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― 肆 ―

「……それで、その魔女とかいうやつは、いったいどんな相手なんだ?」


 両腕を胸の前で組んだまま腰かけ、香取は律に改めて尋ねていた。


 煙草の火は、既に灰皿に押し付けて消している。厄介な案件を聞きながら吸ったところで、煙草の味が落ちるだけだ。


「まあ、正直なとこ、ウチも何から話したらって感じなんやけどな」


 勿体を付けるようにして、律が口を開く。話すことが既に決まっていても、こういう素振りを見せるのが彼女の癖だ。


「雄作ちゃん、『呪いの絵画』の話っての聞いたことあるか? まあ、絵に関する都市伝説なんちゅうのは、古今東西溢れ返ってるとは思うけどな」


 それこそ、モナリザやベートーベンの肖像画をネタにした学校の怪談から、本当に持ち主に災いを齎す曰くつきの絵の話まで。そういった類の話は枚挙に暇がなく、香取もいくつかは耳にしたことがあった。


「今回の犯人は、ズバリその『呪われた絵画』や。さっき見せた、魔女の肖像画があったやろ?」


「あの写真にあった絵か……。だが、いかに生前に魔女と恐れられた者の肖像画とはいえ、所詮は絵に過ぎんのだろう? こちらで回収してしまえば、それで済むことではないのか?」


「ところがどっこい、そうは問屋が卸さへんのが問題やねん。確かに、パッと見はただの絵にしか見えへんけどな。あの絵は手にした者の心を魅了して、自由に操る力があるらしいで……」


 律がにやりと笑う。まるで、子ども達の怖がる様を見て喜ぶ、怪談話の語り部のように。


「大阪ん事件のときは、まだ単なる猟奇殺人事件ってことやった。まあ、現場を見たら、普通の警官やったら卒倒もんやけどな。なにしろ、全身バラバラに刻まれた女の子の死体と血と、それから妖しげな魔術の道具みたいなもんで、部屋中溢れ返っとったんやから」


 その犯人を追い掛けている矢先、今度は神戸で女性が行方不明になる事件が起きた。やがて、程なくして犯人は捕まったが、そのときは既に、まともな精神状態を保ててはいなかったらしい。


「捕まったのは、海外美術品のブローカーやってた女やね。犠牲者の手口と、捕まった女の部屋に転がってた仏さんの状態から、大阪の事件と同一犯ってことで一応の片は付いたはずやった。そやけど、捕まった犯人は錯乱状態で、わけわからんこと叫んどってな。現場に残ってたオカルトグッズの関係から、念のためウチらでも調査することにしたんよ」


 それが全ての始まりだ。そう、律は説明したが、同時に遅過ぎたとも付け加えた。


 大阪と神戸で、被害者の数は合わせて八人。これだけ犠牲者が出てしまえば、もう隠し通すことはできなくなる。公には恐怖の連続猟奇殺人事件として発表するとして、問題なのは、なぜ犯人がそのような凶行に至ったかだ。


 普通、こういう事件の場合、問題にされるのは犯人の過去だ。が、今回の事件に限っては、犯人の過去に猟奇殺人に至るまでの過程を説明できるようなものは、まったく存在していなかったのだから。


「正直、ウチらも最初は完全にお手上げやったで。部屋に転がってたオカルトグッズは、現場検証した連中も普通に見とる。悪魔崇拝とか、その辺に結び付けて説明するにしても、心霊事件っぽい空気で語られるのは避けられへん」


 だが、だからこそ、これが単なる猟奇殺人事件であって欲しいとも願っていたのだ。もし、この裏に何らかの超常的な存在の力が働いていたとしたら、事件は未だ終わりを告げていないということになるのだから。


 果たして、そんな律の予想は正しく、彼女達が調べて行き着いた先が、例の肖像画の存在だった。どうやら、女がヨーロッパ辺りを旅行した際に手に入れたものらしいが、詳しい購入元までは判らなかった。


「捕まったとき、女はしきりに、『私の魔女様……』って騒いどってな。色々調べた結果、その女が関空通して持ち込んだ美術品の中に、例の絵があったんやけど……」


 残念ながら、その絵が忽然として消えてしまった。その行方を追うにつれ、事件は厄介な方向に転がり始めたと律は続けた。


「魔女の絵画がなくなったんと同じ頃、現場検証しとった女鑑識官の一人が行方不明になったんや。たぶん、彼女が絵を持ち出しよったんやろうけど……その足取りを追っとったら、こうして東京まで辿り着いたってわけやね」


 ちなみに、その鑑識官も、普段の素行は当然ながら極めて真面目。とても盗みを、ましてや現場検証の際に押収された品を盗んで逃げるなどという行動に出る者とは思えず、関係者一同が首を捻るばかりだったようだ。


「一度、そちらの話を整理させてもらって構わないか?」


 今まで聞いているばかりだった香取が、重たい声で律に尋ねた。


「まず、『呪いの肖像画』とやらが、ヨーロッパかどこかから、女ブローカーの手によって持ち込まれた。その絵は持ち主を猟奇殺人に駆り立てる力があり、それを鑑識官の女が持ち出して東京の街に潜り込んだ、と……」


「ん~、だいたい、そんな認識であっとると思うけど、微妙に違っとる個所もあるな。別に、絵を手に入れよったからって、誰もが猟奇殺人鬼になるわけやないで」


 律がにやりと笑う。それを見た香取は怪訝そうな顔して、無言のまま視線だけで律に返した。


 ヨーロッパから持ち込まれた呪いの肖像画。律は、それが今回の事件の元凶だと説明したはずだ。現に、絵を持ち込んだ女ブローカーは何者かに導かれるようにして連続殺人を引き起こし、そして絵に関わった鑑識の女もまた、事もあろうか証拠品である絵画を持ち逃げする形で行方をくらましている。


(なるほど……女、か……)


 そこまで考えて、香取は合点がいったように、口元を隠すかの如く組んでいた手を解いた。


「おっ、雄作ちゃんも、気付きよったか? 今回の事件、何が鍵になっとるかってのを?」


「ああ、あくまで想像にしか過ぎんがな。事件の背後にあるのは呪いの絵画だけじゃない。必ず『女』というキーワードが関係している。……そういうことだろう?」


「さすが、零係随一の切れ者やね。そう、そっちの考えとることで、ほぼ間違いない。まだ、ウチも確信は持てへんのやけどな」


 多少の自嘲を込めながらも、律は断りを入れつつ言葉を切った。


「絵画の魔女が操れるのは、魔女と同じ女性だけや。ついでに言うと、犠牲になっとる人間も、全員が女なんよ。それも、まだ二十歳にもなっとらへん、十代の少女ばっかりや」


 事件の全てに、何らかの形で女が関わっている。しかも、犠牲者は全て未成年の少女ばかり。


 さすがの香取も、律の話を聞いて嫌悪感を隠しきれなった。今まで、数多の修羅場を潜って来た彼であっても、やはり人の死に慣れるということはない。ましてや、何の力も持たない未成年の少女が好き勝手に屠られたとなれば、人として不快な気持ちにならない方が異常だった。


「そういえば……」


 ふと、今まで話を聞いていただけの氷川が、思い出したように口を挟んだ。


「肖像画の貴婦人は、生前にも随分と残虐な行いを働いていたようですね。もしや、それと関係が?」


「たぶんな。これは、ウチの勝手な推測なんやけど……魔女のやつは、肉体が滅んだ後も肖像画に悪霊として住みついて、新しい身体を手に入れるチャンスを窺っていたんやないかって気がするねん。ただ、生前から魔女と見做されとったから、ヨーロッパでは好き勝手に動けへんかったんやろ」


 当たり前のように、律は返す。何も知らない者が聞けば、訳が解らないといった表情を浮かべるような内容を。だが、それを聞いた氷川はむしろ、大きく納得して頷いた。


「なるほど……バチカン、ですね?」


「正解や。こっちと違って、向こうの大陸にはローマ教会公認のエクソシストなんかがわんさとおる。まともに戦ったら、いくら魔女の悪霊でも一溜まりもないで。神様の名の下に粛清されて……今度こそ、地獄の門の向こう側に永久追放や」


 冗談ではなく、それは言葉のままの意味だった。


 妖怪、悪霊、そして悪魔。呼び名や姿形は違えど、古今東西を問わず、太古より人は超常的な力を持つ向こう側の世界・・・・・・・の住人達と戦ってきた。日本の平安京で陰陽師が魑魅魍魎と戦い、高僧が卓越した法力で悪鬼を鎮めているのと同じ頃、遠く離れたヨーロッパでもまた、人知れず神と聖霊の名の下に、多くの者達が異形の存在と戦いを繰り広げていたのだ。


 もっとも、そんな話も、今となっては既に過去のことだった。キリスト教の権威が未だ残るヨーロッパならばまだしも、宗教が死んで久しいとされる日本では、霊的な存在から人界を守る者は公に存在を否定されていた。


 そして、代わりに作られたのが、他でもない香取達の所属する零係だ。しかし、彼らの仕事は超常的な存在の引き起こした事件を解決するよりも、隠蔽することに力を入れる目的で設けられたもの。時に、それらの存在と戦うこともあれ、それはあくまで噂の拡散を防ぐための、緊急的な措置に過ぎない。


「教会の目を避けて、敢えて聖霊の力の及ばぬアジア圏へと足を伸ばしたというわけか……。なかなかどうして、頭の切れる魔女だな」


 これを、上の者達が聞いたらどう思うか。皮肉を込めた笑みを浮かべ、香取は口にした。今度からは、税関に心霊専門家でも置いて、幽霊の密入国も防げるようにしてみろと。


「だから、最初に言うたやんけ。今度の相手は手強いってな。それに……」


 呼吸を整え、言葉を切る律。先程までの軽い調子が急に成りを潜め、獲物を狙う鷹のような目付きへと変わった。


「魔女は女の身体に憑依して自由に操りよる。そんなん前にして、ウチが自我を保てるかどうかも未知数や。そういうわけで、雄作ちゃん達の力も借りたいねん」


 絵画の魔女を前にして、自分が正気を保てる保証はない。確かに、自分には人に無い力があるが、それは即ち、霊的な存在の力に対して必要以上に過敏であるということでもある。


 敵がこちらの身体を乗っ取ろうとした場合、果たしてそれに抗えるか。行方不明となった鑑識の女は、勤務態度も真面目で自立心の強い人間だった。そんな彼女でさえ、恐らくは魔女の力に惹かれ、手先と成り果ててしまったのだ。律の言葉は謙遜でもなんでもなく、本気で懸念せねばならない事項だった。


「とりあえず、その魔女を放置しておくわけには行きませんね。大至急、連絡員達にも情報を集めさせるとして……敵の居場所に、目星は付いているのですか?」


 事は一刻を争う。これ以上、魔女の被害者を出してはいけないと言って尋ねる氷川。が、対する律は首を横に振ったまま、溜息混じりに返すだけだった。


「いんや、詳しい場所は、ウチにも判らへん。ただ、鑑識の女が最後に目撃されよったのが、東京行きの新幹線に乗るところや。おまけに、彼女の実家も東京二十三区内にある。そっちは既に抑えたから、後はしらみ潰しに探す他ないで……」


 結局のところ、最後の最後は人海戦術に頼るしかない。とにかく今は、消えた鑑識の女の行方を突き止め、絵を回収することを急がねば。


 厄介な時に、厄介な事件が重なったものだ。気持ちを言葉に出す代わりに、香取は無言のままポケットから煙草を取り出して火を着けた。話を聞いている間、我慢していたので、その分身体が求めていた。


 ふっ、と煙を吐くと、一瞬だけ頭に刺激が走る。棚引く紫煙は混迷の様相を見せる事件を象徴するが如く、三つに分かれて複雑に絡み合いながら、天井の灯りの前に消えて行った。




※ ※ ※ ※ ※ ※ ※



「ごめんね~、待たせちゃった~?」


 深夜の街の一角で、軽快な少女の声がした。


 時刻は既に夜の十時。場合によっては、未成年者は警察に補導され兼ねない時間だ。


「いやぁ、俺も今来たところだから……。でも、君、本当に女子大生? もしかして、実は中学生だった、なんてことはないだろうね?」


 少女の姿を見た途端、目の前に立っていた男が警戒心を込めた口調で尋ねた。実際、男の言うように、少女の姿は女子大生というには随分と幼く見えるものだった。


 小柄な身体つきは、ともすれば小学生と見紛うほどだ。これで本当に女子大生かと、一瞬だけ嫌な予感が頭をよぎる。見れば、服装もちぐはぐで、まるで在り合わせの服を寄せ集めて、適当に間に合わせたようにしか見えない。


 だが、それでも彼女の顔だけ見れば、随分と化粧映えのするものだった。最近の小中学生にも遊び人はいるとはいえ、それでもここまで女としての魅力を引き出すような化粧の仕方は知らないだろう。


 言葉にするのは難しいが、なんというか、こなれているのだ。童顔の癖に、その中に確かなエロスを感じさせる魅力とでも言った方が正しいか。


「あ、もしかして、疑ってる? でも、大丈夫だよ。ほら、これが学生証! こう見えても、普段はちゃんと大学にも言ってるんだから」


 男の不安を察してか、少女は鞄から学生証を取り出して見せた。不統一な感じの衣服の中で、キャバクラ嬢が持っていそうな派手な鞄は、殊更異彩を放っていたが。


「ああ、疑って悪かったね。どうやら、心配はないようだ」


 学生証の写真と目の前の少女の顔。それを交互に眺めつつ、男は安堵の溜息を吐いた。そのまま、足の先から頭の先まで舐めるように凝視しつつ、邪な笑みを浮かべて考えた。


(ははぁん……。顔に似合わず、この娘はかなり遊び慣れてるってことだな?)


 写真の顔は本物以上に大人びているが、しかし本人の面影は強く出ている。まあ、これは写真写りが悪いということなのだろう。証明写真の類というのは、ともすれば犯罪者の手配書のように、顔色も人相も悪く写ってしまうものであると。


 満足そうな表情になり、男は少女に手を差し伸べる。そもそも、男が少女と知り合ったのは、家出少女達の集まるインターネットの掲示板サイトだ。表向きは家出少女の保護を謳っていながら、その実態は未成年者の売春を斡旋する非合法なサイト。掲示板を利用しているのは18歳以上の者が多かったが、中には高校生や、それこそ中学生まで紛れこんでいることもあった。


 男は、そんなサイトの常連だった。一泊だけの宿を貸す代償に、言葉にはできないような関係を迫る。当然、危険がないわけではない。そもそも、売春は違法であり、ましてや未成年者と関係を持つことなど、決して許されないことだ。


 もっとも、男もその辺は解っていたのか、相手が未成年者の場合は、上手く誤魔化して依頼を断るようにしていた。こうしたサイトには悪質なサクラや美人局が紛れ込んでいることもあり、18歳未満の未成年者と関わることで、それらに捕まる可能性も格段に高まると知っていた。


 自分は女を食うプレイボーイだ。そう、男は自称していた。ナンパは元より、出会い系サイトを試したことは数知れず。既に三十路を過ぎて久しかったが、まだまだ現役だと信じて疑っていなかった。


(まあ、こういう出会い方で知り合った女は、普段から男を食い物にしてやがるからな。それを俺が食ったところで、お互い様ってやつだぜ。それに……)


 身勝手な理屈を並べ立てながら、男は少女を連れて夜の街に消えて行く。途中、何人かの者と擦れ違ったが、咎められるようなことはない。夜の東京は、他人の行いに関わっていられるほど、暇を持て余している人間など囲っていないのだ。


(童顔で、おまけにエロい化粧ができる女なんて、なかなか最高じゃないか。今夜は色々と楽しませてもらうぜ、お嬢さん)


 屈託のない笑顔を向けて来る少女に、男は欲望の導くままに下品な言葉を紡いでいた。それが、自分の最後の楽しみになるとも知らず、停めていた車に少女を載せた。


 夜空に輝く丸い月から、人心を狂わせるような冷たい光が降り注ぐ。決して眠ることのない、欲望の渦巻く大都会。その闇に潜む邪悪な魔物は、今宵も傲慢に溺れた哀れな犠牲者の血を求める。


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