ぐに戻って、氷川にこのことを伝えてくれ。二人で協力して、殺された鑑識の女と繋がりのあった、東京在住の人間のリストを作ってくれ」
「別に、それは構わへんけど……魔女の絵の方は、追わんでもええんか?」
怪訝そうに首を傾げる律。しかし、香取は何かを確信しているのか、態度を変えようとはしなかった。
「この女を殺したのが魔女に憑依された人間だとして、この数日にそんなことができるのは、女と繋がりのあった人間だけだ。まったく見ず知らずの人間に絵を売るなり、譲渡するなりしたとして……それから先、この女を少しでも生かしておいたのであれば、今まで足取りがまったく掴めなかった理由が見つからない」
鑑識の女が殺されたのは、恐らく絵を誰かに手渡した直後だろう。その場合、今度は殺された場所が問題となる。人目に付く場所で殺害された可能性が低い以上、絵を受け取ったのは鑑識の女の知り合いである可能性が極めて高い。
魔女の絵を手に入れたのは、鑑識の女と繋がりのあった誰かだ。それも、女の呼び出しに警戒なく応じ、場所を問わず顔を合わせることができる程に親しい仲の。
「どうやら、まだ希望の糸が絶たれたっちゅうわけやないね。今度こそ、零係の意地にかけて、魔女を『検挙』したるで!」
これまでの事件から、魔女の特性は解っている。それならば、鑑識の女と繋がりのあった人物の中から、絵画を譲渡された人間を探すのも容易いはず。
鑑識の女の遺体に再びシートを被せ、香取と律は夕陽を背に立ち上がった。現代に蘇った恐るべき魔女。それにより引き起こされる連続猟奇殺人を、今度こそ食い止めるという決意を胸に。